第8話

「退団だ。他国にも通達を出す。今後おまえ等を雇う国は無い」

 夜明け前だった。

 騎士団本部の団長室のランプがカルネの激高した顔を照らした。

 暗い眼孔に小さな目が光っている。その顔はまさしくゴリラだった。

 カルネがそう言い終わるやいなや、リモはカルネに飛びかかっていた。

 部屋の中でリモが跳ぶのをルガーは呆然と見ていた。

 リモはデスクに座ったカルネの首を自分の両足の太ももで挟むと、飛びかかった勢いを利用してカルネの巨体を床に引き倒す。すぐさま馬乗りの姿勢を確保するとカルネの目を狙って指を差し込もうとした。

 リモの指先がカルネの眼球の直前で止まった。

 リモは体をのけぞり無言のまま苦悶の表情を浮かべている。

 カルネはリモの太ももを噛んでいた。

 カルネはリモを首に巻き付けたまま、デスクに手を着いて立ち上がった。

リモの両脇を掴んでリモを自分の首から引き離すと、リモをデスクの上に叩きつけた。カルネの口からリモの血が垂れる。

机の上で丸まって苦しむリモ。カルネは壁際の棚の上に飾ってあった自分の斧を掴むと、そのままリモに向かって振り下ろした。躊躇は微塵も見えなかった。

 ギャインッ!

 カルネの斧はリモを僅かに逸れて、デスクの天板に深々と突き刺さった。

 デスクの上に伸びるルガーの鋼鉄の拳。

 カルネの斧を真横からルガーの鋼鉄の拳が弾いたのだ。

 「あんた獣か? やりすぎだ」

 「どっちがだ? そいつを連れてとっとと出ていけ!」

 カルネがルガーの鋼鉄の拳を掴んで睨んだ。ルガーは驚いた。

 鋼鉄の拳を掴んだままのカルネの腕を引き離せないのだ。

 とてつもない怪力。

 ついには鋼鉄の拳がギリギリと音を立てて歪み始めた。

 その隙にデスクの上のリモが再びカルネに襲い掛かろうと上半身を起こしていた。

 ドンッ!

 カルネはルガーの鋼鉄の拳をルガーごと引っ張っていき、リモのみぞおちに鋼鉄の拳を叩き込んだ。姿勢を崩してよろめくルガー。

 リモは ブフッ と奇妙な声を上げて、デスクの上で突っ伏して動かなくなった。

 カルネは鋼鉄の拳から手を放すと、デスクの天板に突き刺さった自分の斧を引き抜いた。

 「早く出て行け!」斧の切っ先をルガーの胸元に付きつけた。

 ルガーは無言のままリモを肩に担いで団長室から出た。

 ルガーはリモを担いだまま廊下を歩いた。

 (もう大丈夫だよ)

 リモが意識を取り戻した。

 リモを肩から降ろす。

 リモの顔は髪で隠れていた。薄暗いせいもあって表情はよく見えない。

 ルガーは廊下の窓から王都を眺めた。

 騎士団本部の最上階だけあってここの廊下からは城がよく見えた。

 「殺す気だったのか?」

 朝日が崖の端から姿を現した。

 (……ああ)

