第3話

 暖炉にくべられた丸太の木がはぜてパチンと気味の良い音を立てた。暖炉を囲む白いマントルピースの上には、クルミ材で造られた置時計があった。針は午前二時過ぎを指している。

 リモとルガーは暖炉を囲むゆったりとした革張りのソファに体を沈めていた。ルガーはリモを横目で見る。リモの亜麻色の髪に暖炉の炎の照り返しが当たり、黄金色に染まって見えた。その黄金色のウェーブは左目を隠し、残った右目は閉じていた。リモは寝息をたてている。

 ルガーは暖炉に丸太をくべる。すると少し離れた位置から小さな声が聞こえる。

 「……こ・こ・後悔するぞ……」

 ルガーは無視して火掻き棒で丸太を弄る。

 「い・い・いいのか?わわ・ワシは町長だぞ。騎士団の上の方ともコネがある……」声は明からに震えていた。

 「上の方? 団長の知り合いか?」ルガーは小声で応える。

 「……そ・そ・そうだ。わしはカルネさんにか・か顔が効く……。早く……こいつを何とかしろ……」

 ルガーはソファから立ち上がると、部屋の隅に歩き出した。部屋の隅には木製の衝立があり、男物の上着、シャツ、ズボンが掛けてある。ルガーは衝立をどける。そこには白いバスタブがあった。バスタブの中には頭の禿げあがった初老の男がいる。

 「……こ・ここの氷を何とかしろ……」

 バスタブの中は氷で満たされていた。男の首から下は全てバスタブの中で氷漬けになっていた。

 「団長の知り合いなら、なおさら丁重に扱う必要があるな。ゆっくり浸ってくれ。だが今、オレの相棒は寝てる。少し静かに頼む」

 「……ね・寝てる?この氷の魔法を掛けたのはお・お・女の方だろう?寝てるのに……な・な・何で魔法が解けない?」

 「さぁな。オレには魔法の事はさっぱり分からん」

 (僕は男だよ)

 リモのテレフォノが聞こえた。

 「起きたか、リモ」

 (僕の魔法は特殊でね。いや特異体質といっていい。一度魔法を掛けると、僕が意識的に解除しない限り効力が消えないんだ。多分、永遠に……)

 「ええ……永遠だと……?! ふざけるなよ! このカマ野郎!」

 (まだ、反省の色が見えないみたいだね。制服兵を連れてきて、このバスタブを教会前広場に運ぼうよ)

 「傑作だな。広場の真ん中で風呂に入る男か。じゃあな、また来る」

 ルガーとリモは部屋を出て行こうとする。

 「おい! 待て! 嘘だろ? やめろ! 認める。そうだ。ワシがやった!教会前はやめてくれ!頼む!」

 リモはドアを閉めると、踵を返してバスタブの横に立つ。男の鼻先に紙とペンを差し出す。

 (供述書にサインしろ)

 「くそっ!! 何でお前らの”でっちあげ”にサインしなきゃならんのだ! くそっ! くそっ! くそっ!」男は悪態をつきながら、かろうじて動く手でサインをした。リモは供述書とペンを男の手から指先で摘まむように取り上げると懐にしまった。

 「ワシはどうなる?」男はリモを睨む。

 (あの子達が十八歳になるまで、毎月一回銀貨二枚をこの口座に振り込むんだ)リモは男の額に小さな紙片を貼り付けた。

 「で……その供述書はどうなる?」

 リモは男に顔を近づけて、男の目を睨む。

 (支払が滞れば新聞社に送られる)

 「くそったれ!!」

 男の唾液がリモの顔に掛かる。それを見て男は下品に笑った。

 (アグア・ソルベッテ!)

