第4話 こんな私で良いと言うなら
放課後、有栖川先輩の言う通りに裏庭へ向かえば、先輩はもうそこに居た。慌てて先輩のもとへと駆け寄る。
「お、遅くなってごめんなさい!」
そう声をかければ、先輩はこちらを向いて、
「ううん、気にしないで。僕が早く来すぎただけだから」
にこりと微笑みながらそう言った。続けて、じゃあ行こっか、と言う先輩の言葉に首を傾げれば、先輩は、ここじゃ落ち着いて話できないでしょ?と返事をした。あくまでここは、待ち合わせの場所だっただけらしい。
「どこに行くんですか?」
先輩は、んー、と一瞬悩む素振りを見せたが、すぐにくるりとこちらを振り向き、言う。
「そうだね。とりあえず、ファミレスにでも行く?」
先輩に連れられてやって来たのは、赤い看板が目印のファミレスだった。店員に案内され、席に座る。夕方の、まだ夕飯時でもない時間帯の店内はまぁまぁ空いていて、しかし、私達と同じように、学校帰りに寄り道したと思われる学生たちの姿がチラホラと見受けられた。先輩は、座席に置いてあるメニューを手に取り、パラパラと捲り始めた。「どれにしようかな〜」と鼻歌まで歌い始める始末である。その姿は緊張のひとつもしていないとしか思えず、私は、昨日の先輩の告白とキスは、己の幻覚か夢だったのだろうか…と心配になってきてしまった。
だって、告白した相手の前にいるにしては、落ち着きすぎている。自分で言うのも変な気がするが、告白した相手の前で、しかもまだ返事すらしてないような相手の前で、こんなにリラックスするなんてことがあるのだろうか。なんだか、無駄に意識して悩んでいる自分が馬鹿なのではないかと思えてくる。
パラパラとメニューを捲っていた先輩だったが、やがて食べたいものが決まったらしい。メニューを置くと、「音澤さんは決まった?」とこちらに声をかけてくる。その声にハッと我に返る。しまった。先輩の態度に気を取られて、何を頼むかなんて全く決まっていない。慌ててパラパラとメニューを捲る。とは言っても、この時間に食べるのに丁度いいであろう甘味はあまり得意ではないし、時間が時間なので食事になりそうなものはあまり摂りたくないのだが。どうしよう、と思いながらパラパラとメニューを捲っていると、美味しそうなコーンポタージュが目に入った。これでいいや。そう思い、頼むものが決まった旨を先輩に伝えれば、先輩は各席に備え付けられている呼び出しボタンを押した。客が少ないからか、すぐさま店員がやって来る。先輩が何やら沢山の料理を注文し終わるのを待ってから、コーンポタージュをひとつ、と店員に告げた。内容を復唱し、頭を下げて去っていく店員の背を見送っていると、先輩が唐突に口を開いた。
「……昨日は、ほんとごめんね」
「え?」
「いや、あの…あんな急にキスしたりなんかして…嫌だったでしょ?だから、謝りたいなって思って、君を呼び出したんだ」
先輩の口から溢れ出たのは、昨日のキスに対する謝罪の言葉だった。てっきり、昨日の告白の返事を求められるのかと思っていたから、拍子抜けしてしまう。
目の前の先輩の顔を見る。先輩は、本当に申し訳なさそうな表情でこちらを見ていて、この謝罪が、先輩の本心であるということが伺えた。昨日のキスに驚きこそすれ、怒りなどの感情は一切湧かなかった私は、そんなふうに真摯に謝られて、逆に困惑してしまった。
申し訳なさそうな顔をどうにかやめて欲しくて、私は口を開く。
「別に、いいですよ。あのキスに腹を立てていた訳でもないですし」
そう言えば、先輩はあからさまにほっとした表情を浮かべて、ありがとう、とお礼を言う。そのタイミングで、丁度、私が頼んでいたコーンポタージュが運ばれてきた。一息つこう。そう思って、ポタージュを一口、口に含む。うん。おいしい。そのまま二口三口と飲み進めていると、不意にじっとこちらを見つめてくる先輩の視線に気付いた。何なんだろう。もしかしてコーンポタージュが飲みたかったのだろうか。
