37.愛と海と歌と想いと(2)-朝日side-

『……誰も……独りでは……いられない……差し伸べられた……手を……』


 ミジェルの綺麗な声が部屋中に響き渡る。

 私とユウはベッドの上でじっとそれを聞いていた。


『……キミを……待ってる……』


 ミジェルは歌い終わると、ほっとしたように息をついた。


「上手、上手! 発音も完璧!」

「……ほんとですか?」


 私が拍手をしながら興奮気味に言うと、ミジェルは嬉しそうに笑った。

 ミジェルの声がほわんほわんとフェルティガになって私に届く。

 でも……喋っているときの可愛い声より、歌の方がとても深みがあるというか……温かい気がする。


「意味は知ってるの?」

「アキラが教えてくれました。意味が分かる方が、気持ちが乗るだろうからって」

「……そっか」

「ずっと悩んでいたんです。……フェルティガが発現してから」


 ミジェルが俯く。茶色と銀色の混じった髪がふわふわ揺れている。

 ……暁はリスみたいだって言ってたな。確かに、ちっちゃくて可愛い。


「シャロットとアキラのおかげで、とても救われました」

「でも、あの二人って結構、突拍子もないこと言い出すでしょ?」

「え?」

「実験だの、何だの……多分、かなり振り回されたよね?」

「……朝日は他人のこと言えないんじゃない……?」


 ユウが隣でぼやいていたけど、私は聞こえない振りをした。


「余計なことしてやしないかと思って」

「そんなことは……」


 ミジェルは首を横に振ると、クスクスと笑った。


「最初は確かに……驚いたんですけど……」

「だよね」

「私のためにあーでもない、こーでもないと言い合っている二人を見ていたら……とても面白くて。……すごく、嬉しかったです」

「……そう。なら……いいんだけど」


 どうせなら……ミジェルの歌、もっと広められたらいいのにな。

 応援する歌とか……亡くなった人を想う歌とか……そういう機会があったときに歌ってくれたら、みんな勇気づけられたり、慰められたりすると思う。


「ねぇ……エリン」

「何ですか?」

「フィラの子守唄の他に、歌はないの?」

「そうですね……」


 部屋の隅に控えていたエリンは、ちょっと首を傾げた。


「エルトラでは歌というものはないですね……。フィラでも、その歌はかなり昔のものだそうですし……長引く戦争で失われたのではないかと思います。全く耳にしたことがないので……」

「そっか……じゃあ、作ればいいのよね」

「……?」


 ミジェルが不思議そうに首を傾げた。


「つく、る……?」

「そう。暁が教えたその歌もね……元は、誰かが想いを込めて作ったものなのよ」

「……」

「ミジェル自身が、楽しい歌とか慰める歌とか、想いを込めて作ってみたらいいのよ。そしてね、パラリュスの色々なところで歌って、広めるの。皆を元気づけるために」

「は……」


 横のユウがちょっと呆れた声を出した。


「相変わらずとんでもないこと言い出すね、朝日は」

「だって、いいと思わない? ミジェルにしかできないことよ」

「歌を……つくる……」


 思ってもみなかったらしく、ミジェルがぽかんとしている。

 ユウはやれやれという顔をすると、溜息をついた。


「だいたいパラリュスを巡るって……」

「すべてが終わって平和になったら、夜斗にでも頼めばいいじゃない。私もサンになら乗れるし」

「そうやって周りをどんどん巻き込んでいく訳だね……」

「いいことなら別にいいじゃない。……そうだ、シャロット辺りにマネージメントを頼めば、かなりいい案を出してくれるかも」

「一大プロジェクトだね……」

「ふふっ……ふふふっ……」


 ミジェルが、私達のやり取りを聞いて楽しそうに笑った。



「――元気になったようだの」


 扉が開いて、ネイア様が現れた。


「呼びかけにも応じないので勝手に入ったが」

「あ……すみません……」

「ミジェル、テスラの状況が知りたい。シルヴァーナ女王と連絡を取ってみてくれぬかの」

「はい、わかりました」


 ミジェルは頷くと、私達に一礼をして部屋を出て行った。


「……何か……ありました?」


 心配になって聞くと、ネイア様は首を横に振った。


「女神ウルスラの助言から、テスラの……北東の遺跡だったかの? その調査をするという連絡が来たきり……1週間、何もない。悪い報せも良い報せもないということだとは思うが……一応、な」

