第11話 何のためにリーガで一番の冒険者になりたいんだ?

 雨粒たちが石畳の上で跳ねている。

 分厚い雲に覆われた薄暗いリーガの街中の片隅。

 濡れて色を濃くした石畳の上に描かれた幾何学模様。

 白いそれが淡く発光している。

 その中央で錬金術師の少女が一人、杖を動かしている。

 最後の星命片フォゾンピースを、錬金杖れんきんじょうを使ってあるべき場所へと導く。

 次の瞬間、調合品の設計図パズルフィールド星命片フォゾンピースが激しく虹色に光り輝く。

 錬金陣の中央で、七色の光が凝集していく。

 光が変形し、錬金陣中央に顕現したのはHP回復薬ポーションだった。

 翡翠色の液体が入ったガラスの容器をクララは拾った。それを無限袋インフィニティバッグの中に仕舞う。

 そしてまたポーションの調合に必要な素材アイテムを、素材円の中に設置していく。

 橙色の帽子も、花の意匠があしらわれたワンピースも、雨水を吸って重くなっていた。

 クララは無言で、黙々とHP回復薬ポーションの調合の練習を繰り返す。

 あれから数日、クララはまだ冒険者を続けていた。

 理由はいくつかあった。

 新しいユニオンを創った以上は、今月分のユニオン税は支払わなければならないから。それまでは続けようと思ったから。

 折角リーガまで来て冒険者になったのだから、もう少しだけ頑張ってみようという気持ちが、少なからずあったから。

 一番の理由は、お母さんに会いたいという気持ちだった。だから冒険者をやめたくない。

 これからやっていけるのかという不安や、魔物モンスターに殺されかけた恐怖心は勿論あった。

 心が不安や恐怖でいっぱいになり、押しつぶされそうになった時、クララはそういう気持ちを払拭するため、憧れていた頃のユキトを思い出した。先日のユキトのことは無理矢理忘れることにして、昔の輝いて見えていた頃のユキトを思い出し、それで無理矢理自分を励まし、元気づけていた。今のクララには、自分を鼓舞する方法が、それしか思いつかなかったのだ。

