第10話

 ルガーは垂直に切り立った崖に穿たれた溝のような道を慎重に移動していた。

 それは道とは名ばかりの、壁に刻まれた三十センチ程のわずかな足がかりだった。道の所々に鉄の棒が壁面に打ち込まれており、その棒を掴むと一息つけた。

 棒を掴んで下を覗き込むと目も眩むような高さだった。遥か眼下の谷底に水の無い川筋が見えた。ずっと眺めていると吸い込まれていく気がした。思い切って飛び降りた方が楽な心持すらしてくる。

 ルガーが歩いている壁面と谷を隔てた反対側にも向き合うように壁面が続いている。この壁面こそがオストラス山の一部だった。見上げると垂直な壁面はそのまま雲まで到達している。

 日の光があるうちは食事も取らず壁面を移動した。排尿・排便はたれ流すより他無かった。

 暗くなると、鉄の棒にロープを結んで荷物と体を固定して立ったまま眠った。

 そうして進んでいると、道幅が広くなり人がすれ違える程になってきた。

 ルガーは止まって荷物を道におろした。そして火を起こして豆を煮た。豆に瓶詰のチリソースを掛けてチリコンカンをこしらえた。久しぶりのまともな食事だった。

 横になって熟睡したいとの誘惑を振り切り先を急いだ。

 寝不足でもうろうとしてきた。眼玉が意思に反してあちこちに動き回り、視線が定まらない。寝ながら歩いていたらしい、体がぐらりと谷側へ落ちかけた。

 急いで壁面を掴もうとするが、運悪く掴めるような手がかりはない。手が宙を掻き、体は谷側へ吸い込まれる。

 「マズッ! 」小さく叫んだ。

 構わず鋼鉄の拳を壁面へ打ち込んだ。鋼鉄の拳が壁面に突き刺さる。ルガーは壁面にぶら下がった格好になった。

「ふう……」

 宙づりの姿勢になりながら、少し先の反対側の崖の壁面に人工的な建造物があるのを見つけた。

 石造りのアーチとそれを支える柱だった。アーチと柱に囲まれた空間には黒々とした穴が口を開いていた。

 ついにオストラス山の入口にたどり着いたのだ。

 ルガーは突き刺さった鋼鉄の拳を力いっぱい引き抜く。勢い余ってまた崖から落下しかけたが、鋼鉄の拳が開けた穴に手を掛けて落下を免れた。

 その姿勢のまま靴を脱ぎ棄てた。鋼鉄の拳の指を岩肌にひっかけ、手足の指先を器用に使って崖を登った。

 何とか道まで戻ると、小走りでアーチのあった地点まで進んだ。谷を挟んだ向こう側にアーチが見える。

 「どうやって向こう側まで行けゃいい?」

 反対の壁面との距離は三十メートルはある。吊り橋やロープは見あたらない。

 「必ず、渡る方法があるはずだ」

 足下を見て気付いた。道はまだ続いている。道はすぐ先で大きくカーブしており先は見えない。

 「この先にまだ何かあるのか?」

 道を先に進むと道幅はさらに広がって、広場になっていた。

 広場の壁面には長い鉄の棒が何本も埋め込まれている。

 棒を強く引くと壁から外れた。棒の長さは約二メートルほどだった。端を見るとねじ山が切られている。別の棒も引き抜いて断面を見ると、今度は内側にみぞが切ってある。

 棒同士をつなげることができる。ルガーは鉄の棒を次々と壁から外しては組み立てた。

 結局向こう側に届きそうな長い鉄の棒が三本できた。

 道のふちには、鉄の棒をセットするためにU字型のリングが何十個も打ち込まれていた。だが完成した棒は三本しかない。長い年月のうちに鉄の棒が失われていったのだろう。

 慎重に一本ずつ谷間に棒を渡してU字型のリングにセットしていった。向こう側の崖に打ち込まれたU字型のリングへのセットに手間取りだいぶ時間がかかった。

 なんとか三本の鉄棒を渡し終えた。頼りない橋ができた訳だ。この上を歩いて渡るのは綱渡りと大差ないように思えた。

 ルガーはマスケット銃とロープを腕に掛けると他の荷物は全てその場に置いた。ありったけのカートリッジをポケットに押し込むと、意を決して鉄棒の橋を渡り始めた。

 渡り始めてすぐに谷間を抜ける風のせいでバランスを崩して棒から足を踏み外した。

 両手で鉄の棒を掴む。

 「やっぱ歩いて渡るのは無理か?」

 三本の鉄の棒を両手・両足で抱え込んだナマケモノのような姿勢で前進した。

 「これならいけそうだ」

 あと数メートルで渡り切れるというところで三本の鉄の棒の内一本が真ん中あたりの接合部で折れた。棒が谷底へ落ちていく。

 今度は残った二本の鉄の棒に片手ずつ掛けて雲梯の要領で前進していく。

 片手を離して前方に体を揺らした瞬間、つかんでいた方の棒が折れた。体が宙を舞う。思わず手を掻く。指先が棒に触れた。何とか棒を掴む。

 これで鉄の棒は一本となった。

 もはや残った鉄の棒が折れるのは時間の問題に思えた。

 「ここまで来て落ちるのは…………面倒だな」

 ルガーは思い切って体を揺らし壁面にジャンプした。ルガーが手を離した直後、鉄の棒は甲高い音を立てて真っ二つに折れた。

 壁面までの滞空時間がやけに長く感じられた。

 ドンッ! 

