第2話

 「リモ! コロシだ」

 背の高い黒髪の男が言った。

 男の名はジョージ・ルガー。マレク王国王立騎士団所属の騎士だった。

 ルガーは返事を待たず、木製の二段ベットの上の段の端から垂れ下がった金色の髪をぐい引っ張る。

 (痛い! 痛い! いたーい!!)

 ルガーは髪を引っ張った左手を見る。ルガーの左手には鉄製の義手がはまっていた。

 鉄製の無骨な指に金髪が何本か引っかかっている。強く引っ張りすぎて髪を抜いてしまったらしい。ルガーは指を広げる。指は滑らかに動いた。

 「うわっ! 悪りぃ! 悪りぃ!」

 ルガーは慌てて義手を振って髪の毛を落とした。

 髪を何本か引き抜かれたベットの主は音も無く床に降り立った。

 亜麻色のロングヘアに白のスリップを身に着けた若い女。

 若干の幼さを残したその顔立ちは少女のようだった。ただし身長はルガーと同じくらいあった。長身だ。

 「おい、リモ。男のクセに何てカッコしてやがる。女モンの下着なんて着てんじゃ……」

 リモと呼ばれた亜麻色の髪の女……もとい男はルガーの頭を掴んで、石積みの壁に力いっぱい打ちつけた。

 ゴンッ!

 衝撃で天井の漆喰がバラバラと床に落ちる。

 ルガーは頭を押さえなが壁から振り返る。

 (場所は?)

 ルガーの頭の中にリモの声が響いた。

 「教会前広場だ! 行くぞ」

 ルガーは部屋を出て行く。

 (待って。ルガー!)

 リモは素早く服を着ると、ベッドの上に置いてあった白いマントを羽織る。最後に枕の下から細身の剣を取り出すと腰のベルトに取り付けた。

 リモはルガーを追って部屋を飛び出た。

 廊下にルガーの姿は無い。

 廊下の突き当りの階段を飛ぶように駆け降りる。わずか三回のジャンプで一階に着地した。

 ルガーは壁に掛けてあったマスケット銃を背負って、ドアを開けて外へ出て行くところだった。

 リモは一階の暖炉に駆け寄ると、マントルピースの上のランプを掴む。

 暖炉の前には椅子に寄りかかるように地面にへたりこんだ初老の男がいた。男はゼイゼイと肩で息をしていた。

 リモは男を横目で見ながら暖炉からランプへ火を移した。

 リモはランプを持って外に出た。ドアが閉まる直前、暖炉の前の男が嘔吐するのが見えた。

 リモは中庭を走り抜け、通用門の所にいたルガーに追いついた。

 (暖炉の前にいたのは教会区の従士だね)

 「ああ、奴がオモヤ(騎士団本部)に知らせに来た。第一発見者は教会の僧侶。ガイシャは首なしだとよ」

 (首が無い? 身元を隠すためかな? コロシは二か月ぶりだね)

 「あん時はオレ達がアゲる直前にモントーネにホシを横取りされたな」

 (ここらで点数稼いどかないと僕たちのクビが危ない)

 「だな。オレもお前も中途入団の上、団長の覚えは悪りぃ」

 リモは剣の柄でルガーの横っ腹を思いっきり突いた。

 「イテぇ! おまえは団長の話になるといつもイラつくんだな。オレもあのゴリラは好きじゃねぇが……それでも四英雄の一人だ」

 リモは何も言わない。

 二人は通用門を出て、無言のまま走った。二人の靴が板を打つ音が響いた。板張りのデッキような道が暗闇に延々と続いている。

 ルガーは走りながら空を見上げた。

 「月は出てねぇな」

 (曇ってるからね)


 二人がアビヨン教教会前の大広場に到着したのは午前三時を回った頃だった。

 広場には白いローブ姿の若い男がランプを持って立っていた。

 「あんたが第一発見者か?」ルガーが声を掛けた。

 「キュイと申します」

 「発見時の状況を教えてくれ」

 「はい。夜回りの際に広場の真ん中辺りに、人が倒れているのに気付きました。ええと、あの辺りです」

 キュイは石畳の地面を指差す。リモがランプで照らすと、石畳の地面に血が広がっているのが見えた。

 「近寄るとその人の首が無いことに気付きました。急いで教会に戻って司祭様に報告しました。司祭様は私に騎士団への通報を命じられました。そこで私はこの辺りを担当する騎士団の従士様の家へ走りました。従士様の家は教会から少し離れていて……」

