第2話 私と彼
「あの、大丈夫……ですか?」
振り返るとそこには短髪で切れ長の目、肩にエナメルバックを掛けたスポーツ体系の好青年が立っていた。
「あっ……えっと、大丈夫です……。失礼します……」
気まずくなった私は簡単にあしらって何事も無かったように動き出そうとした。
けれど、彼は冷静だった。
「待ってください。それ、誰かにやられたんですよね? そうじゃなかったら、こんな事にはならないはずです」
「あっ、いやこれは……あの……本当に大丈夫ですから。気にしないでください」
「いやいや、さすがに無理ありますって! 気にしない訳にいかないですよ。普通に、全身びしょ濡れだし――」
彼の善意の言葉を前に『見ず知らずのあなたに何が分かるの』と心で呟く。それに美咲のターゲットである私を庇うという事は『僕は美咲の敵です』と言っているようなものだ。
「(――上履きのラインは緑。……ってことは後輩だよね。後輩なら美咲の恐ろしさは分からないよ。こんなことに下を巻き込んじゃダメだ……。っ!!)」
私は彼の隙を突くように反対方向へと逃げ出す。
だけど、帰宅部の私が運動部の男の子に敵うはずもなく、すぐに腕を掴まれた。
「待ってください。逃げないで……!」
「に、逃げてない。あなたが勝手に追ってきているだけで……。っ……」
彼は私を壁際に追い込むと正義感に満ちた黒の瞳で私を貫く。
「やっぱり、そこまで必死に逃げるってことは……誰かに水を掛けられたんですね? ――そうじゃありませんか?」
「っ……だったら……だったら、何だって言うの?」
あぁ、もうやけっぱちだ。
逃げられなくなった私は最大限、嫌悪感を示すようにギッと視線を強める。
しかし、その視線に彼は動じない。
「どうもこうも、そんなことが許されていい訳が無いじゃないですか! 早く教師に言いましょう? 必ず、僕が力になりますから! ね?」
「っ……。そんなこと……意味ないし……そんなこと……したって……」
この子は何を知った風に言うのか。
私に仲間なんて居ないし、誰かの助けなんて絶対に来ない。
だから、どんないじめにも両手にグッと力を込めて耐え続けてきた。
それなのに、彼はあっさりと「僕が力になりますから」と簡単に言う。
所詮は他人の戯言だって分かっている。それでも、傷ついて弱り切った心のフィルターは意味をなさず、自然と大粒の涙が頬を伝って零れる。
「(もうっ……泣くつもりなんて無いのに。そんな言葉……卑怯だよ。そんなの、ズルいよ。無責任だよ)」
必死に流れてくる涙を両手で拭うが、とめどなく涙は零れ落ちる。
彼は泣き続ける私を前に一歩、近づき語気を強める。
「先輩。やっぱり僕、見ていられませんよ。お願いです。教えてくれませんか? こんな酷いことを誰が先輩にやったのかを――」
彼も私が上級生であることに気付いたのだろうが、その姿勢は変わらない。
だけど、同時に彼が正義ぶって私の話を聞こうとする理由が分からなかった。
「……そんなことを……聞いて……どうするの……?」
「先輩にこんな酷い事をした奴に謝罪させます」
「何を言って……そんなの無理――」
「いいえ、ちゃんと謝らせます。だって、おかしいじゃないですか! こんな事、間違っているって先輩は思わないんですか?」
「そ、それは……」
彼の言うとおりだ。こんなの間違っている。
自分の事のように怒りを露わにしてくれた彼はただ、本当に私を助けようと必死になってくれているだけなのだろう。
けれど、彼が事を荒げれば美咲たちは仕返しをしてくることは目に見えて分かっている。だから、素直に彼の言葉を受け入れることは出来ず、押し黙ることしかできなかった。そんな私に彼は諦めず、警戒心を解こうと優しく耳障りの良い話を続ける。
「――言いづらいですよね? いじめの事を話すのにはそれなりの勇気が要ると思います。でも、考えて欲しいんです。先輩がここで何も言わなかったら増々、辛くなる一方だし、僕も他の人も誰一人として先輩を助ける事なんてできなくなってしまう。だから、少しだけ勇気を出して話してくれませんか? ……その、こう言うと変な風に取られるかもしれませんが、こういうことには僕、慣れているんです。解決の糸口も必ず、見つけられると思っています。それに、ここで先輩が話したことは絶対に口外しないって約束します。だから――」