 朝日はゆっくりと王都を黄金色に変えていく。

 「やる前に言ってくれりゃあ、弾ァ込めといたんだがな」

 ルガーは鋼鉄の拳をチンと指ではじいた。

 ルガーはリモのあごの先にできた水滴を見た。

 リモは泣いていた。



 王都の北東門は巨大な鉄製だった。

 幾つもの鉄板をつなぎ合わせた、高さ十メートル、幅五メートルの巨大な鉄塊が崖の合間を塞いでいた。

 その巨大な鉄の壁に人が屈んでくぐれる程の穴が開いていた。

 ルガーとリモはその穴を通って王都の外に出た。

 二人の後ろにはモントーネとドラレスが続いた。

 四人はしばらく黙って歩いた。

 門の外はなだらかな上り坂が続いており、道の側面の急斜面にはブドウ畑が階段状に遥か上の方まで連なっていた。

 モントーネが急に立ち止まって言った。

 「北東門から追放されたら行けるとこはねェ。この先はオストラス山脈がエルフガルドまで延々続くだけだ」

 「てめェに言われるまでもねェ」ルガーが返す。

 モントーネはルガーの襟首を掴んで顔を近づける。

 「団長から門を出たらおまえ等を消すよう暗に命令された! 何をした? 司祭の死と関係あンのか?」

 「てめぇの知ったことか」

 ルガーはモントーネの手を払った。

 「で……どうする?」ルガーは鋼鉄の拳を握りながら言った。ギリギリとバネの音がしてから、威嚇するように装填音がガチャリと鳴った。

 ドラレスが背中に背負った大きな戦闘用ハンマーを取り出す。

 「ヤメダ! ヤメ! めんどくせぇ」

 モントーネはドラレスに向かって言った。

 モントーネはルガーの襟首をもう一度掴み耳元に口を近づける。

 「しばらく進んだら、崖から海へ飛び降りろ。マンチャとノーチェにボートを用意させてる。そいつで港まで戻れ。夕方、エウロペ行きの貿易船が出る」

 (ありがと。モントーネ)

 「フン! 腐っても騎士なんでな」モントーネはリモを一瞥すると、さっさと来た道を戻って行った。

 ドラレスがその場に残った。ルガーに向かって口を開いた。

 「モントーネは騎士団に戻らないつもりだ。団長に背けば騎士団で居られない。何考えてんだか。おい! ルガー! せめてモントーネの言う通り大人しく姿を消せ」

 そう言うとドラレスも去った。

 ルガーの眼前には斜面に造られたブドウ畑が続いている。

 「とりあえず昼メシでも食おうぜ」

 ルガーは近くの木の根元に置かれた雨ざらしの石造りのテーブルに背負っていた革袋を置いた。ブドウ畑で働く農民達が休憩用に据え付けたものらしい。リモは剣を椅子に立てかけてから腰を下した。リモは剣しか持っていなかった。

 ルガーは革袋から大きな丸パンとチーズとワインボトルを取り出した。

 チーズを半分に切ってパンの上に乗せた。地面に落ちていた藁に火を点けてチーズを少し炙る。チーズの溶ける匂いが立ちこめる。ワインを木製のコップに注ぐと二人は黙って食べ始めた。

 静かだった。鳥の鳴き声が聞こえる。

 「モントーネには借りができたな」 

 (僕たちから横取りした手柄と相殺じゃない?)リモが言った。

 「だな」ルガーは笑った。

 また静かになった。

 「マレクのワインはここで採れたブドウから造られてるんだな」ルガーが静寂を破る。

 (金と並ぶマレクの主要な輸出品だね)

 「えっ? そうなのか?」

 (他国ではマレクのワインは高値で取引される。遠くエウロペの貴族達の間ではマレクのワインをテーブルに乗せる事がステータスになってるんだよ)

 「そこまで有名なのか……知らなかった。どおりで旨いわけだ。そうだ、旨いのは土地が痩せてるからだって聞いたことがある。知ってたか?」

 (土地が痩せてるからここのブドウは少ない実しか付けない。だからその分味が濃厚になってワインにした時とても美味しくなるんだね)

 「何でも知ってるンだな」

 ルガーはブドウを眺めながら笑った。

 「だが金鉱山を持つマレクでよ、何で苦労して、こんな崖に段々畑まで造って、ブドウを育ててワイン造りをする必要があるんだ?」

 リモは何も言わない。

 「原因は王家だ。代々、鉱山の利益を独占してきた。だから農民共はワイン造りを辞めらんねぇんだ。この段々畑は人が手を入れなきゃ崩れてくから、毎日毎日、石を積み直してる。漁民達だってそうだ。マレク近海の冬の海は荒れる。毎年何人も死人が出てるが漁はやめらんねぇ。ホント、マレクの国民はツイてねぇ。足元に世界有数の金鉱山があるってのに、高けぇ税金を払うために働きづめに働かなきゃいけねぇ。稼ぎに追いつく貧乏なしとは言ったモンだが、マレクじゃそれでも喰いっぱぐれる奴が出る始末だ。トクビルが摂政になってからは輪を掛けて非道くなってる。貧民街は人でいっぱい。王都の連中はどいつもこいつもスッカラカンだ」

