第5話 弾む心に嘘はつけない

「生徒会見学会?」

「うん。今日の放課後にやるんだけどね、一人で行くのは心細いから、夜鈴ちゃんに一緒に来てもらいたくて……」


先輩の件で話しかけられて以来、そこそこ話す程度の仲になっていた花ヶ前凛々果はながさきりりかからそんな話を聞いたのは、入学してから一週間ほど経ったある日のことだった。

「でも、見学会って…私たちが生徒会に見学に行ってどうするのよ?部活じゃあるまいし……」

生徒会を見学する、というイメージが上手く思い浮かばず、私は首を傾げる。そんな催しを初めて聞いたからだ。生徒会って、そんな部活みたいに見学するようなものだったのかしら…と頭を悩ませていると、先程零した疑問に、凛々果は丁寧に答えてくれた。

「実はね。うちの学校の生徒会は、生徒会長以外は立候補みたいなものなの。だから、こうやって見学会を開いて、生徒会に興味持ってくれた子を庶務として生徒会に入れて、その子たちに、次年度の書記や会計を任せる…って形になることが多いかな?あ、立候補と言っても一応信任投票みたいなものはあるんだけど…そういうわけだから、こういう見学会を開いて、今年の庶務を請け負ってくれる新入生を探すのは、大切なんだって」

「ふぅん…」

なるほど、そうであれば確かに、見学会というものは必要だ。でなければ、次の担い手が居ないということなのだから。

そこまで考えて、ふと、頭に浮かんだ疑問を口にする。

「…ってことは凛々果、生徒会に入りたいってこと?」

私が尋ねれば、凛々果はほんの少し身体を強ばらせた後、こくこくと頷いた。その様子に私はそうなんだ、とぽつりと呟く。それから、なんだか意外ね、とも。普段の大人しい様子からして、凛々果も私と同じで、そういう「目立つ行為」が苦手なのだとばかり思っていたからだ。

そんな私の呟きに、凛々果は、何故か顔をキラキラさせて、さらにドヤ!とでも言い出しそうな勢いで胸を張り、返事をした。

「だって生徒会には、おねーちゃんがいるからね!私、おねーちゃんと一緒に、生徒会活動したいんだ〜!!」

「へぇ…って凛々果、お姉さんがいるの?」

「うん、いるよ!白鷺女子学園高等部生徒副会長、花ヶ前蘭世はながさきらんぜ!生徒会長と共に我が校高嶺の花〜なんて呼ばれてる、私の自慢のおねーちゃんなんだ!!」

ぺらぺらと捲し立てる凛々果の勢いに押されつつ、へぇ…と気の抜けた返事をする。そんな私に向かってパン!と手を合わせると、凛々果は叫ぶように言った。

「ってことで!お願い!!一緒に来てよぉ夜鈴ちゃん〜!!」

「うーん…でも私、生徒会になんて入るつもりないし……」

私は困惑しつつもそう返事をする。頼まれても無理なものは無理だ。私は生徒会だなんて目立ってしょうがないものに立候補するつもりなどないのだから。平穏に、静かに。私はそんなふうに、高校生活を送りたいのだ。

そう言って渋る私に、凛々果は残念そうな顔をしていたが、ふと、何かを思いついたような顔をすると、途端にニヤニヤとした笑みを浮かべて、私の肩をトントンと叩いた。さらに続けて、顔を近づけろとでも言いたげな素振りを見せる。怪訝な顔をしつつも大人しく顔を近づければ、凛々果は私の耳に顔を寄せると、小さな声で囁いた。

「―生徒会長、喜ぶと思うけどなぁ」

「っ!?」

その言葉に、思わずたじろいだ。ばっ、と距離を取って凛々果の顔を見れば、相変わらず意地悪そうな笑顔を浮かべてニヤニヤしている。私は動揺を隠せないまま、凛々果に食ってかかった。

「な、え、な、なんでそこで先輩の話が出てくるのよ!?私と先輩はなんの関係もないって言ってるじゃない!!」

「ハイハイそうだねー。でも、向こうはそう思ってないでしょ?あれだけ毎日ニコニコしながらこの教室に来てるじゃん。絶対夜鈴ちゃんが生徒会見に行ったら喜ぶと思うよ?生徒会長、絶対夜鈴ちゃんのこと大好きだもん」