 道からはかなり下の壁面に激突した。丁度具合の良い出っ張りの上に足が乗ったおかげで壁面に張り付くことができた。

 肩のロープを上に放り投げる。道のふちに埋め込まれたU字型のリングにひっかかることを期待した。

 運良く三回目でひっかかったので、ロープを頼りに壁面を登った。

 なんとか道に戻ると、壁に手をついて息を整えてアーチのある場所まで歩いた。

 アーチの中に入った途端、その場で倒れて眠ってしまった。岩肌がひんやりとして気持ちがいいもんだと思った。



 ルガーとリモは『小さな世界』でいつもより豪華な夕食を食べていた。

 ルガーはローストビーフとTボーンステーキ。リモはミートパイとミートローフをほおばっている。

 いつもより食事が豪華なのはその日の午前中、王都の港に停泊していたドワーフの貿易船で起きた宝石盗難事件を解決したからだ。リモに感心したドワーフの船長が別れ際に金貨を一枚進呈してくれたのだ。

 「ドワーフってのは自分たちの国を持ってるのか?」

 (当然だよ。ドール半島はドワーフの国だよ)

 「えっ? オリハルコンの? そうかドールってのはドワーフの国だったのか」

 (そうだよ。知らなかったの? 精錬玉鋼鉄。いわゆるオリハルコンの武器で有名だね。カルネの斧もドール製だよ)

 「へぇ。ならドラゴンを倒せたのは斧のおかげか?」

 リモはルガーを睨んだ。

 「おいおい、自分で団長の名前を出しておいて勝手に不機嫌になんなよ。マスター! ワインおかわり! ジョッキでだ!」

 二人の前にワインが到着するとリモは一気に飲み干した。

 (でね、そのドラゴンが住むオストラス山もドワーフの遺跡なんだよ)

 「オストラス山が遺跡? 自然の山じゃねぇのか?」

 (勿論自然の山だよ)

 「勿体ぶるな。どういうことだ?」

 ルガーもワインを一気に飲み干す。

 (勿体ぶるな。フフフ。勿体ぶってはいないよ。だってマレクじゃみんな知ってることだもの。ドワーフはとても手先が器用で、長い年月の間に巨大な岩山であるオストラス山の内部をくり抜いて大きな都市を造ったんだ)

 「スイカみてぇだな。 すげぇなドワーフ。で何でその都市が遺跡なんだ? ドワーフはもう住んでねぇのか?」

 (ドワーフ達は千七百年前に、突如オストラス山から姿を消し、ドール半島に自分たちの国を建国している。これは民族学上の大きな謎なんだ。何故姿を消したのか? どうやって移動したのか? 全然分かっていないんだ)

 ワインのせいもあって珍しく興奮気味にリモが話す。

 「ドワーフ共自身は知ってるだろ」

 (それが全然分かってないんだ。ドワーフは昔から歴史を金属板に記してるんだけど千七百年前より以前の金属板の文字が今と全然違うんだ。その文字は三十種類しかないから、表音文字であることはわかっているんだけど、全く解読できてないんだ)

 「へぇ。てめぇで書いた文字が読めねぇとは間抜けな話だ。そうだな、こういう説はどうだ? ドワーフ共はオストラス山に飛んできたドラゴンに食われたんじゃねぇか。残った奴らは夜逃げ。ドラゴンは我が者顔でオストラス山に住み着いた。ドワーフ共はそれを恥じて、そん時の記録が読めねぇように文字を変えちまった」

 (フフフ……おもしろい説だね。でもドランゴンがオストラス山に住み着いたのは三百年前からだよ。それはエルフガルドの記録ではっきり分かっているんだ。ドワーフが消えたのは千七百年前だから、ドワーフとドラゴンは接触してないんだ)

 「ちぇっ。違うのか? お前はどう思う?」

 (ドワーフがなぜオストラス山から移動したのかは僕も分からない。でもどうやって移動したかは確信してる。僕はオストラス山の地下水脈が海とつながっていてドワーフ達は海路で移動したんだと思ってる)

 「山の中に川があるってのか?」

 (オストラス山内部の都市からは人口の川や巨大なため池も発見されてる)

 「山んなかに川や池か……すげぇな。そういや、都市って言ったな? どれくらいの大きさなんだ?」

 (縦に居住区が何層にも連なり、横にも延々数十キロ以上も広がってる。定期的にエルフガルドが調査団を派遣してるけど、遺跡の正確な大きさすら分かってないんだ)

 「大きさも分かってねぇのか。すげぇな……で、マレクは調査してねぇのか?」

 (前王の代までは調査を続けてたみたいだけどね。トクビルは全く調査団を派遣していない)

 「ふーん。どっちにしろすげぇ遺跡だ。団長やトクビルたち四英雄がそのとんでもなく広い遺跡を駆け回ってドラゴンを倒したってのは、すげえ事なんだな」

 リモは目を伏せた。

 「本当ならね……か……」

 ルガーはつぶやいた。

 ルガーは夢から覚めていた。

 アーチの中はトンネルになっていた。真っ白な大理石でできたトンネルだった。そのトンネルをルガーは進む。

 リモはドラゴンは生きていると言った。

 ドラゴンが生きている証拠を持ち帰る必要がある。

 ドラゴンのしっぽの先でもちょん切るか……だがどうやって? マスケット銃とロープしか持っていない。歯で食いちぎるのか?

 「ドラゴンを拝んでから考えるか」

 ルガーは独りごちた。

 だが、ドラゴンが生きているとして、四英雄はどうやってピスタ王子の命を救ったのだろう。

 王子が子供の頃重病から回復したのは確からしい。何しろ王子は今も生きている。

 四英雄がドラゴンを倒していなかったとしても、万病に効くと言われているドラゴンの心臓の替わりに何らかの方法で病気を治したのは事実だ。だがどうやって?