 しかし、そんな方法がうまくいくわけがなかった。

 憧れていたユキトは、もうどこにもいないのだと、知ってしまったから。

 クララは、素材円にトーンを置こうとしゃがみ込んだまま、立ち上がれなくなり、そのまま泣き崩れるのだった。



【厚切り肉のコートレッタ】の今日の稼ぎは多かった。ジルクから臨時ボーナスを貰ったユニオンメンバーたちは、陽気な足取りで西区にある賭場へと姿を消していった。

 ユキトも誘われた。しかし、先日のクララとのことが尾を引いており、とてもそんな気分にはならなかった。

 ユキトは独り、外食でもしようと思い立ち、西区・第三歓楽区へと足を向けた。

 飲食店が数多く立ち並ぶ通りは、夜を迎えていた。多種多様な人種たちが楽しそうに行きかう夜の歓楽街は、ユキトの心の内とは裏腹に、雑多な活気に満ちていた。

 どこの店にしようかと思案していると、

「ユキ坊じゃねえか!」

 張りの良い声に首を廻らすと、快活な笑みを湛えた大柄なミウオルデ族牛人の偉丈夫。

 ユキトの憧れの冒険者ガゼだった。

 青い瞳に薄茶色の短髪。頭から伸びた二本の黒い牛角の内、左の角は中程で折れていて欠けている。伸ばした口髭と顎髭は、もみあげまで繋がっていた。

 幾筋もの深い皺と幾本もの一生傷が刻まれた顔に笑みを浮かべ、ユキトに向かって大きな手を振っている。例に漏れず今日も上半身裸だった。


 リーガに来て初めてガゼの姿を街中で見つけた時、ユキトはすぐに駆け寄り、ファンだということを伝えた。

『おれガゼさんの大ファンなんです! ガゼさんみたいな冒険者になりたいんです!』

『おう、そうかそうか! おれ様に目を付けるたあ、お前さん見る目があるねえ! がっはっはっはっは!』

 そして見つける度に話しかけている内に、こうしてガゼの方から話しかけてくれるまでの間柄となっていた。

 しかし、努力することをやめてからのユキトは、ガゼを見かけても話しかけないようになっていた。


「久しぶりだなあ!」

「ガゼさん」

 青い瞳でユキトの顔を覗き込んだガゼが、怪訝な表情になる。

「どうした? 浮かない顔して」

「いえ、ちょっと……」

「うまいもんでも食ったら、ちったあ元気も出るだろうぜ。もう飯は食ったのか?」

「今から食べに行こうと思ってたところです」

「ならちょうどよかった。一緒に食おうぜ」

「はい」 

 ガゼに連れられるままついていった先、そこはガゼ行きつけの酒場だった。

 ザンサツ亭。獅子鬼レ・ムンバ族の若い女性が切り盛りする人気店である。

 店主のレツォヴィル・レ・ムンバが店の名前に込めた意味。それは『残しやがったらぶっ殺す』。つまり残殺亭である。

 木製のスウィングドアを開けて入る。

 店内は談笑に興じる冒険者たちの声で賑々しく、今日も盛況だ。

 ステージでは三匹の音楽妖精ソラシー族たちが、しっとりとした旋律の曲を演奏し、それに合わせて踊り子の衣装を身に纏った小人妖精メルファリア族たちが宙で舞い踊り、七色の鱗粉を振り撒いている。

「ニー」

 接客に現れたのは、野菜妖精マンドラゴラ族人参の野菜妖精キャロッチョ。葉を除いた身長は一メードル弱、入れると一メードル三十セーチの、丸っこくて大きな人参。体から枝分かれした細い部分が手足となっている。その体の真ん中に、丸い目と丸い口が付いている。体の形も簡素な顔も、デフォルメされたぬいぐるみのようで可愛らしい。

「二人だ」

 ガゼが人数を伝えると、

「ニーニー」

 言いながら席まで案内してくれる。別にガゼが二人と言ったから「ニー」と言っているわけではない。人参の野菜妖精キャロッチョは「ニ」しか言えないのだ。

 案内されたテーブル席に向かい合わせで座り、メニューを開いてどれにするか暫し思案したのち、ガゼは『ワームの薄切りソテー』『えんどう豆のクロケット』『猪のピカタ』『蝙蝠の肉炒め』『ロブスターテルミドール』、ユキトは『マイコニドのスープ』『バラクーダのムニエル』、飲み物は二人ともエールを注文した。

「ニーニニニーニーニ」

 なにを言っているのかさっぱりわからなかったが、メモを取ることもなく、それだけ言うと人参の野菜妖精キャロッチョは席から立ち去る。

 それほど間を置かずして、料理は運ばれてきた。

 玉葱の野菜妖精オニオンネには、こげ茶色の足はあれど、手がない。頭の天辺に生えた芽から伸びた葉を、器用に手のように使い、枝分かれした別々の葉の上に、それぞれの料理を載せて運んでくる。周囲のテーブルや客の傍を通る時は、運んでいる料理の高さを上げたり下げたりして、障害物をうまく避けながら進む。

 ユキトとガゼのテーブルまでやってきた玉葱の野菜妖精オニオンネが、葉を動かし、テーブルの上に料理を並べていく。

「ギギーギ。ギギーギーギギ―。ギギギーギーギ。ギギーギギギ……」

 人間の喉では出せないような奇怪な声で、それぞれの料理名を言っているつもりなのだろうが、やはりその言語は人族には理解できない。

 テーブルの上が料理でいっぱいになった。

 スプーンは悪魔が入り込まないよう、下向きに置かれていた。油を拭き取るためのマンチェットも添えられている。

 玉葱の野菜妖精オニオンネが立ち去ろうとしたその時、

「ペコロ! 仕事が遅せーんだよ! もっときびきび動け!」

 店の奥から店の主、レツォヴィルが出てきた。

 上半身は胸をぎりぎり隠す程度の黒い布を、胸部に巻いているだけ。下半身は片足だけのタイトな黒のロングパンツで、その長く細い美脚を片方だけだが、惜しげもなく露わにしている。

 グラマラスで露出の激しいその姿に見惚れている冒険者は少なくなかった。獅子に近い貌をしているが、瞳や唇からは、人間ヒュマ族のユキトから見ても、女性らしさを感じさせるに十分な美しさと色気を放っていた。

 もしも食べ残してしまったら、歴戦の冒険者でも歯が立たない強さのレツォヴィルに激しい折檻を受ける破目になる。それは逆に言えば残しさえしなければ何の問題もないということだ。レツォヴィル目当てにザンサツ亭に足を運ぶ客が途絶えることはなかった。