 ルガーはしゃべり続けた。

 「王都中どこもかしこも不満で爆発寸前。採掘した金はどこへ消えた! 正当な富の分配を! ってな……」

 左目を隠していたリモの髪が風に流れた。

 醜い火傷跡が消えており、美しい顔にはシミ一つない。

 「……マールが治したのか?」

 (うん。あの時、塔の上で僕はマールに追いついた。彼は僕の顔の火傷を見ると何にも言わず魔法を掛けてくれた。フラゴラ・フレッサ・フラッサス……)

 「フラッサス……?」

 (ただの回復魔法じゃない。術者の寿命と引き換えにどんな怪我からも回復させる禁忌魔法の一つだよ)

 「それをお前に?」

 (そしてそのまま塔から身を乗り出して……飛び降りた)

 「わからねぇな。そもそもマールは俺たちを爆弾で殺そうとしていたんだぜ。なのになんで自殺の直前におまえの顔を魔法で治すんだ? 矛盾してるだろ」

 リモは手慰みにテーブルの上に乗っている砂ぼこりを手でかき集めだした。

 (そうだね。矛盾だらけだ)

 リモは仏頂面で言った。

 リモは集めた砂ぼこりでテーブルの上に小さな砂山を作っていた。

 ルガーはリモに初めて会ったときからいつもこの仏頂面だったなと思い返していた。そう初めて会ったのは三年前の騎士団の入団試験の日だった。


 朝から曇っていた。

 ルガーは王都の宿屋のベッドで目を覚ました。

 遠くで雷が鳴っている。

 起き抜けにパイプに火を点けようとして左手に小さな火傷をした。

 宿屋を出る頃には雨が降り出していた。騎士団本部に着いた時には本降りになっていた。

 今日は三日間続いた入団試験の最終日だった。三百人ばかりいた候補者は十分の一に減っていた。最期は残った候補者全員による乱戦だと発表された。

 騎士団本部の中庭で三十人近くの候補者が一度に戦い、勝ち抜いた二名が騎士として採用される。武器は自前の物を使っても良いし、騎士団側から借りる事もできた。ただし貸し出される武器は刀剣のみ。しかも刃は入っていない。自前の武器を使う場合も銃は禁止、刃には安全のための革製の覆いを付ける必要があった。

 ルガーは武器庫で盾とショートソードと防具を選んだ。弾は込めていないが愛用のマスケット銃を背中に背負込んだ。お守りのようなものだった。

 準備が整ったルガーは中庭に出た。おおよそ他の参加者達も準備が整っており、試験会場である中庭でたむろしていた。ルガーは候補者達を見回す。さすがに最終試験まで残るだけあって、全員屈強そうだった。

 「何だありゃあ?」思わず声が出た。

 中庭に植えられた木の影に三メートル近い巨体の男がいることに気付いたからだ。身長も大きいが、横にも太く、まるで小山のようだ。その体に装備している武器も異様だった。体中に革ベルトをいくつも巻きつけ、そこに無数の手斧をぶら下げている。まるで斧でできた鎧を着込んでいるようだ。

