第25話 絶体絶命

 バートが膝を曲げる。その前進の予兆に、ユキトはクララを庇うようにして前に出た。

 その瞬間、バートは眼前。

 紅い錬金杖れんきんじょうがユキトの装備するブロンズプレートを貫通し、腹にめり込む。

 杭を打ち込まれたかのような激痛に、顔が歪む。

 思わず体をくの字に折り曲げることも、ユキトには許されなかった。

 そのまま都合三度の殴打。

 顔、脇腹、肩。

 あまりの攻撃速度に、ライトソニックパリィはおろか、防御すら間に合わず、大きく吹き飛ばされて宙を舞う。

 草生えの地面の上を数度転がり、うつ伏せの状態で止まる。

 それだけでユキトはもう動けなかった。

 彼我のバトルレベル、その差14。圧倒的なまでの実力の隔絶がそこにはあった。

「ユキトさん!?」

 少女の悲痛な叫びがむなしく、泉の上を滑っていった。

 クララは背負っていた無限袋インフィニティバッグのショルダーベルトを肩から外し、体の前面に持ってくる。

 星の雫を作る時に開けていた口に向かって指示を飛ばす。

HP回復薬ポーション!」

 飛び出したHP回復薬ポーションを片手で掴む。

 倒れているユキトに向かって駆け出そうとしたクララの前に、バートが立ち塞がる。

「させないよ」

 クララが足を止める。

 口端を吊り上げ、刻薄な笑みを浮かべながら、バートが一歩クララに歩み寄る。

「後はクララちゃんだけだね」

 少女が恐怖に肩を縮こまらせる。

「こ、来ないで!」

 後退あとずさりしながらHP回復薬ポーションを投げる。

 しかし、切迫した状況による焦燥か、HP回復薬ポーションはユキトの倒れている方ではなく、明後日の方角へと飛んでいく。

「ポ、HP回復薬ポーション全部!」

 大量のHP回復薬ポーションが、一気に鞄の口から飛び上がる。

 無限袋インフィニティバッグをクララが手から落とす。

 そして、幾つか取り損じたが、翡翠色の液体を内包したHP回復薬ポーションたちを、腕で抱え込むようにして掴み取る。

「来ないでぇ! 来ないでってばあ!」

 後退あとじさりながら、錬金杖れんきんじょうを持っている方の片腕でHP回復薬ポーションを抱え込み、もう片方の手で掴んだHP回復薬ポーションを投げつける。それを繰り返すがしかし、半ば恐慌状態に陥っているクララが投げたHP回復薬ポーションは、ことごとく明後日の方角に飛んでいく。

「あははははは! どこに投げてるんだい! それじゃあユキトは回復できないよ!」

 悠然とクララに近寄りながら、バートが哄笑を上げる。

 腰の巻いている革のベルトに付属しているポーチの中から紅玉、ボルスを取り出す。

「来ないでよぉ!」

 投げたボルスが放物線を描き、明後日の方角へ飛んでいく。

 バートは避ける必要すらなかった。

 バートの後方の地面に着弾したボルスが爆ぜる。

「あはははは! 錬金術の練習も必要だけど、アイテムを投げる練習もした方がいいと思うよ!」

 唐突に辺りが暗くなる。

 周囲に幾つも点在していた、クララが作り出した灰が巻き上がり、瞬時に空中に覆い被さっていく。

 あっという間に、クララとバートも灰の闇に包まれる。

「ん? これが狙いだったのかい? でも逃がさな……!」

 つとバートの体が硬直する。

 寸刻でユキトを倒してみせたバートに対し、クララは心の底から恐怖し、怯えていた。

 ユキトで数発、ならば自分が絶命するには一発で事足りるだろうことが、容易に想像できたからだ。

 さりとてそんな状況にありながら、どうにか頭の片隅に冷静さを保ち、クララは一縷の望みに賭けることにした。

 クララがバートに恐れおののいていることに偽りはなかったが、恐慌状態に陥っているせいで手元が狂ったふりをして、クララは狙い通りの位置にHP回復薬ポーションを投擲していった。

 そして最後のボルスも狙い通り、大量のHP回復薬ポーションが転がる地点へと落下させ、深紅の球は爆発した。

 ボルスの爆発により、硝子ガラス瓶が破砕し、中に入っていた翡翠色の液体が周囲に飛び散った。

 クララが投げたHP回復薬ポーションの全てではなかったが、調合に必要な、水カテゴリの素材アイテムとして、プルンの体液を使用して作り出したHP回復薬ポーションが混ざっていた。