 「……面倒くせ。考えるのは後だ」 

 大理石のトンネルが終わり、突然だだっ広い空間に出た。

 ルガーの目の前に雪で覆われた巨大な街が広がっている。

 真っ白な街の建物は全て立方体の塔のようだった。見上げるばかりの高層建造物が無数に地面から林立している。

 建物だけでなく足元も真っ白だった。

 そしてそれは雪では無かった。

 地面は全て六十センチ四方ばかりのタイルのようなもので敷き詰められているのだ。タイルはクリーム色をしており、光を反射している。

 タイルをつま先で蹴るとまるで陶器のような音がした。

 空を見上げる。

 岩肌の天井が遥か高くにあり、ここがまだ遺跡の内部だと分かった。天井の所々に穴が穿たれており、そこから小さな青空が見えた。

 リモの言った通り、オストラス山の内部がカボチャのようにくり抜かれ、そこに都市が形成されているのだ。

 ルガーは建物に近づく。

 建物の素材も地面のタイルと同じ陶器のようだった。

 六十センチ角のブロックを積み上げて建物が作られていた。ブロックとブロックの隙間は針でけがいたようにぴったりと合わさっており一寸の隙間もない。

 ルガーは鋼鉄の拳を構える。

 ガンッ!! 思いっきり壁を殴ったがヒビすら入らない。

 「へぇ。対したモンだ」

 今度は建物の中をのぞく。内部も真っ白だった。テーブルや椅子まで白い陶器製だった。階段を上ると二階にはベッドがあった。やはり白い陶器製だった。

 「さぞ寝心地がいいだろうな」ルガーは笑った。

 不思議と何処にも生活の痕跡は無い。

 ルガーは階段を上り続けた。

 「次で二十一階だっけか……」

 十階くらいまでは部屋の中に椅子等の家具が置いてあったが、それ以上の階となると部屋の中は空っぽで何も無い。がらんどうの真四角な部屋に窓があるだけだった。

 ルガーは建物の頂上に辿り着いた。頂上には先ほど登ってきた階段を覆う小屋ような突き出しがある以外は平たんだった。ふちには胸の高さ程の手すり壁があった。

 ここからから眺めると遠くまで高層建造物の林が広がっているのが見えた。

 「どこだァ……?」

 ドラゴンの姿は無い。

 左手に川のようなものが見えた。橋のようなものも見える。

 一階まで降りて川の見えた方向に歩き出した。道は街を碁盤目状に走っているらしく直角に道が交差している。どの道の両側にも様々な高さの高層建造物が立ち並んでいる。 突然、大きな広場に出た。しばらく歩き回ってそれは広場ではなく幅百メートル以上の大きな通りだと気付いた。

 通りを進むと水の音が聞こえてきた。水の流れる音だ。

 音のする方へ進んでいくと突然視界が開けた。川があった。対岸の白い街が遠くに見える程の大きな川だった。

 川岸から川底まで全て白いタイルで覆われている。澄んだ水が流れている。流れは意外と急で大きな音を立てている。

 ルガーは川岸を滑るように降りて川の水の中にじゃぶじゃぶと入っていく。

 「冷てぇ!」

 澄んだ水を両手ですくって飲む。山水を引き込んでいるのだろう。水が冷たい。

 一息ついたので、川からあがって白い街のあちこちを探索した。

 子供の遊び場らしい小さな広場や墓地と思わしき場所等があった。だがドラゴンの痕跡すら見つからない。

 日が暮れてきた。

 天井に穿たれた穴から差し込む光が弱くなり、遺跡の中は暗くなってきた。

 適当な建物に入り、テーブルの上にマスケット銃を置き、椅子に座ると目を閉じた。



 周囲が妙に明るいのが目を閉じていても感じられた。

 ハッと気付く。

 ルガーは急いで建物の外に飛び出すと驚愕した。

 「何だ! こりゃあ」

 白い街全体が発光しているように見えた。

 高層建造物の窓という窓に全て煌々と明かりが灯っている。

 天井を見上げると穴から小さな三日月が見えた。

 「まだ夜だ……だがこりゃあどうだ。昼ひなかみてぇに明るい……」

 ルガーは先程まで自分がいた建物を振り返る。窓に明かりが灯っている。

 建物の中に戻って天井を見上げると、明かりの原因が分かった。天井全体が発光しているのだ。

 テーブルの上に乗って天井を触ってみた。じんわり熱い。

 『…ェ………』

 どこからか人の声が聞こえた。

 ルガーはテーブルの上のマスケット銃を取ると忍び足で階段を上る。三階まで来ると窓からそっと外を伺う。

 近くに走る目抜き通りが見えた。その通りの地面にオレンジ色の明かりが揺らめいている。

 火だ。

 誰かが火を焚いている。丁度通りの角の建物に隠れて、人の姿は確認できない。

 マスケット銃と鋼鉄の拳に薬きょうを込めると階段を降りて建物の裏手から外に出る。

 物音を立てないように進む。目的の建物の裏口に入る。

 一階の窓から通りを一瞬覗いてすぐにまた床に伏せる。

 目を閉じて今見た光景を頭の中に描く。

 ……薪火を囲んでいる二人組の男。……デブとノッポ。二人ともナリから見てロクなモンじゃなさそうだ。

 ……手にコップや食器を持っている。そういや、たき火の中に鉄なべがある……食事中か……武器は? デブの腰にナイフがぶら下がっているな。

 ……長い黒髪……女が一人いる! 手が後ろに回っている……ロープで縛られているな……人質か? どっちにしろ、やっぱりロクなモンじゃねぇ。

 ルガーは目を開ける。

 マスケット銃を構えようとした。

 (待ってください!)

 誰かがテレフォノが語りかけてきた。男の声だ。

 周囲を見渡す。向かいの建物の屋上に全身白装束の男がいた。白い服に白いズボン、白いマントまで羽織っている。男の顔つきは幼い。随分若いようだった。

 男は片方の手のひらをルガーに向けている。『待て』の意味だ。もう片方の手には小さな銃を構えている。ルガーには子供のおもちゃのように見えた。その銃を二人組の男達の方に向けている。敵ではなさそうだ。

 白装束の男はルガーに向かって待てのポーズをしたまま、顔を男達に向けて大声で叫んだ

 「ベルリーネ大佐! 手を挙げてください!」

 しばしの静寂の後、白装束の男は構えていた小さな銃を発砲した。

 ガンッ!

 男達の足元でキンという甲高い音がした。

 脅しで発砲してどうする。次弾を込めている暇はない。やられる! とルガーは呆れた。

 火を囲んでいた二人組の男がのろのろと両手を挙げ始めた。

 デブとノッポ。女は手を後ろに回したままだ。

 一瞬間をおいて、デブが意外と俊敏に動いた。デブは腰のナイフを抜くと女の首元にぴたりと突きつけた。

 「銃を捨てろ! この女の首を切る!」デブがすごむ。

 ルガーに目に女の頬を流れる涙がたしかに映った。

 (待ってください! 撃っては)白装束の男がルガーを止めようとする。

 ドンッ! 