 危ない奴がいるなと世界の広さに感心していると、中庭の端に人だかりができているのに気付いた。野次馬根性でルガーは人を押しのけて人だかりの中に入っていく。

 人だかりの中心にリモがいた。

 リモは目を閉じて腕を組んでいる。ただそれだけで一目を引いた。

 亜麻色のロングヘア、長いまつ毛、通った鼻筋。長身からすらりと伸びる長い手足。

 美人だ。

 リモは盾はおろか、一切防具を身に付けていなかった。武器は腰にぶら下げた細身の剣のみ。あまりに軽装だ。これでは打ちどころが悪ければ命を落とす。

 皆興味津々だった。様々な男がリモに声を掛けた。

 「ネェちゃん。試験を受ける方か? それとも騎士団のアシスタントか何かか?」

 「名前は何てぇんだ?」

 「武器庫で鎧や盾が借りられるよ。知らなの? おいらがあんたに合いそうなの持ってこようか?」

 リモは目を閉じたまま。何も言わない。やがてしびれを切らしたのか一人の色黒の男がリモに詰め寄った。

 「何で何にも言わねぇ? ちょっとマブイからってスカしてんじゃねぇよ」びっしりと刺青の入った太い腕でリモの手を掴む。

 リモは何も言わない。

 「ナメてんのかぁ!!」

 刺青の入った男はリモの手を掴んでぐいと引っ張った。

リモはようやく目を開いた。大きな瞳で刺青男を睨んだと思った瞬間。

 ゴンッ!

 リモは刺青男の鼻っ柱に頭突きを食らわした。

 刺青男の鼻から血が吹き出す。それでもリモはやめない。五発目の頭突きが入った時に、最終試験の開始を告げるラッパが鳴らされた。

 「……もう……やめ……」刺青男が地面に崩れた。最初の脱落者となった。

 リモの背後から銀色の甲冑を着こんだ背の高い男が大きななロングソードでリモに切り掛かった。

 リモはロングソードを地面に這いつくばるかのような低姿勢で頭上にやりすごすと、振り切って一瞬静止したロングソードの刃の上に飛び乗り、それを踏み台にしてさらに高くジャンプした。

 リモはロングソードの男の肩の上に着地した。そしてすぐ男の肩を踏み台にして三度目のジャンプをする。

 リモは空中で宙返りをすると、近くで鉄球を振り回していた太った男の鉄兜の上に片足で着地した。

 ロングソードの男は振り向きざま、鉄球男の頭の上でバランスを取っているリモに向かってロングソードを振り下ろす。リモは後ろ飛びでそれを避ける。

 ロングソードが鉄球男の鉄兜を直撃する。直後、鉄球男が先ほどまで振り回していた鉄球がロングソード男の横っ腹の鎧にめりこむ。

 リモが地面に着地すると、二人の男も同時に地面に倒れた。

 ルガーはこれでリモは皆の標的になったと思った。

 体中に手斧をいくつもぶら下げた先ほど見た小山のような男がリモの前に出てきた。

 両手に持っていた手斧をリモに向かって投げる。

 ビュン! と斧が風を切る音がした。リモは難なく斧を避けた。

 リモは手斧男との距離を保ち、手斧男の周囲を回るようゆっくりと移動していく。

 その間も手斧男は自分の体から手斧を取り外しては次々と投げていく。手斧はビュンビュンと音を立てて四方八方に飛んでいく。リモが手斧を避ける。リモが避けた手斧は周囲で戦っている男達に当たる。勿論手斧の刃には覆いが付けてはあるが、当たれば骨折や打撲で戦闘不能となってしてしまう。雨で視界が悪いせいもあって面白いように無関係の者たちに斧が当たる。

