余禄 ネヘミヤのこと
ネヘミヤは、ネヘミヤ記を書き、一説にはエステル記の編纂にも関わったと言われている。もちろん信仰的にも熱心で立派な人物だが、正直なところ、これまでそんなに関心を持っていなかった。しかし、改めて読み直してみて、その生き様の中に神の深い愛が反映されているということを、再認識することになった。
ネヘミヤは、ペルシャの王都スサで生まれ育ったのだと思われる。アルタクセルクセス1世の献酌官だったとされているが、これは王の側近中の側近で、毒殺を恐れた当時の王にとって信頼して命を預けられる存在であり、最も近くにいて恐らく王と直接言葉を交わすことのできる、数少ない役人だった。王に謁見できるかどうかを決める権限を持っていた場合もあるとさえ言われている。
ネヘミヤがエルサレムに赴くのは、エステルが先王クセルクセスの妃となってから約30年後のことで、エステルもまだ王母として権力を持っていただろうし、その叔父であったモルデガイも、宰相として活躍していたであろう。当時の王都の中でも、ユダヤ人コミュニティが最大の勢力を誇っていた時期であり、ネヘミヤ自身がその地位につけたのも、彼らの影響が少なからずあったと思われる。
少なくともスサで平和と繁栄を享受していたユダヤ人たちにとって、バビロン捕囚で受けた傷は過去のものとなりつつあったのではないだろうか。そんな中でエルサレムの窮状を耳にしたネヘミヤは、動揺したことだろう。エステルとモルデガイがユダヤ人壊滅計画を覆し、敵を掃討してから30年。帰還命令が出てエルサレムの神殿が再建されてからは70年以上も経つのである。それでもなお、エルサレムが荒れ果てた状態のまま、安全すら脅かされているというのは、モルデカイの影響力がかの地にまでは及んでいないということを示している。
誰かが直接行ってやらなければ。その思いと、自身の王都での暮らしとの間で葛藤したことだろう。献酌官として身近に仕えてきたアルタクセルクセス王には、親しい友のような感情も持っていただろう。王宮の周辺で生まれ育ったネヘミヤにとって、むしろ故郷と感じられるのはスサの方だったかもしれない。豊かで、恐らく幸せであっただろうその生活を放棄して、見たこともない辺境の荒れた地に出向くというのは相当の覚悟が求められたことだろう。彼のその決意を想像していくと、「その在り方を捨てることができないとは考えないでご自分を無にして仕える者の姿」になって来られたイエス=キリストの姿が重なって見える。
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