40.知の女神が呼んでいる(2)-朝日side-

「テスラに……?」


 ネイア様が少し慌てた様子で私とユウのところにやって来た。ミリヤ女王の託宣があったから私達をテスラに連れて行く、とソータさんが言っていたらしい。


 私とユウは、思わず顔を見合わせた。

 ユウは……ちょっと微笑んで頷いた。その表情を見て、私の心はすぐに決まった。


「だが……」

「わかりました。……帰ります、テスラに」


 表情に不安が残るネイア様に、私はきっぱりと言った。

 ミリヤ女王の託宣ならば――間違いはない。それに……テスラは、私達の祖国だもの。


「いや……だが……大丈夫なものなのか? 臨月まで10日程とか言っておったのではないか?」


 私達があまりにも冷静だったことに驚いたのか、ネイア様が慌てた様子で言う。


「往復で6日だから……間に合うはずよね」

「そうだね」

「エリン……どう?」


 私やユウとは違い、エリンはかなり慌てた様子で他の二人の治療師と何かを話し合っている。

 私が声をかけると

「えっと……そうですね……」

と答えたものの、まだ結論は出ていないようだ。


「ソータさんが直接、ネイア様に知らせてくれたのでしょう?」

「そうだ」

「きっと、それしか道はないんだと思います。ソータさんが迎えに来てくれるのであれば、とりあえず道中は大丈夫だろうし……」


 私はユウを見た。


「ユウも……いいよね?」

「ああ」


 ユウは頷いた。


「こんな俺にも何かできることがあるのなら、それに賭けてみたい。ここでじっとしていても……そう長くはもたないでしょうから」

「……!」


 ハッと胸を突かれて、私は思わずユウの顔を見つめた。

 ユウが自分の寿命について明言するのは――これが初めてな気がする。


「……それは……」


 ネイア様はそう呟くと、ひどく辛そうな顔をして俯いた。

 そしてしばらく考え込むと……パッと顔を上げた。

 それは一人の女性ではなく、ヤハトラの巫女として覚悟を決めた顔だった。


「わかった。そなたらを安全にヤハトラから出すために……最大限、努力しよう。わらわに任せておけ」

「……ありがとうございます」

「本当に……最後まで、お世話になります」


 私とユウがお辞儀をすると、ネイア様は少し微笑んだ。

 でも……その目尻には、涙が光っていた。

 そっと涙を拭うと、ネイア様は気を取り直したように再び私達を見た。


「打ち合わせをしたい。治療師を連れて行くが、よいか?」

「はい」


 私とユウが頷くと、ネイア様は三人を連れて部屋を出て行った。

 部屋には――私とユウの二人きりになった。

 ……かなり久し振りだった。


「……俺……最後は、テスラに帰りたかったんだ」


 ユウがポツリと言った。


「だから……よかった」

「……どこか行きたいところ、あるの?」


 最後だなんて、言わないで――。

 そんな言葉を呑み込み……無理に笑顔を作る。


「あの隠れ家、憶えてる? フィラの、崖の奥の……」

「うん」

「ヒールと過ごした家……あそこに、帰りたかったんだ。ヒールが何を考えてあの場所にいたのか……そして、洞窟に移って眠っていたのか……」

「……」

「多分、今ならわかるかなって」

「……そう、ね……」

「――朝日」


 ユウは私の顔を見ると……そっと私の頬に触れた。


「そんな顔をするぐらいなら……泣いてくれた方がいいよ」

「……え、だって……」


 せっかく我慢していたのに……そんなこと言わないでよ。


「……ね?」

「……っ……だっ、て……」


 ユウが心配するから。ユウが悲しむから。ユウが――後悔するかもしれないから。

 ううん、違う。

 私が心配なの。私が悲しんでいて……私が後悔したくないのよ。


「……俺ね。ずっと小さい頃から……ヒールにミュービュリの世界を見せてもらっていたじゃない?」


 ユウが私の頭を抱えてぎゅっと抱きしめる。

 ユウの声が、耳元で聞こえる。

 私は涙をポロポロこぼしながら、頷いた。


