余録 ソロモンのこと

 ソロモンについては、彼が王位を継いだ時に神に知恵を求めて与えられ、その生涯の後半では異邦人の妻たちの影響を受けて偶像を取り入れ、信仰的に堕落してしまったということが知られている。そして箴言、伝道者の書、雅歌の3つを書いたこともまた知られている。

 では、それぞれどの時期に執筆したのだろうか。恐らく箴言は格言の集合なので、いつ、というよりずっと語り続けてきたことを集めたものだろう。雅歌は愛の歌というその内容からしてあまり晩年に書いたとはイメージしにくく、同時に王としての自信にあふれた様子も見てとれることから、即位したばかりの頃というよりは神殿建設から王宮建設までの、最も充実していた年代に書いたのではないだろうか。

 伝道者の書はどうか。雅歌のみずみずしい様子とは打って変わって、様々なことを乗り越えた、熟年の渋みがにじんでいるので、どう考えても晩年に自らの生涯を振り返りつつ書いたものだろう。すると、そこで生じる疑問は、信仰的に堕落してしまい、「彼の心は神である主とひとつにはなっていなかった」とされる状態との矛盾である。「神を恐れよ~それが人間にとってすべてである」と断言している伝道者の書と彼の実際の姿との間に大きな開きがある。

 考えられるのは、単に欲にからめとられたままではなく、そうした自らの生活を振り返って、やはり人生の最後には悔い改め、その結果として書かれたのが伝道者の書だろう、ということである。恐らく彼は神から離れた生活の中でも、与えられた知恵を失いはしなかっただろう。罪の生活にのめりこんでいる自身の姿を、神に与えられた知恵を持って見つめていた苦悩が、晩年の彼を深い思索に導いたのではないかと思われる。

 そもそも、ソロモンとはどういう人物だったのか。子どもを巡って自分こそ本当の母親だと争う2人の女について、子どもを2つに切って半分ずつ渡せと命じ、そんなことはさせられないと争いを降りた女の方を本当の母だと見極めた、という有名なエピソードがある。その発言はある種冷徹なものに聞こえるが、それは当然母の愛の本質を理解できているからの発想に違いない。

国のために政略結婚をしていくが、本人の意思とは関係なく嫁がされた王妃たちのことを、哀れに思ったのではないだろうか。その優しさゆえに、彼女たちの異教の神々に巻き込まれていったのではないだろうか。事業をどんどん広げていく中で、人変わりがしたかのようになっていくソロモンだが、その苦悩が彼をさいなみ続けていたのではないだろうか。

 そんなソロモンに、友はいたのだろうか。知恵を持ち、絶大な権力を持った彼は、もしかすると孤独な存在だったのかもしれない。彼の晩年に主の言葉があったとされているが、直接彼に語られたのか、預言者を通して語られたのか。彼の生活態度からすれば、後者の方だと考えた方が自然かもしれない。物語は、そんなことを想像しながら預言者とのやり取りの中で悔い改めを告白するソロモンの姿を描いてみた。

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