「う……」

そう言われ、思わず口ごもる。反論の余地はなかった。だって凛々果の言ったことは、まるまる全てが事実なのだから。

一週間ほど前、先輩の告白を受け入れ事実上の「お付き合い」が始まってからというもの、先輩は、ことある事に教室を尋ねるようになった。それはもう、朝の挨拶だのお昼を食べようだの暇だから遊びに来ただの帰り際に挨拶しに来ただの、多岐にわたる。しかも、教室を訪れる時の先輩の顔は、何時だって幸せの絶頂にいます!とでも言いたげな蕩けた笑顔で、だからこそ、凛々果の言うような噂が立ってしまったのであった。

曰く―「生徒会長・有栖川朝緋ありすがわあさひは音澤夜鈴のことが大好きである」と。

勿論、先輩とお付き合いしていることは誰にも言っていない。それでも、ここまで明確に先輩と自分の噂を立てられてしまうと、まさか先輩との関係がバレてしまったのでは?と落ち着かないのもまた事実であった。

「……あれは、先輩が勝手に私の顔見に来ては喜んでるだけよ。何言っても無駄だからほっといてるけど、正直あんなに頻繁にこられたらちょっと鬱陶しいわ」

必死で平静を装いつつ、凛々果に反論する。あくまであれは、先輩が勝手にやってることなのだと、そういう体を装って。務めて冷たく聞こえる声音で、そう言う。

しかしその答えに、凛々果はニヤニヤとした笑みをすっと収めると、途端に真面目な顔をして、そして真面目な声音で、言った。

「嘘は良くないよ、夜鈴ちゃん」

その言葉に、胸をぐさりと刺された心地になる。反論出来ずに凛々果の次の言葉を待つ。凛々果ははぁ、と息を吐くと、言葉を続けた。

「夜鈴ちゃん、生徒会長のこと鬱陶しいなんて、思ってないでしょ?気付いてない?生徒会長がここに来る度に、夜鈴ちゃん、すごく嬉しそうな顔してるのに」

ぐ、と言葉に詰まった。返す言葉もない。

そうだ。確かに私は、なんやかんやで先輩の来訪を楽しみにしている。鬱陶しい、先輩が勝手にしてること、そんな言葉ではもう誤魔化しきれないほど、私は先輩に会えるのが嬉しくなっていた。認めたくなくて、素直じゃない言葉で誤魔化していた本心を、ほんの一週間程度の付き合いの友人に見透かされたことに、どこか腹立たしさを覚えつつも、私は黙っていることしかできない。悔しくても、腹立たしくても、凛々果の言葉に反論できるような言葉を、吐き出せる気がしなかったからだ。

「だからさ、生徒会、一緒に行ってみようよ。きっと生徒会長も喜ぶし、夜鈴ちゃんだって、生徒会長と一緒に何か出来るの、嬉しいって思うでしょ?ね、お願い―」

一度、考えてみて。夜鈴ちゃん。

そのタイミングで、始業のチャイムが鳴る。自分の席へ戻る凛々果の姿を見ながら、私は、どうしようかと思考を巡らせた。

そうやって思い悩んだところで、答えはもう決まっているくせに。

「はぁ……」

思わず、大きなため息をつく。全くどうして、私はこんなに、先輩に振り回されなければならないんだろう。そしてそれを不満だと思わない自分が、なんだか自分じゃないみたいで落ち着かない。そんなそわそわとした気持ちを抱えて、私は教室に入ってくる担任の姿を眺めていた。



「いや〜!ほんっと、夜鈴ちゃんが一緒に来てくれて良かったよ!私一人じゃ心細かったもん〜!!」

「……そう」

時は過ぎ、放課後。私は凛々果に手を引かれ、生徒会室へと向かっていた。

私が見学会に参加すると告げた時から凛々果は妙に舞い上がっており、今だってルンルンと浮き足立った足取りで、生徒会室へ向かっている。ベラベラと喋り倒しながら、私の手をグイグイ引いて、階段を上っていく。妙に心臓の鼓動が落ち着かないのは、凛々果がグイグイ手を引くせいで、先程から小走りになっているせいだと思いたい。先輩と居る時間を楽しいと思う自分のことを、私はまだ、素直に認められずにいた。

