第2話 刹那の安らぎも絶望に染まる

 少年の来訪で重厚な扉が音を立てて開き、何重にも鍵がかかった扉をくぐって、中に入ると薬草と本特有の匂いが充満していた。


 外から見たら単なる土蔵にしか見えず、一世帯が生活できる程度の広さはあるが、中はそれ以上に広く、外の明かりも十分に入り込み、風の通りも良い。薄暗くじめじめした空間とは縁遠いものだった。

 倉の天井に木材の代わりに水晶と呼ばれる鉱物を加工したもので現代風に言えばステンドグラスに近いだろう。この鉱石のおかげで部屋に日差しが入り、明るさを保っていた。そして天井まで届くような戸棚には、竹簡と貴重な和紙で編纂された書物が詰まっている。書物や竹簡に至っては床に積みあがっているものもあり、足の置き場が見当たらないほどに散乱していた。


 倉には生活スペースが設けらえており、土間と寝室、風呂等などが用意されておりこの倉ですべてが完結している。それは特別待遇ともいえるが、別の見方をすれば監獄に近いだろう。


「兄様。おはようございます」


 兄の来訪を心から喜ぶ末の妹。本当は九人目だというのに八の名をもつ少女。

 名は──

八葉やはおはよう」


 紅の鎧武者と影もまた部屋で話を聞いていたのだが、妹の名に影がびくりと反応を見せた。仲睦まじい兄妹のやりとりではっきりと聞こえた末の妹の名前。


「九人目なのに、なぜ八葉の名なのか」と影は鎧武者に問う。


「本来であればその通りだ。……八葉が生まれるころにはあの小僧の出生に、父親は薄々気付いていたんだろう」

 

 そして一番下の妹が離れに暮らしている理由。それは一族の中で唯一祖先の残した薬学書の文字を解読できる金の卵だからだ。


 六歳からこの倉で毎日膨大な数の書物の翻訳を行っている。また土間には薬用の植物が置かれ、研究のため育ている。月に数度だけ八葉は比婆山ひばやまに入ることを許され、そこで周囲の生態調査をしつつ、新たな薬草を見つけるという作業がある。それ以外はここで寝ても覚めても一人きり。表向きは病弱と言っているが、下手に秘密が漏れないようにするための嘘だ。


 末の妹、八葉は童顔で平凡な顔つきだがボサボサに伸びきった髪、お下がりの襤褸衣を着こんでいるせいで酷くみすぼらしい。


「髪は綺麗に揃えて切って、結いておけと言わなかったか?」

「一人だと難しくて……。兄様に切ってほしいのです」


 必要とされたことが嬉しかったのか、それとも妹のみすぼらしさが目に余ったのか……少年は不承不承ではあったが最後には「わかった」と頷いた。


 少年が倉に出入りし始めたのは祖父が生きていた頃だ。他の兄妹に入室の許可を与えず少年だけが出入りを許された。当時はその優越感に浸っていて気づかなかったが、おそらく祖父は自分の死後、彼の居場所がなくなることを薄々気づいていたのかもしれない。

「それなら最初から誰の子だったかなど残さずに死んでくれればよかった。真実など知らないほうがどれだけ幸福な事だろう」と少年は毎日、そんな事を考えていた。


「お前は、ずっとここに居て寂しくないのか?」

「前は爺様が来ていた。……今は、兄様がいるから、さびしくないのです」


 妹の世界には祖父と少年しかいないのだろうか。少年は父や母の事を尋ねると、彼女は俯いて視線を床に向けた。


「父様は、石斛せっこくの研究成果しか興味ないですから」

「石斛? ……ああ、我らが祖先の名を付けた少彦薬根すくなひこなのくすねの栽培のことか」


 ちらりと土間へ視線を移すと、寄生木の一種で、木の上に生えたものを木斛もっこく。岩の上にはえたものを石斛と言う。櫛のある細い棒のような黒紫色の茎、複数に節があり、葉は細い楕円形で艶がある。大きさが十分に成長すると葉のなくなった茎に花を咲かせる。赤紫がかかった白い花弁で、よい香りがする。細い根でしっかりと木や岩に着生している。

 虚弱体質の強壮を目的に使用する高貴薬として重宝されており、里の経済力の支えにもなっている特別な薬といえた。


「うん。……私たちの祖先が持ち込んだ植物だから枯らさないように、大事に育てているんだけど、父様はもっと数を増やせって……。私たちは太陽や大地、植物に生かされているのに、私たちの都合を押し付けるのはよくない。いずれ報いをうけることになると思うの」


 ぼそぼそと呟く少女に、少年はあいまいな生返事を返す。彼は末の妹の髪をさっさと切ると勝手気ままに部屋に上がり込んだ。近くにある薬学の書物を片っ端から読んでいく。


 ここが少年にとっての最後の寄る辺。

 既に不義の子である烙印を捺された忌み子。

 一族の結束が強く、信頼と掟が絶対だったこの時代、少年は既に村八分のような扱いを受けていた。それを払拭するには一族の繁栄につながる偉業を為さなければ一員として認めてもらえない。すでに兄が7人もいるのだ、下手に面倒ごとを起こせば、確実に里から放り出されることは間違いなかった。



***



 それから一年と数カ月。

 早送りのような感覚で倉の様子を見ていたが少年は足しげく通い、それを末の妹は出迎える。

 穏やかな時間。それがいつか終わってしまうかもしれない細い糸で編まれた日常であったとしても、この時──少なくとも妹は幸福そうだった。


「 兄様、外の話を聞かせて下さい」

「わかった、わかった」


 いつの間にか少年は本当に妹を思いやれる兄になっていた。

 この先、里でどうやって生きていくか。見返す方法を考えていたのが馬鹿らしく思えるほどに……。


「末の妹の仕事を手伝い、薬学の研究に没頭するのもいいかもしれない。煩わしい人間と顔を合わせる回数も減るし、ここは居心地がいい」と、そんなことを少年は考えていた矢先、二人の父が朝廷に謀反を起こし処刑された。