 それを見ていたルガーはひらめく。ショートソードと防具を捨てて体を軽くし、マスケット銃を構えた。

 ルガーは時折飛んで来る手斧を避けることだけに集中した。

 雨は小雨になったが、地面には大きな池のような水たまりができていた。

 手斧男の腕力は強力で、砲台のように斧を放ち続けた。リモは手斧を避けていく。避けた手斧は周囲の男たちに命中していく。

 「あいつ……狙って避けてやがる」

 リモはただ逃げている訳ではなさそうだった。自分が避けた斧が当たるように誘導しているように見えた。でなければこれほど面白いように斧が当たる訳がない。

 あっという間に中庭に立っているのは三人だけになった。

 リモ、ルガー、手斧男だ。

 手斧男は最後の斧をリモに投げつけた。もはやリモに当たるとは本人も信じていないように見えた。リモは苦もなく最期の手斧を避ける。

 それを見届けると、ルガーは手斧男に向かって走り出す。

 手斧男のパンチを顔に受けながらも、引くことなく前へ出る。パンチを受けたルガーの顔が歪んでいく。

 手斧男の股間にルガーのマスケット銃の台座が届く。

 ルガーの歯が飛んだ。

 男の股間に銃の台座が深く打ち込まれる。堪らず手斧男が膝を突くと、ルガーは手斧男の顎を狙ってパンチを放つ。ルガーの拳は男の顎をクリーンヒットした。

 手斧男は池のようになった水溜まりに顔を突っ込んで倒れた。

 「どうだ! カワイコちゃん。オレもやるだろ!」

 ルガーはマスケット銃を背中に背負うとリモの方に振り返って言った。

 「おかげで合格だ。礼を言うぜ」

 リモは仏頂面のまま何も言わない。

 その時だった、リモの背後で倒れている男達の山の中から、全身黒装束の男が音も無く立ち上がった。

 黒装束の男が鞘から剣を抜く。刀に覆いは無い。

 真剣だ。

 反りの無い垂直に伸びたその剣の刃は赤紫色に発光していた。刃に当たった雨がチンチンと派手な音を立てて湯気に変わる。

 「おいッ!」ルガーは咄嗟にリモの手を引っ張った。

 黒装束の男が剣が振る。

 リモの亜麻色の髪の断片が宙を舞う。

 寸でのところでリモは剣を免れた。

 白装束の男は二の太刀をリモに浴びせる。

 リモは自分の剣で受けた。

 リモの剣に付けられていた革製の刃の覆いが一瞬で崩れ落ちた。そして抜き身となったリモの剣の刀身が急速に赤茶色に変色していく。

 リモの大きな目が見開いた。

 黒装束の男は連続して三の太刀をリモに浴びせる。

 リモは剣で受け流そうと構えるが、リモの剣は既に崩れかけており剣の形を成していなかった。

 リモは剣を捨てた。丸腰だ。

 「まじぃ」

 ルガーはリモの眼前に左腕を差し出す。

 ドスッ!

 黒装束の男の剣がルガーの左腕に深々と入った。リモは地面に落ちていた手斧を拾い上げると、革の覆いを外す。

 黒装束の男はルガーの左腕から剣を引き抜く。

 ルガーは切られた左手の指先が真っ黒に変色していくのを見た。みるみるうちにその変色は肘の辺りまで上がってくる。

 「まじぃ」ルガーは地面に片膝を着く。

 一閃。

 リモが手斧を振る。

 ボチャン!

 水たまりにルガーの左腕が落ちた。

 リモが切り落としたのだ。

 リモはルガーの肩を踏み台にして高くジャンプする。

 黒装束の男は剣を構える。

 リモは空中で黒装束の男に向かって手斧を投げる。

 キンッ!

 黒装束の男はリモの投げた手斧を打ち返した。手斧は赤茶色に変色しながら何処かへ弾き飛んだ。

 ガンッ!

 黒装束の男の顔面に何かがぶつかった。黒装束の男は体勢を崩す。

 ルガーのマスケット銃だった。

 黒装束の男は剣を地面に落とした。落とした剣はぬかるんだ地面に突き立った。

 「へっ……いつのまにオレの銃を……」ルガーは笑った。

 リモは着地するとすぐ黒装束の男に駆け寄った。

 黒装束の男は逃げ出した。

 リモはそれを見るとすぐルガーの近くの地面に這いつくばって、泥の池の中を手でまさぐり何かを探し始めた。

 それがルガーが意識を失う前に最後に見た光景だった。



 ルガーが再び目を開けると、白いガウンを着た男がいた。

 「やぁ、こんにちは。僕は医師のギャラハット・ギャレーだ」

 ルガーは自分がベットに寝かされていることに気付いた。

 「昨日の大雨はすごかったね。あんな大雨は今まで見た事がない。王都のあちこちで地滑りや崩落なんかが起きてね。おかげで医者と患者の需給バランスも大きく崩れた。なーんてね。ええと……それはいい。そうだ! こういう大災害の時には治療の優先順位を考慮するのが肝心だ。当然だよね。緊急性のある深刻な怪我人から優先的に治療してあげて、軽症な患者を後回しにすれば、結果的に多くの人命を救うことができる。合理的な考え方だ。ええと……それはいい。そうだ! だから申し訳ないけど、今回の災害と関係なかった騎士団の闘技での怪我人なんかは優先順位が最下位になってしまうんだ。そんなわけで僕は昨日夜遅くここに到着したというわけなんだ」

