第10話 《スタートダッシュ》
クララから昔の話を聞いたユキトは、オーディッタの町から依頼されたクエストのことに思いを馳せていた。
オーディッタの町からのクエストを二回受けたこと。二回目に町の少女を助けたことは覚えていた。しかし、その少女がクララだったとは、言われる今の今までわからなかった。
ユキトはあの時の少女、クララと交わした会話のことは覚えていなかった。
あの頃のまだ輝きを失っていなかった頃のユキトは、更なるレベルアップのため、毎日クエストを受けられるだけ受けていた。
そういうクエストをクリアする度に、多くの村人や町人から礼を言われたり話しかけられるということは、日常茶飯事となっていた。それを全て覚えていられるはずもなく、その中の一人の少女と交わした会話のことなど、ユキトはずっかり忘れていた。
クララの記憶が正しかったとしたら、自分の言葉に吐き気がする。
なんて軽薄で、浅はかな言葉。
「努力すればなんだって出来る」
「諦めなければ成し遂げられないことはない」
「できない奴らは途中で努力することを諦めた奴ら」
「努力さえ惜しまなければ、越えられない壁なんてない」
あの頃、完全に頭に乗っていた自分なら、言いそうなことだなとユキトは思った。クララの記憶に間違いはないのだろう。
あの時見下していた「途中で努力することを諦めた奴ら」に、今は自分がなってしまっていた。
あの頃の自分はなにもわかっていなかった。順調にレベルが上がっていた、ただそれだけを理由に調子に乗っていただけだった。
今ならわかる。夢を叶えることができるのは、ほんの一握りの、最初から才能に恵まれた奴らと、才能がなくても努力し続けられる根性のある奴らだけだということが。
大抵の奴らが壁にぶつかると、途端に努力できなくなる。何度も何度も新たな壁が立ち塞がり、行く手を阻まれる度に、どんどんやる気が失せていく。そしてやがて気力がなくなり諦める。
自分もそんな平凡な人間の一人だったのだ。自分の場合は一度瀕死に追いやられただけで、努力できなくなってしまった。凡人以下かもしれない。
先の台詞は、夢を叶えることができた一部の成功者だけが、言うことを許される台詞だ。
これらの台詞は全員には当てはまらない。一部の才能のある者と努力し続けられる根気のある者にだけ適用できる事柄だった。
凡俗はこの台詞の範囲の外側で生きている。凡人はできないことは諦めて生きていくしかない。そのような凡人の一人である自分が、いや凡人以下の自分如きが、軽々しく宣って良い台詞ではなかった。
ユキトは有頂天になっていた頃の自分は、なんて愚かだったのかと、自分を恥じた。
クララが憧憬の眼差しでユキトの顔を見つめる。
「あの時から、ユキトさんはわたしの英雄なんです」
――やめろ、やめてくれ。そんな目でおれを見ないでくれ!
居たたまれなくなったユキトは、クララから目を逸らす。
「努力して強くなって、わたしを助けてくれて。わたしの町を救ってくれました」
――違う。おれは誰かから憧れられるような人間じゃないんだ! お前が思ってるような凄い奴なんかじゃないんだ!
「お母さんがいなくなってから、わたしずっとお母さんを探しに行きたいと思ってました。でも一人で町の外に出て行く勇気が出なくて、思ってるだけで何も行動しませんでした。そんなわたしの背中を押してくれたのが、ユキトさんだったんです。努力による成長を体現しているユキトさんの言葉で、わたしも頑張ってみようって思えたんです。冒険者になろうって、決心できたんです。冒険者になるって決めたあの日から、冒険者になるための努力を始めました。スタミナを付けるための走り込みと筋力鍛錬と、ポーションの調合の練習を、冒険者になれる十五歳になるまで続けました。そして十五歳の誕生日にリーガにやって来たんです。と言ってもほとんど成果出てなくて、入団テスト落ちちゃいましたけどね。わたしが思ってたよりも道は厳しくて、わたしの努力はまだまだ甘かったんだなって思い知らされました。でもわたしユキトさんみたいになりたいんです。だから頑張ることを途中で諦めるわけにはいかないんです。これからもっともっと努力して、絶対に夢を叶えるんです」
――なんてことだ。今思えば薄っぺらな、おれの言葉に感化されて、クララは冒険者になったのか。おれなんかに憧れて……。おれのせいでクララは無理をして大怪我をしてしまった。おれが適当なことを言いさえしなければ、クララは震える程の怖い思いをすることもなかった。あの時おれはクララのことを叱ったけれど、おれのせいだったのか……。クララは今、昔のおれのように、努力すればなんでも成し遂げられると信じている。でもいつかクララも理解する日が来る。おれの言葉通りに生きられない自分に気づく日が必ず来る。夢を叶えられる人間はほんの一握りだけなんだと、ほとんどの人が夢は夢のままで終わってしまうんだと、一流の冒険者なんて目指さなければ良かったと、そしておれの言葉を信じてしまった自分が馬鹿だったのだと、後悔するんだ。それもこれも全部おれのせいだ。
