第3話

 マレク王国の王子ピスタはいつもの悪夢から目覚めた。

 ピスタはベッドから降りてテラスに出た。

 テラスの先には見事な庭園が広がっていた。

 ピスタは腰にシーツを巻いただけの姿で庭園に出ていく。

 切り揃えられた一面の芝生、等間隔に植えられた南方産のヤシの木、美しいブーゲンブリア、点々と置かれた石造りの壷やベンチの横を通りすぎて行く。

 庭園の中央には大きな噴水があった。水は出ていない。

 丁度ピスタが噴水の横を通り過ぎるタイミングで勢いよく水を吹き上げ始めた。庭番がピスタのために少し早めに噴水を作動させたのだ。

 ピスタは五分かかって庭園の端まで到着した。

 丁度朝日が照りだしていた。日光はピスタの均整の取れた若々しい体を照らす。

 ピスタは庭園の淵から身を乗り出して下を見た。そこからは真っ逆さまに落ち込む崖のような急斜面と、そこに張り付く無数の住居が見えた。

 斜面の所々に突き出るように造られた出窓のような構造物が見えた。広場である。

この庭園もそうした出窓のような突き出しの上に造られていた。この庭園が『空中庭園』と呼ばれる所以である。

 『空中庭園』と同じくらい大きく崖から突き出た教会前広場では朝市の準備が始まっており、人々が小さなアリのように動き回っているのが見えた。

 広場や住居は板張りの道でつながっていて、そうした道が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。

 住居や道が張りついた崖は最終的に真っ青な海に落ち込んでおり、はるか下に小さな港が見えた。海上には漁から戻ってくる船がまるで模型のように揺れている。

 「豊かで素晴らしい国ですな、マレクは」

ピスタの背後から甲高い声が聞こえた。

 「トクビルか。流石老人だ。いつも朝が早いな」

 「王子の方はまた恐ろしい夢で目覚めたので?」トクビルと呼ばれた甲高い声の男が言った。トクビルは全身を黒いローブで身を包み、頭にもフードを被っている。

 「ハハハハ。いつまでも子供扱いする気だ?」

 「それは失礼致しました。それにしても、王都は本当に美しい。ここからこうして眺めていると感謝の念が自然と湧くのを禁じ得ません。幸いの国マレクを我らにお与えになった神への感謝を」

 「相変わらず芝居がかった物言いだな。魔法使いのおまえが神を?」

 「当然でございましょう。金鉱山は王子の曾祖父である建国王の代から採掘が始まりましたが一番古い鉱脈ですら今だ枯れる兆候すらございません。そうそう、昨日の調査でまた新たな鉱脈が発見されました。マレクは安泰です。これを神の御業と言わずなんと申せましょう」

 「だがそのせいで常に隣国エルフガルドに狙われている」

 「さすがの王子も戴冠式を来月に控え王の自覚が出てきましたな。ではなぜエルフガルドの小賢しいエルフ共は我が国に手出しできないのでしょうな?」

 「おまえに言わせればそれも神の御業だろう。摂政のおまえの功績はゼロだな」

 「いかにも。私の功績は王子を成人までお育てできたことに尽きます。他はマレクが元々備える幸運以外の何者でもありません」

 トクビルは目を細めて続ける。

 「海に落ち込む切り立った崖のような鉱山。その壁面に張り付く城と王都」

 ピスタは振り返って崖の壁面を見る。ピスタの部屋や空中庭園は崖から突き出た城の一部だった。マレクの城は崖の最上部に近い位置から最も大きく突き出ている。

 「崖の内部の鉱山は地中深く広がり、崖の上は国境線まで険しいオストラスの山々が連なる」トクビルは歌うような調子で言った。

 「世界有数の剣山、オストラス山脈を越えるのは自殺行為か」

 「いかに科学力、魔法力で人間を圧倒するエルフといえども、オストラス山脈地帯を越えて進軍する術はありません。とすると海から攻め入るしかありませぬが……」

 「エルフガルドに海は無い。侵略どころか我が国の海路貿易の邪魔すらできない。そうだな、できすぎだ。神とおまえに感謝することにするよ」

 王子はトクビルに向き直る。

 「おまえが命の恩人なのは本当のことだ。真面目な話、感謝の気持ちを忘れたことはない」

 「何です王子。何か欲しいものでも? 昔の話です。家臣として当然の行いをしたまでです。それに……私はあの旅で王妃様をお守りできませんでした……」

 「母上の事は言うな。それでも、おまえは幼い私の命を救ってくれた偉大な魔法使いだ。勿論同行してくれた戦士カルネ、僧侶マール、勇者ポメロへの感謝も忘れたことはない」

 「もったいないお言葉……」

 トクビルは目を閉じた。

 「ところでポメロの行方はまだ分からないか?」

 「はい、あの旅の後、ポメロは宿屋の経営を始めましたが上手くいかず、武器屋、防具屋、道具屋、色々職を変えたようですがどれも失敗。結局最後は王都の場末に酒場を開いたのですが、これも上手くいかなかったようです。最後は酒場で雇っていた女の部屋に居候として転がりこんだところまでは分かっているのですが……」

 トクビルはため息をついた。

 「以後行方しれずか……」

 「はい。王子のご命令通り、戴冠式に間に合うよう探させているのですが……行方知れずで……今頃どこで何をしているのやら……」

 「そうか、四英雄の内、彼だけが消息不明だ。何としても探して欲しい。捜索を続けてくれ。戴冠式には四英雄に揃って参加してもらいたいからな」

 「御意」

 トクビルは慇懃に俯いた。

 「おいおい、そんな口調はやめてくれ」

 「いえいえ、今から馴れておきませんと」

 トクビルは笑った。

 トクビルのローブの下の醜く焼けただれた顔を朝日が照らした。

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