第4話

 夜だった。その日は折からの時化で海は大荒れだった。雷の光が波間で揺れる船を時折照らした。波は数十メールを超えており、自然の脅威の前では、このガリオン級の大型船ですらまるで小川を流れる小さな葉っぱのように頼りなかった。

 ルガーは右手一本でマストを掴んでいたが、マストにぶら下がっている気すらしていた。その上波は甲板を遠慮なく叩きつける。ルガーの足は水に浸かりっぱなしだった。ルガーの体から流れた大量の血が足を伝って甲板の上の水に溶け込んでいた。ルガーの腹には銃弾が入っていたし、背中にはサーベルが突き刺さっていた。

 色々な物がルガーをかすめて後方へ飛んでいく。ロープや桶はまだいい方で、乗組員のたちや羊も先ほど飛んで行った。おそらく鳴き声からすると猫も混じっていたように思えた。

 雷が光る。ルガーの目の前に巨大な影が迫ってきた。逆光のせいで影の正体が何か分からない。ルガーは鋼鉄の義手を繰り出そうと構えた。

 (壊しちゃだめだ!それは救命用のカッター船だよ)

 リモのテレフォノが聞こえた。リモはマストの上にいるはずだった。しかも海賊の頭目を捕獲する役目だ。

 ルガーはしゃがんで影をやり過ごそうとした。リモの言う通り影はカッター船だと分かった。カッター船はルガーの頭を撫でると後方に飛んでいこうとした。

 (捕まえて!)

 反射的にルガーはカッター船の後尾に結わえられたロープを鋼鉄の義手で掴んだ。カッター船は暴風を受けて吹っ飛ぼうとしている。ルガーは筋力だけでそれを止める。ギシギシと肉と骨が軋む。

 (それを逃したら僕たちは生きて戻れなくなる!死んでも離しちゃだめだよ!)

 「このままでも十分死ねるぞ!!腕がイテェ!イテェ!」

 鋼鉄の拳の中でロープが滑る。ルガーは気力で拳を握り直す。それでもロープは摩擦で煙を上げながら拳の中を滑っていく。

 その時だった。ふとループが軽くなる。

 (反対だ!今度は反対に吹っ飛ぶ。カッター船がマストを横切る瞬間にロープをマストに巻くんだ!)

 リモの言った通り、波に揺られて、今度はさっきとは反対方向側にカッター船が飛んで来る。カッター船がマストを横切る前に、ルガーはロープをマストに何重にも巻き付ける。

 「出来たぞ!!」ルガーは叫ぶ。見上げると、遥か頭上にリモがいた。帆を張る横棒の上で海賊の頭目と対峙している。

 「おい!女騎士! オレを捕まえてあの小船で逃げる気か?」

 (僕は女ではないが、そのつもりだ)

 「ヘッ。そうはいくか。オレの船はもう終わりだ。船と命運を共にするのが船長ってもんよ!」

 海賊の頭目はサーベルでリモに切りかかる。リモはサーベルを弾き飛ばすつもりだった。頭目の剣の腕は大したことが無い。リモは先程からの戦闘でそう思っていた。

 キーン!

 サーベルが宙に舞った。

 リモの剣も飛んだ。リモの剣の方は勢いよく回転しながら夜の闇に消えて行った。

 「そう、オレは船と命運を共にする。救命船はあと一艇。お前らもオレの船と命運を共にしてもらう」頭目はリボルバー式の拳銃の先でルガーを指す。

 「こいつはなドール渡来の最新型だ。嵐の中でも撃てる。あの忌々しい義手の野郎に肉抜き穴を開けてやる!」

 頭目はルガーに狙いをつける。

 「全く信じがたい野郎だが……いくらあいつでも五発も喰らえば、ボートを掴んだ手くらい離すだろ……」頭目は呟いた。リモは頭目に駆け寄る。頭目がリモに発砲する。その時にはリモは既に宙返りの頂点だった。銃弾は一発もリモに当たらない。リモは頭目の頭の上に着地する。頭目は頭を踏まれて倒れながらもリモの足にしがみつく。二人はマストから甲板へ落下していく。海賊船が大きく傾く。大波が落下中の二人に降りかかる。

 (アグア・ソルベッテ!)