 「待て! 待て! 待て! 何処だ?」

 「何処って? ええと、ですから従士様の家の説明はこれからお話しするところですが」

 「そうじゃねぇ! 死体はどこだ! その首なしの死体だ! 何でここにねぇ!」

 「ええと、そうですね。司祭様が運ばせたのだと思います。私が従士様の家から戻ると遺体は既にここにありませんでした」

 「くそったれ! 勝手な真似しやがって」

 (ルガー。キュイさんにこの後どうしろと指示されてるのか聞いてみて)

 ルガーの頭にリモの声が響く。

 「自分で聞け!」怒鳴るルガーの言葉にキュイが不思議そうな顔をした。

 (説明が面倒だよ。『私は子供の頃の事故が原因で声が出せません。だから念会話の魔法テレフォノであなたの頭に直接語りかけてます』とでも言うの?)

 「それでいいじゃねぇか。まぁいい。キュイ、お前さんこの後どうしろと司祭に言われてる?」

 「はい。騎士様が到着されたら、教会にご案内するようにと」

 ルガーとリモはキュイが言い終わらないうちに走り出した。広場の向こうの端にそびえる教会を目指した。

 年中開きっぱなしの教会の大扉から明かり漏れている。ほぼ同時にスタートしたはずだが、リモは既に教会の中へ入っていくところだった。

 「相変わらず……速えな……」

 ルガーは遅れて教会の中へ入った。

 大勢の人間の目がルガーを睨んでいた。

 「何だ…………こりゃあ」

 白いローブ姿の僧侶達が一階を埋め、吹き抜きになっている二階の回廊からも大勢覗きこんでいる。その目は敵意に満ちていた。

 白い僧侶達の大群の真ん中に遺体があった。男の遺体は白い布が敷かれた台の上に仰向けで寝かされていた。

 確かに首から上が無い。遺体の傍らには騎士団のモントーネと彼の子分である双子のマンチャとノーチェがいた。

 「よォルガー。遅かったなァ。このヤマ(事件)はオレが仕切る。おまえら中途共は夜が明けたら付近の地取り(聞き込み)だ。分かったらうせろ!」

 マンチャとノーチェがにやけた。

 リモがルガーの目を見る。

 (変だな。モントーネがヤマを横取りするのはいつものことだけど、今回は来るのが早すぎる。僕達はオモヤ(騎士団本部)で第一報を受けた後、すぐにここに来た。当直の僕達より早くモントーネがここに来るのは不可能だよ)

 「どういうことだ?」

 (タレコミだよ)

 「誰が? 何のため?」

 (分からない。でも裏がある。僕が気を引く、ガイシャを調べて)

 「おい、おい、またおまえ等だけの内緒話かァ? 捜査の邪魔だ。とっとと外に出ろォ!」モントーネが教会の大扉を指さした。扉からは風が吹き込んでいる。

 リモは床を蹴ってジャンプした。

 リモの美しい亜麻色の髪と白いマントが宙を流れた。まるで妖精のようだった。

 皆の視線がリモに注がれる。

 リモは跳躍を繰り返し、教会内に並べられた木製のベンチの上を飛び移っていく。最期に奥の大きな祭壇の上に飛び乗った。

 リモは祭壇の上でマントを投げ捨てる。

 続いて上着を脱いで投げた。リモの上半身は白いスリップだけになった。

 リモがスボンに手を掛けると、僧侶達からは罵声とも悲鳴ともつかぬ声があがった。

 祭壇の前はリモに引き寄せられた僧侶の群れで大混乱だった。

 『おもしれぇ!』マンチャとノーチェは同時にそう言うと祭壇の最前列に分け入っていく。

 リモはズボンを脱いで真っ白な長い脚をくねらせる。

 「オイ! 邪魔だ! そこをどけっ!」モントーネも祭壇に近づこうとしていた。

 祭壇前の僧侶たちの中では掴みあいが発生していた。

 「リモ! ノってるところ悪いがショーは終わりだ」ルガーが大声を上げる。

 リモは(ノってない!)と怒ってスボンを履き始めた。

 全員がルガーの方を向いた。

 「バーカ! 途中で止めさせてんじゃネェ!」

 モントーネが皆を代弁するように言った。

 全員が殺気立った目でルガーを睨んでいる。

 「まだ全部脱いでねェじゃねェか。おまえはこの男オンナのヒモか……何か……か……?」

 モントーネはルガーを見つめながら腰の剣をゆっくり抜きはじめた。

 「オイ、オイ。待て。剣を抜くようなこったねぇだろ……」

 ルガーはモントーネの目を見た。真剣だ。

 「マジになるなって。どういうことだ? そんなにリモの裸が拝みたいのか?」

 ……違う……。

 ルガーは何かおかしいと気付いた。

 モントーネだけではない、全員がルガーを凝視している。

 リモまでがルガーを真剣な表情で見つめている

 ルガーは背後にあるはずの入口から吹き込んでいた風が止まっていることに気付いた。

 「オレの後ろに何か? ……いるのか?」

 (飛べ! ルガー!)