「着いた!」

凛々果のそんな声に、ハッと我に返る。目の前には「生徒会室」と書かれたプレート。特別教室棟の一角に配置されているからか人気のない廊下には、生徒会室の中から漏れる会話が密かに響いていた。

「…開けていい?」

凛々果がこちらの様子を伺うように見つめて、そう問うてくる。いつまでもここで突っ立っていても仕方ない、そう思った私は、凛々果にこくりと頷いた。

ガラリ、と凛々果によって扉が開けられる。

「し、失礼します!!」と二人揃って裏返った声で挨拶をすれば、中にいた四人の視線が一気に集まった。その中には勿論、有栖川先輩も居て、私の姿を捉えた瞬間、その瞳が嬉しそうに輝いたのを、私は見逃さなかった。腹が立つほどに綺麗な顔をした先輩の喜ぶ顔は、なんというか、とてつもない破壊力がある。油断すれば思わずそちらへ向かいそうになる意識を必死で抑えつつ、私は凛々果と共に、声を張り上げた。

「あっ、あのっ!!今日、生徒会の見学会があると聞きまして!!」

「それで、私達、その見学会に参加したいと思って…来たんですけど……」

ペコペコと頭を下げつつそう言えば、くすくすと教室内に笑い声が響いた。

ちらり、と顔を上げる。くすくすと笑っていたのは、入学式初日に職員室を案内してくれた、榊夏花さかきなつか先輩だった。夏花先輩は席を立ち、私達の前までやってくると、

「そんなに堅くならなくて大丈夫だよ。さ、そこに座って?今、お茶を淹れてくるから、少し待っててね」

そう言って、私達を空いた席まで誘導し、そのまま奥へと引っ込んでいった。その優しさに内心で感謝しつつ、私は椅子に座って息を吐き出す。なんだかようやく一息つけた気がするなぁと思いつつ凛々果を見れば、凛々果は同じような色の髪と瞳を持つ、大人びた雰囲気の先輩と楽しそうに会話していた。成程、恐らくあれが凛々果の姉なのだろう。雰囲気こそ全く違うが、見た目に共通点がある。その先輩に頭を撫でられ、嬉しそうにしている友人の様子を微笑ましく見ていると、ふと、凛々果と話していた先輩がこちらを向いた。そしてなぜだか、ギロリ、と睨みつけられる。思わずヒェ、と口から悲鳴が漏れかけた。美人の不機嫌な顔は、元の顔の良さも相まって、めちゃくちゃに迫力がある。そんな迫力ある顔に睨みつけられ、私は蛇に睨まれた蛙のような心地になった。私、何か気に障ることをしたのだろうか。確かに不躾に、凛々果と話している様子を見つめていたのは失礼だったかもしれない―そう思って謝ろうとすれば、そのタイミングで夏花先輩がお茶を運んできた。どうぞ、と良い香りのする紅茶を差し出す夏花先輩に、丁寧にお礼を言う。いつの間にか、先程まで私を睨みつけていた視線は凛々果に向ける優しい瞳へ戻っていた。一体、なんだったんだろう。ほんの少しモヤモヤしたものを抱えながら、私は紅茶を一口、口に含んだ。優しい味が口に広がる。ほ、と一息つき、美味しい、とぽつりと呟けば、隣で夏花先輩が良かった、と言って笑った。その笑顔に心まで満たされるような心地がして、表情を緩める。そのままリラックスしてゆっくりと紅茶の味を楽しんでいると、不意に有栖川先輩が口を開いた。

「談笑中にごめんね。そろそろ時間だし見学会を始めたいと思うんだ。とは言っても、専ら僕が生徒会について説明するだけの場になるんだけど…折角来てくれたんだし、聞いて貰えると嬉しいな」

落ち着いた笑顔と声音。それは私が久しぶりに見た、生徒会長としての先輩の顔だった。薄らと浮かべられた笑顔は、常に私に見せる満面の笑みとは違い、先輩の美貌も相まって、どこか作りものめいた美しさがあった。そんな先輩の表情にどこか寂しいものを感じつつも、先輩の説明に耳を傾ける。

「うちの生徒会はわりと活動が盛んでね。だいたい週に一度か二度ほど集まって、学園生活を円滑にするための施策なんかを話し合っているんだ。勿論、学校行事の前はかなり忙しくなるから、生徒会に来るつもりがあるなら、その辺は覚悟の上で来てほしいと思う」

