第1話 忌み子

 ***



 神世の時代――天津神が国津神の支配を終わらせた頃。

 山々の秘境と呼ばれる場所で「其の名の男」は生まれた。四方を取り囲む山々の峰は空と同じほど高く、緑と恵みの土地 。


「其の名の男」は代々癒やしの神の末裔として薬を作ることに長けた一族で、現在の島根県の県境にそびえ立つ比婆山ひばやまの近くの里に住んでいた。

 集落の周辺には壁石と堀が存在し、出入口は中央にある関所のような建物が目立った。厳重な石の要塞は見知らぬ他人を拒絶しているようにも映る。


 里の中は竪穴住居が一定の間隔ごとに作られ、その周辺で焚き木をする者や、家から湯気の煙が漏れ出るのが窺える。

 ざっと数百人単位の里だろうか。入り口付近には広場が設けられ、活気のある市場が広がっていた。簡素ではあるが、木材の台には様々な食料などが並んでいた。

 人々の服装は麻で織った衣をまとい、思っていた以上に清潔な身なりを保っている。それもこれも周囲に源泉があるからだろう。男性の髪は両脇に結っており美豆良みづらという。女性はほとんどが後ろで髪をまとめるか結っており、勾玉を首から下げている者が多い。


 様々な薬草や食料を育て、時折、時の王朝や近隣の豪族の貿易が細々と行われていた程度の交流はあったのだろう。里の者たちはみな活気に満ちていた。


 里の奥に進むと、ひときわ大きな竪穴住居──いや、門構えやその建物の大きさからいって屋敷が見えてきた。高さ三十二メートル、幅十メートルで里の中で最大規模の建造物だ。


 ふと大型竪穴住居から体を屈めて外に出てきたのは、黒い髪の少年だった。

 十三、四歳ぐらいだろうか。その双眸は紫の綺麗な宝石の用だった。二十代の武者姿だったころに比べてしまえば貧弱と言えるだろう。


 少年は早歩きで里の中を歩き、何処かへ向かっていた。それは彼の足取りや視線で何となくわかった。ふらりと散歩気分と言うような雰囲気でもないし、やけに足早なのだ。その上、すれ違う人とも挨拶程度はあってもそれ以上にどこかそよそよしい。


 この光景を見ていた影は鎧武者にこう問うた。

「妙な視線を受けているのはなぜか? あの少年は里の人たちと仲が悪かったのか」と。


「……いや、ちょうどこのころは彼の祖父が亡くなって一か月が経った頃だ。祖父の死によって、あの少年の平穏は崩れ去った」


 影と鎧武者は《記憶の再現》の中にいた。

 実際にあった記憶の再現。影も鎧武者も目に見えている全てに触れることは叶わないわない。これは時代を巻き戻したわけでもない、ただの記憶の投影でしかないのだから。


 鎧武者は指を指すと、そこには井戸の周辺で主婦層の女性たちが二、三人話しているのが見えた。

「これが本当の井戸端会議」と影は心の中でそう思った。

 そんなのんきな感想を抱いていた影に反して主婦層たちの会話はある噂話のようだ。


「あら×××さまじゃない」


 名前が聞こえない。

 まるでノイズが入るように影である──には聞こえなかった。


「×××さまも気の毒よね。先代のおびとさまが病で亡くなる際に次の後継を×××さまにするなど言い出すなんて……」


「でも結局、父親である××さまが首になられたんでしょう。……にしても、×××さまも不憫よね。祖父と思っていた方が実は父親だっていうんですから」


 厚い雲に覆われた空は太陽にかぶさり、里には夜のような暗がりが生まれた。


「…………」


 少年にも聞こえている声で、主婦たちはぺちゃくちゃ鳥のように鳴いた。

 他人の不幸を喜び、悦に入るそんな下種なのは今も昔も変わらない。彼女らにとっては刺激のない毎日を潤わす種でしかない。


「あの夫人たち殴れないかな」と影は鎧武者に訴えた。

「……気持ちだけ受け取ってやるから、抑えろ。実際にそう言われても仕方のない。あの少年の祖父が息子の嫁に手を出して作った子だからな。不義の子、忌み子といわれるのは道理だ」


「そんなの祖父と嫁が悪いだけであって、子どもに何の罪もない」と影は膨れてぶつくさ文句を吐く。鎧武者は影の言葉を無視して記憶の中の映像に視線を向ける。


 人里離れた竹林へと向かう少年を追いかけて燈と猫は足早に後を追う。

 その後ろ姿は何処か頼りなく、背中は小さく見えた。


 竹林の笹は十メートル以上に伸び、新緑がさらさらと風に揺られて音を奏でる。日差しが差し込み、先ほどの暗がりを払しょくするようだった。


「……ちなみに、父親との仲は祖父が亡くなるまで、あの少年の環境は悪くはなかった。九人兄妹の中で薬師としての才能は二番目に長けていたし、彼の父は族長としては民からの信頼も厚く支持も受けていた。彼の中で思い出せる父親の姿というのは、いつも楽し気に笑う人のよさそうな大人だった。そして何よりも柔和で争いを嫌う男でもあったという」


 しかし、祖父が亡くなった日に崩壊した。

 鎧武者は自らが呪われた存在だと知る。あの少年の名は「八」の字が使われているのに、その下の妹の名も「八」を使われた理由――

 答えは簡単だった。

 俺は父の子ではなく、祖父の隠し子だったからだ。


 その日から少年の世界は一変した。

 里の皆に少年の出生が広まると距離をとり忌避の目で見るようになった。

 忌み子――そう呼ばれるようになるのに対して時間はさしてかからなかっただろう。友と思っていた者たちは次第に離れ、兄弟や父と母もまた腫れ物に扱うように接してきた。次第に少年には居場所と呼べるべき場所が失った。


 少年の何が変わったというわけでもないのに、世界は一変して裏切りを叩きつける。気づけば母屋から離れた離れにある蔵に足を運んでいた。

 そこでは八人目の妹が静養している場所であり、一族の叡智を結集させた場所。


 ふと竹林の合間から一件の倉が見えてきた。

 竪穴住宅とは違い、どちらかと言えば高床倉に近い。高床でない所以外造りは似ている。

 倉の周囲には虫避けの香が毎日欠かさずに焚かれており、護衛が数人ついていた。少年に挨拶はするが、護衛の表情からは侮蔑にも似た下卑た感情がありありと浮かび上がる。


「毎日毎日、ご苦労な事です」


「ああ」そう短く答えると少年はそそくさと倉の中に入った。


「忌み子と呪われた妹か、お似合いだな」


 そう吐き捨てる声が聞こえたが少年は無視する。

 一々反応することでもないと言わんばかりの態度に護衛はさらに苛立った。


 

「……妹とは?」と影は疑問を投げかける。

「入ればわかる」とそれだけ言って、鎧武者は扉の中へと消えてしまった。答えを貰えず、影はしぶしぶと倉の中へと入り込んだ。


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