32.救うこと、救われること(1)-暁side-

 シャロットの手紙から、5日。

 俺は結局返事は出さなかったし、シャロットにも呼びかけなかった。

 パラリュスのことを思い出すと脇腹が痛むから……仕方がない。


「アキラ、今日この後って空いてる?」


 ダンスレッスンが終わり、男子更衣室。一緒に授業を受けていたリョウが声をかけてきた。

 リョウはもう本格的にモデル活動を始めてるから、レッスンにはたまにしか来ない。会うのは1か月ぶりだった。


「あ、リョウ。久し振りだもんな。ご飯でも食べに行く?」

「それなんだけど……アッコがさあ、エミにアキラを紹介してくれってうるさいんだよね。エミとアッコの4人になるけど、大丈夫か?」

「エミ……」


 姿を思い浮かべる。確か2歳年上の、まあまあ大丈夫な方の女の子だな。アッコはリョウの彼女なので問題ないし……。


「まぁ、いいよ」

「あっ、珍しくノリ気? 実は気になってたとか?」

「それはない」

「うわ、そこは相変わらずなんだな。何か久し振りに会ったら雰囲気が変わってたから、いよいよ解禁かと思った」

「解禁って……鮎かよ」


 思わず吹き出す。


「……彼女はいらないけど、それ以外ならありかなー」


 そう言いながら、鞄を背負って外に出る。


「えっ、何それ、意味シンじゃん。教えてよ」


 リョウが慌てて靴を履いて俺を追いかけてきた。


「何がだよ」

「何かあっただろ? ちょっとだけ……」

「何もない」

「ひょっとしてあっちの国の女の子?」

「何のことかな」

「……」


 リョウは一瞬黙ると、ちょっと真面目な顔をした。


「……アッコ盗るなよ」

「それもない。面倒臭い」

「うわ……友達だから、とか言わないのがアキラらしいなー」


 リョウはそう言うと、アハハッと笑った。

 友達、という言葉に――脇腹がズキリと痛む。



「楽しそうじゃん。……何の話?」


 ビルの入口に出ると、エミとアッコがすでに着替え終わって待っていた。


「アユ解禁の話」

「……それ、夏じゃなかった?」

「そうだっけ?」


 リョウとアッコが呑気な会話をしている。エミはチラチラ俺の方を見ていたが……ぎゅっと鞄を持つ手に力を込めると、俺の近くに駆け寄って来た。


「あの……アキラ、今日って……」

「ああ、ご飯でしょ? 別にいいよ」


 エミの顔がパッと明るくなるのがわかった。


「よかった……。アキラ、みんなでワイワイするのあまり好きそうじゃなかったから、迷惑だったかな、と思って」


 まぁ、好きそうじゃないって察してくれてるだけ、最低限はクリアかな。


「んー、人に寄るかな」

「えっ……」


 エミが妙に嬉しそうな顔をしたので、ギョッとする。

 これは『自分は特別かも』って誤解したかもしれない。それは、非常に困る。


「特定の彼女とかは邪魔くさいし要らないんだけど、たまに遊ぶ友達ぐらいならいてもいいかな、と思って」

「そ……そうなんだ……」


 おお……意気消沈した。

 どうやら思ったより本気だったらしい。これはちょっと面倒臭いな……。


 一緒にご飯に行くことにしたのを後悔しかけていると、不意に

「暁くん!」

という声が右手から聞こえてきた。


「え……」


 声がした方を見ると、紺のブルゾンにベージュのチノパン、スニーカーという、カジュアルな服装の眼鏡をかけた人がいる。寄り掛かっていた壁から背中を離し、俺に向かって手を上げていた。


「あれ……ユズルさん!?」


 俺は驚いて、ユズルさんに駆け寄った。

 ユズルさんは今はお医者さんになるための試験が迫っているって話で……こんなところにいるはずがないのに。


「どうしたの? びっくりした」

「春からこっちに来る予定だから、息抜きがてら下見にね。せっかくなら暁くんに会っていこうと思って連絡したけど、繋がらなかったから……お家に電話したら、ここだって聞いて」