 (いけません!)

 同時だった。白装束の男の声とルガーのマスケット銃の射撃音が響いたのは。

 デブの手にあったナイフが弾き飛んだ。

 ルガーはマスケット銃を逆さに持ち替えながら二人組に駆け寄る。

 デブは四つん這いの姿勢でナイフを探し始めた。

 ノッポはたき火に靴を突っ込み、燃えていた薪をルガーに蹴り上げる。

 ルガーは薪を避けない。火の粉を顔や体に当てながら、マスケット銃をこん棒のように振り切り、たき火の中に置かれていた鉄なべを力任せに叩いた。

 鍋に入っていた熱い汁がノッポの方に飛ぶ。「うわっ! あぢい!」ノッポは堪らず腕で顔を覆う。

 ルガーはノッポの足を払った。

 バランスを崩したノッポは転倒。床に広がった熱い汁の水たまりで「あぢい。あぢい」とのたうつ。

 ナイフを探していたデブが立ち上がって振り返ろうとする。ルガーはデブが振り向き終わったら、そこに顔が来るであろうと思われる空間に鋼鉄の拳を置いた。

 デブが振り返る。

 何かおかしい!

 違和感。ルガーは鋼鉄の拳をひっこめた。

 振り返ったデブの顔が白装束の男の顔に変わっていた。

 ルガーは混乱した。

 自分は確かにデブの背後についたはずだ? いつの間に白装束の男にすり替わった?白装束はさっきまで向かいの建物の屋上にいたはずだ。でデブの方は何処に消えた? デブどころかノッポもいない! 

 「女もいねぇ!」

 (ナイフがベルリーネ大佐です!)

 白装束の男が叫んだ。

 「言ってる意味が分からん! ナイフはナイフだ! ナイフが大佐とやらである訳がねぇ!」

 ナイフはルガーがマスケット銃で撃って、どこかへ飛んで行ったはずだ。周りを見渡すとナイフがあった。大通りの真ん中できらりと光っている。

 「ナイフはあそこだ!」

 ルガーがナイフを指差した直後。

 ガン! ガン! ガン!

 三度射撃音が響く。白装束の男がナイフを撃った。

 ナイフはルガーの目線の高さに音も無く浮かび上がる。

 「バナーヌ・バロン・バスタ!」

 ナイフから人の声が聞こえた。

 そしてナイフが細かく震え始めた。その振動のせいでナイフの像がブレて二重に見えてくる。

 やがて二重に見えるナイフの像と像の間の距離が広がっていく。やがてナイフの像は完全に二つに見え始めた。つまり二本のナイフが宙に浮いているようにしか見えなくなった。

 さらにナイフは分裂し始めた。二本のナイフは四本に、四本のナイフは八本に、倍々で増殖していく。

 わずかの間にナイフは猛烈な勢いで増えた。

 数えられないくらいに増えたナイフは魚の大群のように空中をうねって周遊し始めている。ナイフの刃がギラギラと光を反射する。

 白装束の男とルガーの周囲をナイフの大群がぐるりと囲んだ。二人はナイフの大群で出来た球の内部に閉じ込められた形となった。ナイフは二人の周りを周回し続けながら球状を保っている。

 ナイフの周回速度が上がっていく。ブォーという風切り音がする。

 「幻か!?」ルガーが大声で言った。

 (ええ。大佐が見せている幻です! )

 (だから大佐ってのはどいつだ?! デブか?! ノッポか?!)

 (黒髪の女性です!!)

 (!!)

 「私も術中に嵌っています!」白装束の男はテレフォノではなく口で喋った。

 「何でテレフォノを使わない!?」

 「もう大佐にバレてるので内緒話をする必要がありません! それにテレフォノは大変な魔力を消費するんです!」

 「オレの連れは日常会話にテレフォノを使ってるぞ! にしても大量のナイフだな! どうせこん中の一本だけが本物とかだろ!?」

 突然、ナイフの群れの中から数本のナイフがルガー目掛けて飛んでくる。ナイフはルガーの脇腹をかすめて反対側のナイフの群れの中に紛れて消えていった。

 ルガーは服の中で脇腹から血が肌を伝ってこぼれ落ちていくのが分かった。

 「何で……血が? 幻じゃねぇのか?」

 「私達が周囲を飛ぶこれらのナイフを『本物』のナイフだと『信じている』からです! 口では幻だと言っていますが……。こう言い換えてもいいです! 私達はこれらのナイフが『本物のナイフだと分かっている』のです! だから『本物』なんです! 人間の精神は強力です! 私達が信じた事が私達の現実を形作っています! それが幻覚魔法のタネと仕掛けです!」

 「全く分からん! 簡単に言え! この傷は本物か!?」

 「本物です!」

 「そりゃマジいな!」ルガーは鋼鉄の拳を構える。

 「あきらめましょう! 私達の負けです! あなたが最初に銃を撃つ前から勝負は決まっていたのです! 既に幻覚魔法に掛かっていたのです!」そう言いながら白装束の男は、もう一丁小さな銃を取り出し、両手に構えだした。

 ガン!ガン!ガン!ガン!

 小さな銃を連続で発砲してナイフを手あたり次第破壊し始めた。

 「おまえ、言ってることとやってる事が違うぞ!」

 「ええ、何分未熟なものですから!」

 「そういうことなら任せろ!!」

 ガン!ガン!ガン!ガン! ガン!ガン!ガン!ガン!

 ルガーも鋼鉄の拳をナイフの群れに滅茶苦茶に撃ち込んで粉砕し始めた。

 ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

 「大佐ってのは何者だ!!?」

 ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

 「殺人犯です!! 二日前、この遺跡の地下で仲間を殺したのです!!」

 ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガシャン!

 「仲間を?」

 「ええ、私の仲間です。大佐にとっては部下になります。ですがその話は生き残ったらにしましょう」

 二人は弾の続く限りナイフを撃った。ナイフの球の中は硝煙と鉄粉で既に一杯だった。

 ガシャン!