「そうですか……」

「あと――神の領域についても……」

「……えっ……」


 ネイア様の台詞に――少しドキリとする。


 ――ここは誰も……ヒトは、立ち入ることも出ることも叶わぬ場所だぞ。


 ドゥンケの台詞が蘇る。


 ――神でもヒトでもないわたしは未来永劫この地で過ごすがよいと言われた。


 誰も立ち入ることができない……まさに、神の領域、みたいじゃない。

 まさか……。


「ああ……そうか。この話はまだしていなかったの」


 ネイア様は私達二人を見比べた。


廻龍かいりゅうが言うには、神獣すら立ち入れない場所がこのパラリュスには存在しており……おそらく神の領域だろう、ということだった。その一角から妙な波動が出ていることを知り……ソータとミズナが一度、その場所に向かった」

「……何か見つかったのですか?」

「廻龍が示した場所には、何もなかったそうだ。ただ、一面の海が広がっていて……」

「……」


 ドゥンケの島から周りを見渡した時も……何も見えなかった。一面、海で……小さな島や、生き物すら……。

 まさか……でも……。


「妙な波動、というのは?」

「ソータもミズナも殆ど感じ取れなかったらしい。……神の領域というのは、あながち間違いではないのかも知れんな」

「……」

「二人では何もできず、そのまま帰って来たそうだ。調査するならソータとミズナ、ヤトゥーイが揃ってなくては無理だが、テスラからは遠すぎる故、そんな長い間テスラを空にしておく訳にはいかん……ということでな」

「……」


 ヨハネがいなくなったと聞いたあと、ドゥンケに会いに行った。

 ……でも、ドゥンケは普通に島の人の中に溶け込んでいたし……きっと……関係ないわよね。


「あ、あの……ネイア様!」


 乱暴に扉が開いて、ミジェルが慌てた様子で入って来た。

 その声はかなり大きく、ズガンと私の身体に入ってくる。


「どうした?」

「あの……姉さまから、連絡が、来て……」

「レジェルから?」

「あの……エンカさんとホムラさんが……ちょっと見に行ってくるって……船に……乗って……」

「……船……」


 ネイア様はポツリと呟いたあと、ハッと顔を上げた。


「まさか……」

「……はい」


 呼吸を整えると……ミジェルはこくこく頷いた。


「その……神の領域、です」



   ◆ ◆ ◆



「ちょ……ちょっと、ホムラさん!」

「何だ?」


 ホムラは船の点検をしながら、面倒臭そうにレジェルをちらりと見た。その肩にはサル顔の鳥、オリガが乗っかっている。


「この、船……」

「おう、そうそう」


 ホムラはポンと船体を叩くと、ガハハと笑った。


「前に、ソータが廻龍を探しに行くときに造ったヤツなんだけどよ。せっかく沖合まで行けるよう、丁寧に何年もかけて造ったから……こりゃ、今が出番なんじゃないかと思ってよ」