「先輩、一口飲みます?」
「えっ!?い、いや、それはいいや」
一口くらいなら、と勧めたコーンポタージュは、あっさりと断られた。心做しか、先輩の顔が赤く染まっている気がする。暑いのかな、と呑気なことを考えていると、先輩が再び口を開いた。
「あのね、音澤さん。僕が君を呼び出したのはね、昨日の謝罪をしたかったから、だけじゃないんだ」
「……?そうなんですか」
なるほど、妙に先輩がそわそわしていたのは、話を切り出すタイミングを伺っていたのか。そう納得し、私は先輩の言葉の続きを待つ。先輩は一度、ぎゅっ、と唇を噛みしめるような仕草をすると、口を開いた。
「音澤さん。僕は君が好きだ」
時間が止まったような心地がした。
先輩からの2度目の告白。それは昨日と同じく、真剣な表情を伴って吐き出されたものだった。こちらをじっと見つめる真剣な眼差しも、ほんの少しだけ震える肩も、何もかもが昨日の告白とおんなじで、私はまた、昨日のように逃げ出したくなってしまう。
そんな私の心情を読んだかのように、先輩は私の手をぎゅっと握る。痛いほどの力で、絶対に逃がさないとでもいうような力で、ぎゅうぎゅうと握りしめる。
「…っ、痛」
「逃げないで。お願いだから、僕の話を聞いてよ」
先輩は必死だった。先輩の必死さが、痛いほど握りしめられた手から伝わってくるようで、その必死さは、私の「逃げたい」という気持ちさえ溶かしてしまう。
もう逃げられない。私はそう、悟ってしまった。先輩が真剣なら、私もそれに答えなければならないと、そう思わざるを得なかったのだ。
私は、知らず知らずのうちに力を込めていた、体の力を抜いた。それが先輩にも伝わったのか、握りしめられていた手の力が、ほんの少しだけ弱くなる。きゅ、と。弱々しい力で握られた手からは、先輩の震えが如実に伝わってきて、あんなにステージ上で堂々としていた先輩でも緊張することはあるんだなぁ、と。そんなどうでもいいことを考えてしまう。
「音澤さん」
私の思考を呼び戻したのは、私の名前を呼ぶ、先輩の震えた声だった。その声に、私は再び、先輩の顔を見る。
ばちり、と、先輩と目が合った。相変わらず真剣な表情を浮かべた先輩が、小さく口を開くその様子が、まるでスローモーションのように、ゆっくり見える。
先輩が、す、と息を吸った。この後に続く言葉は、恋愛に無縁だった私にさえ、安易に想像がつく。
「僕と、付き合ってもらえますか」
テンプレートのような告白の台詞。場所はファミレスの一角で、周りは人の声が五月蝿くて、漫画やドラマで見かけるようなロマンチックさは欠片もない、そんな直球でストレートな告白。そんな告白だったけれど、それはドキドキと煩い胸の鼓動を伴って、私の胸に響いた。
響いて、しまったのだ。
だけど、ひとつだけ。ひとつだけ、気になることがあった。
「……あの」
「何だい?」
「先輩は、どうして……私のことを好きになったんですか?一体、私の何を……好きになったと言うんですか」
そう、それが、純粋に疑問なのだ。
私は外部からの編入生で、それも昨日、初めて学園の校門をくぐった新入生である。中等部から学園に在籍していた生徒であればいざ知らず、私と先輩は、間違いなく、昨日が初対面だった筈だ。
なのにどうして、先輩は私のことを好きになったのか。
何も知らないはずの私のことを、どうして、好きになったのか。
それが、純粋に疑問なのだ。
そう尋ねれば、先輩は少しだけ私から視線を逸らして、ぼそりと呟いた。
「……初めて僕を愛してくれた人、だからかな」
「え?」
その呟きは小さすぎて、私の耳には届かなかった。聞き返せば、先輩は「聞こえなかったならいいよ」と笑う。その笑顔に、これ以上は何も聞くなとでも言いたげな圧を感じ、私は何も言えなくなって押し黙る。しかしそれでは納得しきれなくて、じとりと先輩を見つめれば、先輩はいよいよ観念したらしい。再び口を開いた。