 レツォヴィルの厳しい叱責が、テーブルを拭いていた株の野菜妖精ターニュに飛ぶ。

「おいルタ! おめえもバッシングにいつまでかかってんだよ!」

「ブ、ブーブ!」

「食材にされたくなかったら早くしろやボケが!」

 その一言に、ペコロとルタだけでなく、ホールにいた鳥兜の野菜妖精トリカブーハバネロの野菜妖精ハバネールたち、他の野菜妖精マンドラゴラ族たちも背中を震わせ奇怪な鳴き声を上げる。

 決して遅かったわけではなかったのだが、より一層てきぱきと作業をこなしだす野菜妖精マンドラゴラ族たち。

 客の目の前で野菜妖精マンドラゴラ族たちをきつく叱りつけるレツォヴィル。これはいつものザンサツ亭の光景。気にする客は一人もいない。

 レツォヴィルのような気の強い女性に罵られたい願望を持つ男性客たちが、怒られている野菜妖精マンドラゴラ族たちを妄想の中で自分に置き換え、恍惚の表情を浮かべているのも、またいつもの光景なのだった。

 ガゼがフォークでブスっと突き刺したワーム肉をむしゃむしゃ咀嚼し、嚥下する。陶器製のジョッキをぐびぐびとあおり、一息つくとガゼが問う。

「それで、何かあったのか?」

 ユキトはもう努力しなくなってしまったこと、先日のクララのことをガゼに吐露した。

 話を聞き終えたガゼは「なるほどな」と一言呟き、思案顔になった後、ユキトに言った。

「一つ訊きてえんだが、レベルアップスピードが早くないといけねえのか?」

「え?」

「おれはレベル6の時にレベルカンストしちまったんだ」

「ガゼさんもレベルカンストしてたんですか!? しかもそんなに早くに!?」

 ユキトは驚愕に目を瞠った。

「ああ」

 とガゼが首肯する。

「だったら、どうやってそこまで強くなったんですか!?」

 ガゼは《裸の猛様》の二つ名で呼ばれる、名の知られた冒険者であり、バトルレベル43の実力の持ち主である。

 ガゼはなんてことないと言った風に解を示す。

「そんなの決まってらあ。地道にコツコツと経験値を溜めたんだよ」

 それはユキトにとって衝撃だった。

 レベルカンストした状態で、バトルレベル6から43までレベルアップするためには、どれだけの時間を要するのか。思考がそこにまで至った時、ユキトははたと気づいた。

 その様子を見て、ユキトがなにに気づいたのかを察したガゼが口を開く。

「おれが、いやおれたちの名が知られるようになってきたのは、ほんの二、三年前からだ。それまでの数十年、おれたちは無名だった。おれとガレオ、ズガ、スクルデ、レヴィ、【アスギー】のメンバー全員は、昔【アスギー】とは別の同じユニオンに所属してたんだ。でもそこのリーダーがよ、レベルカンストした奴を容赦なく退団させる奴だったんだ。そんでおれも退団させられちまった。それが頭に来て、絶対見返してやるっつって、新しいユニオン【アスギー】を自分一人で創ったんだ。そしたらおれの後にレベルカンストして退団させられちまった奴らの中で、諦めの悪い奴らが【アスギー】に加入してきて、そいつらと何十年も頑張り続けてきたってわけだ。おれたちはレベルフルカンストしたわけじゃねえ。おれの場合、自分と同じバトルレベルの魔物モンスターを倒したら、経験値が1貰えるんだ。0じゃねえ。諦めるにはまだ早えと、おれは思うがねえ」

 決して諦めず、努力を積み重ね、強者となったガゼ、それから他の【アスギー】のユニオンメンバーたちのことを、心の底から凄い、とユキトは思った。

 理屈もわかる。獲得可能な経験値は少ないけれど、それでも地道に頑張りさえすれば、塵が山となっていく。けれど……、

「おれも、ガゼさんたちみたいになりたいです。なりたいですけど、おれには無理です。おれはガゼさんたちみたいには頑張れないんです」

「ふむ」

 と鼻息を鳴らし、ガゼは丸太のような腕を組む。

「お前、なんで冒険者になった?」

「なんでって、リーガで一番の冒険者になりたくて」

 これは冒険者となってから、初めてガゼに会った時にも言ったことだった。

「ちげえよ。それは目標だろ。おれが訊いてんのは、なにがしたくて冒険者になったんだってことだよ。何のためにリーガで一番の冒険者になりたいんだ? お前がやりたいことと、レベルアップスピードは、関係があることなのか?」

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