第6話 喫茶・ノースポールにて①

「先輩。今日のお弁当です」

「わーいありがとう!ちなみに作ったのは」

「私じゃないですよ?」

「そっかぁ…まぁいいや。いつも本当にありがとうね」

「…別に、いいですよ。それくらい」

先輩と付き合いだしてからというもの、昼休みには中庭に連れ出されて昼食を共に摂っていた私は、今日も今日とて先輩に教室から連れ出され、中庭で先輩に弁当を手渡していた。

私が先輩に弁当を渡すようになったきっかけは、初めて昼食を共にした日、先輩が食べていたご飯の量に起因する。

先輩は、おそらく大食いだ。それは、告白の返事をしたあの日、ファミレスで見た光景が如実に物語っていた。だからこそ、私はきっと、昼食もあの時と同じように、ちいさい身体のどこに吸い込まれているのだろう、と言いたくなるような量の昼食を用意しているものだと、そう思っていたのだ。

しかし、蓋を開けてみればどうだ。先輩が昼食として用意していたのは、ホットケーキのような菓子パンだけで、私は思わず、それで足りるんですか?と尋ねてしまった。そして、その問いに先輩が困ったような顔をして、全然足りないんだよね、と返すのを聞いた瞬間、私は、居ても立っても居られなくなって、思わずこう言ってしまったのだ。

―先輩の分のお弁当、明日からは私が用意しますから。

これが、事の顛末である。こうして私は、先輩のぶんまでお弁当を用意するようになった。最も、その弁当を作っているのは私ではないので、作ってくれている人には迷惑をかけているなあ、とも思っているのだが。むしろよく引き受けてくれたな、と申し訳なくなるくらいである。

最初は申し訳なさそうにしていた先輩だったが、2,3日も続ければ、いい加減慣れてきたらしい。満面の笑みを浮かべて、私のお弁当の倍は量がありそうなそれを、もぐもぐと腹の中に収めてくれるようになった。そして、そんな先輩の様子を見つめながら、ぽつぽつとたわいないを話をする。そんな穏やかな時間が、私は嫌いではなかった。

そういうわけで、今日も私と先輩は、たわいない話をしながら昼食を食べている。相変わらず、量の多いお弁当を、にこにこと幸せそうな笑顔を浮かべて腹の中に収めていく先輩を見ていると、なんだか私まで幸せな気持ちになってしまう。先にお弁当を食べ終わってしまった私は、そんなことをぼんやり考えながら、先輩の幸せそうな表情を見つめていた。あ、またご飯粒ついてる。ひょいと指で掬いとれば、先輩は一瞬ぱちくりと目を瞬かせると、ほんのりと頬を染めて、ありがと、と小さな声で言った。ファミレスでもそうだったが、この先輩、意外と私から何かをすると照れる。普段は無茶苦茶な言動で私を翻弄する先輩だから、そういう顔をたまに見せられると、なんだか意趣返しが成功したような心地になってしまうのだった。

「ごちそうさまでした!」

そうこうしているうちに、先輩もご飯を食べ終わったらしい。ぱち、と手を合わせてそう言い放つ先輩の声がした。私もその声に倣って、手を合わせてごちそうさまをする。先輩は、空になったお弁当箱をこちらに手渡すと、美味しかったよ、とこれまた幸せそうに笑いながら言った。

昼休みが終わるまで、まだ時間は残っている。普段ならこのままたわいない話を続けるのだが、今日の先輩は、たわいない話をすることもなく、何故か真剣な表情を浮かべると私の手をぎゅっと握り、言った。

「音澤さん。今日、放課後時間あるかな?」

「へ?」

その真剣な表情に、何を告げられるのかと身構えていた私は、その真剣な表情に見合わない言葉に、思わず拍子抜けする。

「え、それだけですか?」

「う、うん。そうだよ?一緒に来てほしいところがあるんだよね」

思わず確認を取れば、先輩は首を傾げながらも私の問いかけを首肯した。何言ってるの?とでも言いたげな態度に、思わず、先輩が突然真剣な表情を浮かべるからでしょうが!と怒りたくなった。紛らわしい。余りにも紛らわしすぎる。予定を確認する程度で、そんな真剣な表情を浮かべないでほしい。美人の真剣な表情は、圧があって怖いのだ。

