第11話
――夜
マレクの王子ピスタはトクビルの部屋にいた。
ある書類を探すためだ。
ピスタは一年を掛けてトクビルの部屋を徹底的に調べてきた。だが探している書類は未だ見つかっていない。
その書類とは議会の議事録と国家予算の計算書である。ピスタは丁度一年前にそれらが王宮の書庫からすべて紛失している事に気付いた。
議会を掌握し国の運営を一人で取り仕切ってきたのはトクビルである。ピスタはトクビルがそれらの書類を隠し持っていると確信していた。
トクビルの部屋の書棚には棚板のふちに蔵書の分類ごとに金属製のプレートが張り付けてある。『議事録』という分類もご丁寧に存在する。だがそのプレートの下には何もない。ぽっかりと書棚には空間が開いている。『議事録はここにはないぞ』と言いたげである。
今日は机を調べる予定だ。
ピスタは大きなマホガニー製の引き出しを開けた。書きかけの書類、小冊子が二冊、ペン、インク壷があった。引き出しを全て取り出し、中の物を机の上に広げ、引き出しをたたいたり、さすったりしてみた。中に空洞はないようだ。
諦めて引き出しを机に差し込み、広げた内容物をしまうと引き出しを押し込んだ。
何かおかしい。
違和感があった。
違和感の原因はわずかな出っ張りだった。引き出しが最後まで閉まらず、数ミリだけ出っ張っているように見えた。
元からだろうか?
この隙間は元から開いていただろうか?
それとも自分が何かヘマをして閉まらなくなったのだろうか?
記憶を辿る。引き出しは……ぴったり閉まっていた……ような気がする。
ピスタは引き出し全体を上に持ち上げてから押し込んだ。
引き出しがぴったり収まった。
直後、床下からゴロゴロと石臼を引くような音が響いた。
ピスタは引き出しの下を覗き込んだ。
「何だ? ……えっ?!」
机の下の床に穴があった。
「うわっ?!」
ピスタは驚愕した。その穴から女の頭が現れたのだ。
女と目があった。
女は穴から這い出ると立ち上がった。ピスタよりも背が高い。
床下から先ほどと同じようにゴロゴロと石臼を引くような音が響いた。
ピスタが机の下を覗き込みながら言った。
「塞がっちまった……。お前は何者だ? オレはピスタ。ピスタ・ド・マレクール五世だ。控えるなよ」
女は驚いているようだった。
(王子……。 私はリモナーダ・ベルデと申します。…………騎士……です)
女は頭の中に直接語り掛けてきた。
「念会話か……」ピスタは声をひそめて応えた。
「騎士のリモナーダとやら」
ノックの音がした。
「トクビル様……? いらっしゃるので?」
扉の向こうから女の声が聞こえた。先ほどピスタが驚いた声を聞きつけて誰かが来たのだろう。
ピスタとリモは声を潜めた。
ピスタはリモの顔を見つめた。月光に照らされた美しい亜麻色の髪、大きな瞳にまっすぐ通った鼻筋、柔らかそうな唇。愛想の無い仏頂面ではある。だがすぐにでもむしゃぶりつきたくなるような美人だ。
しばらくしてノックの主はドアの前から立ち去ったようだった。
「貴様何処から現れた?」
(鉱山からです。この部屋と鉱山は繋がっています)
「どういうことだ? 説明しろ。いや、説明するな。聞いたろ? この部屋はオレの部屋じゃない。おしゃべりするには不向きだ。一端退散だ。付いて来い」
(……はい)
ピスタは来たときと同じようにテラスから空中庭園に出た。リモも後に続く。
(鍵は掛けなくとも?)
「必要ない。この時間帯はテラス側の扉は開いてる」
(遊女の通り道ですか?)
