第2話

 ああ、本当にこいつ、死んじまうんだな……。こいつには今まで楽しいことがあっただろうか。愛された思い出は……あったんだろうか。こいつは……違うと思いたい。今まで身勝手な願いを叶えろと言ってきたニンゲン共とは違う……。


「なぁ。おまえ、なにか叶えたい願いとかあるか?」

「かなえたい……ねがい?」

「いろいろあるだろ? 腹いっぱいごはん食べたいとか、可愛い洋服着たいとか……どうしても会いたい人がいるとか、さ」


 いや、幼いとはいえこいつもニンゲンだ。もしも欲にまみれた願いを言ってきたらさっさと魂だけ回収しちまえばいい。


「ううん、なんにも……。あ、でもひとつだけ、ある……かな」

「なんだ? 何でも言ってみろ」

「うん……あのね、おかあさんに……『どうしてうんだの』ってききたいなぁ」

「………………は?」


 ――言葉が出なかった。こんな小さなこどもがおよそ口に出す事はないだろう悲しい願いに、少年はなにも声を掛ける事が出来なかった。


「なんで、うまれて、きたのかな……『わるいこで、ごめんなさいって……うまれてきてごめんなさい』って……おかあさんに……いわな…………きゃ…………」


 少年の隣で横たわるこども。ただの"いれもの"と化した物体から色を持たない魂が抜け出てくる。


「ふざけんなよ……産まれてきちゃ駄目な魂なんかあるわけねぇだろ。産まれてきてごめんなさいって……そんな事言うんじゃ、ねぇよ」


 しばらくの間、少年は身動きする事が出来ずにいた。体の真ん中にぽっかり穴が空いたようなこの気持ちはなんなのか。身勝手なニンゲン共に裏切られた時の虚しさとは違う、埋める事の出来ない空虚さに少年は戸惑っていた。


「おやおや。抜け出た魂をそのままにしていると悪霊になってしまいますよ?」

 貴方はいつもそうやって失敗してきたでしょう? と少年の前に現れた黒い影がたしなめる。


「……なんで、お前がいんだよ」


 黒い影はやがて形を成し、すらりとした長身の死神へと変化した。


「おや? ずいぶん水くさいですね。昔の仲間が間違いを犯そうとしているのを未然に防いで差し上げているというのに」


 長身の死神は少年に笑みを向けると傍らで浮遊しているこどもの魂に目を留める。


「やれやれ。まだいれものと魂の分離も済ませてないのですか」


「……いまからしようと思ってたんだよ」


 のろのろとした動きで背中にある鎌に手を伸ばす。ふわふわ動いているこどもの魂と本体を繋ぐ部分に鎌を充てがい引いた瞬間、「おにいちゃん、ありがとう」と小さな声が少年の耳の奥に響いた。


「では魂を回収して任務完了です。……いつもこうだと大変有難いんですがね。だいたい貴方は人間に肩入れし過ぎなんですよ。ですがこれでひとまずは、貴方の消滅は回避出来ましたね」

「……なぁ」

「はい? なんでしょう?」

「こいつの魂って次の行き先わかってんの?」


 なぜそんな事を、と少年を訝しげに見やりつつも、顎に手を掛け追想する長身の死神。


「ええと、確か人間はよほどの悪事をしない限り再び人間として生まれ変われる様ですよ」


「生まれ変わったとこでまた同じ運命辿ったりとか、あったりすんのか?」

「それは私共の預かり知らぬところですから。けれどまぁ、この魂が次にどんな運命を望むかで変わるでしょうね。あぁでもこどもの魂は往々にして同じ親の元にまた生まれ変わりたがる傾向が強いですから、同じ運命を延々と続ける可能性は否定できないでしょうね」


「ふぅん。……そうか。わかった」


 そう言うと少年は本体から切り離したばかりのこどもの魂を両手で包み込み、その魂に自分の力を注ぎ込む。


「……っな、にを……何を! 何をしているんですか?! 貴方は! そんな事をしたら貴方は消滅してしまうのですよ!」

「……構わねぇよ」

「駄目です! 今すぐ離しなさい!」

「嫌だ!」

「何故です!? 貴方は人間など嫌いだとずっと仰っていたでしょう! その人間の為になど何故?」

「わかんねぇよ! わかんねぇ……けど、けど! こいつだけはなんか違うんだよ。こんな汚ぇニンゲン共のなかでこいつだけは……違ったんだよ」


 無色だったこどもの魂が薄く桃色に色づき力強い光を放つ。同時に少年の体はますます縮んでいき、次第に輪郭がぼやけ始める。


「こいつ、母親にひどい扱いされてたはずなのに……それでも母親の事を最期まで悪く言わなかったんだ。文句のひとつでも言えばいいのによ……。そんな奴が生まれ変わってまたあの母親のとこなんかに産まれてみろ。どうなるかなんてわかりきってるだろうが!」


「次に生まれ変わって来る時には愛されるかもしれないでしょう? その可能性がないわけではないでしょう?」


「そんなもんわかるかよ……母親にどうして産んだのか聞きたいなんて悲しい事二度と言わねぇように、そんなもん聞く必要ないくらい無条件に愛される様に……絶対に守ってやんなきゃいけないものに生まれ変わらせてやるんだよ!」


「だからといって……だからといって貴方の命を差し出す必要はないでしょう!」

「必要はある! だって言ってくれたんだ。こいつ、オレサマに。『ありがとう』って。『ありがとう』なんてニンゲンから言われたの初めてだ。こんなに心が温かくなる言葉があったなんて知らなかった。だからこれはオレサマからのこいつへの贈り物……なん、だ……」


 ぱさりと少年が身につけていた黒い衣が地面に落ち、少年の命を貰った魂が新たな器を求めて飛んでいった。

 

「馬鹿です。貴方は。もっと上手く立ち回る方法を探せばいいだけでしょう」


 長身の死神は黒い衣の横に置いてあるたくさんのお菓子を見つけてふっ、と笑みを零す。


「馬鹿な上に嘘つきですか……。人間が嫌いだとあれほど言っていた割に人間の振りをしてお菓子をせしめていたとは……」

 本当は人間に憧れを抱いていたくせに……と少年の黒い衣を持ち上げてそれをお菓子の上に載せる。


「やれやれ。どうやら貴方にほだされた様ですね。まぁ確かに幸せになってはいけない命など、この世にひとつとしてあるはずありませんからね」


 これは私から貴方への新たなる門出のはなむけの代わりです、と少年がこどもの魂にしたのと同じく命を注ぎ込むと黒い衣とたくさんのお菓子は球体に形を変え、こどもの魂のあとを追いかけるように飛んでいく。


「貴方もただ愛されるだけという経験をしてみなさい。そして貴方が信じたそのこどもを責任を持って守り抜いてみせなさい」


 ふたつの魂が同じ場所に降下したのを見届けた長身の死神は、少し低くなった視界に「やれやれ……」と自嘲を浮かべた後、一瞬のうちにその姿を消した――。

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