まあ、それはともかくとして。

(放課後か……)

折角の先輩からのお誘いだ。できれば一緒に行きたい。

だけどそれを、あの人は許してくれるのだろうか。

生徒会の見学は、学校内のことだから許された。だけど今回のこれは、多分そういうのではない。どちらかと言えば、遊びの部類に入るものだろう。

そんな浮ついたような私の行動を、あの人は許してくれるのだろうか。入学式の日に、ほんの少しだけ帰りが遅くなっただけで、不機嫌そうに鼻を鳴らしていた、あの人が。

「……駄目、かな?」

その、寂しそうな先輩の声に我に返る。先輩は、しゅんとした表情を浮かべて、私をじっと見ていた。その、捨てられた子犬を彷彿とさせる表情に、私は思わず言葉に詰まる。無理だ。こんな顔をする先輩のお願いを断るなんて、そんなこと、私にはできない。

あの人とのことは、あくまで私の家の問題なのだ。そこに、先輩を巻き込む必要は無い。怒られるなら、それは、私だけでいいのだ。

「……駄目じゃ、ないですよ。大丈夫です。放課後、空いてますよ」

務めて笑顔を浮かべてそう言えば、先輩はぱあっと表情を明るくする。ありがとう!と、明るい声で言われれば、悪い気はしない。断らなくてよかった。私は内心でほっと息を吐いた。

「ところで、私に来てほしい場所ってどこなんですか?」

その問いに、先輩はふふ、と悪戯な笑顔を浮かべて返事をした。

「僕の、バイト先だよ」



「ここだよ」

放課後、先輩に連れられてやって来たのは、レトロな雰囲気が漂う喫茶店だった。流行りのチェーン店とは違う、落ち着いた雰囲気のカフェは、女子高生のバイト先としては些か不釣り合いなように思う。私が先輩とカフェの扉の間で視線を彷徨わせていると、先輩は私の視線に構うことなく、カフェの扉を開けて中へと入っていった。カラン。扉に掛けられているベルが涼し気な音を立てる。私は慌てて、先輩のあとを追いかけて店内に入った。

「おはようございます」

「はーい。ってあぁ、ありすじゃないか。おはよう」

先輩が店内に向かって挨拶を投げかける。先輩のことを「ありす」と呼んで返事をしたのは、若い男性の声だった。そういえば先輩は、ありすって愛称で呼ばれることが多かったんだっけ。そんなことを考えながら、私は声のした方―カウンター席の奥を見つめる。

程なくして、先程の声の主と思われる人影が、カウンター席へと姿を現した。

まるでテレビの向こう側にいる俳優のような美貌を持った、若い男性だ。肩ほどまで伸ばされた綺麗な黒髪を後ろで括ったその人は、確かに男性のはずだが、しかし男にも女にも見えるような、そんな不思議な風貌をしていた。肩ほどまで伸ばされた髪も、その性別の曖昧さに拍車をかけている。年齢も若く見えるけれど、しかし洗練された大人の雰囲気を纏っていて、掴みどころのない、不思議な印象を他人に与える人だと思った。

そんな不思議な雰囲気を持つその人は、私の方を向くと、にこ、と柔らかな笑顔を浮かべてた。そのまま、くるりと先輩のほうを向いて、問う。

「この子はどうしたんだ?お前が同じ学校の子を連れてくるなんて初めてじゃないか」

「あ……えっと、最近仲良くなった後輩だよ。前から言ってたでしょ?店長に紹介したくて、連れてきちゃった」

「ああ、前から言ってた例の後輩ちゃんか」

そう言って、先輩と男の人は、朗らかに会話を始める。しかし私は、私を紹介すべく放った先輩の言葉に、ほんのわずかな胸の痛みを感じていた。先輩と私の本当の関係性は誰にも言えないものなんだと、そんな当たり前の事実を目の当たりにして、そしてどうしようもないその事実に、何故だか無性に悲しくなった。私のことを「仲良くなった後輩」と紹介する前に、一度言い淀んだ先輩の声が。私の胸を、これでもかというほどに締め付けた。