「察しがいいな」
ピスタは笑った。
ピスタとリモは空中庭園の石畳をひたひたと移動した。
二人はピスタの部屋のテラスに到着した。先に部屋に入るようリモを促す。
ピスタはリモのすぐ後ろから部屋に入る。リモの亜麻色の髪がピスタの鼻をくすぐった。ピスタはリモに飛びついて押し倒したい衝動にかられる。いつもなら女を自室に入れればそうしていたが今は我慢した。書類の入手が先決だ。
ピスタはリモをベッドに座らせると、自分は近くの椅子を引いてリモの間近に座る。
「トクビルの部屋と鉱山が繋がっていると言ったな?」
(はい)
「城から鉱山への抜け道があるとは思っていたが……まさかあの部屋だったとは……」
(あの部屋は王の私室ですね)
「ああ元々はな。摂政ごときが使って良い部屋ではない」
(であれば抜け道の存在も隠し部屋の存在も不思議ではありません)
「隠し部屋?」
(はい。机の下の隠し階段を降りると隠し部屋があります。その部屋を出ると長いトンネルが続きその先が鉱山です)
「分かった! 聞けばなんの事はない。その部屋だ!」
ピスタはリモの前でしゃがみこんで、リモの両ももを掴んだ。
その隠し部屋に求めている書類がある。ピスタはそう確信した。
「ここはオレの部屋だ。もう念会話を使う必要はない。普通にしゃべっていいぞ」
(私は幼い頃の事故が原因で声が出せないのです)
「声が出せない? それはそれは……」
ピスタは眉をしかめた。
「で、リモナーダ。貴様はどこから鉱山に入ったんだ? 鉱山へ入るにはいくつものチェックを抜ける必要がある。部外者の侵入は不可能だぞ」
ピスタはリモのももの付け根を揉み始めた。
(……はい。『気狂いの洞窟』から鉱山に入りました)
「北東門のブドウ園の外れだな。何故入った? 入れば発狂するという言い伝え知らないのか?」
(……実は私はブドウ園でオークに襲われたのです。オーク達は現れたときブドウ畑の上から降りてきました。ブドウ園の上には『気狂いの洞窟』のある岩場が広がっているだけです。人目につくオークが王都を歩いて移動して来たとは思えません。王都でオークのいる場所は鉱山しかありません。とするとオークは『気狂いの洞窟』から出てきた。洞窟は鉱山へつながっていると考えました)
「だが入れば発狂するんだぞ。それだけの推測でよく入ったな」
(いえ、あの洞窟での発狂の原因は知っていたのです)
「事件……? 『神憑き事件』のことか? あれをお前が解決したのか?」
(はい。洞窟内で吹き出す有害な炭酸ガスが一時的に人間を錯乱状態にしていたのです。ガスを吸わないよう息を止めれば良いだけです。そして鉱山と城内それも王の部屋とがつながっていると以前より確信していました)
ピスタは執拗にリモのももの付け根を揉み続けた。そしてリモの顔をまじまじと眺めた。
こいつ……。城内の博士共よりも博識という訳か。使える! こんな女が騎士団にいたとは……。
リモの顔がわずかに上気してきたのを見て笑みがこぼれる。
「で、そのガスを吸わないようおまえが息を止めたとして、おまえの我慢の限界内に洞窟を抜けられる保証は無かろう?」
(我々を殺せなかったオークはテラトロンで始末されました。つまりあの時トクビルもブドウ園にいたのです。当然トクビルも城に戻るために洞窟を抜けたはずです)
「なるほど。トクビルが若いおまえより長い間息を止められるとは思えんな。で洞窟を抜けると鉱山に繋がっていたと」
(はい……ェ!)
ピスタはリモナーダの両肩を掴んだ。
「何故、トクビルがテラトロンを使えると知っている!? 貴様何者だ?」
リモナーダは大きな目を開いてピスタを見た。
ピスタもリモナーダを見つめる。
しかし……見れば見るほど良い女ではないか!
「あら。王子。今日は私の日でしょ?」
テラスから仮面を着けた派手なドレスの女が入ってきた。はだけた胸元はまるでメロンのように重そうで今にもこぼれおちそうだった。
「今日はいい。帰れ」
ピスタはその女の足元に金貨を投げた。女は床に落ちた金貨を拾うと「ごゆっくり」と笑って再びテラスに姿を消した。
「もうこんな時間か……。時間が無い。リモナーダ急ぐぞ」
ピスタはリモナーダの手を取ると再びテラスから空中庭園に出る。
美しい満月が空中庭園を照らして、夜にも関わらず植木の影がくっきりと見える。ピスタは立ち止まった。
「オレはトクビルを失脚させ、法廷の場で裁くつもりだ。お前が何者か知らんがトクビルを恨んでいるならオレに協力しろ」
(トクビルを裁く……どういった罪で?)
「横領だ。奴はマレクの国家予算を横領しているはずだ」
(はず……というのは?)
「簡単な話だ。入と出が合わない」
(歳入と歳出の事ですか?)
「そうだ。帳簿はいじれても、金を抽出する際に排出されるスラグの量はごまかしようがない。スラグの量からして金の算出は十五年前の五倍以上になっている計算だが、帳簿上、歳入は毎年減ってる。しかもその差を増税で補ってやがる」
リモナーダは黙って頷いた。
(増えた金の採掘分以上の金が丸々消えているということですね)
「そういうことだ。隠し部屋に案内しろ。隠し階段を開ける仕掛けを探せ」
(今からですか? 明日にした方がよろしいのでは?)
「戴冠式は明後日だ。事は急ぐ。奴は用心深い。証拠を消す前に手に入れたい。証拠を手に入れた後なら鉢合わせしても構わない! そろそろ遊女の来る時間だ。いつもならトクビルはあと三十分程で部屋に戻る。五分で仕掛けを探せ!」
(分かりました。王子はあの部屋はどこまでお調べになっていますか?)