 リモはナイフでマストを突き刺し、切り裂きながらながら降りてくる。降りながら下のルガーへ叫ぶ。

 「ルガー!上だ!キャッチしろ!」

 ルガーの頭上に氷漬けの海賊の頭目が落ちてくる。ルガーはマストから手を離し、両手で氷の像を受け止める。あまりの重さにルガーは仰向けに転ぶ。氷の像を割らないように、ルガーは体を張って氷の像を庇う。ルガーの腹から背中のサーベルが突き抜ける。

 リモはある程度の高さまで甲板に近づくとマストを蹴ってジャンプする。宙返りして甲板に着地すると、カッター船が繋がれたロープに掴まる。

 (ロープを切る!飛び乗れルガー!)

 リモはロープにナイフを当てながら言った。海賊船の船首が持ち上がり、カッター船は船尾に向かって飛んでいく。

 (今だ!)

 リモはロープを切ると、飛んでいくカッター船に飛び乗る。ルガーは氷の像を肩に担いで甲板を走る。飛んでいくカッター船を追いかける。カッター船は巨大船の船尾から波間に飛んでいく。ルガーは氷の像を担いだままジャンプ。何とか宙を舞うカッター船の船底に着地。ただし顔面での着地だった。今度はカッター船自身が海面に激しく叩きつけられる。おかげでルガーは船底にもう一度顔面を叩きつけられた。

 ルガーが顔を上げる。顔中血だらけだった。

 (うわ、すごい顔だね。でも何とか身柄確保に成功だね。全身を凍らせちゃったのは誤算だったけど)

 「イテテ、いいんじゃねぇか。こいつをオモヤ(騎士団本部)に運ぶのに、このまま凍らせとこうぜ」

 (だめだよ。冷凍状態で二十四時間以上過ぎれば、回復魔法を以てしても蘇生は不可能になる)


 「急いでトランプ先生に診せねぇと!」

 ルガーは白い川の川底を蹴ってジャンプした。ジャンプ力も人間の時とは比較にならない。ルガーの体は軽々と数十メートルの高さに舞い上がる。そしてルガーの体は大きく口を開けた縦穴の真上の辺りに位置していた。上空から見る縦穴の眺めは壮大だった。

 縦穴は何十層にも連なる遺跡を一筋に貫いていた。各層には明かりが点っている。その明かりが宙に漏れだして、暗く深い縦穴を照らす。西の新興国クラリアの夜景は夜でも昼のようだと聞いた事がある。それはこんな有様だろうかとルガーは思った。

 ルガーは穴を落ちていく。どこまで落ちても、どの層にも明かりが点り、エルフ達の姿がある。

 時折、何処からか爆発音が聞こえる。片っ端から岩壁に爆弾を仕掛けているのだろうとルガーは思った。

 ルガーは不思議に思った。下の階層の遺跡の方が年代が古いはずなのに、どんどん一つの層の厚み、つまり天井の高さが高くなっていく。造りは下の階層程装飾が少なくシンプルに変わっていく。一番上の白い街に似ているようにも見えた。

 「ドワーフは縮んだのか?」

 そう呟いたルガーの顔は人間に戻っていた。見上げると縦穴の入口が小さく、だが闇の中てくっきりと見えた。入口の淵に沿って、等間隔に小さな明かりが点っていたからだ。その明かりの一つが少し大きくなった。

 ルガーの耳の直ぐ近くをビュンという音が通りすぎた。ルガーよりもかなり下の方で炸裂音がした、はずだったが高速で落下するルガーは既に炸裂音の後に続く、火薬の煙を追い越していた。黒色火薬特有の白い大きな煙を雲のように眺めながら、ルガーは(狙ってねぇな)と思った。

 続けざまに炸裂音が響く。縦穴の入口の淵から発射された砲弾は音は凄まじいが、見た目は地味な花火のように縦穴の中で次々と花開いた。

 煙の雲海を抜けた時、ルガーの体は傷だらけになっていた。特に腕からの出血がひどかった。

 砲撃音が止んでしばらくすると地底湖が見えてきた。地底湖のある地下空間は明るかった。

 地底湖は巨大な地下空間にあって、満々と水をたたえている。ルガーは以前にこの地底湖を見た時、マレクの港の数倍は広いであろうと目算した。地底湖にはかつてドワーフが建造した船団が停留していた。船には明かりが灯され、まるで夜の海に浮かんでいるようだった。

