calling my road

LAST STAR

第一章 Reality

第1話 私の現実

ブッ、ブッ、ブッ――!

短いスマホのバイブレーションが薄暗い部屋の中で鳴り響く。


「もう、朝か……。学校、行かないと……」


重い心に蓋をしながら白地のワイシャツと紺色のスカートやブレザー、赤い蝶結びを身に纏い、ため息と共にスクールバックを肩に掛ける。


――これで外見はどこにでも居る『普通の女子高校生』だ。


「今日も頑張るね、お母さん……。いってきます……」


朝、早い時間に家を出た彼女は自転車で住宅街を通り、街を一つ抜け、郊外の小高い丘を上り始める。斜面の傾斜度はキツく、息が自然と上がって行く。


「毎日……のこと、だけど……辛すぎっ……」


丘の上には朝陽に照らされ、存在感を放つ白い校舎がある。それが私、白鳥実結が在籍する私立『松村学園高校』だ。ここの立地も去ることながら、この高校は少し変わった歴史を持っている。


『――最新ニュースです。大企業『松村グループ』が学校法人を買収し、経営権を獲得しました。近年、松村グループは次世代の人材育成を掲げ、学校法人の獲得を目指していましたが、私立高校の買収へと発展したのは今回が初めてです。来季には私立『松村学園高校』が開校する見込みで――』


約一年前、地方ニュースで大々的に報じられたこともあり、大きく世間から注目の目が集まった。当然、学校もそれを逆手に取り、校舎全体の改装をはじめ、冷暖房や見守り用の監視システムを付け、最新鋭の学校として宣伝をした。


「現実は……そんなんじゃないのに……」


駐輪場に自転車を止めた私の声はグラウンドから響いてくる朝練の声にかき消される。校舎内へと足を踏み入れると始業まで1時間以上も空いていることもあって廊下や教室と言った至る所がシーンと静まり返っている。


「こういう静かな時間は……集中できる……」


教室に入った私は薄汚れたノートにペンを走らせ始める。

別に私は勉強が好きな訳でもないし、得意でもない。ただ、夕方からバイトが詰まっている以上、ここで予習復習を終わらせないといけないのだ。


それが『牢獄がっこう』での私の毎日のルーティンになっていた。

そして、少し時間が経つといつも通り、静かに扉が開く。


「お、おはよう。今日も相変わらず、早いね? 白鳥さんは」

「っ……! お、おはよう……」

「……。えっと、今日……


必ず、朝一番に来るクラスメイト『江藤里奈』は意味深な言葉を吐く。

そして、さらに時間が過ぎるにつれて一人、二人とクラスメイトが教室へと入って来るが、それと同時に私は自分の存在感を空気に透過していく。


「あ~! みんな、おはよう~!」

「あ、美咲ちゃん! お、おはよう! それに玲奈さんと由美子ちゃんも」

「……ちょっと里奈。アンタさ、私の席にコレ~置いてて~?」


その声で私の警戒スイッチが自動で入る。

私には教室内の空気がピリついていく様子が手に取るように分かる。


――でも大丈夫。何も私がビビる必要なんてない。

――単に気にしなければいい。

――来るな、来るな。


けれど、現実は残酷だ。突然、私の机がガコンと揺れる。

目を上げればそこには金髪ロングの少女が立っていた。


「実結~アンタ、ちょっと来なさい~? わたしさぁ〜あなたに用があるのよ」

「っ……」

「その目は何よ? ほら来なさいよ! 松村の次期社長である私が言っているの、拒否権なんてあるわけないでしょう?!」


自己中心的な発言で『松村美咲』が私の腕を掴む。

だけど、そんな事に従ってやる言われはない。


「っ……やめてっ……!」

「おい、来いっていってんじゃねぇか!」

「そうよ。陰キャが! 連れてきて!!」


抵抗する私の両腕を美咲の取り巻きである『有川玲奈』と『長谷川由美子』に無理やり掴まれ、私は旧校舎3階端の女子トイレに連れ込まれた。玲奈は荒々しく私の鞄をトイレの床に投げつける。その反動で中身が飛び散る。


「ぁ……!! 人の鞄を投げるなんて……最低っ……」

「あぁ、わりぃわりぃ。お前に向かって投げたつもりだったんだけどよ? 手が滑っちまったんだわぁ」

「っ……」


不可抗力だと言わんばかりにオレンジ色のショートヘアを揺らし、玲奈は笑う。

床に散乱した教科書やノートを拾い集めようと私が身を屈めた直後、息が抜けるような痛みが走って体が軽く宙に浮き、壁に叩きつけられた。


「ぁはっ……ぅ……」


その段階で自分が美咲に蹴り飛ばされたであろうことはすぐに理解できた。

顔を歪めながら顔を上げると案の定、美咲が歪んだ笑顔を向けている。


「ふふっ、馬っ鹿じゃない? あんたさ~必死過ぎ! たかが、勉強道具じゃない! 汚くなったら新しく買ってもらえばいいのに! ねぇ、こんな汚っいのさぁ~? 誰が使うのよ! ああ~ごめん、ごめん! アンタん家、シングルマザーで? 貧乏だったわねぇ~! アハハハハ!!」


