>Ⅲ

 渋谷に降り立った私は、検索で見つけたカフェでランチを済ませて、早速ぶらぶらし始めた。

 ちょっと気に入ったお店を見ては出たり入ったりを繰り返す。自由とはこういうことだ。って、偉そうに思ってみる。ビルの中の雑踏や音楽は好きなので、基本的に建物の中ではイヤフォンはしていない。そのお店が流す音楽とかも雰囲気合わせているから、そのセンスがわかるからだ。逆に道端の雑踏は嫌いだから音楽を流してしまうけど。

 いろんなお店を物色していると、あたしがフロアガイドをろくに確認していなかったせいで、メンズフロアに降り立ってしまった。

 そこで、ふと思いつく。

 勝手に、彼に似合うものとか探してみようかな。と。アクセサリーとかでもなんでもいいけど。これも一人で遊ぶ醍醐味だ。思いつきを実行できる自由。しかも、まだあたしの中にしかない恋だ。誰かと一緒にいたらそんなことできないし。

 無骨というよりは細身で爽やかなイメージのある彼を想像しながら、あーこれかなーとか、これは違う、とか思いながら色々見て回る。なんかストーカーみたいだけど、すっごく楽しいのはこういうことなんじゃないかな。完全なる個人的趣味が全開になっている。大学の友達といても、やっぱりそこでの社会的ペルソナはある。こういう他人の目を気にしなくてもいい時が一番、言ってしまえば素直にいられるような気がするものだ。

 少し頰が緩んできてるな、と思った、メンズフロアでの3店舗目に入った時、すごく似合うのではないかと思ってしまった細いレザーのブレスレットを手に取った。

 これを彼がつけているのを想像してみた、その瞬間。

「あれ?山﨑やまざき?」

 ん?と思った。山崎はあたしの名字だ。まあ、よくある名字だしな、と思って削がれた集中力を目の前のアクセサリーに補填し直す。

「あ、えっと、山﨑だよな?」

 ん?もしかしてこれはあたしに向けられている声なのか?どこかで聞き覚えがと思い瞬間的に彼の顔が浮かんで、声のする方を弾かれたように向くと、そこに彼がいた。

「なんだ。やっぱりじゃん。山﨑も買い物?」

「…えっと、遠藤くん?」

「そうだよ。昨日も大学で会ったじゃんか」 

 突如として、世界がひっくり返るくらいの混乱があたしの 頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回し始める。しかも超高速で。あっという間にあたしの鼓動はテンポをあげて全身から汗が出る感覚になる。やばい。顔テカってないかな。

「山﨑も買い物?」

「あ、ええっと、うん。遠藤くんも?」

 大丈夫かな?変な受け答えになってないかな?声裏返ってないよね?大丈夫?

 あたしの頭は混乱を高めていき、まるでカオスを極めることに夢中になっているみたいだった。

「うん。実は…」

 と、遠藤くんが何か言いかけたところで、可愛い人と甘い声が飛んできた。

「あー!ここにいたー!もう玲ちゃん、私大きい独り言かましちゃったじゃん!恥ずかしい…あれ?玲ちゃんナンパ?私放っておいてナンパしてたの!?」

 すごい勢いだ。そして飛んできた勢いをそのままに、遠藤くんの腕に自分の腕を絡めている。その表情はどうやらご立腹らしかった。

 彼のことを思うときに感じる、暖かい心臓の鼓動が上に跳ねるものだとしたら、今度は闇に沈み込むような下への鼓動が胸を打つ。気管が締め付けられるような感覚。それを合図にしたようにあたしの心が、先ほどまで青い空の下で透明度の高い海の水面がざわざわと波立つようだったのにみたいだったのに、一気に濁って、大きな石を放り込んだように水面が沈み込む。濁る。相変わらず現金な自分。か、彼女、なのかな。可能性を感じていた現実が突きつけられたのかもしれない。

「ちっげーよ!僕がナンパなんてできるわけないの知ってるだろ!?大学の友達だよ」

 遠藤くんが、腕に張り付いたその女の子を腕から引き剥がしながら弁解した。友達という言葉に少しだけ嬉しくなりつつも、あたしの心はもっと加速度的に濁っていた。瞬間的に淀みすぎだ。自分ですらこんなに好きなんだから、遠藤くんがモテないわけがないのは理解していたけど、それでも、彼に恋人がいる可能性の1000分の1もないあたしとの未来に、あたしは無責任に期待していたんだろうか。

