31.裏切りと絶望の中で(2)-暁side-

 次の日、俺は伽羅きゃらさんのマンションからそのまま事務所に向かった。

 昨日、俺はばめちゃんに「北見さん家に泊めてもらうから」と連絡した。

 ……だって、嘘じゃないよね?

 どうやらばめちゃんが朝になってお礼の電話を涼子さんに入れたらしく、「すぐ事務所に来い!」と呼び出されたのだ。



「あー……姉さん、真面目だからねぇ……」


 伽羅さんがぼんやりと溜息をついた。

 すっぴんで頭もボサボサだったけど……それでも、陽の光に映えてすごく綺麗だった。


「これからこの業界で生きて行くための指南をしただけなんだけどな」

「それ、通用するかな……」

「あははっ、多分しないわね。仕方ないから、怒られてらっしゃい」

「何で他人事なの……15歳つまみ食いしといて……」

「あ、15だっけ? 18ぐらいだと思ってた」


 伽羅さんはさすがにギョッとした顔をしたけど、次の瞬間にはいつもの楽しそうな笑顔を浮かべていた。


「ま、遅かれ早かれ一度は通る道だしねー」

「うわ、ポジティブ……」



 ……とそんな感じで、伽羅さんとは非常にビジネスライクなものだった訳だけど……何か、気が楽だった。


 ――心が動くと、脇腹が痛む。


 だったら……これからは、他の人ともずっとこんな感じで接して行った方がラクなのかもしれない。



 事務所に入ると、涼子さんがすっ飛んできて、俺の腕をガシッと掴まえた。そのままの勢いで隣の小さな部屋に連れ込まれる。よく、軽い打ち合わせとかに使う部屋だ。

 今日は他の事務員の人もいたからかな。まぁ確かに、おおっぴらにできる話じゃない。


「暁! あんた……伽羅と何かあった?」


 涼子さんが小声で――だけど、強い口調で言う。


「……何もないとは言わないけど」

「もうー! 何で手を出すかな!」

「出されたんだけど」

「わかってるわよ!」


 そう言うと、涼子さんは深い溜息をついた。

 そしてパーティでどういう人に会ったか、根掘り葉掘り聞かれた。

 パーティで独りにされたとき……あのとき、伽羅さんは遠くで俺の様子を窺っていたそうだ。一通り回ってみて、どれぐらい釣れたか知りたかったらしい。

 貰った名刺を渡すと、一通りチェックしたあと何枚かは俺に返してくれた。


「この人達の名前と職業は憶えておいてね。そのうち、お世話になるから」

「ふうん……」

「他事務所のモデルの子たちは……今はツルマない方がいいわね。仕事を始めてから、おいおいね。ヤバい店にでも連れていかれたら困るし」

「へえ……そう言えば、伽羅さんも言ってたな」

「え?」

「こういう落とし穴があるぞ、とかこういう女には気をつけろ、とか……」

「……」

「また今度、いろいろ教えてくれるって」

「……そう言われちゃ、怒るに怒れないわね……」


 涼子さんは諦めたように溜息をついた。

 ……この業界を生き抜く指南って話、意外と通用したよ、伽羅さん。


「それと、言っておくけど」

「何?」


 涼子さんは真剣な顔で俺を見つめた。


「伽羅には本気になっちゃ駄目よ。本人があんな感じで自由人だし……まぁ見て分かるように、なかなか手に負えないのよ。振り回されちゃうからね」

「うん、大丈夫」


 それには自信があったので力強く頷くと、涼子さんはちょっと意外そうな顔をした。


「……何?」

「いや……言っちゃあなんだけど、あの子はかなりモテるから……こうも冷静だと、逆に伽羅が気の毒になるわね」

「伽羅さんは気にしないと思うけどな。それに俺も、本気の彼女とかいらないし」

「あの女の子がいるから?」

「あの女の子……って、誰?」

「初めて会ったときに一緒にいた、赤い髪の女の子よ」

「……!」


 シャロット……。

 また、脇腹がズキンと痛んだ。


「あいつは幼馴染というか……違うよ」

「そうなの?」

「そう。それに……国に、ちゃんと婚約者がいるから」


 儀式を迎えるってことは……つまり、そういうことだろう。


「ふうん……」


 涼子さんはそれ以上何も言わなかったけど……俺は脇腹の痛みがどんどん強くなるのを感じた。


   * * *


 月曜日、少し早めに学校に着くとすぐに職員室に行った。俺に気づいた担任の先生が「よう」と軽く手を上げる。


「上条、今日は学校に来たんだな。しばらく来れないとお祖母さんから聞いていたんだが……」

「父の容体が落ち着いたので、帰ってきました」

「そうか」

「でも……何かあったらまた急に行くことになるかもしれないので、それは伝えておこうと思って……」

