第1章 春

第1話 始まりの季節と言うけれど

春は始まりの季節である、と誰かは言う。

その例に漏れず、私―音澤夜鈴も、今まさに、新しい生活を始めようとしているところであった。

新しい制服に、新しい通学鞄。身に纏うものの何もかもがぴかぴかで、未だ慣れない制服にそわそわしているその様は、周りから見ればいかにも、「新入生」というふうに見えるのだろう。とは言うものの、もう、高校生ともなれば、新しい制服にも、それから新しい学び舎にも、さほどワクワクすることはないな、と、わたしはぼんやり考えながら、これから通学路として使用するであろう、綺麗に整備された道を歩く。

そわそわ、というのは、自分が着慣れない制服を着ていることに対する違和感であって、決して、新生活に期待を寄せているという訳ではない。強いて言うなら、綺麗に整備され、一定間隔で樹木が植えられているこの道を歩くのはひどく心地がいいな、ここを通学路として使用できるというなら、少し気分が上がるな、という程度である。

そんなことを考えながら歩いていると、目の前に、馬鹿みたいに大くて、綺麗な建物が見えてきた。私は少し小走りで建物の方に向かう。しばらく歩けば、これまた綺麗で、一際豪華な装飾のなされた門が見えてくる。門の横には、でかでかとした文字で「白鷺女子学園 入学式」と書かれた看板。そう。これこそが。

私が今日から通うことになる、白鷺女子学園だ。


この学園は、市街地から少し離れた場所にあり、落ち着いた雰囲気で学園生活を送れることが売りのひとつだと言う、中高一貫の女子校である。大手有名企業の社長令嬢など、所謂「お嬢様」と呼ばれる子供が多く通う学校ゆえに、周りからは「お嬢様学園」などと呼ばれることもある、らしい。中高一貫校のため、中等部からの持ち上がりの生徒が多いが、私のように、入学試験を受け、高等部から入学してくる生徒もそれなりに居る。

そしてその入試こそが、私が今、まだ人気のない、静寂に包まれた学校に呼び出された理由であった。


(入試の成績トップだったからって新入生代表挨拶をお願いされるとは…いや、確かにああいうのって成績優秀者がするんだろうけど、まさか自分が一番だなんて、夢にも思わなかったわ)

はぁ、とため息をつく。全く、本当に面倒くさい。でも、引き受けなければ誰かにこの面倒くさい役割を押し付けるようなことになるので、それはそれで嫌だな、と思った私は、この挨拶を引き受けることにしたのだ。そして、その挨拶の打ち合わせを行うべく、入学式がまだまだ始まらないような時間から、学校に呼び出されたというわけである。

その打ち合わせを行うのは職員室だと聞いている。

ひとまず校舎に入らなければ。そう思った私は、これまた人の気配がない昇降口に向かう。生徒数の多い学校だからか、昇降口も馬鹿みたいに広い。

まるで一つの部屋みたいだな、と思いながら校舎内に入る。靴は履き替える必要がないため、土足のままだ。中学の頃は上履きに履き替える必要があったため、まるでいけないことをしているような気持ちになってしまう。これにも慣れる必要がありそうだな…と思いつつ、目指すのは職員室だ。だが……


(し、職員室…どこ……?)

如何せんこの学園は広すぎだ。初めて校舎に足を踏み入れた私は、どこに職員室があるのかさえ、分かっていなかった。

周りを見渡せど、あるのはやはり馬鹿みたいに広い廊下と、ズラリと並んだ教室のドア。この辺にあるのはどう考えても生徒の教室であり、職員室ではなさそうである。実際、目に入るのはクラス名を記したプレートのみだ。小さなプレートでさえ、華やかな装飾を施されているあたり、本当にこの学園ってお嬢様御用達なんだな…と思わずなにも関係ないことを考えてしまう。こんなこと考えている場合じゃないのだが。

さてどうしようか、とうんうんと悩んだ末、ひとまずここから移動することにした。どうせ場所はよく分からないのだ。それなら、分からないなりにも移動していた方がいい。ふとした拍子に辿り着けるかもしれないし。

というかそもそも、集合場所がどこにあるかを伝えてくれていないのがおかしいのではないか。持ち上がり組が多いから、先生も私が外部生ということを忘れているのかもしれないが、それにしたって……などと考えながら、廊下の角を曲がろうとした、その時だ。


「わっ!?」

「きゃっ!?」


どすん、と鈍い音をたててなにかにぶつかった。それに続けて、バサバサと、書類のようなものが落ちる音と、「あぁ〜!!書類散らばっちゃった!!」という、慌てたような声が聞こえる。ぶつかった衝撃で呆けてしまっていた私だが、その慌てた声を聞いて我に返った。

「ご、ごめんなさい!前をちゃんと見てなくて…!!」

わたわたと謝りながら、自分も書類を拾うのを手伝う。そして、ぶつかった相手の姿を、私はここでようやく視認した。

小柄な、可愛らしい容姿の少女だ。長く伸ばされた黒い髪をツーサイドアップにまとめており、その髪型も相まって、かなり幼げな印象を受ける。先程聞いた声もどこか舌っ足らずな高い声だったので、余計、そういう印象を受けるのかもしれない。しかし、少女が身につけているのは緑のネクタイ。この学園は、ネクタイの色で学年を判別できる仕様になっており、緑は二年生の色だったはずだ。因みに、私が身につけている赤色は一年生の色、青が三年生の色である。