 ルガーは前方に飛び込んだ。

 辺りに木片が飛び散る。

 ルガーが振り返ると赤鬼(オーク)が教会の木の床に突き刺したつるはしを抜くところだった。

 赤い瞳と長いキバを持つ、身の丈四メートルの巨人。。

 「何で王都のど真ん中にオークが……」モントーネがつぶやいた。

 ルガーは転がりながら背負っていたマスケット銃を取り出す。

 「リモ! オレが目を撃つ。ヤッパ(剣)で喉を切れ! モントーネ! 援護しろ!」

 ルガーはそう言ってベンチの陰に隠れると腰の革袋から紙で包まれた薬包(カートリッジ)を取り出して端をかみ切り、弾丸と火薬を銃に装填した。ルガーの隠れていたベンチが消えて、替わりにオークの足が見えた。

 見上げるとオークが振り上げたつるはしの先に先ほどまでルガーが隠れていたベンチが突き刺さっている。オークはつるはしを振り回してベンチを振り飛ばす。ベンチは教会の天井にぶつかって砕け散った。バラバラと木片が落ちてくる。

 リモは祭壇から僧侶達の頭を飛び越えてオークに駆け寄る。人間離れした速度だ。リモは僅か数歩でオークの真後ろについた。オークはリモに気付くと振り向きざまにリモに向かってつるはしを振り上げる。

リモは床をスライディングしながら振り下ろされたオークのつるはしを剣で受け流した。はずだったが、オークの力はあまりに強く、リモは床に打ちつけられた形となった。

 「リモ! 逃げろ!」ルガーが叫ぶ。

 オークは横たわるリモを狙ってもう一度つるはしを振り下ろす。

 リモはすんでのところで避けた。だがつるはしはリモの長い髪ごと床に突き刺さってしまった。リモは床に釘付けになった。

 オークはつるはしを手放して、近くにあった人の身の丈程の大きさの金の燭台を掴むと、リモに向かって叩きつけようとした。

 ドンッ!

 ルガーのマスケット銃が火を噴いた。オークは血まみれの目を押さえて痛がる。

 黒色火薬特有の白煙に包まれたルガーは腰の革袋を床に叩きつける。袋から床にこぼれ出たカートリッジの一つを掴むとマスケット銃に装填しながら言った。

 「リモ! 掻っ切れ!」

 リモは自分の髪を剣で切ると、倒れたベンチを踏み台にしてオークに向かってジャンプした。リモはオークの肩の上を通過すると同時にオークの喉を音も無く切り裂いた。

 リモの着地と同時にオークの首から血が吹き出す。

 まるで噴水だった。

 ルガーとリモは頭から血の土砂降りを被った。壁際でうずくまる僧侶達の白いローブにも血が掛かり紅く染まっていく。

 教会内の白色を残らず紅く染め上げるとオークはようやく、どすんと仰向けに倒れた。

 「死んだ……か?」モントーネが言った。

 (ルガー! 変だ! さっきから誰かがテレフォノで何かを連呼している!)

 「誰が? 何を?!」

 (分からない! 聞いたことの無い言葉だ!!)

 床にひっくり返っていたオークが手足をバタバタと動かし始めた。

 「何でだ?! 死んだじゃねぇのか?!」ルガーが叫ぶ。

 オークは立ち上がると、壁を殴って、床を踏みぬき、手近なベンチを持ち上げては滅茶苦茶に投げ始めた。

 オークが投げたベンチが教会の隅にいた僧侶の群れに命中した。

 ――グジャッ。

 取り返しのつかない音がした。

 何人かの僧侶が倒れて動かなくなった。

 ルガーは潰れた僧呂の頭から目が離せない。

 奴らは今朝起きた時、頭を潰されて死ぬと思ったろうか?