 「くそっ! 弾切れだ!」鋼鉄の拳に飛び散った汗がかかる。汗はすぐ湯気に変わる。排きょう口からは白煙が上がる。

 白装束の男はまだ撃ち続けている。

 だがナイフは半分も減っていない。ナイフの群れが弾切れのルガーに襲い掛かる。

 ナイフはルガーの体を刻んでくる。だが不思議と切り刻むばかりで、心臓を突き刺してはこない。

 「痛めつけて楽しんでやがる。だがおかげで時間が稼げそうだ」

 ルガーは思い出そうとしていた。

 今にも嵐が来そうなある日の夕暮れ時。

 暗い黄金色に染まった岩場の上で帆船を眺めながらリモは言った。

 (幻は現実じゃないから……法則に従えない。だから……できないんだよ)

 なんだった? 重要な言葉が思い出せない。

 「……大丈夫ですか?」白装束の男が言った。

 何が?

 とルガーは思ったが、考え事をしている自分がナイフを避けないせいで白装束の男が心配し始めている事に気付く。二人の足元はルガーの流した血で真っ赤に染まっている。白いタイルのような床のせいで余計に血の赤が目立つ。

 ここまで切り刻まれりゃ誰だって心配にもなるか……。

 だがそんなことはどうだっていい……。

 ルガーは白装束の男を見るともなく見た。

 視界全体にピントが合ったかのような不思議な感覚だった。ルガーには視界全体が、それも同時に、鮮明に見えていた。

 白装束の男が両手で持つ小さな銃。リモが自動装てん用の弾は最近エウローペで開発されたと言っていたのを思い出す。

 弾を撃つと銃の上部が後方へスライドする。

 金属製のカートリッジが排莢口から外に飛び出す。

 飛び出したカートリッジは男の白い服に虫のような小さな影を作って、赤い床の上にチンと落ちる。

 ……影……虫のような小さな影……。

 「そうか!! 影だ!」

 ルガーは叫んだ。そしてナイフの群れを凝視する。

 どのナイフもナイフ自身の上に他のナイフの影が落ちていない!

 自分を刻むために今まさに飛んできたナイフを凝視する。ナイフはルガーの二の腕をざくりと切り裂いていく。

 ルガーの体にナイフの影は落ちなかった!

 リモの言葉が鮮明に思い出された。


 (幻は現実の出来事じゃないから物理法則に従えない、だから影が上手く投影できないんだよ。せいぜい地面に落ちる疑似的な影しか再現できない。モノの上に投影される複雑な影が再現できないんだ)


 ルガーにはナイフが『幻であることが分かった』

 すると突然ナイフは跡形もなく消えた。

 隣では何も無い空間で白装束の男が必死の形相で、銃の引き金をガチガチと引き続けている。弾は出ていない。

 ルガーは振り返って後ろを見た。

 さっきの黒髪の女が一人立っていた。二人組の男は見当たらない。

 女はルガーに近づいて言った。

 「誰?」

 「オレはルガー……マレクの騎……」ルガーはろれつが回らず、上手くしゃべれない事に気付いた。ナイフで切られすぎたようだった。足元もフラついていた。

 「騎士って言おうとしたのかしら? ってことはマレクの野蛮人ね」女は手に持ったナイフでルガーの頬をぺちぺちと叩いた。

 女はナイフを持ち直すと素早くルガーの心臓目掛けて突く。

 だがその直前からルガーの膝はルガーの体重を支えることを放棄していた。ルガーの体は床に崩れ落ち始めていた。

 女のナイフの先にルガーの心臓は無かった。

 そこには崩れ落ちる途中のルガーの『顔』があった。

 ルガーは口を大きく開いた。そこにすっぽりとナイフが入る。

 ルガーはそのまま思いっきり女の手ごとナイフを噛んだ。

 「うそお!!」

 女はルガーの腹に蹴りを入れる。

 ゴボッ! ルガーの口から唾液と血まみれのナイフが飛び出した。

 ルガーは床に倒れた。

 「何なの? 気持ち悪っ!!」

 女は靴で地面を打ちつけた。女の靴のつま先から内部に仕込まれていた刃先が飛び出した。

 ルガーは横になったまま、自分の口から飛び出したナイフを拾い上げた。


 (ルガー。ナイフはね。当てたいところをただ目で見続ければいいんだ。そうしたら、体が勝手に狙った所にナイフを当ててくれるんだよ)リモの言葉が思い出された。

 

 女はナイフを掴んだルガーの手を力任せに踏みつける。勢いルガーは仰向けにさせられる。女はルガーを踏みつけた足を軸足にして、もう片方の足を高く上げる。ルガーの頭を蹴りぬこうというのだ。

 ルガーは女の目を見続けていた。ナイフを掴んだ時からずっと瞬きすらしていない。

 手首のスナップだけでナイフを投げた。

 ドスッ!

