>Ⅳ

 なぜあたしはこんなところにいるのだろう。

 確か今日は朝起きて、散歩がてらコンビニにパンを買いに行き、朝食を作って食べ、洗濯をして、課題をやって、一人自由にぶらぶらしようと渋谷に出てきて、ランチをして散策し始めた。それが夕方まで続いて、見つかれば気に入った服とか雑貨とか本とかCDとかを何点か購入してあたしは何事もなく帰宅する。はずだった。

 時刻はまだ、14時にもなっていない。

 夕方まではまだだいぶある。そんな序盤と言っていい休日のタイムテーブルは、大幅に変更を余儀なくされていた。

 さっき、いいレザーのブレスレットを見つけたショップにまだ滞在していた。店頭のアクセサリーのショウケースで済ませるはずだったのに、なぜかそのショップの奥まで歩を進め、隣にいる人間のシャツを一緒に物色している。

 隣に立っているのはあたしが片思いしている相手、遠藤くんだった。

 宇宙言語を発信する電波をなぜか受信してあたしはとんでも無いことを口走っていた。

『遠藤くんさえ良かったら、いいよ』

 目の前の彼を差し置いて自分ごときが何様だ、と思う。けれど、その後にはもっと予想外の展開が待っていた。

「…え?まじ?本当に?」

「うん。邪魔じゃなければ」

「邪魔なわけないじゃん!声かけたのだってこっちからなんだから」

「…えっと、じゃあ」

 そこで我に返ったようになってしまったあたしは、それこそ全身から滝のように汗を吹き出してしまい脱水症状にでも見舞われたのかと思う眩暈の中にいる。

「ラッキー。じゃ、ちょっとここ見てっていい?あ、弟くんのプレゼント選んでてもいいけど」

「…ううん。これはまた今度でもいいし」

 なんだこいつは。誰だお前は。生まれ直してこい。と思うけれど、それは紛れもなくあたしだった。

「でもそれいいな。一応確保しとけば?」

「…そう、だね。そうする」

 結果あたしの左手には架空の弟へのプレゼントたる、隣の遠藤くんに似合うだろうと思っただけで渡す予定もないブレスレットを持ったまま、シャツの棚に二人で移動し、物色していた。

「これどうかな」

 遠藤くんが問いかけてくる。

「…うん、いいと思う。じゃあ、せっかくだからあたしからも…これ」

 形が少し違う、パターン柄ではないシャツを推薦した。どちらかといえば幾何学的な雰囲気のデザイン。

「へぇ…よし、ちょっと着てみるから見てみて」

 遠藤くんがすぐ近くにいたスタッフに声をかけて、試着室に向かっていった。

 あ、サイズ大丈夫だったかな。と思って、そこでまた気づく。

 何やってんだあたしは。

 自覚した途端に、声をかけられた直後の爆発的な脳内カオスが訪れる。ぐちゃぐちゃだ。試着を終えてカーテンの向こうから見えた彼を直視できる自信なんてこれっぽっちもない。絶対感想を求められるはずなんだ。それは分かっている。そのために、こうしてこのショップ店内に残っているのだから。心臓の鼓動だって過去最高速だ。人が一生にする鼓動の回数は決まっているとする説があるけど、このままじゃ何年寿命が縮まるのか分かったもんじゃない。

 あたしはいったい、どんな顔をして彼の前に立てばいいのか。普通なんて、絶対無理だ。こんなの、あたしの人生で起こっていいことじゃない。神様、これは一体なんのご褒美ですか?

「あー、山崎、いる?」

「………」

「山崎ー?」

「…あ、ごめん!いる!」

 そんな自分の中の混乱した思考に捕まっていたら、ついうっかり呼ばれていることに気づかなかった。

「あんがと。今開ける」

 シャッ、というカーテン開く音とともにその向こうから遠藤くんがの姿が現れる。最初に着たのは、あたしが選ばせてもらったものだった。

「…やっぱこれいいな。どう思う?」

「うん。やっぱり似合ってる」

「んー……これにしよ」

「え?他の試さなくていいの?」

「いや、なんか妹に選んでもらってる時と似た感じがする。やっぱり僕センスないな」

 少し自重気味に言う遠藤くんがはにかんだ。思わず倒れそうになる。

「そ、そんなことないと思うけど…」

「そりゃどうも」

「あ、サイズ!サイズ大丈夫だった?」

「うん。ばっちしよ。よし。着替えるからもうちょい待ってて」

「うん」

 再びシャッという音とともに、今度は遠藤くんの姿がカーテンの向こうに消える。

 なんなんだこれは。

 こ、これじゃまるで…。

 デーいやいやいやいや!そんなことを考えるなもうほんとに今試着室から出てくる前に逃げちゃうぞそんなこと考えたら。そうだ、考えるな。考えなきゃいいんだ。大学だと思え。そう思えばまだなんとか落ち着けるだろ。なんとかそうやって落ち着けるんだ。落ち着けあたし。落ち着くんだ山崎乃々希。