つまり、目の前の少女は、自分より年上の先輩だということだ。最も、中等部は制服が若干違うらしいし、集合時間までまだまだ時間があるこんな時間に、わざわざ学校にやって来る新入生も居ないだろうから、こんな時間に学校にいる、自分と同じ制服を着た生徒は、ほぼ確実に上級生なのだろうが…少女、もとい先輩の見た目のせいで、自分より年上の人間とは思えなかったのである。

そんな小柄な先輩は、私の謝罪の声に書類を拾う手を止め、じっとこちらを見ると、

「いやいやこっちこそごめんね!書類で前があんまり見えてなくって…」

拾うの手伝ってくれてありがとうね、そう言うと、書類集めを再開する。私も先輩に倣い、必死で書類をかき集め続けた。


「お、終わった〜!!ありがとう!!助かったよ!!」

にこにこと屈託のない笑顔で言い、お礼を言う先輩に、お役に立てたなら幸いです、と当たり障りない返事を返す。この時、私は内心ものすごく慌てており、返事にまで気を遣う余裕が無かった。

なんせ、書類拾いの最中で、自分が職員室に向かう途中だったのを思い出したのだ。時間に余裕を持って登校してきたのでまだ約束の時間にはなっていないが、それでも、場所が分からないことを考慮すると、そろそろ移動を再開しないとまずいかもしれない。

じゃあ私はこれで、そう言って立ち去ろうと腰をあげる。そのタイミングで、目の前の少女が口を開いた。

「あ、待って!あなた、音澤夜鈴さんでしょ?新入生代表の」

え、なんでバレた?と驚きつつも、間違いではないので先輩の言葉を肯定する。すると、目の前の先輩は「良かったぁ〜」と安堵の声をあげた。

なんだなんだと首を傾げていると、先輩が口を開く。

「あぁ〜えっとね。実はわたし、生徒会の役員なの。入学式の最終打ち合せをしてたんだけど…、今になって担当の先生が、新入生代表の子に職員室の場所を伝え忘れた!って慌てた様子で、わたしたち生徒会のところに来たんだよ。それで、生徒会の誰かに新入生代表を迎えに行こうって話になって。ちょうど職員室に用事があったわたしが、その役目を引き受けたんだ。それでね、とりあえずその子の名前を聞いて、探しに来てみたはいいんだけど、よく考えたらあなたとちゃんと会えるかどうかも分からないでしょ?どうしよう、って途方にくれてたとこだったんだ」

ちゃんと会えてよかった〜!と破顔する先輩。私も内心で、そっと安堵の息を吐いた。これでおそらく、ちゃんと職員室まで辿り着けるだろう。じゃ、行こっか!と言って歩き出す先輩に「よろしくお願いします!」とお礼を言い、私は先輩の背中を追った。


「ここの校舎、広いでしょ?だから毎年、新入生が迷っちゃうんだよね」

職員室に向かう道中。無言に耐えかねたらしい先輩は、この学校について、色んなことを話してくれた。

中庭には、様々な種類の花が植えられていて、とても見応えがあるということ。四季の変化に伴い、姿を変える中庭は、生徒からの人気も高いらしいこと。学食のメニューが豊富で、昼食だけではなく、紅茶やコーヒー、ケーキなども食べられるということ。お嬢様学校と呼ばれてはいるが、意外とそんなことはない(生徒自体は、いかにもお嬢様!といった雰囲気の生徒は少ないらしい。普通に公立高校に通うような生徒と変わりないそうだ)ということ。

先輩の話は楽しくて、面白くて。ふんふんと相槌を打っているうちに、気が付けば私たちは職員室に着いていた。ここだよ、と職員室の前で立ち止まった先輩に、私はもう一度お礼を言う。

「本当に、ありがとうございました。助かりました」

ぺこりと頭を下げた私に、先輩は「そんなに頭下げなくていいよ~」と、少し困ったような声で言う。それから、書類を抱えていない方の手を私に差し出すと、

「わたしはね、榊夏花っていうの。クラスは2-Aだよ。また何かあったら、相談しに来てくれていいからね」

そう言ってにこりと笑い、私の手を握った。薄々気付いてはいたが、この先輩、かなりコミュ力が高い。というか押しが強い。ぐいぐい来る人だ。

だけど、こうやって自分を気にかけてくれるのは純粋にうれしい。何より、右も左も分からない学園生活を送る上で、見知った先輩ができたというのは非常に心強いな、と私は思った。自他共に認める人見知りで、新しい友人を作るのが苦手な私には、これくらいぐいぐい来てくれる人が必要なのかもしれない。

「じゃあ、入ろっか!担当の先生は―」

そう言いながら職員室に入っていく先輩の後ろにくっついて、私も職員室に入る。

一歩。高校生活が始まりを告げる、その一歩を踏み出す。

目の前には、嬉しそうに笑う先輩がいて。その先輩の後ろにある窓からは、雲ひとつない青空と、まさに見頃といった風情の桜の木がちらりと見える。

なにもかもが、この「はじまり」を、祝福してくれているような、そんな心地がして。

なんの期待もしていなかった高校生活も、悪いものではないんじゃないかと。私は、そんなことを思ってしまった。

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