 プルンの体液製HP回復薬ポーションが、一帯に群生している赤紫色の花、幻晶花に降りかかった。

 生物の体液に反応を示した幻晶花が、茎と葉に備わっている熱源感知能力を発揮し、自身から一番近い熱源反応体、すなわちバートに向かって麻痺タネ大砲で迎撃した。

 クララは自分が麻痺タネ大砲の標的にならないよう、自分よりもバートの方が幻晶花に近くなる位置にある灰の山に向かって、HP回復薬ポーションとボルスを投げたのだった。

 しかしながらバートは、一発目の麻痺タネ大砲が当たった時に異変に気づき、回避行動を取ろうとした。

 だが、舞い上がった灰が作り出した闇夜あんやのせいで、都合二十を超える幻晶花たちによる、四方八方からの突然の麻痺タネ大砲斉射に対し、どこに向かえば全ての麻痺タネ大砲を正確に回避できるのか、その判断が遅延した。星の雫の効果により、幻晶光の灯りがそこかしこに視えてはいたが、それでも視界は晴れた状態よりかは狭窄した。加えて言うならば、灰が舞い上がって視界が悪化するという状況は、ステータス異常、暗闇になったとは言えないため、星の雫の効果で打ち消せる類のものではなかった。

 しかしながら、現在のバートのバトルレベルは30である。

 バートからすれば低レベルダンジョンであるアルセの森の幻晶泉に棲息する、幻晶花の放つステータス異常攻撃など、バトルレベル30の活力のステータス値の高さにより、レジストできる可能性の方が遥かに高い。しかし、まともに回避できなかったバートは、麻痺タネ大砲の嵐に見舞われた。

 低レベル魔物モンスターのステータス異常攻撃とは言え、連続二十以上全てのレジストに成功する確率の方が低かった。

 果たしてクララの狙い通り、バートはステータス異常、麻痺に陥った。

 さりとて、やはりバトルレベル30の活力のステータス値の高さが有りさえすれば、バートは数瞬の内に麻痺から回復するだろう。

 だがしかし、クララからすれば、その瞬刻だけで十分な時間だった。

 歩み寄ってくる死神から少しでも逃れるため、後退あとずさりしていたクララ。

 その実、クララは単純に後退していたわけではなかった。

 死神から大鎌をもぎ取るため、陥穽が仕掛けられた場所へと、死神を誘導するように後退あとじさっていたのだった。

 先のユキトとバートの会話の中で、ユキトが追いかけてきた水色の球は、バートが装備するブレストプレートの中央、奇妙な印のようなものが刻み込まれた紫色の魔晶石に吸い込まれるところを見たと言った。そしてバートは、他人から奪った経験値を、体で吸収しているわけではなく、経験値を吸収させたブレストプレートを装備することで、バトルレベルを上昇させているとも言っていた。

 ならば、その防具をどうにかすればいいのではないか、そうクララは考えた。

 麻痺になり、全身の筋肉全てに随意を示せなくなったバートが、仰向けに倒れ込む。

 その場所はHP回復薬ポーションの錬金陣の周囲に描かれた、素材円の一つの中だった。

 バートの装備するガルウィングブレストプレートが、素材円の中の地面に接地する格好となる。

 毎日ここで調合の練習をしているクララが描いたHP回復薬ポーションの錬金陣の幾何学模様もまた、星の雫の錬金陣同様、土の上に残留していた。

 クララがHP回復薬ポーションの錬金陣に向けて意識を集中する。

 シフォンロッドの石突きによって、土を削って引かれた線が、灰の霧に覆われた中で白淡光を帯びる。

 灰闇のなか、白光びゃっこうを放つ錬金陣だけはよく映えた。

 視界が悪い中、バートが倒れたであろう音と、倒れたバートの体が光る白線の上に被さり、錬金陣の白線の一部が途切れて視えたことにより、クララにはバートが素材円の中に倒れ込んだタイミングを知ることができた。

 バートが麻痺から回復する寸前、クララはシフォンロッドの石突きを錬金陣に突き立てた。

 今HP回復薬ポーションの錬金陣の素材円の中に配置されてあるのは、バートの装備するガルウィングブレストプレートただ一つ。

 素材の数が足りていないし、そもそもガルウィングブレストプレートはHP回復薬ポーションの調合に必要な素材アイテムではない。

 この状況で調合を開始するとどうなるか。

 必要素材アイテムが素材円の中に正しく配置されていなかったため、調合品の設計図パズルフィールドすら現れず、当然ガルウィングブレストプレートが星命片フォゾンピースに変化することもなく、

 無論、結果は調合失敗。

 ガルウィングブレストプレートが、錬金陣の中央で灰燼に帰す。

 その瞬間、できたばかりの灰を中心として、膨大な数の水色の球、獲得経験値EXPプライズが四方八方に飛び散った。

 その様子が、星の雫の効果を得ている、麻痺から回復したバートの瞳に広がる。長い時間をかけて奪い取って集めた経験値が、霧散していく様子が。

 数多の獲得経験値EXPプライズたちが、本来の獲得主の元へと飛翔していく。

「畜生! お前やりやがったなぁ!」

 バートが怒髪天を衝いた瞬間、バートの憤怒の声に反応したかのように、突如として飛翔していた獲得経験値EXPプライズたちの動きがぴたりと止まる。

 そしてなにかに引き寄せられるようにして、空中で渦を巻きながら一所ひとところに凝集していく。

 その様子がクララの瞳にまで映り込む。それは、フォゾン濃度が著しく上昇した証拠だった。

「なにあれ?」

 徐々に灰が晴れていく中、クララが怪訝に眉根を寄せて呟いた。

 見上げていたバートの双眼が瞠目する。

「まさか、憎悪の化身オディオなのか……?」

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