余禄 サムエルのこと

 サムエル記という書物が聖書の他の書と比べて変わっているのは、人の名を冠した書物であるのに、肝心のサムエル自身は上下巻のうち上巻の後半で死んでしまい、下巻に至っては全く登場しないということである。その前編では明らかに出生の経緯も含むサムエル自身の物語が描かれているにも関わらず、主題はサムエルではなく、ダビデ王家の歴史となっている。

 サムエルが執筆に関わったと言われているのはこの書だけでなく、士師記、ルツ記も含まれるが、それらはモーセからヨシュアへと続いた出エジプトの時代から、イスラエル王国が起こるまでの歴史を記述することが目的となっている。この点からも、ダビデ王家の起源をはっきりと示すという重要な役割を担っていると言える。サムエルのダビデ王家を見るまなざしに、一種の親心のようなものさえ感じるのは気のせいだろうか。

 恐らく、それらはサムエル自身が直接書いたというより、多くの部分は口述筆記のような形で彼の弟子達の誰かが書き写し、サムエル死後の記事についてもその意図を引き継いでの記述をしたのだろう。少なくとも半分以上がサムエル不在であるにも関わらずサムエル記という書名となっているところに、その執筆者の、サムエルに対する尊敬の念が込められているように思える。

 サムエルは晩年、ラマのナヨテで預言者の学校のようなものを作っていた。後々までダビデ王家を見守るために、後進を育てたのだろう。聖書には書かれていないが、その出身者の中にはナタンのような、諫言の士としてダビデを支えた預言者が排出されたのだと思いたい。そういう意味で、サムエルを敬愛し、ダビデに仕えたナタンが、サムエルの思いを引き継いでサムエル記を書き上げていった、という設定にしてみた。言うまでもなく、そこはフィクションであり、サムエルが生身の人間であったというイメージさえ持っていただければ、と思う。

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