33.救うこと、救われること(2)-暁side-

“――アキラ!”


 不意に、シャロットの慌てたような声が耳に飛び込んできた。


「な……んだよ……」

“ユズ兄ちゃんが、只事じゃないって……”

「ずっと待ってるって言ったろ。俺に話しかけるな」

“……!”


 今シャロットと話したら、とんでもないことを口走りそうだ。遠ざけるしかない。

 自分でもひどいことを言ってるって、わかってる。

 でも、止められない。


“だって……”

「黙ってろ!」

“……っ……”


 シャロットの息を呑む音が聞こえた。


「とにかく、放っといてくれ。お前のことも含め、今は何も考えたくないんだよ」

“アキラっ……!”


 その声を最後に、通信がブツンと途切れた。……ちょっと涙声だった気がする。

 呆れて、見捨てられたかな。


「はは……」


 自嘲気味に笑うと――急に、俺の部屋の空間がねじ曲がる気配がした。


「な……」


 みるみる切れ目が現れる。……ゲートだ!

 まさか、シャロット?

 あいつ……ゲート、越えられるのか? 限界は大丈夫なのか!?


「……アキラ!」


 切れ目から、シャロットが現れた。

 ちょっと息が上がっている。胸を押さえていた。

 前に見たワンピースではなく……白の上下の神官服を着ていた。

 もう夜だから、部屋着みたいなものなんだろうか。赤い髪も、後ろで無造作に結っている。

 それでも――少し涙目のシャロットは、綺麗で……グラリとした。

 何かが俺を支配したのがわかったが、逆らえなかった。


「え……きゃっ!」


 床に降りてくるやいなや、シャロットの左腕を掴みベッドに押し倒す。


「な……」

「放っとけって言ったのに……こんな夜に男の部屋に来て、無事に済むと思う?」

「ちょ……アキラ!」


 シャロットがジタバタ暴れる。

 俺は左手でシャロットの両手を押さえつけると……右手でシャロットの上着を引き裂いた。


「やめて!」

「やめない」


 ――何でこんな機会を逃す必要がある?


 脇腹の痛みが……黒い思念に変わる。


「絶対――駄目! 私には、使命があるから、今は……」

「うるさいよ」


 俺は右手でシャロットの顎を掴むと、そのまま唇を塞いだ。


 ――気づいて、アキラ! 闇に汚染されてるんだよ……!


「……!」


 シャロットの心の声が響き渡り……唇から、何かが流れ込んできた。

 黒い思念が泡になって……輪郭が消える。


「……え……」


 ふと……身体から力が抜ける。シャロットがバッと俺の手を振り払った。


「あ……」


 そしてそのまま俺の身体を蹴り飛ばすと、逆に俺に馬乗りになった。両肩をガシッと押さえつけられる。

 俺は茫然としたままシャロットを見上げた。


「聞こえた? 闇に汚染されてるの」

「や……み……?」


 シャロットは露わになった上半身を隠すこともせず――両手で俺の肩を押さえつけていた。

 かなり荒い息をしていた。涙が流れた跡の頬に、髪の毛がへばりついている。

 額には、汗が珠のように浮かんでいた。


「まだ少し……削れただけなの。落ち着いて……浄化しよう」

「……浄化……」

「私達が……力を合わせれば……絶対、できるから」

「……力……」


 シャロットは頷くと――ゆっくりと顔を近づけてきた。

 俺は目を閉じた。


 唇に……シャロットを感じる。

 シャロットのフェルティガが、清流のように注ぎ込まれる。

 端に追いやられていた――俺の浄化の力が、それに応えるかのように身体の中を駆け巡る。


「……っ……」


 脇腹の内側が……焼けるように熱い。


 ――アキラ……!


 シャロットの想いが……伝わる。

 俺はギュッと、シャロットを抱きしめた。


 ……シャロット……!