「出番……って、だって、漁の解禁はまだ……」

「漁じゃないよ。あの……なんだっけ?」


 ひょっこり現れたエンカが食糧を積み込みながら言う。


「ソータさんが為す術もなく帰って来たって言う……」

「ま、さか……」


 レジェルが真っ青になる。


「神の領域!?」

「おう、それそれ」

「な、なん……」

「近付きゃしねぇよ。漁もなくて暇だし、ちょっと見てくるだけだ」


 ホムラがニヤッと笑う。

 レジェルはくらくらと立ち眩みがするのを感じたが……それでもどうにか自分を奮い立たせ、ホムラに噛みついた。


「確かに、海に詳しいホムラさんなら何か気づいたことはないかと、情報を漏らしたのは私ですけど。でもそれは、ホムラさんに行ってほしいって意味ではなくてですね……」

「わかってらぁ。でも、ソータもヤハトラも、今は動けねぇんだろ?」

「まぁ、そうです……」

「実は最近、ラティブでこんなものを仕入れてよ」


 そう言うと、ホムラは船の上を指差した。何か筒状の大きなものが中央に設置されている。


「……何ですか、これ?」

「望遠鏡ってヤツらしい。これなら、フェルティガエでなくても遠く離れたところが覗けるっていうシロモノでよ」

「……はぁ」

「ちょうどレッカと、漁をもう少し広範囲に広げるかって相談していたところだったんだ。だから……まぁ、漁の下見っつーことかな」

「な……」

「あ、レジェル。多分一ヶ月ぐらいは戻らないつもりだから、よろしくねー」


 船に乗り込み、積み荷を点検していたエンカが、またもやひょっこりと顔を覗かせた。


「エンカ! あなたまで……」

「だってさ。ソータさん、困ってるんだろ?」

「……」

「フェルティガエでない、俺たち海の男ができることって、これぐらいじゃない? あれだけ世話になったのにさ」

「……それは……」

「よーし、準備は万端だ!」


 ホムラは船を一回りすると、満足そうに笑った。


「じゃ、行くか、エンカ」

「おっけー!」

「ちょっ……」


 慌てるレジェルをよそに、エンカは船を繋いであった縄をほどいた。

 そして素早く船に乗り込み、颯爽と漕ぎ始める。


「おお……この新型の動力もなかなかだな」

「今までの船よりだいぶん速いね。あんまり漕がなくても勝手に進むし。……でも、近海の生物には響くかなー」

「うーん……」


 ホムラとエンカは真剣にそんなことを話している。


「――エンカ! ホムラさーん!」


 諦めきれず、レジェルはもう一度叫んだ。


「心配すんな! 何かあったらオリガを寄こすからなー!」


 ホムラは船から身を乗り出すと、大声で叫んだ。そして両手で大きく手を振ると……そのまま行ってしまった。



   ◆ ◆ ◆



「……という……訳らしくて……」


 ミジェルはそう言うと、大きな溜息をついた。


「姉さまが……責任を感じています。不用意に喋ってしまったって……」

「まぁ、セッカも関わらせてしまったしの。時間の問題だったとは思うが……」


 ネイア様はそう言うと、かなり考え込んでしまった。


「……ホムラさんというと……」


 私はセッカさんの家に行ったときのことを思い出した。

 金髪で日に焼けた、まさに海の男っていう感じの大柄な男の人。

 息子のゴータくんの結婚のお祝いで……すごく豪快に笑っていたっけ。

 みんなの中心的存在なんだな、と思った。

 暁やシャロットが、海の話を楽しそうに聞いていたわよね。セッカさんとも仲良くて……。


「一度お会いしましたが、かなり豪気な方とお見受けしましたけど……」

「うむ」


 私が言うと、ネイア様は渋々頷いた。


「……まぁ、遠くから見るだけだというし……仮にヨハネが気づいたとしても、海で漁の準備をしているただの人間を襲うことはないであろう。それに……ああ見えて、ホムラは自分が不利になるような無茶はせん。……伊達に年は取ってはおらんからの」

「ホムラさんて、おいくつなんですか?」

「五十はとうに過ぎておるの」

「えっ……」


 私よりむしろママに近い年齢なんだ。それで、その行動力……。


「……凄いですね」

「アサヒも多分、変わらんと思うぞ」

「えー……」

「それで……ミジェル。シルヴァーナ女王の方はどうなったのだ?」


 私の不満は無視して、ネイア様はミジェルの方に振り返った。


「あ……そうでした!」


 ミジェルはそう言うと、ぺこりとお辞儀をして慌てて部屋を出て行った。


「……騒々しくなってきたの」


 そう言うと……ネイア様は眉間に皺を寄せて、溜息をついた。

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