 ギャラハットは一気に言った。

 面食らったルガーは「あんたが医者なのは分かったよ。ここはどこだ?」

 「栄光あるマレク王立騎士団の本部だよ」

 「マレク……騎士団……そうだ! 腕ッ! 腕は?」

 ルガーは左腕に触れようとした。だがそれは叶わなった。

 「残念ながら君の左腕はダメだったよ。私が到着した時には、もうあの状態だった。あの状態では為す術はない」

 「あの状態?」

 「ああ」ギャラハットは少し離れたところにある机の上に載った器を指差した。器には黒い粉末のようなモノが盛られている。

 「君の腕だ」

 ルガーは黙って粉末の山を見ていた。

 「君の腕を切り付けた剣には特殊な呪いが掛けられていた。禁忌魔法の一つでギュスターヴ協定によって戦時下の利用ですら禁止されている危険な魔法だよ。私も実際に見たのは初めてだ」

 「……すげぇな!」ルガーは笑った。

 「……笑ってるの? でも分かるよ。大切な腕を無くしたんだ。そん風に気が動転しておかしくなるものなの?」

 「いや、大丈夫だ。オレは正気だ」

 「……一人にしてあげよう。腕を無くしたのはつらいが、腕を切り落としていなければ確実に命を失っていた。必要な犠牲だったんだよ」

 ギャラハットはドアの所へ行き部屋から出て行こうとした。

 「そうだ! あの男は? 剣は? どうなった?」

 ギャラハットは立ち止まった。

 「ああ、男は死んだよ。団長がすぐ仕留めた。剣は団長が保管されてる」

 「そうか。……あんな武器を使えば当然入団試験は失格なんだろ? 奴は一体何がしたかったんだ?」

 「私も報告を読ませてもらったが、あの男は彼を狙っていたと考えるのが普通じゃないか。でもまぁ、あの男が死んだ今となっては真実は分からないね」ギャラハットはそう言いながらドアを開けた。

 「彼?」

 ギャラハットの開けたドアからリモが部屋に入ってきた。何か重そうなモノを両手に抱えている。

 リモは黙って持っていたモノをルガーのベット脇の机に広げた。

 ガチャガチャと派手な音を立てている。

 ギャラハットはにっこり笑うとそっとドアを閉めた。

 「ガントレット(籠手)? 鉄で出来てるのか?」ルガーが言った。

 リモはルガーの問には答えず、ルガーの左手に持ってきた鉄製の部品を取り付け始めた。

 ルガーは間近でリモの顔を見た。頬が油で黒く汚れてはいるがやはりとんでもない美人だった。

 取り付けが終わった。

 「義手か。 なかなかイカしてるじゃねぇか。ありがとよ」ルガーは礼を言ったが、リモは仏頂面のまま何も言わない。リモは暫く義手を眺めていたが、そのまま黙って部屋を出て行ってしまった。

 独りになったルガーは義手の指を閉じたり広げたりした。

 「指が動く……。どういう仕組みだ? まるで魔法だな……」


 結局、ルガーとリモは騎士団への入団を許された。

 最終試験の生き残り二名とはいえ、ルガーが入団を許されたのは、リモに貰った義手に依るところが大きかった。ルガーだけもう一度、試験を受けさせられたのだ。正規の騎士と手合わせし勝負内容で判定を受けるのだ。

 その時の相手がモントーネだった。勝負は静止魔法を使ったモントーネの勝ちだった。だが勝負に勝ったモントーネは肋骨を折られ、負けたルガーはほとんど無傷だった。この時の義手にはカートリッジを使って拳を撃ち出す機構はまだ無かった。だが敵の懐に飛び込んで鋼鉄の拳を叩き込む戦法は、モントーネとの手合わせの際に編み出したものだった。以来モントーネには嫌われている。

 入団式の日の朝、騎士団本部の中庭で初めてリモはルガーに話しかけてきた。

 (僕の名前はリモナーダ・ベルデ。よろしく)

 テレフォノによる念話のため唇が動かない。

 「まさかお前、今腹話術で喋ったのか? それともお前……人間じゃねぇな。どおりでキレイな顔してやがる。噂に聞く魔導人形とやらか?! グフッ!!」

 リモはルガーの脇腹に思いっきり肘鉄を食らわせた。

 (僕は子供の頃の事故が原因で声が出ない。これはテレフォノっていう魔法だ!)