 ユズルさんはそう言うと、にこっと笑った。


「あ……そっか、レッスン中で全然見てなかった。ごめん」

「アキラ、どうした?」


 リョウが不思議そうな顔をしている。

 そうだよな、俺が誰かと親しそうに話してるところなんて見たことないだろうしな。


「あ、ごめん。すごくお世話になった人なんだけど、普段遠くに住んでて、なかなか会えないんだ。……今日、パスしていいかな?」


 俺が言うと、リョウがやれやれ、という感じで溜息をついた。


「なんか、珍しい感じだもんな。わかったよ」

「ちょ、リョウ……」

「エミも諦めた方がいいぞ。……じゃ、またな、アキラ!」


 リョウはそう言うと、女の子二人を引き連れて去って行った。

 リョウのこういうところは、本当に助かる。


「……いいのかい?」

「あー、なんか、俺に女の子を紹介しようとしてたんだけど、ちょっと微妙だったからいいや」

「微妙って……」


 そう言うと、ユズルさんはじっと俺を見た。


「心を読まないでよ。……俺も読むよ?」

「それはしないけど……とりあえず、どこか入ろうか」


 そう言うと、ユズルさんはゆっくりと歩き始めた。


「朝日さんやトーマからは聞いてたけど、本当にモデルの仕事を始めたんだね」

「まだちゃんとは始めてないよ。ウォーキングとか、ダンスとか、英会話とか……何か必要そうなものをレッスンしてるだけ」

「友達も増えたみたいだし……」

「……っていうより、慣れたって感じかな」


 友達、というワードは、聞くのも口に出すのも辛い。


 ……友達って何だろう。

 片方だけが友達だと思ってたって、それは友達なんかじゃない。


 脇腹が痛んで、俺はそれ以上考えるのをやめた。


 「どこに行く?」「何を食べたい?」みたいな会話をしながらしばらく二人で歩いていたけど、結局ばめちゃんのお店が近くにあったので、そこに入った。


「そうか……ユズルさん、いよいよお医者さんになるんだね」

「ん? 違うよ。春からこっちの大学院に入るんだ」


 おしぼりで手を拭きながら、ユズルさんが窓の外を見る。

 ……左目は、茶色だった。コンタクトしてるのかな。


「法医学の方に進むことにしたんだ。いろいろな知識が必要でやりたがる人があんまりいない方面なんだけど……日本は遅れてるらしいから、逆にやりがいがあるかなと思ってね」