 バスタブの氷が膨張し始める。氷はバキバキと音を立て始めた。バスタブに亀裂が走る。

 「おい!ワシはサインしたぞ!魔法を解いてくれるんじゃないのか?ええ?!」

 ルガーはリモを見る。リモは既にドアに向かって歩き出している。ルガーも後に続く。

 バスタブはギシギシ音を立てていたが、突然、派手な音を立てて真っ二つに割れた。後にはバスタブの形をした氷に浸かった男が残された。

 ドアを出る直前のルガーはそれを見て笑う。

 「その姿で教会前に置いた方が良かったかな? 広場の真ん中でバスタブも無いのに風呂に入る男たぁ傑作だ。じゃあな、町長!」

ルガーとリモは部屋を出た。ルガーがドアが閉めると、部屋の中からザブンという水の音と男が床にぶつかる音が聞こえた。

 「解いてやったのか」

 (凍傷にでもなってお金の振込みが無いと困るしね)リモはレースの付いたハンカチで顔を拭きながら応えた。

 ルガーとリモは廊下を歩く。長い廊下にはずらりとドアが続く。床は分厚い絨毯が敷かれ、足音を消していた。壁には裸婦像ばかり掛けられている。

 やけに大きな階段を降りる。踊り場にはオーク材の机が置かれ、その上の豪奢な壺に大量に生けられたバラの花があった。

 「”薔薇の館”か……」ルガーが言った。

 ルガーとリモは階段を降りて一階にあるバーの横を通り過ぎる。深夜なので客は一人もいない。僅かな明かりの中でボーイが黙々と掃除をしている。カウンターに腰かけて何やら帳面のようなモノを見ていた小奇麗な老女がルガーとリモに気付いて顔をあげる。老女は何も言わず微笑む。金歯が鈍く光る。

 ルガーはリモに小声でささやく。

 「笑ってやがる。あのババァ」

 (いずれ逮捕する。必ずね)

 ルガーが裏口から出ようとした時だった。リモは裏口横の小さなドアをノックした。

 しばらくするとドアが僅かに開いた。

 (この本で学ぶんだ。読み書き計算はきっと君を助ける)

 そう言ってリモは本を数冊差し出す。小さな両手がドアの奥の暗闇から現れた。本を掴むと「ありがとう」と男の子のかぼそい声が聞こえた。リモは頷くと小さな紙片を差し出す。

 (この口座に毎月お金が入る。このお金は本当に必要な時以外は使っちゃダメだよ)

 ルガーは本を持つ小さな手を見た。そこには真っ赤なロープで縛られた跡が残っていた。

 「うん。分かった!」

 リモは紙片を本の間に挟んでやる。小さな両手は暗闇に消えた。ドアが閉まる。

 ルガーとリモは裏口から出た。王都特有の崖に張り出すデッキのような木製の道を歩く。

 「よく、本なんて持ってたな」

 (さっきの部屋で本棚から失敬したのさ。どうせ飾ってあるだけだ。あの子にあげた方がよほど役に立つよ)

 そう言うとリモは道の脇で眠る浮浪者の前にコインを投げた。


 ヒヨコ豆が煮えたぎっていた。ルガーはフライパンを取り上げると豆とサラミを口に流し込む。空になったフライパンを置く。

 氷漬けのリモの顔を見る。ルガーにはリモが普段よりも幼く思えた。

 鋼鉄の義手と小銃にカートリッジを装填すると、残りの弾丸と爆弾を腰の革袋に入れる。

 残りの荷物は座席の間に隠すように置いた。空になった背負子に氷漬けのリモを乗せてロープで固定する。ルガーは背負子を背負って立ち上がる。

 ルガーは走り出す。走ってドーム状の建造物から飛び出す。白い街は明るい。天井の穴から満月が見えた。

 「満月か。全く、ツイてンのか?ツイてねェのか……」そう呟いたルガーの口、というより頭部全体が白い毛で覆われ始めた。口が横に裂けて口角が耳のすぐ手前に移動した。瞳は黄色く輝き、犬歯と舌は長く伸びて口の外に飛び出す。

 ルガーの頭部は白い狼になっていた。狼の頭部が人間の体に生えている。生身の右手は毛で覆われていた。あとは服を着ているせいもあって、以前のルガーとそう違いは無い。走り方も人間と同じだった。ただし速度はリモの全力疾走を優に超えていた。広い道路にはルガーの走った足跡が亀裂と共に残された。ルガーは白い街を流れる川を目指す。

 不意に火球が飛んできた。

 ルガーはジャンプして火球を避ける。ジャンプは数十メートルに達して、道の両脇の建物の上がルガーの視界に入る。屋上には数十人のエルフガルド兵と移動用車輪を備えた大砲が見えた。

 「見張りか?あんなモンよく上まで引き上げたな。ご苦労なこった」

 そう言った後ルガーは足元に奇妙な熱さを感じた。ルガーは下を見る。火球が足元に迫っていた。

 「追いかけてくる奴か?!」

 そう叫んだルガーに火球が直撃する。ルガーは道路に落ちていく。真っ白な毛が焦げている。エルフガルド兵たちはルガーの落下地点に大砲で狙いを付ける。さらに追い打ちの火球が、落ちていくルガーのすぐ後ろを追尾していた。