 ”ルガー、弱いものを守って”


 ルガーの頭に母親の声がよぎった。

 ルガーは左腕の鋼鉄製の義手を一瞥する。手首の所に設けられた蓋を開けて内部を確認する。義手の中には大量の火薬が装填されていた。

 ルガーは狂ったように暴れているオークに向かって走りだした。走りながら、マスケット銃でオークの膝を撃った。オークは床に片膝をつく。なおもルガーは走るのを止めない。床に着いたオークの膝を蹴って巨体を駆け上がり、オークの耳を掴むとオークの顔面に鋼鉄の拳を置いた。

 キンという鋭い着火音。

 火薬の爆発力で鋼鉄製の拳が四十センチほど前方に素早く押し出される。

 拳はオークの顔面を打ち、そのままオークの巨体を教会の端の壁まで吹き飛ばした。

 さらに拳は撃ち出した力と同じ力で腕に戻る。その反動でルガー自身もオークが吹き飛んだのとは反対側の壁まで吹き飛んだ。ルガーの体は壁に叩きつけられてから床に落下した。

 教会内は静まった。

 「相変わらず割りに合わねぇな武器だな」

 床に横たわるルガーを見てモントーネが冷ややかに言った。ルガーの義手からは白煙が立ち昇っている。

 リモは何も言わずオークの死体に駆け寄ると、腹を横一線に切り裂いた。

 「おい。何してんだ?」

 モントーネの問いにリモは答えず、両手をオークの腹に突っ込んでもぞもぞと動かしている。何かを探しているようだった。

 (あった!)

 リモは腹から両手を取り出す。両手には赤黒い固まりが乗っていた。

 ――男の生首だった。

 生首には胃液や唾液がべったりと付着しており酸っぱい匂いを放っている。目は開いたままで、驚愕の表情を浮かべている。かなりの老人のように見えた。

 「ガイシャの頭を食ってやがった! 何で分かった?」モントーネがリモに近づく。

 (オークの歯に布の切れ端が挟まっているのが見えた。ガイシャの襟の一部も破けてた。襟が破けるなんてそうそう無いからね)

 「相変わらずこざかしいな。トゥマーテ・トマン!」モントーネが言った。

 リモの体が硬直したように固まって動かなくなった。

 「指一本動かせねぇよ。見事なモンだろ? おまえらはロクな魔法が使えねェ。だから下品な肉弾戦しかできねェンだ」

 モントーネはリモの手から首を取り上げると「合うか?」と言いながらマンチャに首を放り投げる。マンチャは受け取った首を木製の台の上の遺体の胴体と合わせた。

 「ピッタシ!」マンチャは親指を立てた。

 「リモナーダだったか? 名前も女みてェだが、近くで見ると並の女以上の上玉だな」

 モントーネは血だらけのリモの体をなで回す。そして耳元で囁いた。

 「オレはどっちもイケる。おまえがその気なら取り立ててやンぞ」

 モントーネはリモの髪をなでた。

 「いつも髪で左目を隠してんナ」モントーネはリモの髪をかきあげた。

 ルガーが床から起き上がる。

 モントーネはリモの左目を見て声をあげた。

 ルガーは起き上がるとすぐモントーネに駆け寄った。

 「ひぇー。ひッでェツラだな! まるでバケモン……」

 ドスッ!

 モントーネの腹にルガーの鋼鉄のパンチが入った。

 マンチャとノーチェがルガーを囲んだ。「しまった」とルガーは思った。リモはきっと何とも思っちゃいねェのに! とリモを見る。

 (鋼鉄の拳は連発できないのが不便だね)リモは硬直したまま涼しい顔をしている。

 やっぱり! 

 リモは左目の火傷の跡のことなんか気にしちゃいない。まさにこういった場面、言い寄る男を追い払いために自分の左目の火傷の跡を利用すらしてきた。ルガーは何度もそんな場面を見てきたはずなのにと悔やんだ。

 うずくまって腹を抱えて脂汗を浮かべたモントーネがルガーを見上げてニヤリと笑った。

 「しばらくの間、義手でメシを食う事になるゼ。……トゥマーテ……」

 モントーネが呪文を詠唱しようとした時だった。

 「バカ者共!!」

 教会の入口にがっしりした体格の男が立っていた。五十歳は超えていそうだが露出した両腕には筋肉が盛り上がっている。

 「カルネ団長!……私にお任せ頂いたのでは?」

 「黙れ。ホシ(容疑者)はこのオークか?」 しわがれているがドスの効いた声だ。

 「は……はい。オークの体内から、ガイシャの首が出ました。間違いありません!」

 「鉱山から逃げたオークか……。オークの顔を潰した馬鹿はどいつだ?」

 モントーネがルガーを指差す。

 「ルガー! 朝会までに報告書を上げろ! モントーネ! オークとガイシャの遺体をオモヤに運べ! 日が昇る前に終わらせろ!」

 リモはカルネを睨んだ。カルネはリモを一瞥すると教会を出て行った。

 「了解しましたァ!!」

 モントーネの声が教会に響いた。

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