昔の自分はなんて馬鹿なことを言ってしまったのか。ユキトは悔やんでも悔やみきれなかった。
忸怩たる思いにユキトが拳を強く握りしめていたその時、つとユキトの体が吹き飛んだ。
「どかんかい!」
数メードル真横に飛んだユキトが、床の上をごろごろ転がる。
「ユキトさん!」
駆け寄ったクララが膝を折り、抱き起こす。
「大丈夫ですか!?」
ユキトは痛みに顔を顰める。
「ああ……」
眉を吊り上げたクララが、ユキトを蹴り飛ばした人物を睨みつける。
クララの視線の先、腕を組んで不遜な態度でこちらを睥睨しているのは、獅子と鬼の獣人
巨躯を誇るその身長は、ゆうに二メードル三十セーチ程もあった。獅子の顔に金色の
革の籠手と脛当て、腹回りを守る革鎧。それ以外の体の大部分の肌は露出している。鋼の筋肉が天然の鎧となる
立ち上がりながら、ユキトが少年の名を口にする。
「ビンゲ、またお前か」
ビンゲと呼ばれた
闘技場で行われる大会の一つに、ルーキーズカップという大会がある。これは冒険者歴が一年未満の新人冒険者たちだけが出場できる大会だ。
ユキトも冒険者になった年に行われたルーキーズカップに出場した。
その時の決勝戦の相手がビンゲだった。結果は《スピードスター》として名を馳せていたユキトの圧勝だった。その時ユキトから受けた斬撃が一生傷となり、ビンゲの右頬に残った。
ほとんどなにもさせてもらえずに負けたことが余程悔しかったのか、顔に傷を刻まれたことを根に持ったのか、それからというものビンゲはなにかにつけて、ユキトに絡んでくるようになったのだった。
バトルレベルでユキトを追い越してからは、今のような当たりの強い突っかかり方をしてくるようになっていた。
何事かと、周囲の冒険者たちや受付嬢たち、宙を飛んで文書を運んでいた
ビンゲの後ろには、彼と同じユニオン【へゼズタ】のユニオンメンバーである
女性の
「なにするんですか!?」
クララの怒声に、ビンゲは鼻を鳴らした。
「邪魔じゃったけえ、どかしただけじゃ」
体の内側まで震動してくる低く野太い声でビンゲが言った。
「蹴り飛ばすことないじゃないですか! ユキトさんに謝ってください!」
「はあ? なぜおれが謝らにゃならんのじゃ。《スタートダッシュ》がそんなとこに突っ立っとったのが悪いんじゃろうが」
哄笑を上げるビンゲ。
クララが怪訝な顔をする。
「《スタートダッシュ》? なに言ってるんですか。ユキトさんの二つ名は《スピードスター》ですよ」
クララがそう言った瞬間、ビンゲだけでなく、ビンゲの後ろに控える
「なんじゃ、お前知らんのか。確かにこいつは《スピードスター》って呼ばれとったけどな。最初に飛ばし過ぎて、今じゃ息切れしてレベルカンストしてしもうた、最初しか速くなかった雑魚っちゅう意味の《スタートダッシュ》っちゅう立派な名前が付いとるんじゃ!」
ビンゲの説明に、取り巻きの
「え……?」
クララが思わずユキトに顔を向ける。
ユキトは黙ったまま、なにも言い返さない。
「じゃあな《スタートダッシュ》。お前如きがおれ様の通る場所の邪魔をすんじゃねえよ」
大笑しながらビンゲたちが歩き去っていく。
ユキトを見つめるクララの顔には「本当ですか?」と書いてあった。ついさっきまで、自分に憧憬の眼差しを向けていたクララから、そんな目で見つめられていることが居たたまれず、ユキトは顔を俯かせた。そしてそのまま重い口を開く。
「あいつの言ってたことは本当だ」
「……そうだったんですか。でもユキトさんのことだから、今も強くなるために頑張り続けてるんですよね? いつか必ずさっきの人を見返してやれるくらいに強くなればいいだけですよ」
「無理だ」
「え?」
「もう諦めたんだ。頑張ってないんだよ、おれ」
「どうして……?」
「夢を叶えられる奴っていうのは、頑張り続けることができる奴っていうのは、本当に凄い一部の人間だけだってわかったんだ。おれには無理だった」
クララの瞳に失望の色が浮かんでいく。
「どうしてユキトさんがそんなこと言うんですか!? リーガで一番の冒険者になるって、なれるまで努力をやめるつもりはないって言ってたじゃないですか!?」
「なにもわかってなかった頃のおれの言葉で、夢を見させて冒険者にさせちまって悪かった。ごめん」
ユキトがクララに頭を下げる。
クララの瞳から涙が溢れ出る。
「ユキトさんにそんな風に謝られたら、わたし一体どうしたらいいって言うんですか!?」
「今すぐ冒険者をやめて、オーディッタの町に帰るんだ。お前じゃすぐに命を落とすことになる」
ユキトの言葉を聞く度に、クララの顔に浮かぶ失望が色を濃くしていく。
「ユキトさんと一緒に頑張りたかったのに、一緒に努力し合える仲間になりたかったのに……。あなたはわたしの憧れたユキトさんじゃありません!」
大粒の涙を散らしながら、クララは走り去って行ったのだった。
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