 女の目にルガーの投げたナイフが突き刺さった。

 「ギャアアアアアァァァ!!」

 女の体がルガーに倒れこむ。ルガーは鋼鉄の拳を小さく突き出す。コンッ。

 女の目に突き刺さったナイフの柄に鋼鉄の拳が当たり、ナイフはさらに深く差し込まれる。

 「ゲフッ!」

 女は奇妙な声を発した。

 やがて、ルガーの意識が遠のいて消えた。




 人の声が聞こえた気がした。

 ルガーは目を開ける。

 頭上に三日月が見えた。体の下に草の感触がする。

 「こんばんわ」

 すぐ隣で白装束の男の声が聞こえた。

 「……ここは……何処だ?」

 「オストラス山の麓です」

 ルガーは上半身を起こした。

 白装束の男が白いマントにくるまってちょこんと座っていた。

 「……どれ位経った?」

 「丸一日です」

 「そうか……」

 ルガーは辺りを見回す。

 すぐ近くに一本だけ小ぶりな木が生えている。その木の下に黒髪の女が寝かせられていることに気付いた。頭は白い袋で包まれている。

 「アレ……運ぶのか?」

 「ええ」

少し離れた所に池があるのが見えた。水面に月が揺らめいている。池の向こうには真っ黒な壁が闇夜にそそり立っている。オストラス山だ。

見回していた視線が白装束の男に戻る。

 「全身白づくめ、坊主か何か?」

 「坊主?……いえいえ、そうではありません。この服はエルフガルド海軍の制服です」

 「海軍?……騎士みてぇなモンか?」

 「まるで違うわ……。そういうあなたこそマレクの騎士だとか」

 「?……そうだ。正直言うと元騎士だ。クビになった。それに元々マレクの人間でもない。極東の島国イエンの出だ」

 「えっ! イエンの方でしたか! 私はイエンの文化が大好きなんです」

 「変わった軍人だな。オレの名はルガー。ジョージ・ルガーだ」

 「私の名はノンブレ。ノンブレ・ファルオンと申します。イエンの文化は我々とは何もかもが違います。まるで正反対といえる程違います。ですが、私はイエンの文化に不思議な共感を感じます。世界でも稀な繊細で芸術的な素晴らしい文化だと思います!」

 「……そんなもんかねぇ」

 ルガーは白装束の男にゆっくりと顔を近づけ、マントを手でめくった。

 ノンブレは例の小さな銃でルガーを狙っていた。

 「あなたがマレク人でないと聞いてホッとしました」ノンブレは照れ笑いのような表情を浮かべた。

 「そいつで殺す必要が無くなったからか?」

 「はい。マレク人であれば殺していたでしょう。ですがあなたの意識の回復を待ったかいがありました。マレク人でないことが分かったのですから」

 「えらくマレク人を憎むんだな。何故だ?」

 「何故?……」

 ガン!

 ノンブレの銃の先が光った。

 ーーーンッ!

 近くの池のせいか銃声がやけに響く。

 「す……! すみません! 本当にすみません。はずみで引き金を引いてしまいました。すみません!」

 「別にいい。当たってねぇし。当たってもいいし」

 「はい。でも、あの、みませんでした!」ノンブレは銃を腰のホルスターに収めた。

 「何故……それほどマレク人を憎む?」

 「本当に知らないのですか?」

 「だから何を!?」

 「そうか……そうなんですね。事件は無かった事にされているんですね、マレクでも」

 「いい加減にしろ! マレク人が何かしたようだな。ならさっさとその極悪非道ぶりを教えろ!」

 「……虐殺です」

 「虐殺? どういうことだ? マレク人がエルフガルドの村でも襲って全員殺しまくったとでも言うのか?」

 「はい。その通りの事をしたのです」

 「おいおい。嘘だろ?」

 「わずか四人のマレク人によって山村の住人百六人が一晩のうちに全員殺され、村は焼かれました。今から十五年前に起きた『トラス村虐殺事件』です」

 「……そりゃあ……ひでぇ……。だが怒らず聞いてくれ。村人が全員死んだのにどうしてマレク人の仕業と分かる?」

 「科学もそうですが、魔法においてもエルフガルドはマレクの二十年年は先を行っているかと思います」

 「急になんだ? まぁでも、おまえらエルフから見たらマレク人は原始人なわけだからそうなんだろうな」ルガーは黒髪の女の死体をちらりと見た。

 「ちょうどここにシネフィルがあります。シネフィルはご存知ですか?」

 「バカにするな! マレクにだってシネフィル玉くらいある! 魔法具だろ。像を拡大する奴だ。劇場で役者の姿をバカでかく映し出すのに使われてる」

 「……五十年は遅れてるわね。シネフィルは映像の記録に使用してこそ価値のある魔法具です。それにもう大昔のような球ではありません」

 ノンブレは懐から小さな棒を何本も取り出した。真っ黒で金属光沢がある。

 「これも何かの縁かもしれません……」そう言いながら、ノンブレは一つの棒を選んで端をポキンと折った。

 折られた棒の断面が光を放った。ノンブレは立ち上がると、自分のマントを黒髪の女が横たわる近くの木の枝に掛けた。そうしておいてから棒から出る光をマントに当てた。

 するとマントに燃えるログハウスの映像が鮮明に映し出された。

 「トラス村跡地でグランデ・グラバを使って映像化したものをシネフィルで記録したのです」

 「グランデ……。それ何だ? 聞いたことがあるぞ……恨みを見えるようにする奴か?」

 「恨み……まぁこの場合そう言っても過言ではないわね。正確には場に残された残存思念を映像化する魔法です」

 「エルフガルドには使える奴がいるのか?」

 「大勢ね」

 池の中で対峙する裸のエルフの女と斧を持った屈強な男。

 「カルネ!!」

 「そうマレクの騎士団長ガルソン・カルネ。この後すぐに摂政クエンタ・トクビルと司祭のセルビス・マールが出てくるわ。マレクの英雄たちね」

 映像の中で、エルフの女は氷の魔法で攻撃する。カルネに氷の槍が突き刺さる。

 「やった」思わずルガーは声が出た。

 カルネが斧を投げる。トクビルは飛んでいく斧に炎をまとわせた。

 「何故斧に炎をまとわせたのかしら?」

 ノンブレが質問する。

 「カルネの投擲能力を信頼してたんじゃねぇか。氷で邪魔されないよう斧に炎をまとわせてやりさえすれば、女に命中すると踏んだんだろう」

 ルガーの言う通り、映像の中で投げられた斧は女の首を刎ねた。トクビルとカルネは氷の槍を食らったが、すぐにマールの回復魔法を受けている。

 「いいえ違うわ」

 誰だ? 

 

 オレはさっきから誰と話している? 

 ルガーは視線を動かす。

 ノンブレ? 