彼は親身に話しかけてくれる。私にはもったないほどに彼は優しい。
それは言葉の一つ、ひとつから感じ取れた。だからこそ、私は感情を押し殺して彼に言葉の刃を刺すように言った。
「ごめんっ……言えない。――そもそも初対面のあなたにそんなこと言ったって、どうにもなるわけない! それにあなたなんて信用できないっ……!」
自分で言っておきながら『最低』だと思った。
もちろん、私の本音とは違う。本当は今すぐにでも「助けて」って言いたい。
でも、彼がここで手を退いてさえくれれば、彼は何事も無かったかのように元の生活を送れる。
――私だけが苦痛を負えばいい。それで全て済む話なんだ。
「(本当にごめん……ごめんなさい……。でも、分かって……。こんな得も無い、不毛なことに……あなたみたいな人を……巻き込みたくなんてないっ……)」
あからさまに裏切るような言葉を言ったせいか、彼は少しだけ目を伏せたが、光を失っていない目で私を見つめる。
「そう、ですよね。そりゃあ、信用できませんよね? ……でも、僕は先輩を見捨てたくないんですよ。お願いです、僕を一度だけ信じてください。この通りです」
「っ……!! やめて……なんで……頭を下げないで――」
絶対に手を引くと思っていた。それなのに彼は頭を下げ、予想していた反応とは異なる答えを返してきたのだ。予想外の回答に私の瞳から涙が零れ、頬を伝う。
「ど、どうして……どうして……そこまで他人の為にできるの……?」
涙が落ちる中、動揺する私を他所に彼は頭を上げ、静かに私の手を握る。
「そんなの、先輩が優しい人だって分かるからですよ。そんな人がいじめにあっていたら僕は助けます。――だいたい、さっきの言葉だってわざと僕を突き放すために言ったんですよね? 僕を巻き込みたくない、そう思って」
「そ、そんなこと……ない……。ぜったいに……ち、ちがう……」
「じゃあ、どうしてそんなに涙を流して泣いているんですか? もういいんですよ。無理をしなくても――」
彼の暖かな手の温もりがじんわりと伝わってきて、また涙が溢れ出る。
その優しさに私の緊張感やプライドは崩れ去り、限界を超えた心は無意識に彼の手を掴んで崩れ落ちていた。
「ううぅ、だって……だって……。――たす……けて。たすけて……欲しい。私、わたしは……ううぅ……」
「……ゆっくりで大丈夫ですから何があったか、話してください」
その場で壁に寄り掛かりながら今朝、あった事やこれまで美咲たちにどんないじめをされて来たのかをすべて話した。私の話を聞いている間、彼は目を伏せたりしながらも真剣な面持ちで話を聞き続けた。
そして、私の話を聞き終わると彼は静かに喋り始めた。
「状況は分かりました。僕は二年の稲森優輝です。家の事情があって今日、編入してきたんです」
「今日が……転校初日だったんだ? ごめんね……こんなことに巻き込んで」
「いやいや、僕が自ら先輩に話し掛けて巻き込まれに来たんですから、先輩が謝ることじゃありません。それに僕と先輩はもう友達なんですから、そんな寂しいことは言わないでください?」
「……。友達……? そう、なのかな?」
「はい。立派な友達ですよ」
彼はおもむろに立ち上がり、私に手を差し伸べる。
いきなり友達宣言をされてしまった私は恥ずかしい気持ちを抱きながらも彼の手を取り、立ち上がった。
「色々、聞いてくれて……その……ありがとう……。と、とりあえず、今日はこのまま帰るね?」
「あ~……そうですか。――っと! やば、下から先生たちが上がってきます! 上に行きましょう!」
「え!? でも……そっちは――!」
私は彼に手を引かれるまま、本校舎の階段を駆け上がる。登った先は本校舎3階。――つまり、私の在籍する3年生のクラスが軒並み揃っているエリアだった。
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