「ふうん……。何か、天才外科医、とか言われるような人になるのかなと思った」

「外科も考えたし向いているとは言われたけど……ちょっとね」


 それから……運ばれてきた料理を食べながら、他愛もない話をした。

 パラリュスの話は一切しなかった。ユズルさんは話したそうにしてたけど、俺が徹底的に避けた。

 俺の進学の話やモデルの話、ユズルさんの勉強の話をした。


 店を出ようとして

「ばめちゃんにツケとけばいいよ」

と言ったけど、ユズルさんはそういう訳にはいかないから、とお金を出した。


「暁くんはまだ子供だからそれでも許されるけど、僕はいい大人だしね」

「子供って……」

「義務教育、終わってないでしょ?」

「……」


 まぁ、確かに……それはそうなんだけどさ。


 外に出ると、もう真っ暗だった。冬の外の空気はキンと冷えていて、吐く息が真っ白だ。


「……ちょっと歩こうか」


 ユズルさんはそう言うと、ゆっくりと歩き始めた。その隣に並んで、俺も同じペースで歩く。


 ……何か話してくれないかな。考える時間が多いと、胸がモヤモヤするから嫌なんだけど。


 そんなことを考えていると、ユズルさんが「ねぇ、暁くん」と妙に改まった口調で切り出した。


「シャロット、心配してるよ」

「……!」


 思わず喉がつまる。脇腹がズキズキと痛み出した。

 早足でズカズカ歩く。ユズルさんよりも前に出る。


 ユズルさんはそんな俺には構わず、

夢鏡ミラーでも姿が視えない、こんなのおかしいって言ってた」

と畳みかけてきた。

 俺のペースに合わせて、背中を追いかけるように。


「あいつ、覗いてたのか。悪趣味だからやめろって言ったのに……」

「で……まあ、会いに来た訳なんだけど」

「……」

「やっぱりおかしいかな」

「……何が?」


 俺がぴたりと歩くのをやめて振り返ると、ユズルさんも足を止めていた。

 ちょうど公園の前で、辺りには殆ど人がいない。俺たち二人を、街灯が照らしている。

 ユズルさんの表情は、想像よりずっと険しいものだった。


 何だよ。俺の何がおかしいっていうんだ。

 ――何も知らないくせに。


「暁くん、さっき心を読むなって言ったよね」

「言ったよ。読んでないよね? 俺、真似できないもん」

「……読まなかったんじゃなくて、読めなかった」

「……」


 俺、いつの間にそんな力を身につけたんだろう。ユズルさんを退けられるとは思わなかった。

 あれかな……朝日が本気で拒絶してるときって、全然繋がらないんだよな。

 ……それと同じかな。


「ねぇ、暁くん」

「何?」

「何か……抱え込んでない?」


 その瞬間――ヨハネが血塗れの剣を持って俺の前に立ちふさがる光景が浮かぶ。


「何も……ない!」


 大声で叫ぶ。ぎゅっと目をつぶる。……その光景を、端に追いやる。


「ヨハネは君に、何をしたの?」

「切りつけただけだ!」

「それだけ?」

「殺そうとしたんだ。……それで充分だろ!」


 俺はそう怒鳴ると、一目散に走り出した。

 ユズルさんが追いかけてくる気配がしたけど、俺には追いつかなかったようだ。足音が徐々に遠ざかり、聞こえなくなった。

 近くにいたタクシーに飛び乗り、家の住所を言う。


 そしてずっと、自分の身体を抱きしめ続けていた。

 脇腹の痛みが……徐々に広がっていく気配がする。


 ……気持ちが悪い。

 やめろ、俺を支配するなよ。


「お客さん、大丈夫?」

「大丈夫だからとにかく急いでくれ!」


 俺の乱暴な返事に、運転手が不愉快そうに「はい」とだけ答えた。

 その間……俺はじっと自分の身を守っていた。

 ジクジクする。よくわからないけど、絶対にこれ以上は……。


「……着きましたよ」

「このまま待ってて!」


 俺はそう怒鳴ると、鞄を持ってタクシーを飛び降りた。門から家の玄関までただひたすら走る。

 そして、玄関のチャイムを乱暴に鳴らした。


“……暁?”

「うん。ちょっと具合が悪くなって、タクシーで帰って来たんだ。ばめちゃん、お金払っておいて」

“あらあら、まぁ”


 しばらくすると、玄関の扉からカチャリという音が聞こえる。

 俺はバッと扉を開けると、ばめちゃんの横をすり抜けて階段を駆け上がった。


「暁!」

「しばらく一人にして! お願い!」


 俺はそう叫ぶと、バタンと自分の部屋に入った。

 鞄を乱暴に投げ、コートを脱ぐ。


「う……」


 脇腹の痛みは、なかなか治まらない。ひょっとして傷口が開いたんだろうか。

 それとも、傷の、中……?

 うう……嫌だ。こんなの……。


「……暁?」


 扉の外からばめちゃんの声が聞こえた。


「……何?」


 心配させたくない。苦しそうな声を、なるべく押し殺す。


「ユズルさんから、はぐれたって連絡が……」

「ああ……うん。ごめん」

「家に帰って来たことは、伝えておいたわよ。……本当に、いいのね? 一人で大丈夫なのね?」

「うん」

「……わかったわ」


 ばめちゃんが溜息をつきながら扉の前から離れるのが分かった。階段をトントンと降りて行く音がする。

 俺はほっと息をつくと……肩の力を抜いた。

 気が付いたら――額と背中にびっしょりと汗をかいているのがわかった。

 冬の真っただ中、ずっと誰もいなかった部屋は冷え切っている。まだ暖房もつけていないのに……。


 俺はエアコンをつけると、服を脱いで上半身裸になった。

 こんなに汗をかいたし、着替えないと。

 ふと、姿見に自分の身体を映してみたが、右の脇腹には傷痕なんてどこにもなかった。


 じゃあ、何でこんなに苦しいんだよ。何が俺を縛りつけてるんだよ。

 自分の身体を呪い、腹を抱えたままうずくまる。


 テスラ、ウルスラ、ジャスラ。あっちの世界のことを考えると、苦しくなる。

 パラリュスが――俺を苦しめるのか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る