「だから、いつか朝日に会うんだって、すごく楽しみだった」

「……」

「でもね。出会ってからの方が……ずっとずっと、幸せだった」

「……」

「朝日が――朝日で、よかったよ」


 ユウの言葉が……癒しの水のように、私の身体の中に沁み込んでいった。



   * * *



 真っ暗な通路を、黙々と進む。

 私とユウは別々に担架に乗せられ、この狭い通路をずっと移動していた。

 わずかな明かりしかないから、私からはぼんやりと照らされた土の天井しか見えない。


「……もうすぐ外に出ます。眩しいので目を閉じてください」


 運んでいる神官に言われて、私は素直に目を閉じた。

 さあっと、頬に光が当たるのを感じる。


「わっ、何だ? こんな抜け道があったのか!?」


 ソータさんの元気な声が聞こえる。

 ……そう言えば、水那さんを助けて神殿で言葉を交わしたのが最後で……それ以来、会ってなかったっけ……。

 身体を起こされたので、うっすらと目を開ける。

 目の前は、三方を崖で囲まれた、入江のような場所。

 ソータさんが驚いた様子で私達を見ていた。ヴォダが海面からひょっこりと顔を出している。


「内密に使者を出す時などに使います。……他言無用で」

「お……おう」


 神官に返事をすると、ソータさんは私を見てまたびっくりしたようだった。


「うわ……思ったより腹がでかいな」

「双子だからかな」

「あ、そっか……」


 担架が地面に下ろされ、神官に助けてもらいながら立ち上がる。

 ソータさんの隣にいた水那さんに笑顔で会釈をした。


「テスラまでもつのか?」

「多分、その前に産まれることはないとは思うけど……。でも、治療師もちゃんとついてるし、最悪の場合は海の中で……」

「か、勘弁してくれよー!」


 ソータさんが大声で喚いて頭を抱える。水那さんがたしなめるようにソータさんをつついた。


「……もっと、優しく……」

「そうするつもりだったけど。これだけ元気なら要らねぇっての。……あ、ユウ」


 ソータさんは私に続けて抜け道から出てきたユウに声をかける。

 私と水那さんはもう一度互いに会釈をしたあと、何となく二人の成り行きを見守っていた。


「……久し振り」


 ユウはソータさんの姿を見つけると、すっと立ち上がった。大事を取って担架で移動したけれど、旅の前にヤハトラ中のフェルティガエからフェルを貰ったので、今は比較的元気だ。

 ソータさんはユウの方に駆け寄ると、ちょっと嬉しそうに笑った。


「思ったより大丈夫そうだな。そうだ、夜斗からもフェルポッドを預かってるからな。辛い時は我慢せずに言えよ」

「うん。ソータさんが変わってなくて……何だか嬉しいよ」

「そうか?」


 ソータさんがちょっと照れたように頭をポリポリと掻く。


「いや……ちょっと嘘。前より、妙に明るい気がする」

「……え……」

「やっぱりミズナさんが一緒だからかな」

「……」


 絶句するソータさんをよそに、ユウは私と水那さんのところまで歩いてきた。


「……初めまして、ミズナさん。ユウディエン=フィラ=ファルヴィケンです」

「……初め、まして」

「ソータさんに、ミズナさんのことを聞いたことがあるんです。でも、勿体ないからって教えてくれなくて……」

「おい! 余計なことを言うなー!」


 ソータさんがダダダッと駆けてきて水那さんとユウの間に立ちはだかる。顔が真っ赤だった。


「とにかく、行くぞ」

「はいはい」


 ユウはちょっと笑うと私の方に振り返った。


「……行こう、朝日」

「……うん」


   * * *


 ヴォダの背中はかなり広くて、私とユウは並んで横になったまま移動していた。

 最初は元気だったユウだけど――2日、3日と時間が経つにつれて、衰弱してきた。

 私のフェルと治療師のフェル、ソータさんが夜斗から預かって来たフェルポッドでどうにか間に合わせている。


 ……あれだけ貰って来たし、私もあげているのに……こんな短時間で起き上がれなくなるなんて。

 ――本当にもう、時間がないの?