 「なんだ魔法か。悪かった。ジョージ・ルガーだ。お前みたいなカワイコちゃんと同期とはツイてる。オレたち付き合ったりしてな。お前の事はリモって呼んでいいか?」

 (ご自由に、ルガーさん。あと僕男だよ)

 「……。えっ? 男?」ルガーはリモの胸に手を当てた。そこには薄い胸板があった。

 「野郎かよぉぉぉぉぉ」ルガーは叫んだ。

 リモはルガーの左腕から鋼鉄の義手を引きちぎって手に取ると、思いっきりルガーの顔に打ちつけた。

 ガンッ!

 ルガーは我に返った。

 随分長い間、リモを見ていたような気がする。

 リモの目の前に小さな砂の山ができていた。リモが手慰みでテーブルの上の砂埃を集めて作っている。

 リモは顔を上げた。大きな瞳に人影が写っていた。

 (オークだ! 四体!)リモは片手で砂山を掴んだ。

 「どうしてもオレ達を消したいらしいな」ルガーは腰の弾薬入れからカートリッジを取り出して口にくわえた。

 二人は四体のオークに囲まれた。オークの眼の焦点は定まっておらず口からはヨダレを垂らしている。

 四体とも人の背丈ほどもある巨大なつるはしを手に持っている。

 (入団試験。覚えてる?)

 リモは椅子に立てかけていた自分の剣を抜くと石のテーブルに飛び乗った。 

 「奇遇だな。さっき思い出してたとこだ」

 ルガーはマスケット銃と鋼鉄の義手に弾薬を装填し終えた。

 リモを狙ってニ体のオークが同時につるはしを振り下ろした。

 リモはつるはしをかわして畑を仕切る石垣の上に飛び乗った。

 二本のつるはしはそのまま石のテーブルを砕いて地面に突き刺さる。つるはしは地中深く突き刺さった。オークは必死でつるはしを地面から抜こうともがく。

 ルガーは残ったニ体のオークのうち一体の目を狙ってマスケット銃を発砲すると、マスケット銃を逆さに持ち替えて地面につるはしを突き刺したのニ体のオークの方へ駆け寄る。

 目を被弾したオークはつるはしを落として両手で目を押さえて痛がっている。

 リモは石垣から、高く飛び上がり後方宙返りで目を被弾したオークの頭の上に着地する。

 残った一体のオークはつるはしをリモに向けて振り下ろす。

 ルガーは地面につるはしを突き刺したままの二体のオークのうち、一体の向こうずねを狙ってマスケット銃の台座を叩き込む。すねを破壊されたオークは堪らず地面に膝をつく。

 ルガーはオークの膝を駈け上がり顔面に鋼鉄の拳を放つ。

 ドンッ!!

 オークは隣の畑まで吹っ飛んだ。

 「一丁あがりだ!」ルガーはそう言うとリモの方を見た。

 リモは振り下ろされたつるはしが届く前に、目を被弾したオークの頭の上から高く飛び上がっているところだった。

 リモを狙ったつるはしは目を被弾したオークの頭をかち割った。

 「二丁だな」ルガーの顔にオークの血が降りかかる。

 ルガーは手で血を拭いながら、地面につるはしを突き刺したもう一体のオークに駆け寄る。そのオークはつるはしを引き抜くのをあきらめ、つるはしから手を離してルガーに向き直る。そしてそのままルガーを殴った。殴られたルガーの体が地面に叩きつけられて弾んだ。

 オークはルガーの頭を踏みつぶそうと足を上げる。ルガーの頭に巨大なオークの足の裏が迫る。

 リモはまだ空中にいた。手に握っていた砂をつるはしで仲間の頭を割ったオークの顔めがけて投げつけた。オークは目を抑える。

 リモは着地と同時に再びジャンプする。目を抑えたままのオークの横を摺り抜けざまに喉元を切り裂いた。オークから大量の血が噴き出し乾いた地面に血が染み込む。

 (三体目!)リモはルガーの方を見た。

 ルガーは迫ってくるオークの足の裏を目がけて左腕を掲げていた。

 ガンッ!! 