 エルフ達はドワーフの船団を足場代わりにして地底湖の壁のあちこちを砲撃していた。

 ルガーの体は地底湖にザブンと深く突きささった。


 そのまま、ルガーは水を掻き分け湖の底を目指す。氷漬けのリモは水中で浮きのように上昇しようとする。ルガーはリモの浮力に逆らいながら、全力で泳ぎ続ける。ルガーは湖底に向かって泳ぎ続けた。

 湖底に辿り着くとルガーは周りを見渡す。湖底は音も無く静かだった。

 ルガーは先程の砲撃で受けた腕の傷口を見る。その傷口に自らガブリと噛みついた。水中で血をまき散らす。水中に漂う血は動かない。ルガーは水中の微細なゴミの動きにも目を配る。血は水に混じり、ゆっくり広がって色が薄くなっていく。

 視界の端で漂っていた血がふわりと動いてスッと視界から消えた。ルガーは背中に水の流れを感じた。振りかえろうとした。その瞬間、ルガーは何かに体ごと持っていかれた。全身に強い衝撃を感じて視界は真っ暗になった。

 ルガーは洪水で水に浸かった肉屋にいる気分だった。周囲は生臭い匂いの水で満たされていた。その水は急に勢いを増し、ルガーは水に押し流された。生温かいトンネルのようなところぐるぐる錐揉みしながら奥へと押し込まれていく。背中でリモを縛っていたロープが外れた。ルガーはリモの氷像に頭をぶつけて気を失った。



 暗闇の中でグチャリという音がした。

 「……そろそろか?」

 ルガーは呟いた。鋼鉄の義手を構えると、壁に手をつく。壁はぶよぶよしている。ルガーはその壁に鋼鉄の義手を撃ち込み始めた。

 暗闇の中、ボウンという打撃音と、ガチャリという弾丸の装填音が短い間隔で交互に響く。

 二十回目の撃ち込み音の後、ぶよぶよした壁と床が波打ち始めた。波打ちはやがて痙攣のような不規則な動きに変わった。どちらが壁でどちらが床か分からなくなるほど、激しく揺れ始めた。ルガーはもはや自分の力で立って居られなくなっていた。壁や床の動きで、ポンポン体を放り投げられていた。あっちへ放り投げられ、こっちへつんのめり、またもや生温かいトンネルを押し込まれたり、押し出されたりした。


 暗闇で上下の感覚を失って、ルガーは身体感覚が麻痺してきていた。自分の体の境界すら曖昧に思えてきた時だった。

 口に入った液体が塩辛かった。

 ルガーはもう一度、あたり構わず鋼鉄の義手を撃ち込む。当たっているのか、当たっていないのかも定かではない。パンチを繰り出し続けた。

 突然、ブフウゥという空気が抜けるような音が聞こえた。ルガーの体は海の中にいた。ルガーは慌てて周囲を見る。暗い夜の水の中でリモが見えた。体を動かす。だが思うように動かない。

 (消化されすぎたな……)と思った。ルガーは硫酸でも掛けられたかのように肉が溶けている自分の腕を眺めた。腕の中に骨が見えた。それでもルガーは何とかリモを縛っているロープを握った。ルガーにはロープを握っている力しか残っていなかった。

 リモの氷の浮力のお陰でゆっくりと浮かんでいっているのが分かった。

 やがて、ルガーとリモは海面に顔を出した。

 ルガーは仰向けで海に浮かぶ。もう体は動かない。唯一動く眼球で夜空に月を探した。

 「……ツイてたぜ」

 ルガーは満月を見た。

 腐乱死体のようだったルガーの体は一瞬で白色の狼人間に変わった。だがすぐには体を動かさず、そのまましばらく海に浮かんでいた。

 波が体にぶつかる音だけが聞こえた。遠くで爆発音が聞こえた。

 ルガーは手に持っていたロープを口に咥えると泳ぎ出す。西の方角に小さな光が揺らめいてた。その光がマレクの港だとルガーは知っていた。ルガーは光を目指して泳ぐ。

 泳ぎながら海中を見る。ルガーの数メートル下に巨大な何かがいた。犬の舌のようなざらざらとした表面。ヒレのような突起物が何回か通りすぎることで、それが海中を移動していることが分かる。

 「あんまり、でかくて気味悪ィりな。今回もお前に食われてやる訳にはいかねぇんだ」

その生物はルガーとは反対方向に泳いで行った。全身が通り過ぎるのに数分かかった。


 ルガーはそう言うと、派手に水しぶきを上げながらマレクの港を目指して泳いだ。

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