 ねぇ……女神テスラ。

 テスラにユウが必要なら……ユウを呼んだのなら、お願い、ユウを助けて!

 ユウに見せたい物は、たくさんあるの。

 私達の子供。パパの家。……そして、平和になった後のテスラ。

 まだまだ……たくさん……あるのよ……。


「ニュウ!」


 不意に、ヴォダが鳴いた。

 身体が斜め上に……海面に向かっている。


「……もうすぐ着く。ダイダル岬だ」


 ソータさんの声に、私はハッとしてユウの顔を見た。しっかりと手を握る。


「ユウ……しっかりして。もうすぐ、ダイダル岬――フィラよ!」

「……うん」

「テスラに帰って来たの。みんな、待ってるから……!」

「……う、ん……」


 ユウの意識がうつらうつらとしている。


「……眠って頂いた方がいいかもしれません。その方が……」

「……」


 エリンの言葉に、黙って頷く。


「【……】」


 震える声を絞り出して、強制執行カンイグジェをかける。

 ユウの身体から、ガクリと力が抜けた。顔色は悪いけど、まだ大丈夫。ちゃんと呼吸してる。

 ――信じてる。



 やがてヴォダが海面に上がり、私達はダイダル岬の海岸に降り立った。

 夜斗がサンと調教師、それともう一頭の飛龍と一緒に待っていた。

 二頭の背中には、担架みたいなものが取りつけられている。私とユウを乗せるためだろう。


「えっ……何だって!」


 急にソータさんが声を上げた。

 隣の水那さんが、ビクリとしてソータさんに寄り添った。左胸の辺りに耳を寄せている。


「それ――本当か!?」


 ソータさんは胸に手を当て、誰かと話している。ひどく慌てているみたいだ。

 ネイア様から……連絡? 一体、何が……。


「アサヒさま!」


 エリンが慌てたように叫んだので、私はハッとしてユウの顔を見た。

 手の温もりが……だんだん消えていく。顔が……青ざめていく。


「……待って……」


 私は両手でユウの手を握りしめた。

 自分の中のフェルティガをユウに送り込む。お腹の赤ちゃんも、頑張っているのがわかる。

 でも……駄目。全然足りない。


「行かないで……ユウ!」


 ――誰か、助けて……!


「……!」


 ソータさんが後ろを振り返るのと――私達の祈りが何かを揺らしたのが、同時だった。

 私達が佇んでいた海岸……その地下深くから、光が溢れる。


「え……!」


 ユウが横たわっていたすぐ近くの砂浜から――一筋の青い光が立ち昇る。

 真っ直ぐ、白い空に向かって……突き進む。


「……っ……!」


 空で何かが揺らぐ気配がした。

 光から青いもやが溢れ……広がり、海岸を覆い尽くす。


「……女神テスラ……?」


 ソータさんがうわ言のように呟いた。

 その瞬間、すさまじい力が海岸から空に向かって放出されたのがわかった。

 テスラの白い空に向かって……突き進み、弾け飛ぶ。


「きゃっ……!」


 光が辺りに溢れかえり、あまりの眩しさに咄嗟に目を閉じた。

 思わず右手で顔を隠し、その場に伏せる。地面が微かに揺れている。


 何かが起こっている。二つの力がぶつかって……跳ね返った。

 何かが遠く……遠くに、飛んで行く。


 徐々に目が慣れて……私はゆっくりと目を開けた。

 左手……さっきまで冷たかったユウの手に、温もりを感じる。


「――ユウ!」


 私の声に、周りの人もハッとしたようだった。

 さっきまで海岸に溢れていた青い靄が……ユウの身体の中にすうっと消えて行くのが見えた。

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