確かに、家が貧しいのは事実だ。それでも、お母さんは馬鹿な私を見捨てずにお金を工面してこの学校に通わせてくれている。だから、私はどんなことをされても卒業まですべて乗り切らなきゃいけない。


「あぁ~! 『あんな母親』の元で育ったあなたが可哀そう! あははははっ!!」

「っ……!! お母さんのことだけは……バカに、するなぁぁ……っ……!!」


歯向かわず、やられっぱなしの私にだって退けない一線はある。

気付けば右手を握りしめて突っ込んでいた。

だけどさ、3対1じゃ敵う訳ないじゃん。


「てめぇ、アタシが居んのに楯突こうってのか? あ? このガリ勉がぁ!!」

「うっ……ぁ……」

「これくらいの事でガタガタ、抜かしてんじゃねぇよ」

「あはは、見ものねぇ!! 本当に馬鹿はこれだから困るのよ! 玲奈はここら辺じゃ喧嘩負けなしの『狂犬の狼』だって知らないの?」


知っている。知っているけど、全てが敵うか、敵わないかという理屈じゃない。

しかし、結果的にこの行動で事態は最悪な方向へと転がり落ちていく。


「玲奈、アンタ軽く見られてるんじゃないの? 半殺しに――あっ! ふふ、由美子、アンタがボコりなさい~? 私たちに楯突いた実結を半殺しにするの。できるわよね~? 由美子」

「え……。う、うん。美咲に楯……付いたんだもんね? やるよ」


そう言いつつ、ひとまとめにしたポニーテールを揺らして由美子は私の前に出てくる。その目つきは酷くどす汚れていながらも悲しそうな目で私を睨む。


「ゆっ……がはぁ、やめ――」

「いいわよ~由美子! もっとやっちゃいなさい!」


時間にして僅か数分だが、成す術も無く由美子にボコボコにされて立ち上がることもできない。その後、三人は私をトイレの個室に放り込んで冷水を掛けた。

最早、無力な私は耐えることにしかできなかった。


「ははっ、見ろよ美咲! びちょ濡れだぜぇ?」

「貧乏人にはお似合いな格好じゃない~最高っ!」

「いい勉強になったな? んじゃ、勉強代として財布の中身貰ってくぞ? ――どれどれ、それなりに持ってんな?」


彼女たちは堂々と私の財布から金を根こそぎ抜き取る。

冗談じゃない。それは私がバイトで稼いだお金だ。


「かえっ……して……ぇ……」

「うぜぇんだよ。取り返したいならタイマンでアタシに勝つことだな? ――それとも何か? おまえの下着姿の写真をバラ撒いてやろうか? JKの下着姿なんて飛ぶように売れるし、アタシらも一石二鳥なんだがよぉ?」

「っ!! それ……だけは……」

「なら、このことは誰にも言うんじゃねぇぞ? 分かったな? 守らなかったらどうなるか分かってんだろう? んじゃあな!」


ニヤついた顔で口止めをした彼女たちは立ち去って行く。

私は彼女たちの後ろ姿を見ることもせず、沈黙を通すことしかできなかった。弱みを握られている時点でどう足掻いたって敵う訳がない。


それに3人組のリーダー格である美咲は松村グループのご令嬢だ。いくら騒ぎ立てたところで事実が捻じ曲げられ、仕返しが倍になって跳ね返ってくるだけに過ぎない。


「なんで……なんで……私だけが……こんな目に遭わないといけないの……?」


誰も居なくなったトイレの中にすすり泣く声が響く。しかし、それと同時に無情にも始業のチャイムが鳴る。


今から急いで戻れば、守り抜いてきた皆勤賞くらいは守れるはずだ。

そうすれば、私はお母さんに胸を張れる女の子で居れるはずだけれど、もう私の心は擦り切れてしまっていた。


――楽になりたい。

――私、たくさん耐えたよね?


その思った瞬間、私の心に張っていた糸が弾け飛んだ気がした。

もう、優等生になろうとする気力も尽きてしまった。


「……ごめん、……ごめんね。お母さん。私はもう、無理だよ。限界だよ……」


唯一、心残りがあるとすれば自慢の娘として高校の卒業式を迎えさせてあげられないこと。それだけに尽きるが、崩れ去った歯車はもう制御なんてできない。


とにかく、今は誰一人として味方がいない学校から抜け出したかった。誰にも縛られず、この救いようのない現実から永遠に逃げたいと本心で思ってしまった。


私はその欲求を満たすためだけに水を吸って重くなった制服を身に纏ったまま、本校舎へ向けてゆらゆらと足を動かす。廊下には誰一人として人影もない。


今のうちに本校舎へ移って――その先は分からない。想像もつかない。

感じたことのない絶望感に包まれながら本校舎へ足を踏み込むと突然、男性の声が背後から響く。


「あの、大丈夫……ですか?」

「っ……!!」


その声に慌てて振り返るとそこには一人の男子生徒が立っていたのだった。

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