第3話 私の小さな一歩

「……? ねぇ、稲森君……? 先生たちが来てるって言っていたけど、居ないよ?」 


稲森君はそんな私の指摘を無視して手を引っ張る。

そこで、ようやく彼が何か企んでいることに気付いた。


「え、ちょっと! まさか嘘を――?」

「すみません、先輩。起きたことは起きた日に片付けないといけないんです!」

「っ……!! 待って! 稲森君、教室だけはだめっ――!」


抵抗する私を他所に稲森君は3年1組の扉をガタンッと勢い良く開け放つ。

クラス内は一瞬、何事かと静かになるが、すぐに私の姿を見てクスクスと笑う声が聞こえてくる。教壇に立っていたクラス担任の斎藤先生も授業を止められたからか、眉間にしわを寄せて私たちに向かってくる。


「おい、白鳥! もう授業時間はとうに過ぎているぞ? それに、そっちの君はこんなところで何をしている! 早く教室に戻らんか!」


叱責の言葉と羞恥心を前に私は目を瞑るしかなかったが、稲森君は数秒間だけ何も喋らず、ため息と同時に一言だけ言葉を発した。


「……そういう感じか」


今、彼が何を考えているかは分からない。それでも、一つだけ確かなことがある。

それは私たちが美咲たちに目を付けられたということだ。


「何、あいつ。2年? 後輩じゃん」

「今度は何~? あのお馬鹿さん、男引っ掛けてきたの? うわぁ~キモッ! 美咲~マジ、無理なんだけど~!」

「だ、だよね……美咲の言う通りだと思う、かな」


そんな美咲たちの蔑む声を聴いた途端、『痛いことをされる』という思いが私の心を強く締め付け、その場に立っていることすら恐怖に感じていく。


「(だから、教室には戻りたくなかったのに……。これで稲森君も……いじめられる。やっぱり、こうなるなら言うんじゃなかった……)」


そう思えば、思うほど涙が自然と溢れ出し、心が押し潰れそうになる。その時、稲森君の手が私の肩にそっと触れたことで閉じかけた思考が呼び戻される。


「っ……!」

「先輩、大丈夫です。僕は消えませんし、先輩の友達です。言いましたよね? 僕を信じてください」


前屈みになった私の目を彼は静かに優しく覗き込む。その表情を見た途端、また涙が頬を伝った。こうなった原因は彼にあるけれど、それでも彼だけは常に私の側に居て、裏切らないと思わせてくれる。それだけの存在感が彼にはあった。


「だ、だから……お前らなぁ……何度同じことを言えば――!!」


かく言う斎藤先生は教師でありながら話を差し込めずにいた。それを良いことに稲森君は体を使って斎藤先生を押しのけ、机と机の間にできた通路に私を入れる。


「ゆっくりでいいので、この教室にある先輩の荷物をすべてまとめてください。もう、ここに居る必要はありません」

「えっ……でも……」

「とりあえず、今は学校から離れるのが一番です。先輩だって本当は気付いているんじゃないですか?」

「……。そう、だよね……」


彼が『美咲たちから逃げる』という行動を後押ししてくれたおかげで自然と体が軽く動く。今まではとにかく優等生として卒業することを目指していたはずの私だったが、ある意味では踏ん切りがついたのかもしれない。


「もう忘れ物はありませんか?」

「うん……」

「じゃあ、あとは保健室に寄って行きましょう。諸々はあっちで」


手短に体操着や必要なモノを手に取った私は稲森君と共に立ち去ろうとする。しかし、私達の前に担任である斉藤が再び、立ち塞がった。


「待て、白鳥! 今は授業中だぞ? 荷物を持ってどこに行くつもりだ。どこでそんなに制服を濡らしたか知らんが、すぐ着替えて授業に戻りなさい! そっちの君は二年だろ。早く2年生の教室へ戻れ! 何度も同じこと言わせるな」


険しい目つきで斉藤先生は私達を睨みつける。しかし、稲森君は怯むことなく私を背後に庇うようにして冷静に言い放った。


「白鳥 実結さんは早退しますので先生、そこを退いてください」

「何を言うかと思えば……。体調も悪くない者を早退させることなんてできる訳がないだろう?」

「はぁ…………」


稲森君はひどく深いため息をついた。


「僕はあなたがどんな人間か知りません。ですが、これだけは言えます。アンタは教師失格だっ!」

「なん、だと……? もういっぺん言ってみなさい!」


クラスメイトたちは面白い展開になったといわんばかりに笑い出す。それでも稲森君だけは私の為だけに怒りをあらわにする。


「アンタは教師失格だって言ってんだよ、三流教師!」

「教師に楯突くのか!?」

「楯なんて付いてないですよ。事実を言ったまでだ。そもそもアンタ、ここのクラスの担任だろ? そこにある出席簿の表紙にアンタの名前が書いてあるんだから、間違いないよな?」