 ジクジクと膿んでいた黒い塊が、あっという間に粉々になった。

 細かい粒になり、フェルティガの波に攫われ……泡となって消える。


「ん……は……」


 唇を離すと……シャロットが苦しそうに息を吐いた。

 ぐらりとよろめいて、俺の上にもたれかかってくる。


「シャロット!?」


 慌てて身体を起こす。シャロットはぐったりとしてベッドにうつ伏せに倒れた。

 はぁはぁと苦しそうに呼吸している。一筋の汗がこめかみから左の頬、顎へと伝っていった。


「大丈……夫……。ちょっと、息が……」

「……ごめん」

「ううん」


 まだ眉間に皺を寄せたまま、シャロットが微笑む。

 俺を安心させようと、精一杯笑顔を作っているのがわかる。


 あれほど苦しかった、脇腹の痛み。すっかり無くなっている。

 どこか澱んでいた俺のフェルティガも……何だか澄み渡っている。


「……あ」


 ふと、苦しそうに息をついているシャロットの綺麗な背中が目に入る。引きちぎられた、白い神官服の破片も。

 そうだった、俺がむしり取ったんだった。


 急に罪悪感が湧いてきて、慌ててベッドから立ち上がる。タンスを開けてトレーナーを1枚取り出すと、シャロットに手渡した。


「これ……」

「あ……そっか……」


 シャロットは左腕で自分の胸を隠しながらよろよろと起き上がると、右手でトレーナーを受け取った。

 じっと見てちゃ駄目だろうなあ、とくるりと背を向けると、ゴソゴソとシャロットが動いている音が聞こえてくる。


「もういいよ」

という声が聞こえて振り返ると、まだ体が辛いらしく、今度は仰向けになってベッドに横たわっていた。

 目が合うと、


「ねぇ……もう、話せる? どうしてこんなことになったのか……」


と心配そうに俺をじっと見つめる。


 俺はヨハネとのやりとりを思い出してみた。

 胸は……苦しい。ヨハネから言われた言葉が、冷たく突き刺さる。

 でも……前に感じていたような、ジクジクとした痛みはもうなくなっていた。


「……ああ」


 俺はシャロットの傍に座ると、あのときのことをゆっくりと話し始めた。


 ザワッとした気配。ヨハネの表情。血塗れのナイフ。

 そして、ヨハネの……言葉。


「ヨハネの右腕全体は闇に包まれていて……とり憑かれてるんだってわかった。浄化しようとしたけど、抵抗されて……」

「そうなんだ……」

「でも……コレットのときとは違う。ヨハネは、ヨハネの顔で、声で、ちゃんと喋ってた。だから、俺はショックで……ヨハネが、ずっと、そんな……」


 そこまで言うと、俺は思わず頭を抱えた。泣きそうになる。

 シャロットはゆっくりと起き上がると、俺の背中にギュッとしがみついてきた。


「それは闇が言わせてるんだって。ヨハネの本心じゃないよ!」

「だって……」

「コレットは意識が眠ってたから、闇は身体だけを支配したの。だからなの」

「……」

「母さまも……身体は闇で真っ黒だったけど、表情や声は母さまのままだった。それと同じだよ!」

「……!」


 その言葉に、俺はバッと顔を上げて振り返った。

 涙目のシャロットと目が合う。


「それって……つまり、ヨハネは完全に侵食されてるってことじゃないのか?」

「……」

「もう……昔のヨハネは取り戻せないってことじゃないのか!?」


 思わず、シャロットの両腕を掴む。

 不安と嫌な予感が、俺の身体を駆け巡る。手が震えるのがわかる。


「……まだ、わかんないよ」


 シャロットは首を横に振った。


「右腕だけでしょ。……間に合うかもしれない。救えるかもしれない」

「……」

「信じようよ。やってみようよ」

「……」


 ――私のモットーは知ってる? やらないよりはやって後悔しよう、よ。


 朝日の言葉を思い出した。


 ――ああすればよかった、っていう後悔だけはしたくないの。とにかく打てるだけの手は、すべて打つ。


 そう言って……テスラに行ったんだよな、朝日は……。

 そして今……ユウは、まだ生きてる。新しい命も……芽生えている。


「……そうだな」