 ルガーは落下中に懐から爆弾を出す。義手の指をスナップさせて火花を作ると、導火線に点火。地面に落とす。派手な光と音がして、爆風でルガーは前方に吹っ飛ぶ。空中で姿勢を整えると、足が地面に触れると地面を全力で蹴った。直後、ルガーの後ろで大砲の弾着があり、前につんのめる。背中に背負ったリモの位置がズレれる。リモの顔が見えた。リモの顔を覆う氷には傷一つない。

 「たいした氷だ」ルガーはリモの頭を噛む。硬い氷には歯も立たない。

 ドン!背中のリモに火球が直撃する。衝撃でルガーはでんぐり返しのままゴロゴロ転がり、しこたま頭を打った。

 「くそったれ!どこから狙ってやがる?!」でんぐり返しで足が地面に着いたタイミングを捉えてルガーは立ち上がる。

 「舌噛んだぞ!くそっ!」血だまりを吐き出してからまた走り出す。

 火球と砲撃は執拗にルガーを追う。だがルガーの速度があまりに速く当たらない。

 ルガーはふと、道の両脇に大砲がずらりと並んでいるのに気付いた。

 「随分持ち込んだな。十二ポンド砲か?……弾はどこだ?」

 十字路を横切る際に、隣の大通りに山と積まれた砲弾がルガーの目に入った。

 「あれか……」

 ルガーは道の脇に立ち並ぶ、真四角な構想建造物の壁を走りながら駆け上がる。斜め上に走り抜ける形でそののまま屋上に出る。高さの異なる屋上を軽々と飛び移りながら疾走する。

 ルガーの眼下には二つの大通りが見えている。片方の通りには大砲が道の両脇にずらりと並び、片方の通りには砲弾の山が山脈のように連なっている。

 狙いやすいのか、砲弾が水平射撃で飛んでくる。砲弾はルガーの手前で炸裂する。屋上が吹き飛ぶ。

 「あれは始末しといた方が良いな」

 ルガーは鋼鉄の義手の腕の部分を右手で後ろにガチャリと引くと、砲弾のある通りの方に飛び降りる。ルガーを追って火球も追尾してきている。

 ルガーは落下地点の直ぐ隣の弾丸の山に鋼鉄の義手を撃ち込む。義手を撃ち込まれた砲弾の山は爆発し、隣の砲弾の山が誘爆する。誘爆が次々と起き、道の両側の建物はドミノ倒しのように遅れて倒壊していく。

 ルガーは最初の爆発の反動で、反対側の砲弾の山の中に吹っ飛んでいた。砲弾の山に埋もれながら、鋼鉄の義手を撃ち込む。やはり爆発が起き、誘爆がさっきとは反対方向に走っていく。

 辺りを白い廃墟に変えたルガーは全身黒焦げで煙が立ち上っている。真っ黒なルガーは再びリモを背負い直して、川を目指して駆け出す。

 ルガーは川に着くと、川べりを走るのではなく、川の真ん中を突き進む。水はルガーの両側にうず高く掻き分けられ、ルガーの通った直後は川底から水が一切無くなり、白い陶器のような川底が露わになる。ルガーが通り過ぎるとすぐに水で埋まっていく。

 全身真っ黒だったルガーは川の水で綺麗になっていた。

 ルガーは滝に近づいていた。川はそこで終わっており、暗い漆黒の穴に落ち込んでいる。いや、漆黒の穴のはずだった。以前ルガーがこの滝を見た時はそうだった。何しろ、穴は何十層にも連なるこの遺跡を一筋に貫く縦穴だからだ。天井から差し込む陽の光も途中までしか届かない。まして今日は月夜の夜だ。だが今、ルガーの進行方向にある巨大な穴からは、ぼんやりとした明かりが発せられていた。

 ルガーは気にしない。気にしている場合ではないからだ。一刻も速くマレクに戻って、リモを解凍して、回復魔法を受けさせつもりだった。

 (だめだよ。冷凍状態で三日も過ぎれば、回復魔法を以てしても蘇生は不可能になる)

 ルガーの頭の中でリモの言葉が思い出された。

 ある海賊の頭目を生け捕りにしようとした時のことだ。

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