余禄 ダニエルのこと
個性あふれる預言者の中でも、ダニエルはかなり特異な存在と言える。少年時代にネブカドネツァルに召し出され、新バビロニアとそれにとって代わったアケメネス朝ペルシャという当時の二大帝国に仕える。その出自の詳細は分からないが、登場した少年時代にはすでに異教の食べ物で身を汚すまいという、揺るぎない信仰を持っている。それだけで、すでに奇跡的だが、その後も、その信仰姿勢は全く変わらない。さらに彼が特異であるのは、ネブカドネツァルによって養われ、高官として取り立てられた上、そのバビロニアが倒された後のペルシャでも引き続き長官として任じられるほどに、優秀な人物だと認められていたというところである。国が入れ替わってもなお、権力の座に居続けた人物など聖書の世界に限らず他に例を見ないし、それが預言者であるとなると、なおさらである。
ところで、ダニエル書の中に、ネブカドネツァルが高ぶったがために「人の中から追い出され」たというエピソードが書かれている。どんなに権力を持っていたとしても、弱さを見せれば寝首をかかれるということが、どこにでもあった時代である。南北イスラエルの歴史でも謀反によって何人もの王が殺されているし、後にネブカドネツァルの跡を継いだアメル・マルドゥクも暗殺されている。
そんな時代に、会話もできない状態で野をさまよっていたネブカドネツァルが、廃位されずに王であり続けることができたのは、何故か。そこに、長官ダニエルの介入があったのではないだろうか。
その期間は7つの時の終わりまで、とある。当時の帝国は、王が絶対の権限を持っているとはいえ、諸侯がそれぞれに勢力を持って発言していた連合国のような形である。ネブカドネツァルを退位させて新しい王を立てるようにという動きは少なからずあっただろうし、エジプトをはじめとする外敵も、その状況を知ればいつ攻め込んできてもおかしくないという緊張状態にあっただろう。ダニエルは神の預言によって、王が必ず悔い改めて元に戻るということを知っていたからこそ、それらの動きを押しとどめ得たのだろう。
だとすると、露に濡れて野をさまよっていた王のことを、ダニエルはどんな思いで見ていただろうか。故国を滅ぼした敵であるとは言え、自身を養い、重用してくれた相手でもあり、身近に仕える中でその能力や人格的魅力についても、よく知っていただろう。ある種の同情のような感情はあったのだろうか。また、預言によってバビロニアはほどなく倒れ、ユダの民はエルサレムに帰還するということも知っていたはずだから、ネブカドネツァルの回復を待って廃位の動きを押しとどめていたダニエルの目には、やがて彼らに訪れるであろう、滅びの予兆も映っていただろう。世界の歴史という壮大なことについての幻を見せられ、文書に落とし込むことができた稀代の天才には、我々常人には、はかり知ることのできない、複雑な胸の内があったのではないだろうか。
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