 唐突に瓦解した幸福とも呼べる出来事の先に、明るい未来などなかった。


 空間が歪み、いつの間にか鎧武者と影は里を空の上から見下ろしていた。

 夕暮れが闇色に染まるころ、影のように人影が里を襲撃している。

 悲鳴と怒号が混じり合う。

 紅蓮の炎が嘗めるように建物を燃やし尽くしていく。夜だというのに、炎の勢いは収まることを知らず、昼間のように明るい。

 噴き上がった炎は全てを飲み込み、焼き尽くす。押し寄せる爆風に人は木の葉の如く簡単に薙ぎ払われ、吹き飛ぶ。


「朝廷の刺客? 反逆したって密告があったから?」と影は鎧武者に事の顛末を尋ねる。

「実際はそう単純ではなかった。事の始まりはあの小僧の父親が族長になったことに不満を持つ人物がいたのだ。父の兄であり、宮中に残った一派。彼らは祖父の死後、族長の座を狙っていた。だから簡単にその座に就けると思ったんだろう。ところが、遺言には孫の名前が書かれていた」


 その孫こそ忌み子であった。

 忌み子──×××は成人ではないので、代理として親である父親が一族の族長になると周囲に説いて回った。実際、里を離れた長男一派と、里で信頼を得ている次男であればどちらに軍配が上がるかは明白だった。


 しかし、それがこの結果を生むキッカケとなった。


「王朝に弓引く存在だと噂を出ちあげ、反逆者の烙印を押す前に族長の首を差し出せば皆殺しにはしない。そう、脅しをかけて来たのだが……」


「違うの?」と影は目の前に広がる惨劇を見つめながら問うた。


「ああ。脅しをかけるためにある豪族たちもまた里を訪れた。そして彼らはこの里で研究していた薬学に目を付けた」


 そう鎧武者は淡々と語る。

 燃え盛る炎、逃げ惑う人々を眺める影は何処か達観としている。それはどうあがいても眼前の人たちを救うことはできない。

 これは鎧武者の過去を映像化しているだけであり、言ってしまえば映画の世界に入りながら視聴しているに過ぎない。干渉すらできないのだ。


「……これはあとで少年が調べたことだが、王朝としては力を持つ一族が増長するのを抑えるために。薬学を簒奪することに協力をした豪族は元々、医療に関して並々ならぬ興味があったという。元は術式を組むのに特化した術者の集団。戦闘の派遣、及び闇に乗じる術を心得ていた。端から勝ち目などない」


 宮中で叔父やその一派も惨殺されているだろう。鎧武者はさらっと言った。伯父と共に、里は夜襲をかけられ煉獄の炎にくべられた。


「八葉!」

 倉に飛び込むと、幼い八葉は自らかきあげた書物を油に浸して燃やしていた。


「爺様が言っていた。いつか良くない者がこの英知を奪いに来ると。だから、その時が来たら燃やせって」

「そんなのどうだっていい。早く逃げるぞ」


 少年は八葉の手を引いて脱出用の道を駆ける。それは祖父に教わったもので彼以外に通った形跡はなかった。もっとも通り道を知らない者が足を踏み入れればいくつもの仕掛けの餌食となって死は免れないだろう。


 ***


 紅葉色よりも禍々しい赤い炎が、里を奪い尽くした。

 少年は足の遅い末の妹を背負って比婆山の方角に逃げた。旅路は王朝の兵士たちが見張っており、獣道を通ってできるだけ里から離れた。

 それから一日歩き続けて、比婆山のとある社へと辿り着いたところで、足が動かなくなり大樹の下で少しばかり休むことにした。


「八葉、少し休む。水でも飲むか?」

「…………」


 返事がなかった。寝ているのかと思ったが、すぐに異変に気付く。


「八葉!?」


 その時初めて、妹の反応がないことに気づいた。

 慌てて背中から下ろすと、妹の左肩に矢が深々と突き刺さっていた。妹はぐったりとして身じろぎ一つしない。


「兄様……」

「待っていろ、今応急処置を……!」


 もしかしたら単なる流れ弾だったのかもしれない。弓矢を抜く手は恐怖と怯えで震えていた。震える手が収まらなければ何もできない。

 末の妹は咳き込み自分の死期を悟っていたのか、何処か虚ろな目で微笑んだ。


「兄様、……ごめんなさい。わたしを、ここに置いていって…ください」


 余りにも優しい自己犠牲。

 優しさは人を弱くする。力が無ければ何も守れない。

 か弱く小さな手を少年は握りしめることしか出来なかった。


「すぐに傷の手当てをすれば……!」


 そう言いかけた時、遠くで声が聞こえた。大人の──殺気立った声だ。


「血の跡はこっちだ!」

「絶対にだれも生き残りを作るな!」


 草の根をかき分けながら人海戦術で逃げ延びた者を追いつめる。徹底したやり口に少年は歯噛みする。

 近づくにつれ金属音を鳴らしジリジリと緊張感が高まる。その圧倒的な殺意に耐えられなかったのだろう。極限状態に陥った少年の行動はいたってシンプルだった。


「っああ……」


 少年は妹の手を離して、一歩、一歩後ずさった後、脱兎のごとく逃げ出した。本能的にと言うほど、素早く足は動いた。

 末の妹が何か言葉をかけていたが、彼は振り返ることなく走り続けた。

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其の名は あさぎ かな@電子書籍二作目 @honran05

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