 頷いてシャロットの腕を離すと、シャロットはホッとしたように息をついた。


「それで……アキラの状態なんだけどね」

「あ……」


 俺は自分の脇腹を押さえた。……もう痛くも苦しくもないけど……。


「ヨハネに切り付けられて、心を抉られて……そのときにうつったというか、汚染されたんじゃないかと思うの」

「汚染……」

「闇にとり憑かれたというのとはちょっと違って、アキラのフェルティガ自体が穢されたっていうのかな」


 そう言うと、シャロットは自分の右手を顎にあて、考え込むような仕草をした。


「女神ジャスラ……もそうだったのかな。女神ウルスラに切りつけられて、そのあと壊れ始めたって話じゃなかった?」

「あ……」

「アキラは浄化者だったから、2週間も進行を止めていられたんだと思うの。だからヨハネと対峙するときは、それも気をつけないと駄目だね」

「……そうだな」


 俺ですら全然気付かなかった。自分の思考がねじ曲がり始めていたなんて。

 確かに、妙に悪い方に暗い方にばかり考えがいっていたけど……。

 普通なら……知らず知らずのうちに狂ってしまうんだ。


「ずっと暁の中の闇に妨害されてたのか、夢鏡ミラーでも全然視えなくて。さっき話しかけたときに初めてアキラの姿が視えたんだけど、何か黒くなってて、それで慌てちゃって」

「あ……」


 そう言えば、シャロットはゲートを越えて来たんだよな。


「ゲートの限界……は大丈夫そうだな。身体の調子はどうだ?」

「ちょっと息が上がったから……あと1回ぐらいかもね。だから、帰りはアキラが掘削ホールで送ってね」


 そう言うと、シャロットはニコッと笑った。


「……ごめんな……」

「どれに対して謝ってるの?」

「それは……もう……いろいろと……」


 何て言ったらいいか分からないな……。

 ちょっと困っていると、シャロットは首を横に振った。


「汚染されて狂いかかってたんだから、仕方ないよ」

「……」


 そうは言うけどさ。

 でも……本当に、わかってるか?

 とり憑かれた訳ではなく、自ら闇に堕ちたって言うんなら……望んでもいないことはやらないはずなんだぞ。

 自分の欲望を闇が増幅させるから、で……。


「はぁ……」


 まさかこんなゲスい欲望だったとは……。しかも、シャロット相手に……。

 はぁ、馬鹿だな。

 シャロットだけは、絶対に――無理なのに。

 ……シャロットだから?

 いや、それはないか……。

 どっちにしても、こんな自分は知りたくなかったな……。


「ただ……もう、夢鏡ミラーで覗くなよ」

「何で?」

「前も言っただろ。……悪趣味だから」


 結局、こっちの世界で適当にやっていかないといけない、というのは変わらない。ソータさんじゃあるまいし、十代の若者がずっと禁欲生活を送るのは無理だって。

 そんな現場を覗かれたら、たまったもんじゃないしな。


「アキラがちゃんと手紙の返事をくれたり、話しかけたときに応えてくれるなら、もう覗かない」

「応えるよ、そりゃ」

「今回だって……手紙に何も返してくれなかったから覗いたんだもん」

「お前、ずっと待つって手紙に書いてなかったか?」

「……待ったもん。5日間」


 5日間だけかよ……。

 まあ、おかげで俺は救われたんだけど。


「でも……本当によかった。ホッとした。顔が見れて」


 そう言うと、シャロットは再びごろんとベッドに横になった。


「はー……疲れた……。ちょっと休ませて……」

「ここで? 泊まっていくのか?」


 顔を覗き込んで聞いてみると、シャロットはきょとんとしたあと、急に真っ赤になった。ガバッと起き上がる。


「この部屋って意味じゃないよ! 他に部屋はないの?」

「そりゃあるよ。ばめちゃんに言えば……」

「じゃ、それで!」


 シャロットはそう言うと、すっくと立ち上がった。

 赤くなるようになっただけ、進歩かな。


 俺は苦笑すると、シャロットを連れて部屋の扉を開けた。


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