 ルガーのすぐ隣に黒髪の女がいる。

 長い黒髪が顔全体を覆っている。

 髪に覆われた顔面にナイフが突き立っていた。


 「驚かないの?」女が言った。

 「目覚めたつもりだったが、まだ夢の続きだったか」

 ルガーはゆっくりとポケットに手を入れカートリッジが残っていることを確認した。 

 「夢に見えて?」

 ルガーは女が横たわっていたはずの近くの木の下に目をやる。そこには女の代わりにノンブレがいた。体中をロープで縛られ転がされている。

 「顔面にナイフが突き立てても死なねぇとは……不死身か?」

 「フフフ。どうかしら?」

 女はルガーに顔を近づけた。生暖かな吐息がルガーにかかる。

 ルガーは女の目に刺さったナイフの刃を見つめた。

 

 ナイフの刃の表面には何も映っていない。

 普通なら表面に女の髪が映る。

 とすると目の前の女は……。

 

 「ノンブレ君……カレ、カワイイでしょ? だから見逃してあげたの」

 「オレもか?」ルガーは素早く鋼鉄の拳にカートリッジを装填した。

 「図々しいわね。あんたに可愛げは全くないわ。でも見どころはある。遺跡の中で暴漢に襲われている私を助けようとしたわね」

 ルガーは鋼鉄の拳を女の顎に当てた。

 「ああ、存在しない暴漢からな」

 「ホシが人質に化けて逃走するのはよくある手よ。良い勉強になったわね」

 女は尖った顎を鋼鉄の拳にとんとんと頷くように当てて笑った

 この顎を砕いても無駄だろうな。

 どうやってオレに幻覚を見せている? 

 呪文の詠唱は聞こえなかった。薬でも飲まされたか? 

 いつ? 

 気を失っていた間に飲まされた?

 気を失っていた……いつから? 

 遺跡ン中であの女に会うまでは間違いなく正気だったはずだ……


 「もう少し教えてくれ。さっきあんたはトクビルが斧に炎をまとわせた理由は別にあるみたいに言ってたが、どういうことだ?」

 「いいわ。教えてあげる。テラトロンはとても強力な魔法なの。テラトロンは放てば勝手に目標に当たるのよ。体温を目印にして生物を自動的に追いかけるの。なのに当たるかどうか分からない斧に炎をまとわせるなんてまどろっこしい事をする必要は全くない。トクビルがテラトロンをエルフの女に向けて放てば良いだけ。狙う必要すらないわ。なのにわざわざカルネの斧に命を懸けたフリまでして……自らアグア・ソルベッテまで喰らって……随分痛そうだったわね」

 女は得意げにしゃべっていた。

 ルガーはどうやって幻覚を見せているか考え続けた。


 遺跡の中で幻覚を見せられた時はどうだった? 薬を飲まされた訳はねぇ。確かにオレは眠っていた。

 誰か人の声で起きたはずだ……。


 「トクビル一人で勝てたんなら理由は一つだ。共犯関係を成立させるためだ」

 「正解。……意外と賢いのね。トクビルはあの夜、至るところでそんな演出に腐心したんでしょうね。映像には残っていないけど、そもそも虐殺を焚き付けたのもトクビルでしょうね」

 「何のためにオレにそんな事を教える?」

 「私もこの事件には関わり合いがあってね。遺跡の地下で連中を殺した理由もそれよ」

 「連中?」ルガーは立ち上がりながら言った。

 「そ、エルフガルド海軍一個大隊」

 黒髪の女はため息をつく。


 ため息……人の声……。

 声を出さなくても聞こえる声……。


 「海軍っていうのは諜報機関のことよ。だってエルフガルドに海は無いでしょ。この事件の裏では海軍が糸を引いていたの。本当に……腹立たしい! 全員ブチ殺してやったのにまだムカつく!!」女が激高しだした。

 「諜報機関? 何をする奴らだ? なんでエルフガルドの海軍が自分の国の虐殺事件に関係してんだ?」


 (ルガー。そんな事も分かんないの?)

 リモのテレフォノが聞こえた気がした。

 リモ……。

 ……。

 そうか!! それだ!

 何で気付かなかった?

 すげぇ簡単なことじゃねぇか。

 

 「あんたみたいなバカに説明するのが面倒だわ。あんたには関係の無い話だし忘れて。ていうかダラダラ質問してんじゃねぇよ! 死ねよ!! 今すぐ!!」

 「そうはいくかよ!」

 ルガーは女を背に、近くの木に駆け寄り鋼鉄の拳を構える。

 「テレフォノだ! 何か特殊なテレフォノでオレに暗示を掛けた! それがてめぇの幻覚の正体だ!」

 「はあ?」

 女はあっけにとられている。

 「で? 何でその木に向かって義手を構えてるわけ?」

 「この辺りで地面に立ってんのはオレとこの木以外にねぇ! オレは自分が自分だと知ってから、疑うのは木の方だ。木がてめぇだ!」

 「何を言ってるのか全然分からないわ。幻覚の掛け方も、私が木に化けてるという話もどっちも根拠の無いただのカンでしかないわ。それに仮に私がその木に化けていたとして、何で私が立ってる必然性があるの? 座ってちゃダメなの?」

 「ああ、座ってちゃダメだ。戦闘を目の前にして座ってられる奴はいない! 必ず立ってるはずだ!」

 ルガーは鋼鉄の拳に右手を掛けて腕の部分を後部へスライドさせた。

 ガチャリ。

 「……驚いた……どっちも正解だわ……」

 黒髪の女の姿がみるみる崩れて土塊に変わっていく。

 反対にルガーの目の前で木が黒髪の女に変わっていく。

 何処からか白い花びらが舞い始めた。

 「秘密は分かっても魔法が解けなきゃ同じ事。でも感心したわ……いいえ、ホント言うと腰が抜けそうな程驚いてる」

 宙を舞う花びらの量が増え始めた。女の話聞きながら、どうせこれも幻覚だろうとルガーは思った。

 「あなたのそのカンと体の頑丈さはちょっとただ事じゃないわね。……でもまぁいいわ。見逃してあげる。だっていつでも殺せるもの。それにヒントも教えておいてあげる。テレフォノって頭に直接響く声でしょ。それって相手の頭に声が聞こえたっていう情報を割り込ませてる事に他ならないの。それを推し進めて考えると、相手の頭に自由にイメージや命令を割り込ませることができると思わない?」

 「ちょっと待て! お前は俺に命令できたのか?! なら何でまどろっこしい幻覚なんて見せる必要がある? ナイフで自分の胸を刺すよう命令すればいいんじゃねぇか?」        

 花びらはまるで花吹雪のようになってきた。

 「あら、賢い。テレフォノで人を操る方法はエルフガルド海軍が今から六十年以上前に開発した方法なの。勿論、目的は諜報活動に使うため。初めは人じゃなくて、オークのような割と知性の高い怪物を実験対象としたの。手順を確立するためね。でも結局、人間に命令を刷り込むことはできなかった。簡単に言うとどうでもいい命令を刷り込むことは簡単だったの。でも『その人がやりたくない事』はやらせる事ができなかった。『暗示の壁』とも言うわ。どう分かった? よく分からなかったら帰ってリモに今言った事をそのまま報告なさい」

 今や花吹雪は下から上へ吹き上げている。まるで花びらの洪水のようだった。視界が真っ白に染まっていく。

 「じゃあね。また会いましょう」

 「おい! 待て! 何でリモを知っている?」

 マズい! この女は逃がしてはダメだ! この場でカタを付ける!