「だったら何だ? 生徒の分際で生意気な口を使いやがって――!」

「それはこっちの台詞ですよ。アンタ、白鳥さんの『この姿』を見て普通じゃないと思わないのか? そっちで笑っているお前らもだよ。こんな目に遭っているクラスメイトが目の前に居るのに、何も感じないのか? どうなんだ!!」


稲森君がけたたましく声を荒げると教室内のザワついた雰囲気が一瞬で凍りつく。

稲森君は斉藤をじっと見つめたまま、声のトーンを落としてゆっくりと続けた。


「……なぜ、僕があなたに対して『教師失格』だと言ったか分かりますか? あなたが白鳥さんを一番、気にかけるべき存在だったはずだ。なのに、アンタはびしょ濡れの白鳥さんを見て、真っ先に授業へ遅れてきたことを指摘した。挙句、事情も聴かず、話をすることも無く僕たちを糾弾したよな?」

「それは……」

「観察眼も無く、基礎的な生徒のマネジメントもできない、そんな教師が教壇に立っていい訳が無いんだよ! この1件は必ず、教育委員会に報告させてもらうからな」

「なっ……! バカなことを! そんなハッタリをかましたところで、生徒如きに何ができる――」

「できるさ、今までの会話はすべて録音させてもらった。こうなったら行きがけの駄賃だ。マスコミも巻き込んで大事おおごとにしてやるよ。それでいいよな? 大先生」

「くっ……! そんなことを……し、したからと言ったって……な……」


斉藤は何も言い返せず、沈黙した。それは完全な稲森君の勝利、論破だった。

それでも稲森君の勢いは止まらない。今度は教室内にいる生徒の方を向き、教室内を回し見ながら話し始める。


「あっ、そうそう……他人事と思って見ているかもしれない先輩方――もしかしたらこの中に白鳥さんをいじめていた奴がいるかもしれないので念のために言わせてもらいますが、彼女は法的措置を講じることも考えています。場合によっては裁判になる可能性もありますので、今のうちに心当たりがある方は白鳥さんに謝っておいた方がいいですよ? これは僕からの忠告です」


『法的措置』などというパワーワードにクラスメイト全員の目が泳ぐ。

だけど、全て稲森君がついた嘘だ。私にはそんな法的措置を講じる知恵も無ければ、資金力も無い。


でも、稲森君は本気で私のことを心配して、解決しようとしてくれている。

そんな彼となら『理不尽ないじめ』と戦っていけるかもしれない。もちろん、私と関わってしまった以上、辛い思いをする可能性は大いにある。


――なら、私も戦って彼を守るしかない。

臆病ながらも私は小さく足を前に踏み込む。


「稲森君、ありがとう……。でも、これは……私の、問題だから」

「えっ?」


私はそっと稲森君の横に立った。正直、全員から向けられる視線に手も足も震えている。それでも私は意志を伝えるために息を吸い込み、精一杯の力で声を出す。


「もう、私はあなた達に絶対、屈しない!! いじめなんて二度としないで!!」


今まで出した事がないほどの大声で、美咲の方に向かってその一言を言い放った。

さすがの美咲もその声量には驚いた様にも見えたが、すぐに笑みを浮かべる。


まるで、「あなた達なんて一捻りよ」と言わんばかりに――。


きっと、周りの人間から見ればあまりにも小さな、ちいさな一歩。

無駄な抵抗、ムダな戦いを始めたくらいの認識なのかもしれない。


でも、今の私は一人じゃない。隣には稲森君がいる。


「行きましょうか。先輩」

「うん……」


きっと、これから彼と過ごす時間は今まで以上に楽しくなるに違いない。

教室の扉から差し込む光は、まるで未来の扉みたいに輝きを放つ。


「(不思議……こんなに嫌だって思っていた学校でこんな感覚を覚えるなんて、夢みたい――!?)」


そう思った瞬間、教室が大きく揺れ動く。さらに揺れと同時に窓ガラスが砕け散り、差し込んでいた光が無くなり、薄暗くなった。


「えっ……嘘!? きゃあ!!」

「先輩、僕の手に掴まって!!」


その超常現象的な変化にクラス内の全員が悲鳴が上がる。しかし、無情にもその揺れは激しさを増していく。稲森君は私を抱きかかえるようにしてクラスメイト達と共に転がり回る。


「くっ……クソ! こんな所で死なせてたまるか!」


稲森君は揺れと同時に飛んでくる机や椅子から私を守り続ける。それでも揺れは収まらず、私たちの意識が次第に薄れていく。このまま、私たちは死んでしまうのかもしれない。そう思った時、私の口は自然と動いた。


「……ありがとう。……守ってくれて」

「馬鹿なことを……いわないでください、あきらめたらそこで終わりです!」


それでも、感謝だけは口にしたかった。例え、これが人生最後の言葉だとしても彼に贈れたのなら本望にすら思えた。


「私のために……立ち上がってくれて……うれしかったよ……」

「死ぬ前提で話をしないで――っ! 先輩、あぶない!!」


稲森君が叫ぶと同時に何かが私たちにぶつかり、私の意識は稲森君の腕の中で途切れた。

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