「……どうかした?」

その優しい声音に、はっと現実に引き戻された。目の前には、中性的な風貌の綺麗な顔があって、思わず私は一歩後ずさる。店長、と先程先輩に呼ばれていたその人は、心配そうな表情を浮かべて私を見つめていた。

「あ、だ、大丈夫です!なんにもないです!!」

「本当?気分悪いとか、そういうわけではないんだな?」

その問いにもこくこくと頷けば、その人はようやくほっとした表情を浮かべた。そっと私から距離をおくと、これまたお手本のように洗練されたお辞儀をする。

「ようこそ、喫茶ノースポールへ。俺は店長の日下部冬樹だ。せっかく来てくれたんだ。ゆっくりしていってくれ」

「あ、は、はい!ありがとうございます!え、えと……」

こちらも挨拶をしようとわたわたと口を開けば、店長―冬樹さんはそんな私の様子が可笑しかったのか、くすくすと笑みを零した。笑われたことがなんだか恥ずかしくて、顔が熱くなるのを感じる。そんな私に構うことなく、冬樹さんは口を開くと、言った。

「音澤夜鈴ちゃん、だろ?ありすから話は聞いているよ。俺も一度会ってみたかったんだ。だから、来てくれて嬉しいよ。こちらこそありがとう」

そう言いながら、柔和な笑みを浮かべる。人好きのする笑顔だ。その辺の女の人をいとも簡単に恋に落としてしまいそうな、そんな笑顔だった。

「あっ!店長!?音澤さん口説いちゃだめ!!ほら、厨房に戻ってください!!僕も着替えて仕事始めますから!!」

そんな様子を見かねたらしい先輩が、私と冬樹さんの間に割り行って、どこか不満げな声音で言う。冬樹さんは、はいはい、と軽く返事を寄越して、厨房があるのであろう奥のスペースへ戻っていった。

それを見届けてから、先輩はくるりとこちらを振り向いて、言う。

「んじゃ、音澤さんはあそこの奥の席で座っててね。後で注文取りに行くから」



先輩に案内された一番奥側のカウンター席。そこでコーヒーをちびちびと飲みながら、私はぼんやりと、席に腰掛けていた。

店長である冬樹さんの自慢なのだという挽きたてのコーヒーは、香りも良く、とても美味しい。店内が賑わっていることからも、この味は色んな人に好まれているのだろうということは安易に想像がついた。苦いけれどどこか優しい味がするコーヒーは、店長である冬樹さんの人柄を彷彿とさせるような、そんな味だった。

そんなことを考えながら、ゆっくりとコーヒーを啜っていた私の前に、そっとケーキが置かれる。それに驚いて顔を上げれば、カウンター席を挟んだ向こう側に、柔らかな笑顔を浮かべた冬樹さんの姿があった。

「え、えっと……私、ケーキなんて頼んだ覚えはないんですけど」

「俺からのお礼、みたいなものだ。気にせず食べてもらえると嬉しい」

お礼、という言葉に引っかかるものはあったが、私に差し出されたものを断るのも失礼だと思い、私は、ありがとうございます、と礼を述べ、有難く受け取ることにした。

プレーン生地の、シンプルなパウンドケーキだ。一口分をフォークで切り分け、隣に盛られたクリームを絡めて、口内に迎え入れる。美味しい。素朴で、甘さは控えめなそれは、甘いものが苦手な私でも食べやすいものだった。コーヒーと同じく、優しい味がする。