そこで先輩は言葉を切った。ここまではいいかな、と確認を取るような先輩の眼差しに、私と凛々果はこくこくと頷くことで肯定の意を示す。先輩はほっとしたような表情を一瞬浮べると、説明を続けた。

「で、君たちが生徒会に入ってくれると言うなら、君たちにはひとまず庶務を任せたいと思う。雑用が多い役職かもしれないが、仕事をこなしながら、生徒会がどのようなことをしているか、というのを学んでいってもらいたい。そしてゆくゆくは、来年度、君たちが書記や会計として、この学園を牽引していく一員になってくれれば、これ以上に嬉しいことはないよ」

先輩が淡々と吐き出したそれらの説明は、概ね、凛々果が朝方してくれたものとほぼ変わらないものだった。身内に生徒会役員がいるぶん、その内情もそれなりに知っていたのかもしれない。ふんふんと頷きながら説明を聞く。先輩はにこりと作りものめいた笑顔を浮べると「それでは僕たちの自己紹介もしておこうか」とやはり淡々とした、事務的な声音で言った。

「まず、僕は有栖川朝緋。生徒会長を務めている。どうぞよろしく頼むよ。そしてこっちが―」

「副会長を務めています、花ヶ前蘭世と申しますわ。ご存知の方も多いかもしれませんが、今日見学に来ている凛々果の姉でもあります。よろしくお願いしますね」

凛々果の姉―蘭世先輩がにこやかにそう言い、頭を下げる。有栖川先輩と並んでいると、その顔面偏差値の高さで目を焼かれそうだな、などとぼんやりと考えながら二人の顔を眺めていると、再び蘭世先輩が私の顔をじろりと睨みつけてきた。え、また?なんで私、こんなに蘭世先輩に睨まれるのだろう。特に何かをした覚えはないのだが。そんなことを考えていると、紹介はいつの間にか夏花先輩へと移っていた。

「生徒会書記の榊夏花です。よろしくね。そしてこっちが…えっと……」

「会計の朝吹あやめだ。よろしく」

最後に快活でボーイッシュな印象を受ける先輩が、二カリと明るい笑みを浮かべてそう言えば、紹介は終わりだ。有栖川先輩は一呼吸置くと、口を開いた。

「質問がなければ説明はこの辺で切り上げようか。それじゃ、とりあえず一年生のふたりはそこに座っててもらって、僕たちの仕事を見てもらおうかな」

そう言っててきぱきと仕事を始める先輩。その姿は、私が今まで知ることのなかった先輩の姿で、なんだか私は、無性に寂しさを覚えてしまった。



差し込む日差しも赤く染まる、17時。

チャイムの音で我に返ったらしい生徒会の先輩たちは、そろそろ今日は終わりにしようかという有栖川先輩の一言で、ゆっくりと帰り支度を始めていた。

私と凛々果もそれに倣って、足元に置いてあった荷物を持つ。その様子を見ていた有栖川先輩は「あ、そうだ」と何かを思い出したように自分の机を漁ると、二枚の紙を私たちの前に差し出した。

「今日はどうだった?たったこれだけの時間見学しただけじゃ、生徒会の雰囲気なんてよく分かんないかもしれないけど…それでも、生徒会に入ってもいいかなって思ってくれたなら、この紙に必要事項を記入して僕に渡してほしい。いい返事を期待しているよ」

そう言ってぽん、と僕たちの肩を叩いて、有栖川先輩は教室を出ていく。それに続いて、他の先輩たちも「じゃあまた」「一緒に仕事出来たらいいな!」「凛々果、わたくしは昇降口で待ってますわ」と声をかけながら教室を出ていった。

残されたのは、私と凛々果の二人だけ。

「…生徒会、どうする?」

「…そうね……」

まだ考え中よ、そう返事しようとした瞬間、私は、有栖川先輩から渡された紙に、何か文字が書かれているのを見つけた。

『3-Aの教室で待ってるよ』

その文字を見た瞬間、身体が沸騰したように熱くなるのを感じる。先輩が私と二人きりで会いたいと言っている。その事実が何故だか堪らなく嬉しくて、いても立ってもいられなくなった。勢いよく凛々果の方へと振り向いて、言う。