「よっし」

 三度カーテンが開いて、元のシャツに着替えた遠藤くんが出てきた。

「待たせてごめんな。おかげいいのが見つかったよ」

「ううん。なら良かったよ」

「あ、そのプレゼント、山﨑も買う?」

 その遠藤くんの提案に頷いて、二人それぞれレジに並ぶ。会計を終えたあたしはショップ前で少し待っていると、すぐに会計を終えた遠藤くんと合流した。

「いいの見つかったじゃん。良かったな」

 この世に100%存在しない弟の誕生日プレゼントなのに喜んでくれる遠藤くん。うう。騙していることに対する罪悪感で今度は胸のあたりがざわつく。あたしってこんなに情緒不安定だったっけ?

「うん。ありがとう。遠藤くんが言ってくれなきゃ、やめてたかも」

「それはこっちのセリフだよ。おかげ妹にボコられなくてすみそう」

 言ってニヤリと笑ってみせる。もうなんでこの表情を独り占めできているのかもう本当にわからないと思った瞬間自分で頭の中に浮かべた「独り占め」という言葉に、また脳カオスが勢いを増し、同時に自分の欲望に幻滅する。

「そっか、良かった」

「山崎、これからどうするの?」

 そういえば考えてなかった。

「え?あー…あ!CD屋さん行きたいんだった」

「お!いいね。もうこの際、一緒してもいいか?多分妹終わるまで僕も渋谷にいなきゃなんだ。もう目的達成しちゃって暇なんだよね。もし邪魔じゃなかったら」

「邪魔なんてそんな!こちらこそ」

「なんでそんなかしこまるんだよ」

 といたずらっぽく言ってくる。もう、やめて。壊れちゃうよ。

「じゃ、じゃあ、行こっか」

「おう」

 もうここからのことは夢みたいで正直はっきりとは覚えていない。

 遠藤くんの服を買ったのは公園通り沿いの複合ビルで、CDショップはほど近かったこともあり、かつ直行というほど急いでもいなかったから、そのビルのいろんなフロアを見て回ったりして過ごしたら、いつの間にか遠藤くんから「今日のお礼」と題されたプレゼントとしてふわふわしたベレー帽があたしの頭の上に乗っかっていたし、CDショップに着いたらそれはそれであたしのアイドル好きがバレてしまい、でも遠藤くんも同じユニットが好きだったことも発覚した。話を合わせてくれているのかと思ったら結構詳しくてびっくりしたし、ライブにも行ったことがあるらしい。好きなメンバーは残念ながら違ったけど、いいところをお互いに話し合ってみたりした。その他にも好きな音楽を勧めあったりして気付いたらそのビルのカフェに入っていた。もうストーカーでもいいから今日の一部始終の密着動画を撮ってノーカット番組を作って欲しいくらいだ。記憶が1秒1秒を記録できないことを本当に悔やまざるを得ない。こんなこと、きっともう一生ないぞ乃々希。一生分の幸せをもらっている気にすらなる。明日から、ではなく今日この後遠藤くんと別れたあとの人生が一気に不安になってくる。

「あ、妹から連絡だ」

 カフェに入って30分ほど経過したところで、遠藤くんがスマホを取り出した。

「ちょっとごめん」

「ううん」

 遠藤くんは席を立ち、一旦廊下まで歩いていく。

 その背中を目で追って、その視線を

壁に遮られたところで、ココアに口をつける。もうそろそろなくなりそうだ。ふと、正面の遠藤くんお席を見ると、先ほど買った彼の服と、衝動買いだったらしいCD、小さなバッグが置いてある。電話が終わったら戻ってくるからなのだけれど、戻ってくる席があたしと対面の席であることに、もう違和感しかない。先ほどから数時間一緒に行動している遠藤くんの姿がふと見えなくなると、ちょっと冷静になってしまい、そんな思考になってしまう。でも、これでもまだのぼせている。これじゃダメだ。

「ごめん、茗、終わるみたいだ。一応合流してから帰ることになった」

「うん。じゃあ、そろそろ出ようか」

「急かしてごめんな」

「全然」

 あたしたちは少しだけカップに残ったドリンクを煽って、席を立つ。

 カフェを出たところで、

「それじゃぁ、遠藤くん。また大学で。今日はいきなりだったけど楽しかった。ありがとう」

「こちらこそ。本当に、邪魔じゃなかったか?」

「うん。全然。むしろ良かった」

「そっか。あ、でも駅まで送るよ」

「え、いいよいいよ」

「いいから。これいうとあれだけど、どうせ茗の事務所、駅の向こうなんだよ。反対口で待ち合わせになったから」

「あ、そうなんだ」

 じゃあ、お言葉に甘えて。なんて台詞があたしの口から出るはずはない。

「そ。ってことで、行きましょうか」

 今日気付いたけれど、おどけているのかときどき口調が変わるのも、面白かった。

 二人で並んで歩き出す。

 そこで気付いた。さっきと逆だなぁ、と思ったら、自然となのか意識しているのかわからないけど、彼は普通に車道側を歩いてくれているのだった。

「あ、そうだ山崎、明日って、何してる?」

 なんだその質問は。罠か。罠なのか!?

