第2章 人助けする男

第10話 店長の悩み事

「はぁ~」


 バイト先の事務室兼休憩室にて、俺は絶賛溜め息をついている。


 世の為、人の為に何か出来る事がないか探し始めて一週間が過ぎた。

 俺が溜め息をついている様子でお分かり頂けるだろう……全くもって何も見つからない……。

 逆に平和で何よりと自分を慰めている俺がいる。


 まぁ、実際そうだしね!


「はぁ~」

「ちょっと、辛気くさいわね! どうかしたの?」


 俺の度重なる溜め息に堪らなかったのか店長の中西さんが、叩いていたキーボードの手を止め声を掛けてきた。


 中西明美、二十五歳。

 俺のバイト先である大手居酒屋チェーン店の店長だ。


 小柄な身体に、目尻が少し下がった大きい瞳が特徴で、綺麗と言うよりは可愛らしいという言葉が似合う、面倒見の良い店長様だ。


「店長~何か困ってる事ないですか?」

「ふぇ? ど、どうしたの? 急に」


 予想外に慌てている店長に俺は今の悩みを打ち明けた。


「何か人の役に立つ事がしたいんですけど、中々見つからなくて……」

「人の役に? 何それ……? 頭、大丈夫?」


 店長は訝しそうな表情で俺を見る。


「酷いっすよ! 本気で悩んでるのに!」


 俺の必死さが通じたのか、店長は表情を変え「困ってる事ってどんな事を言ってるの?」と聞いてきたので、「何でもです」と俺は即答で返す。


「何でもって……そうね、例えばストーカー被害にあってるから、何とかして欲しいと言ったら……?」


 俺はガバッと起き上がり、店長の小さな両手をがっちり握る。


「大好物です!」

「大好物って……ぷっ、ぷははは!」

「へぇー店長って、そうやって笑ったりするんですね?」


 店長がこんなに声を出して笑った所なんて初めて見た気がする。


「私だって笑うわよ! ただ、最近色々とあってね、君のお陰で久し振りに大声で笑えた気がする」


 そう話す店長の顔に少し翳りが見えたのが気になり、俺は問い詰めてみる。


「それで、どんなヤツなんですか? 警察に相談は?」

「違うわよ、例えばって言ったでしょ? それより、そろそろ手を放してくれると嬉しいんだけど……」

 

 店長は若干恥ずかしそうに、俺に握られている自分の両手に視線を落とす。


「あ、すみません! つい夢中で!」


 知らぬ間に店長の手を握っていた事に気付き、すぐに店長の手を解放する。

 二人とも無言になり、少し気まずい空気が流れていたが、そこは流石店長と言うべきか。


「さぁ、休憩時間終わりだよ! 仕事に戻った!」


 と、店長は俺の背中を押して退室を促し、


「行きますから、押さないでください!」


 と、俺は後ろ髪を引かれる思いで、ホールへと戻った。


☆★☆★☆★


 一人になってしまった事務室の中、明美はやりかけの仕事を終わらせるためにパソコンの前に向き直る。


 キーボードに手を掛けたその時、ふと、つい今しがたまで服部君に握られていた自分の両手に目が行った。


 決して大きくはないが、ゴツゴツとした男らしい手に、少しときめいていた自分がいる事に顔が火照ってしまう。


「久し振りに笑ったな……服部咲太君か……」

 

 彼がこの店の一員になってから、まだひと月も経っていない。

 彼はとても真面目に、丁寧に仕事をしてくれるし、急な欠員が出た際にも直ぐに駆け付けて来てくれて凄く助かっている。


「この間のあれは肝が冷えたなぁ」


 そう言って、服部君が彼の幼馴染み絡みでお客さんと一悶着あった事を思い出す。


 そして、今日聞いた彼の悩み……最初は何を言ってるの? って思ったけど、彼のあの目は真剣そのものだった。


「人の為に何かしたい、か……」

「私の問題も解決してくれるかな……」


 先程、彼に例えだと言って誤魔化した、ストーカー被害、あれは現在進行形で私を悩ませ、私から笑顔を奪っている原因だ……。


 三ヶ月程前までこの店には前野正太と言う、市内の体育大学に通うアルバイト生がいた。


 彼は私と同じく県外から来た子だった。

 私の偏見かも知れないが、体育会系とは似つかわしくない、ネガティブな性格の持ち主だった。

 彼がアルバイトだとしても部下は部下だ。

 その部下の為だと思い、彼の悩み等を親身になって聞いたり、慰めて上げてる内に彼は私に好意を持つ様になった。


 私はそれに全然気付く事が出来なかった。


 そして、三ヶ月前ーー。

 いつもの様に、彼の悩み事を聞いて上げていると。


「店長! 俺……好きな人が出来たんです!」

「本当に!?」

「はい……だけど、自信がなくて……」

「大丈夫だよ! 前野君は素敵な男性だから、きっと相手もオッケーしてくれるよ!」


 そう……いつも通り彼を励ますつもりで放ったこの一言が余計だったのだ。


「本当ですか!? 店長!」

「う、うん! きっと大丈夫!」

「好きです! 俺と付き合ってください!」

「え……っ?」

「俺、店長に色々相談している内に店長の事が好きになったんです! 俺の彼女になって下さい! 店長今さっき言いましたよね? 相手もオッケーしてくれるって! 俺の彼女になってくれるんですよね!?」


 期待に満ちている彼の顔……だけど……。


「ご、ごめんなさい……私、貴方とは付き合えない……」

「えっ? だって、さっき大丈夫だって言って……」

「本当にごめんなさい! 私の事だとは思ってなかったの!」

「う、うそだろ……ふ、ふざけんな! そんな言い訳が通用するか!」

「きゃっ!」


 前野君は、私を乱暴に押し倒した。


 ただでさえ小柄な私が、空手部で体の大きい彼に抗えるハズはなかった。


「や、やめて……」

「ねぇ、俺と付き合ってよ! ねぇッ!」

「い、や……いやあああッ! たすけてえええッ!」


「ちょ、前野! お前、何やってんだ!」


 私の声が外に聞こえたのか、数名の従業員が駆けつけて前野くんを取り押さえた。


「離せッ! 離せよ! ふざけんな! 適当な事言いやがって! ぜってぇ、許さねぇからなああああ!」


 彼は、その恵まれた体格を駆使して、取り押さえていた従業員達を押しのけてその場から逃げて行った。


 その日以降、彼はバイトに顔を出す事は無かった。


 被害届を出すように薦められたが、そんな気にはなれず……数日の休暇をもらい私は仕事に復帰した。


 それから程なくして、帰り際に誰かが後を付けられている気がしたり、携帯に非通知で電話が掛かって来たりしていた。


 私は気にしないように、目を背けていたが、昨日、マンションのポストに入っていていた、あの手紙で私は自分の置かれている状況に目を向けざるをえなかった。


『絶対許さないッ!!』


 殴り書きの様に赤い字で書かれた、その文字に身の毛がよだつ思いをした。


 県外から来た私には、相談できる友達が近くにいない。親には心配かけたくない……。

 警察に通報しても、昨日今日で直ぐに動いてくれるのか……いや、無理だろう……。


「やっぱり、服部くんに……」


 いやいやいや、彼を巻き込む訳にはいかない……。


「……こわ、い……怖いよ……誰か、助けて……」


 私は、一人でただ震えるているしかなかった。

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