 視界全てが花吹雪で真っ白になった。何も見えない。


 オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!妻を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!妥を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには姜が見える!女を倒せ!オレには女が見える!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!嬰を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!妾を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!オレには女が見える!姦を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには姿が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!婆を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには女が見える!女を倒せ!オレには妄が見える!女を倒せ!オレには女が見える!オレには女が見える!オレには女が見える!オレには女が見える!オレには女が見える!オレには女が見える!オレには……


 ガンッ!

 ルガーは我に返った。

 視界は真っ白のままだった。だがやけに明るい。

 ルガーは頭から白い布を被っている事に気付いた。布を手で取るとそれがノンブレのマントだと気付いた。

 すでに夜は明けていた。太陽は高く昼近い事が分かった。

 目の前に黒髪の女が目を閉じて倒れている。当然目にナイフは刺さっていない。

 「ノンブレ?! いるか!? 女を捕まえろ!」

 「……ハ……ハイ」

 ノンブレはすぐ近くにいた。おかしなことにノンブレは全裸だった。震えている。それに体中にキスマークが付いていた。

 「何があった?」ルガーは笑いを堪えて言った。

 ノンブレは質問には応えず、ルガーの手からマントを受け取ると黒髪の女をロープでめったやたらに縛りはじめた。何重にも巻いた上で、自分のマントを破いて端切れを作り、目隠しやさるぐつわまではめている。

 女を縛るとノンブレはそこらに散乱している自分の服を集めて身なりを整え始めた。

 ルガーはやる事も無いので、その間周りの風景を眺めていた。

 辺り一面青々とした草が生い茂っている。そのだだっ広い草原の中に大きな湖がぽっかりと口を開け、空と雲をまるで鏡のように反射している。

 湖の対岸に小さな林があり、その前にレンガ積みの壁がいくか見える。壁だけで屋根は無い。

 視線をノンブレに戻そうとした。とその時―

 「!」

 湖のすぐ近くに大量の石が整然と並んでいることに気付いた。

 綺麗に磨かれた六十センチ四方の黒い石。碁盤目状に整然と地面に置かれている。

 その数百基はある。

 滑らかな石の表面は太陽の光を反射して湖の水面のようにも見えた。

 「……墓石か」ルガーが言った。

 ノンブレは黙って頷く。

 「ここがトラス村だったんだな」

 「…………はい」

 しばらく沈黙があった。

 少しばかり強い風が吹いた。

 ノンブレが口を開く。

 「おかげで助かりました。大佐を倒すなんて……信じられませんよ」

 「ああ、自分に言い聞かせたのさ。こいつをぶん殴るってな」

 「自己暗示……! ホントに自己暗示で幻覚魔法に対抗できるんですね。学生の時、理論上の話として本で読んだ事はありましたが……」

 「自己暗示って言うのか?」

 「……ご存じない? 信じられない……自己暗示で対抗する方法を今思いついたというのですか? しかももっと信じられないのはそれを実現した強力な精神力です。何しろ、自分で自分に言い聞かせながらそれを事実と思い込む訳ですからね」

 「まぁな。精神には自信があるのだよ

 「正気と狂気は紙一重とはよく言ったものですね」

 「ホメて……ないな。で、こいつはどうする?」

 「……大佐には法の裁きを受けてもらいます。首都プエデに連行します」

 ノンブレは女の服のポケットを調べ始めた。小さなガラス瓶が二つ出てきた。

 「こいつの素性を教えてもらえねぇか?」

 「私の口からは言えません……大佐の情報はすべて軍事機密に属するものですから」

 「名前もか?」

 ノンブレは女を背負った。

 「……名はベルリーネ・ベルデです」

 「ベルデ……」

 「山あいの国境沿いに多い名です」

 「バカにしてんのか? この女はトラス村の生まれか、関係者だ。こいつはトラス村の虐殺事件のウラに気付いた。海軍が絡んでると言ってたぞ」

 「……すみません。私の口からは何とも……」

 「なら、質問を変える」

 「尋問されているのですか?」

 「そうじゃねぇ。今度は頼みだ」

 「頼み?」

 「そうだ。オレには時間がねぇ。お前はあの遺跡に詳しいか?」

 「ええ、マレクの方よりは」

 「ドラゴンは今でもあそこにいるのか? 生きてんのか?」

 「も・勿論! ドラゴンは今も生きてますよ。当然じゃないですか」

 「当然?」

 「遺跡に入るのはドラゴンの休眠期にしかできないことですから。それに遺跡調査の際には必ずドラゴンの姿を観察することになっています。四日前にもこの目でドラゴンを見ました」

 「休眠期? ……休眠すんのか?」

 「はい、今年で十七年目になります」

 「十七年??」

 「ええ、今回の休眠は長いです。過去最長に近づきつつあります。そのせいで最近の遺跡調査は目覚ましいものがあります。おかげで世紀の大発見もあったんですよ」

 「……大発見って何だ?」

 「ええと……すみません! これも機密事項でした」

 「まぁいいけどよ。興味ねぇから……あっ! わかった! 分かったぞ」

 「何がです?!」

 「船だ。おまえら遺跡の地下で船を見つけたんだろ」

 「……どうして分かったんですか!?……あっ! しまった!」

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