「ごめん!ちょっと行くところがあるから今日は帰る!また明日!!」

「えっ!?う、うん、また明日!!」

凛々果の戸惑ったような返事を背中で受け、私は生徒会室を飛び出した。

人気のない特別教室棟の廊下を全力で駆け抜ける。階段をひとつ飛ばしで降りて、教室棟へと続く廊下を慌ただしく走った。入口を抜け、これまた階段をひとつ飛ばしで駆け上がる。さすがに体力的にも苦しくて息が切れてくる。それでも、そんなものは何一つ気にならないくらいに気分が高揚していた。

三年生の教室が並ぶ三階。そこへ続く階段の最後の一段を超え、慌てて3-Aの教室へ向かう。ようやく見えてきた教室の扉へ手を伸ばし、ガラリと勢いよく扉を開けると、中にいた先輩がくるりと振り向いた。私の姿を視界に捉えた途端、ゆるゆると嬉しそうに緩む先輩の表情。それは、先程まで見ていた無機質な美しさとはかけ離れていて、その生気が漲るような愛らしい表情の先輩のほうがいいなぁ、と。私は心の中で密かに思った。

「音澤さん…!よかった、来てくれたんだ」

「…さすがに気付きますよ。で、なんの用事だったんですか?」

そう問えば、何故だか先輩は少し恥ずかしそうに苦笑して、視線を逸らす。その珍しい態度に首を傾げつつ先輩が口を開くのを待っていれば、先輩はやがて観念したようにぽつりと呟いた。

「あのね…一緒に帰りたいなって、そう思って」

「は」

一緒に、帰る?たったそれだけのことで、目の前の先輩は照れていたというのか。驚いて固まっている私に何かを勘違いしたのか、先輩はわたわたと慌てて弁解を始めた。

「ご、ごめんね!嫌だったら断ってくれていいんだ。帰り際まで僕と一緒に居たくないとかそう言うなら全然…!!」

その言葉に、はぁ、と溜息をついた。全くどうして、この先輩はこんな妙なところで遠慮するのだろうか。普段は頼まれなくても鬱陶しいくらいにまとわりついてくる癖して、妙なところで遠慮する癖があるというのは、先輩と付き合いだして初めて見えてきた一面だ。そして、そんな先輩を垣間見るたびに、私は落ち着かない気分になってしまう。

私は、先輩の遠慮のなさが決して嫌いではないのだ。だから、そんな妙な遠慮をする先輩なんて見たくない。

先輩は、私を振り回すくらいで丁度いい。

「有栖川先輩」

名前を呼べば、先輩は面白いくらいにびくりと身体を震わせた。不安げな表情で見上げてくる先輩。そんな先輩に、私はすっと手を差し出した。きょとんとする先輩に向かって、言い放つ。

「ほら、一緒に帰るんでしょう?行きますよ。早くしないと帰るの遅くなっちゃうじゃないですか」

そう言えば、先輩はようやく状況を理解したらしい。

「うんっ!」

満面の笑みを浮かべて、差し出した私の手をしっかりと握る。そんな先輩の行動に、今度は私が動揺する。

「えっちょっ、手、なんで握るんですか!?めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないですか離してください!!」

「えっ!?これ握っていいよって意味で差し出したんじゃないの!?やだよ絶対離さないから!!さっ帰ろ!!」

「〜っっ!!仕方ないですねっ!!今日だけなら、許してあげますっ!!仕方なく、ですから!!」

蕩けるように嬉しそうな表情を浮かべて、私の手を握ったまま、先輩は教室を飛び出して昇降口へと向かう。悔しいけれど、その表情はどうしようもなく可愛くて、胸が痛いほどに高鳴るのを感じてしまう。

ああ、やっぱり、先輩と居るのは心地よい。

嬉しそうな先輩の顔を見られるのは、嬉しい。

もっともっと、この先輩と一緒に過ごしたい。

だから―

右肩にかけた鞄に視線を向ける。その中に入れられた書類。帰ったら早速、必要事項を記入しよう。そして明日の朝、真っ先に、先輩に必要事項を埋めたそれを渡してやるのだ。

そうすればきっと、明日の朝には、先輩の喜ぶ顔が見られる。

そう考えただけで弾む鼓動を抱えながら。先輩に手を引かれながら。私は家に帰るべく、先輩のちいさな背中を追いかけた。


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