「え?あ、そうなの?約束してたの?」

「してないよ!偶然見かけたから声かけたの」

「ごめんごめん。気づいたらいなくて女の子といるから勘違いしちゃった」

「全く。見ろよ山﨑の顔。完全にぽかーんってしてるじゃんか」

 そんなに間抜けな顔を晒していたのだろうか。濁っていく心も自覚しつつ、羞恥心も浮かび上がってきた。恥ずかしい。

「あ、あの、えっと」

 ギュゥッ、としまっていくような感覚を覚えていた喉から、やっと絞り出したセリフがそれだった。相変わらず、アドリブも効かない。脳みその混乱具合はあたしの把握できるレベルをとっくに超えているようだった。

「ちょっとれいちゃん。紹介もしないでそれは違うでしょ」

「あ、そうか、ごめん。えっと、こちら、大学の同級の友達で、山﨑やまざき乃々希ののきさん。んでこっちが、妹の茗」

 …ん?

「初めまして!いつも兄がお世話になっております。遠藤玲の妹の茗です」

 …いもう、と?

「……あれ?おーい?山﨑ー?」

「……あ、ああ!ご、ごめん!ちょっとびっくりしちゃってた」

「ごめんな、驚かせちゃって」

 あたしは急展開についていけなかった。もっともその急展開は、あたしの勝手な被害妄想を前提として、現実が、その妄想は不正解だ、と証明しただけに過ぎないから、自分で勝手に混乱して自分で勝手に濁って、勝手に落胆して、勝手に諦めかけただけだから、遠藤くんのせいではないのだけれど、なんだよ!とは言いたくなった。けどそんなこと、口に出したら気持ちがバレてしまうかもしれないし、そんな風に彼と話せるなら、こんなに反射的に思いつめるような性格じゃないだろう。そんなことが頭の中に奔流となって言語化すら危ういレベルで流れていってしまったから、遠藤くんがあたしのフルネームを知っていてくれたと言う驚くほど歓喜すべき事実を完全に見逃した。勿体無い。

「今日妹がついてきてんだよ。茗は昔からモデルとかやってるからセンスあるせいか、僕が勝手に服買うと怒るんだよこいつ」

「いーじゃん別に!玲ちゃん顔は悪くないのにモテないんだから見た目くらいちゃんとすれば彼女の一人や二人できるかなーと思ってさ!一肌脱いであげてるんじゃん!」

「いいんだよ別にモテなくて。それに一人でいいよ彼女は」

「ろくに経験もない人に言われてもねぇ」

「うるさい。そういうことを山﨑の前で言うんじゃない!」

「あははー。あ、電話だ、ちょっとごめん」

「うん」

 そう言い置いて、茗ちゃんは少し離れて店内音楽の低いところを探しながら通話を始めたようだった。

「ごめんな、山﨑。テンション低い時のない妹なんだよ。ずっとあんなハイなんだ」

 行き先を見送った遠藤くんがそう話しかけてきた。謝れるようなことはしてない、とは思った。

「…う、ううん!妹さん、可愛いね」

「まあ、じゃなきゃ今の仕事はできねないだろうしな。僕はスタイルの良し悪しとかよくわかんないけど、多分言い方仕事があるんだろうし。」

「うん。なんかわかる」

「そうか?さすが女子だなぁ」

「そんなことないよ。同性だからじゃない?」

「そう言うもん?あ、そんなことより、声かけて邪魔しちゃってごめん。買い物してたんだよな」

 心底申し訳なさそうに言う彼。あたしの気持ちもあって、好印象が増幅して見えているのかもしれないけど。

 あたしの混乱は相変わらずだったけれど、心の淀みはゆっくりとその透明度を上げ始めていた。彼の言葉の端々に勝手に感じてしまう、優しさに解かれていく。

「ううん。偶然だね。女の子たちはよく渋谷行ってるって話聞くからもしかしたら会うかもって思ったけど、遠藤くんに会えるとは思ってなかった」

 あ、し、しまった!

