余禄 ヨシュアのこと

 ヨシュアは、いつモーセと出会ったのだろうか。彼は族長の一人であると同時にモーセの従者でもあったが、言うまでもなく、モーセがファラオの子として過ごしていた頃には、接点はない。ミデヤンの荒野に逃れた時にもやはりそんな機会はなかっただろう。出会いは、モーセが遣わされて、ファラオの前に立った時以降だったはずである。

 後継者となるからには、モーセよりも当然若い世代だろうから、恐らくヨセフのことを知らない王権(一般に、ヨセフがエジプトで活躍していたのは、ヒクソスという異民族王朝の時代だったと言われている)が出現して以降に生まれたのだろう。彼らはユダヤ人たちに対して脅威を感じるあまり、過酷な扱いをした。生まれた時から奴隷として扱われ、生きることさえおぼつかないという環境に育ったヨシュアの目に、たった一人でファラオに立ち向かおうとするモーセの姿はどのように映っただろうか。

 民を去らせよ、とのモーセの交渉の中で、ファラオの怒りによってユダヤ人の苦役はかえって重くされた。なんと余計なことをしてくれるのか、と不平を言うユダヤ人たちがいたが、もしかすれば、ヨシュアもはじめは同様に感じていたのではないだろうか。しかし、数々の奇跡と、決して屈しない背中を見て、もしやこの人ならば、奴隷の解放というありえないことを本当に成し遂げるのかもしれないと思うようになっていったのではないだろうか。

 ヨシュアはエジプトを脱して後、アマレク人との戦いではイスラエルの軍団を率いる大将として活躍している。また、モーセ5書の一部、少なくともモーセの死後のエピソードやヨシュア記の全体を書いたのも、ヨシュアに他ならない。

 奴隷として生まれ、恐らく成人するまで虫けらのように扱われてきた彼が、一体いつ、文字を学び、戦い方を身につけたのだろうか。荒野で、モーセに仕える中で、かつてファラオの子として学んだモーセから、様々なことを実践的に教えられていったに違いない。してみれば、ヨシュアにとってモーセとは、仕えるべき主人であり、師父のような存在となっていったのだろう。

 そのモーセの死後、民の指導者としての役割を引き継いだヨシュアは一体どんな思いでいたことか。

「あなたのくつを脱げ」という言葉は、モーセがシナイ山で主に語りかけられた時のものだ。モーセその人から聞いたその同じ召命の言葉をかけられたときに、ヨシュアは自分がモーセと同様の召命を受けたのだという自覚を、震えるような思いで持ったことだろう。

 ヨシュアの物語は、この時のヨシュアの心情を想像してみたものだが、恐らく、大きくはずれてはいないのではないかと思う。映画ならば、壮大なBGMと共に物語の一大転機となるシーンではないだろうか。

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