「ああ。机、書棚、ベット、壁、床を徹底的に調べた。机の下の床の色が他と違うのも知っていた。だが石の床を砕くわけにもいかないのでそのままにしておいた」
(であれば、仕掛けの場所は分かりました)
「なんだと!? ろくに部屋も見ずにか? お前は向こう側から現れた。トクビルの部屋の仕掛けを動かしたことはないだろ」
(はい。ですが、いま王子が仰ったではありませんか?机、書棚、ベット、壁、床を徹底的に調べたが何も無かったと)
「それがどうした?」
(机、書棚、ベット、壁、床には仕掛けが無い(、、)ことが分かります)
「バカにしているのか?」
(そうではありません。部屋の中のモノにも、床にも壁にも怪しい点が無い(、、)のであれば、あとは何があり(’’)ますか?)
ピスタはトクビルの部屋を思い浮かべた。モノにも、床にも壁にも何もない。残るのは……。
「天井か……」
(ええ、おそらく机の真上の天井に仕掛けがあると思います)
「よし! ここからは喋るな」
ピスタとリモはテラスからトクビルの部屋に入った。
トクビルの部屋には誰もいなかった。
ピスタはトクビルの机の上に上がろうと手を着いた。だがリモが音もなく飛び乗ったのでやめておいた。目の前にリモのすらりとした足があった。
リモは天井をじっと観察していたが、ある一か所を鞘に収まった剣で突いた。
ガコン。
ゴロゴロと音を立てて机の下の床が開き階段が現れた。
リモが机から飛び降りると階段を静かに降りていく。ピスタは思わず笑みがこぼれたががすぐに真顔に戻して後に続いた。
階段はらせん状になっていた。二人は階段を下る。
やがて入口は閉まり、わずかな月明りも消え、暗闇となった。
らせん階段の中心の石柱に手を這わせ、階段を何周も下った。
真っ暗闇の中、何周もしてようやく階段が終わった。
真っ暗で何も見えない。先にリモがいるかどうかも怪しいほどだ。
ピスタが一歩足を踏み出す。ボッと音がして部屋中のランプが灯った。
先ほどのトクビルの部屋と寸分違わぬ書棚、机、ベット、床、壁だ。
「どういうことだ? 上の部屋とそっくり同じじゃないか。何のために……?」
(強いて言えば効率でしょうか?)
「効率?」
(はい。部屋のレイアウトを上の自室とこの隠し部屋で同じにすることで、何処に何があるのか、部屋のレイアウトに煩わされることもなく事務処理が行えるので効率的なのだと思います)
「とすると……議事録はこの棚か?……あった! 本当にありやがった!」
ピスタは書棚に駆け寄ると『議事録』コーナーで目当ての本を見つけた。上の部屋では何もなかった『議事録』コーナーだが、この隠し部屋ではちゃんと書棚に本が収まっており、反対に上の部屋にはあった『歴史書』コーナーの蔵書はこの隠し部屋ではそっくり空になっていた。
「これだ! 十五年前の王立議会の議事録だ」
ピスタはページを操りながら言った。
(どういうことです?)
リモも横からページを覗いて言った。
「この年の議事録たけがどうしても見つからねえ……何か重大な決定があったはずだ……大臣共もどうしても口を割らねぇ……あった! これだ!」
第402回 王立議会 円卓会議
第四紀301年七月四日 午後二時 玉座の間
概要
摂政トクビル卿は隣国エルフガルドとの戦争を回避するため下記の通り経緯及び原案を説明した。
賛否を議場に諮ったところ、議会の三分の二以上の賛成をもって原案どおり承認可決した。
経緯
エルフガルドがマレクに対して外交文書を送付してきた。
内容はトラス村での虐殺事件の損害賠償の要求。要求に応じない場合は開戦も辞さない旨の記載あり。
事実上の条件付き宣戦布告である。
トラス村の虐殺事件が何を指すのかは不明ではあるが、おそらくは我が国の四英雄によるドラゴン討伐を指すものと思われる。
オストラス山は我が国とエルフガルドの両国が領有権を主張しており、その地に生息するドラゴンの所有権もまた係争中であると判断される。
損害賠償に応じることはエルフガルドによるオストラス山の領有権を認めることになるためこれはできない。しかしながら王都市民の安全のため、エルフガルドとの戦争は避ける必要がある。
そこで原案を以て解決にあたりたい。
原案
エルフガルドのトラス村近辺の土地購入代金として、毎年金貨三万二千枚を二十年間エルフガルドに支払うものとする。
ただし購入した土地の管理は今後もエルフガルドにより行われるものとする。
「ざけんな!」
ピスタの声は震えていた。
「金貨三万二千枚だぞ。金貨三万二千枚! 冗談じゃねぇ! 国家予算の三倍だ! ……十五年もこんな事を続けてマレクは空っぽだ!」
(王子……他に見て頂きたいものがあります)
「うるせぇ!! 少し黙ってろ!!」
(ですが、この機会しかありません)
「一体何だ!」
リモナーダは小走りに駈けて隣室の扉を開けた。
ピスタの目に飛び込んできたのは大量の頭蓋骨だった。
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