「明日?明日は…少しうちのことやってお昼過ぎに学校行こうと思ってたけど。図書館でレポートかなーって思ってた」

「マジで!?あ、えーっと、この際乗りかかった船っていうかなんていうかなんだけど、明日、僕も図書館行っていい?」

「え?」

 図書館は学生であれば年末年始以外は基本いつでも利用可能だ。あたしに聞くことでもないはずなのだけれど。

「いや実はさ、今はバイト休みだからいいんだけど、来週結構入りそうでさ。言語構造学、一緒じゃん?人より早めに 進めておかないといけないかなーと思ったんだけど、なかなか進捗がですね……」

 どこか言い訳めいているような遠藤くんの口調。申し訳なさそうでもあるけれど。あたしには意図が見えなかった。

「そういえば山﨑も同じ課題だったなーと思って、もしよければそのー……一緒にやらせてもらってもいいですか?ちょーっと教えてもらったりしたいなーと思って」

 おいおいおいおい。おい。

 ちょっと待った今日この100年に一回にしか訪れないような御祭り騒ぎだったのに本当にか何これ一生分の幸福をこの週末に詰め込んでるのかな?

「え、いいけど…あたしそんなにできないよ?」

「はーい山﨑先生。嘘つけ。嘘つけー。知ってるぞ先生の成績」

「あ……」

 そういえば定期考査の話したんだった。

「僕なんかより圧倒的に良かったじゃん。是非お願いしたい。夕飯奢るので」

「ん。何ができるかわかりませんが、あたしでよければ」

「っしゃあ勝った!これは勝った!」

 子供のようにはしゃぐ遠藤くん。こういうところは、あたしはちゃんと見たことがない。男友達同士で何か盛り上がっているところを遠くから見ていたことはあるけれど。

「そんな。まだわかんないって」

「そんなことはない。そんなことはないですよ山﨑先生」

「その先生って何?」

 冗談に、やっと少し反応して笑えるようになってきた。そんな小さな仕草すらある程度自然にできるようになるまで別れ際までかかってしまった。

「いやいやいや、乃々希先生ありがとうございます。明日何食べたいですか」

 ぐわ、と今日会ったばかりの時のことがフラッシュバックしてくる。名前を覚えていてくれたことのインパクトが今更に蘇ってきて、結局やっぱりあたしの脳カオスが再び始まって心臓が上に跳ねる。

「今から明日の夜のメニュー決めていいの?」

「あ、そうか。今日じゃなかった」

「もう」

 あーなんとかやりきった、と思う。不自然に思われてないよね?大丈夫だよね?

 そんなことを話して、明日の待ち合わせを大学最寄駅の改札に13時と決めた頃に、あたしが帰路につくための電車に乗る改札に到着した。

「じゃぁ、ここで。送ってくれてありがとう。茗ちゃんにもよろしくお伝えください」

「うん。今日はありがとね。じゃあ、また明日」

「うん。バイバイ」

 あたしはその挨拶にまた緊張してしまって、まるで逃げるように自動改札を通った。勇気を出して振り返ると、見送ってくれている遠藤くんと目があってしまい、手を振られた。あたしは精一杯の力で持って、胸元で手を振り返す。

 立ち去られるのを目にするのが少し嫌で、すぐに階段をのぼる。

 もう、なんていう日だ。

 バッグの紐をぎゅっと握る左手が汗ばんでいる。

 膝が震えて、あまりちゃんということを聞いてくれない。

 人の多くないホームのベンチに座り込んでしまって、空を仰ぐ。

 こんなに、いつの間にこんなに愛おしくなってしまっていた?

 いつの間にこんなに、彼が必要になってしまっていた?

 想いが、自分で抱えられないくらいに重くなっていく感じさえする。

 考え事をする時の癖で頭を抱えようとして、それに触れてしまった。

 帽子。

 彼がくれた、宝物の以上の存在に匹敵する帽子。

 反射的に繰り返してしまう、別れ際の、また明日。

 平日ではない。講義がある日ならわかるのに。明日は日曜だ。それなのに、あたしだけに向けられた”また明日"が、嬉しくてたまらない。

 もう、どうにかなってしまいたいと思ってしまったら、自然と、涙が流れていた。

 そこで気づく。彼の去る姿を見たくなくて駆け込むようにした階段は、逆方向のホームだった。

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