 踏みつぶされる直前で鋼鉄の拳でオークの足裏を撃ち抜いた。

 アぎゃぁぁぁァァァァ!

 オークは倒れて泣き叫ぶ。

 「これでシメェだ!」

 四体のオークは僅か一分足らずで全員戦闘不能となった。

 「終わったな」

 (オーク達は操られていた)

 「例のテレフォノが聞こえるのか?」

 リモがうなずく。

 「テラトロン」

 しわがれた声が聞こえた途端、拳大の大きさの火球の群れが飛来してきた。数は五~六発ほどで真上から降り注いできた。火球は手負いのオークを含めた二体を水蒸気の煙に変えた。

 ルガーとリモにも火球が迫る。

 二人は石垣の陰に飛び込んだ。

 寸でのところで火球は石垣に命中し事なきを得た。

 「追いかけてきやがる!」ルガーはリモを見た。

 リモは火球が当たらずに残った二体のオークの死体を見ていた。

 (ついて来て!)

 リモは石垣の陰から飛び出す。ルガーはリモの後ろに続いた。

 リモは二体のオークの胸部から腹部にかけてを剣で切り開いた。オークの体内から内臓がずり落ちた。

 リモはずり落ちた内臓を手早く引っ張って取り出す。リモが目で合図したので、ルガーも一緒になってオークの腸を地面に引きずり出す。

 「何してんだ!」

 リモはルガーの問に答えず必死で内臓を取り出し続けている。

 ルガーはふと辺りが明るくなったことに気付いた。

 見上げると、空から無数の火球が飛んで来るのが見えた。

 (塗って!)

 「何を?!」

 (オークの血! 自分に塗って! 体温を下げるんだ!)そう言いながらリモは頭から内臓を被った。

 訳もわからずルガーも真似てオークの内臓を両手に抱え、その中に顔を突っ込んだ。オークの体温は人間よりも低い。死んだオークの血はひんやりしている程だった。おまけにものすごく臭かった。

 火球は地面に次々と着弾していく。小石がはじけ飛び、砂煙が巻き上がる。

 着弾が止むと辺りは砂煙のせいで視界がきかなくなった。

 ルガーとリモはオークの血で全身血まみれだったが全くの無傷だった。

 周囲は白々しくも穏やかなブドウ畑に戻っていた。

 「止んだようだな……」

 リモは答えない。

 リモは腕で顔の血を拭うと石垣の上に飛び乗った。

 「何処へ行く?!」

 (城へ。やらなければいけない事をやりに行く)

 「待て! 一緒に行く!」

 (助けはいらない。僕の問題だ。そのために僕はこの国の騎士になったんだ)

 「イヤ! おまえを助ける! でなきゃオレはお袋との誓いを守れねぇ!」

 (言ってる意味が分からない)

 「分からなくていい! だがだめだ!」

 (何で?)

 「一人で喧嘩しようってんだろ? ほっとける訳がねぇ!」

 (ほっとけるよ。君と僕はもう騎士でも相棒でもない)

 「だめだ! 決めた! 譲らねぇ!」

 リモはルガーを見つめた。

 リモの亜麻色の髪はオークの血で汚れていた。だが太陽で輝きまるで黄金のようだった。

 (四英雄はドラゴンを倒しちゃいない。ドラゴンが生きてる証拠を持ってきてくれたら……助かる!)

 リモはそう言うと、次々と石垣の上を飛び移り、ブドウ畑の奥に登っていった。

 リモの姿はすぐに見えなくなった。

 「そっちは『気狂い洞窟』だぞ、リモ!」

 (オークは北東門じゃなく、こっちの方角から降りてきた。それにテラトロンが……)

  リモのテレフォノはそれきりだった。

  ルガーは荷物を片付けて背中に背負った。

  そしてオストラス山を目指して歩き出した。

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