「…こんなに色々あるのにまさか店が被るとは思わないよな。でも、山﨑なんでメンズフロア?もしかして、彼氏になんか買うとか?」

 遠藤くんが、あたしの顔から一旦目線を逸らして、すぐそばのアクセサリー棚のものを眺めながら不思議そうに聞いてきた。良かった。どうやら会えるなんて、なんて期待してたみたいな、会えて嬉しいみたいな言い回しは聞き逃してくれたみたいだ。助かった。

「ま、まさか!彼氏なんていないよう」

「じゃあ…」

「あ、あの、お、弟!そう、弟の誕生日が近いから、なんかあげようかなぁって思って…」

 やってしまった。口から出まかせもいいところだ。弟なんていない。あたしにいるのは妹で、しかも誕生日はもう半年も前。もう次は来年だ。これは頭の中で架空の弟を作らないとボロが出るぞ。

「へぇ!山﨑って弟いるんだ。初めて知った」

 そういえば、そんな話をしたことはなかったな、と思う、そう考えると、遠藤くんとの関係性って、割と希薄な気がしてきた。

 と、そんな話をしていたら、茗ちゃんが電話を終えて戻ってきた。

「玲ちゃんごめん、あたしちょっと事務所に行かなきゃいけなくなっちゃった」

「あ、そうなの?別にいいけど…」

「ごめんね、買い物できなくて」

「いやいや、いいよ」

「あたしがいないんだから勝手に買っちゃダメだからね。あ、でも山﨑さんに見てもらうならありかも。センスよさそう」

「え?そ、そんなことないよ!」

 あたしはいきなり会話に登場したことに驚いて、慌てふためいた感じになってしまう。

「おいこら。山﨑は一人で来てるんだから、これ以上邪魔しちゃ悪いだろ」

「えー?そうかなぁ。あ、山﨑さん、もし時間あったらちょっとだけ玲ちゃんに付き合ってあげてください。この人に選ばせるとほんとに壊滅的にダサいから。もし時間あったらでいいので」

「おい」

「あ、時間は別にあるけど…」

「山﨑の前で壊滅的にダサいとかどういうことだおい」

「なら!お願いします!よかった。玲ちゃん、ちゃんと山﨑さんの女の子の意見を聞いて選ぶこと!いいね!じゃあね!帰りまた連絡する!」

「ちょっと、おい、茗!」

 嵐のように捲くし立て、呼び止めようとする遠藤くんを物ともせずに茗ちゃんは小走りに走り去っていった。

「…元気な妹さんだね。可愛いし、羨ましいな」

「いや、あれはただ単に 迷惑なやかましい妹ってだけだな。ちくしょう余計なこと好き勝手言ってもう」

 と、そう悪態をつくように言いながら。顔は少し微笑んでいる。

「ごめんな、山﨑。茗はああ言ってたけど、気にしなくていいから」

「…ん?」

 あ、そうか。

「ん?って。さっき服選んでやってくれとかって言い捨ててったじゃん。あの話。気にしなくていいから。ほんと、邪魔してごめんな。じゃあ、また大学で」

 そう行って、歩いていこうとする素振りを見せる遠藤くんに。

「……あ」

 つい、触れてしまった。その、ジャケットの裾。

「ん?どうした?」

 あたしの方に背中を向ける途中、その横顔がこちらを反射的に見た。

「え、あ、えっと、ちょっと待って」

 自分の口が、まるで全然知らない宇宙の言語を紡いでいるような感覚に襲われた。

 ちょっと待てあたし。

 違うんだよそうじゃない。この数分だけで心の浮き沈みはまるで物理的にはあり得ない速度で戦闘機が急上昇と急降下を繰り返してパイロットは意識不明なんだぞ?でもこれはもしかしたら、これまでとは違う形で遠藤くんと居られるチャンスなのか?チャンスなのだよ。もうこの際、妹ちゃんの言葉に甘えてしまうんだ自分。いやだめだ。そんなことしたら数分で倒れちゃうだろ自分。

「別に一人で、そこまで予定詰め込んでるわけでもないし…」

 ちょっと、落ち着け。落ち着け乃々希。

 その先は言うな!絶対に言うんじゃない!遠藤くんにつまらない思いをさせて無駄な時間を過ごさせたと言う事実に当社比1000%の自己嫌悪で頭からシャワー浴びた後で乱暴にベッドに倒れ込むことになるんだぞ!嫌われる!つまんないやつだって思われるのが関の山なんだから!こんなにも早くその気持ちを枯らしていいのか!?せっかく見つけた恋なのに!?もう枯れちゃうことになるんだぞ!

 やめろ、乃々希。

 落ち着け、落ち着くんだ!

「遠藤くんさえ良かったら、いいよ」

 …やってしまった。

 あたしの口から絶対に出るはずのなかったのに出てしまったどこかの宇宙の摩訶不思議言語は覆水盆に返らず、遠藤くんの耳に入ってしまった。

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