「……美味しい、です」

素直にそう言えば、冬樹さんは、良かった、と言って微笑んだ。そして、一度口を噤み、何かを思いとどまるような表情をしたが、意を決したような表情をすると、再び口を開いた。

「……ありがとうな、夜鈴ちゃん。ありすと仲良くしてくれて」

そう言う冬樹さんの真意が見えず、私は首を傾げる。そんな私を見て、冬樹さんは苦笑を漏らすと、言葉を続けた。

「あいつ―ありすがここで働くようになったのは、あいつが高校に入ってすぐの頃だったんだが……あいつ、毎日のようにここに来ててな。こっちが心配になるくらい働いてたんだ。学生なんだからもっと頻度減らしてもいいんだぞ、って言ってもすぐには頷いてくれなくて。んで、暫くたってようやくバイトのシフトを減らしたいって言われたんだけど、理由聞いたら生徒会に入るからって言うじゃん?本当に心配だったんだよ。お前ちゃんと休んでるの、って。友達と遊んだりしてんの、いやそもそも友達いるのか、ってな。俺が心配することではないって分かってても、どうしても、心配だった。あいつが心の底から楽しそうにしてる所を、俺は、見たことがなかったから」

「そう、なんですか」

「ああ。でもな―」

冬樹さんはそこでもう一度、言葉を切った。そして、ふわりと嬉しそうに表情を綻ばせると、言葉の続きをそっと零した。

「ちょうど、入学式の日だったかな。ありすが、嬉しそうな顔をしてここに来て、言ったんだ。『友達が、できるかもしれない』って。『いつかここに連れてきて紹介するから』って。嬉しそうに、楽しそうに顔を綻ばせて、言ったんだよ。その言葉が、俺、本当に嬉しくて。ずっとその、『ありすの友達』に会えるのが、楽しみだった。それでな、どうしても伝えたかったんだ。ありがとうって。ありすの、あんなに嬉しそうな表情を引き出してくれて、ありがとう、ってな」

「……」

思わず言葉に詰まる。突然告げられた感謝の言葉をうまくかみ砕くことができなくて、私はただ、呆けたような顔をして、冬樹さんの言葉に耳を傾けることしかできなかった。

そんな私を見て、冬樹さんは「こんな話急にされても困るよな」と、申し訳なさそうな表情を浮かべて。だけど、まだ伝えたいことがあったらしく、お願いがあるんだ、と言葉を続けた。

「こんなこと、俺の口から言うことじゃないって分かってる。それを承知で言わせてほしい」

冬樹さんの真剣な表情に、思わず背筋が伸びる。ドキドキと早鐘を打つ心臓を上からぎゅっと押さえつけながら、私は冬樹さんの言葉を待った。

冬樹さんの口が再び動いて、言葉を零す。


「ありすのことを、よろしく頼むよ。仲良くしてやってほしい。今まで楽しめなかったであろうぶんまで、夜鈴ちゃんの隣で、あいつには楽しく、高校生活を送ってほしいんだよ」



そう言うと、冬樹さんは私から視線を逸らした。視線の先には、注文を取っている先輩の姿がある。先輩のことを、まるで宝物を見つめるかのような優しい瞳で見守る冬樹さんの姿に、私は、きっとこの人の言葉を裏切ることはできないと、そう思った。

こんなにも、先輩のことを大切にしているこの人を。そして何より先輩のことを、悲しませるようなことはできないと、そう思った。

普段は大人びていて、落ち着いていて。だけどずっと緊張の糸を張ったままで生きているような、そんな先輩が。私の隣では、楽しそうに、無邪気に振る舞えるのなら。私が先輩の緊張の糸を緩められる場所になってなってもいいのではないかと、そう思ったのだ。

そう、思えるようになってしまったのだ。

「―はい」

気が付いたら、私はそう返事をしていた。私の声に振り向いた冬樹さんが、嬉しそうに微笑んで、そして。


「冬樹ーっっ!!」


そんな声が、静かだった店内に響き渡った。

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