「…そうだなぁ。一目惚れ、みたいなものなのかな」
「一目惚れ……」
「うん。昨日少しだけ話した時に、君のころころ変わる表情が、なんだかすごく好きだなって思えて、それで……」
「キス、したんですか」
「……本当に、ごめん」
「それはもういいって言ったじゃないですか」
再び謝り始めた先輩をそう言いながら止めて、そして、そうか、と考え込む。
(普段、初対面の人に『表情がころころ変わる』なんて言われることないのに……)
知らない人との会話がどうにも苦手な私は、初対面の相手には「怖い」という印象を抱かれがちなのだ。
だから、初めてだった。初対面の人に、そんなことを言われるのは。そして、そう言われてしまうほどに、初対面の人と自然体に近い状態で話せたのも、初めてだった。最も、緊張もしていたので、全くの自然体、というわけでもなかっただろうが。
だけど、それがなんだか嬉しくて。そして、この先輩の前では、緊張はすれども、どこか落ち着いた気持ちでいられるということに気付いてしまったその瞬間、私の、先輩の告白に対する返事は決まった。
「……音澤、さん?」
タイミング良く、先輩が私の名前を呼ぶ。ほんの少しだけ震える指先を、こちらからぎゅっと握れば、面白いくらいに狼狽える先輩に、思わずくすり、と笑みが零れた。
不安そうな顔をして、先輩が私の目を覗き込む。そんな先輩の顔をじっと見つめながら、私は口を開いた。
「―いいですよ」
「え」
先輩の不安そうだった表情が、ぽかんとした、どこか間抜けな表情に変わる様をじっと見つめつつ、私は言葉を続ける。
「付き合ってあげてもいいですよって言ったんです。先輩のこと、私は全然知らないですし、正直、先輩のこと好きかどうかもよく分からないですけど。でも、私のファーストキスを奪った責任は、取ってもらわないと困りますし、それに―」
そこで思わず、言葉を切った。心を決めたはずなのに、出てくるのはそんな捻くれたような、素直じゃない言葉ばかりで、つくづく口下手な自分が嫌になる。
だから、この言葉を口にするには、少しだけ勇気が必要だった。素直になれない私だから、素直な、ありのままの自分を出すのには、どうしても勇気と、心構えが必要だった。
す、と小さく息を吸い込む。心を決めて、今度こそ、自分の心の一部分を曝け出すために、再び口を開いた。
「先輩と話すと、なんだか落ち着いた気持ちになれる自分がいるんです。緊張もするけど、だけど不思議と落ち着けて、自分らしくいることができる。貴方の隣が心地いいなって、そう思ってしまう自分がいるんですよ」
だから、付き合ってあげてもいいですよ。先輩となら。
最後にやっぱり捻くれたような言葉を貼り付けて返事をする。先輩は俯いたまま微動だにしない。どうしたんだろう、と顔を覗き込もうとしたその瞬間、先輩はテーブル越しに、私の体を思い切り抱きしめた。
「ちょ、先輩!?ここ店内なんですけど!?」
恥ずかしくて思わず叫ぶが、先輩にはその声が届いていないらしい。私をぎゅう、と抱きしめたまま、動く気配がない。
あまりにも恥ずかしくて押し返そうとした瞬間。ぐす、と。先輩が鼻をすする音が聞こえた。それから、先程までとは打って変わって、弱々しい、水分を含んだような声。
「……ありがとう」
その声に、私は全てがどうでもよくなってしまって。先輩の華奢な肩を撫でる。
「……別に、お礼を言ってもらうようなことは、してないですよ」
そう返せば、くすり、と先輩が笑う気配がする。
肩に乗った体温と微笑みは、擽ったくて恥ずかしかったけれど、どこか心地よくて。
先輩の気が済むまで、このまま抱きしめられててもいいかな、と。そう思えた。
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