余禄 アサフのこと
アサフは、ダビデの立てた賛美リーダーとして、多くの詩篇も残している人物である。しかし、執筆したその分量の割には、その人物像は謎になっている。聖書に登場する人物の多くが、王にせよ祭司にせよ、後継者問題では頭を悩ませていたが、アサフ家は後々まで、それこそバビロン捕囚の後に至ってもなお、賛美リーダーの家系として用いられ続けている。
アサフが登場するのは、神の箱をエルサレムに運び上る際に、賛美奉仕者としてダビデに任命されたというところからである。
ダビデは先に、アビナダブの家から荷車に乗せて運ばせようとしたが、神の箱を手で押さえたウザが神の怒りに触れてその場で死んでしまうという事件を経験している。一旦オベデ・エドムの家に留め置いたものを、再びエルサレムに運び上ろうとするにあたって、失敗を繰り返すまいと慎重に手順を整え、心を砕いて準備をした様子が第1歴代誌15章に書かれている。
律法を調べ直し、荷車にではなく、差し渡した棒をレビ人が担ぐという、本来命じられていた方法で運ぶことにした。
そんな中で任命された人々なのだから、それぞれ人選にも配慮があったことだろう。それは決して政治的なものでもなければ、恐らく人間的な、つまり技術的な側面だけに偏った基準でもなかっただろう。霊的な、信仰的な判断基準があったに違いない。
それでは、アサフは、どのような人物で、どのような基準に従って選ばれたのか。彼と共に名が挙げられているのはケハテ族の「歌い手ヘマン」だが、わざわざ歌い手、と書かれているところを見ると、音楽の賜物が豊かにあった人なのだろう。
ところが、アサフの方は「ヘマンの兄弟」とだけ紹介されている。ヘマンはケハテ族で、アサフはゲルショム族の出身だから、正確なところでは親族にあたるというところだろう。両者の、レビ人として与えられた放牧地は共にガリラヤ湖の北方で、ほぼ隣り合った位置にあったので、親交があり、それゆえに兄弟、と表現されたのかもしれない。
アサフが書いた詩篇には、「何故、神に従おうとする者に苦悩があるのか」という信仰者の葛藤が記されている。いくつかの解説を読んでも、彼が生真面目に、信仰と向き合おうとした人物だったのだろう、と書かれている。賛美の本質が音楽ではなく神との関係にあるということが、彼が選ばれた理由であるように思われる。
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