「ああ、急に休むかも知れんってことだな。わかった」


 先生は頷くと、安心したように笑った。


「上条は東京の私立を受験するんだよな?」

「はい。仕事しようと思ってるので……」

「まぁ、上条の成績なら受験は問題ない。ただ、ココを卒業するまでは大っぴらな活動は控えてくれよ。オレの立場ってもんがあるからな」

「……はい」


 俺は苦笑しながら頷いた。

 そうは言いつつも、この先生は俺のためにどの高校がいいか調べてくれたり、学校を休む時も気を利かせてくれたりして……結構、いい先生だ。



 ――教室に戻ると、もうかなりの人が登校していた。


「あれ、上条じゃん。……早かったな、帰国するの」


 小学校から一緒のヤツが近寄ってくる。


「予定が変わって。……でも、また行くかもしれないけど」

「ふうん……」


 そいつは俺をまじまじと見ると

「お前……何か、あった?」

と聞いてきた。

 ちょっとギクリとして

「え……どういう意味?」

と、とぼけてみる。

 ……どっちの『何か』を勘づかれたんだろう。


 そいつはちょっと黙り込んだあと

「やっぱいいや。お前、どうせ何も言わないだろうし」

と言って離れて行った。


 何も言わないんじゃなくて――言えないんだよ。


 そう強く思った途端、脇腹がジクジク痛み出した。

 ……やっぱり、駄目だ。もう……何も考えないようにしないと。



   * * *



「暁、今日も夜はレッスンに行くの?」


 ばめちゃんがコーヒーを淹れながら聞く。


「あ、うん。ばめちゃんは?」

「今日は何もないわね」

「じゃあ、家で夕飯食べる」

「そう……」


 カップを俺に差し出しながら、ばめちゃんがちょっと嬉しそうに笑った。


 あれから――伽羅さんとイロイロあってから、1週間。

 昼は学校、夜は事務所かレッスン……と、常に誰かと一緒にいる生活をしていた。

 ばめちゃんは大きくなった会社を維持するのが大変になってきて、そろそろどこかに売却することを考え始めているらしい。

 だから、最近は会社の仕事と売却の準備とでかなり忙しそうにしていて……夜、家にいないことも多かった。


 家に独りでいると、ロクなことにならない。何かしていた方が、脇腹の痛みも治まる気がする。

 ……伽羅さんのマンションにも、週末に1回行ったけど。


「あら? 暁、手紙じゃない?」


 俺のために目玉焼きを焼いていたばめちゃんが、リビングの方を指差した。

 見ると……ぽっかりと穴が開いてすうっと紙飛行機が飛んできた。

 こっちに帰って来てから、初めての手紙だ。

 俺はコーヒーカップをテーブルに置くと、床の紙飛行機を拾い上げた。



   ◆ ◆ ◆



アキラへ

 どうしてる? ヤトゥーイさんがヤハトラに来て、事情は聞いたよ。

 オレはウルスラに帰ってきたの。テスラとウルスラとジャスラ、三つの国が協力しないといけないから、オレの視る力とシルヴァーナ様の国境をも越える能力で、国を繋げる役目をしているんだ。

 ユウ先生とアサヒさんは、今もずっと眠り続けているそうだよ。あと1か月ぐらいはこのままだって、エルトラの王宮治療師が言ってたみたい。


 そうだ、ミジェルにも手紙のこと教えたから、そのうち届くかもしれない。

 でも、アキラはジャスラにゲートを開いたことがないから、返事は来ないかもしれないって伝えておいたよ。

 だけどミジェルも心配してるだろうから、落ち着いたら一度はヤハトラに顔を出してあげてよ。

 ヤトゥーイさんが言ってたけど、ヤハトラは安全だからさ。


 テスラでは、ソータさんとミズナさんが要塞に乗り込んで無事に神剣みつるぎの闇を抜くことに成功したみたい。だけどあれから、ずっと倒れてるんだって。

 闇の本体って、そんなに凄い力なのかな。そんなの、どうやって封印したらいいんだろうね。

 ソータさんがウルスラに来たら、女神ウルスラを呼びだすことになると思う。何か分かったら、また知らせるね。

 あ、返事は落ち着いてからでいいよ。無理しないでね。

 ――シャロットより。



   ◆ ◆ ◆



「……」


 ミジェルの心配はして、お前自身は平気なのかよ。

 俺が、お前に何も言わなくても……返事をしなくても、本当にいいのか?


 そう思ってちょっとムッとしていると、手紙には二枚目があった。



   ◆ ◆ ◆



 ――アキラが今どういう気持ちなのか、『友達』がいない私にはわからない。

 でも、もし私がアキラに同じことをされたら……ショック過ぎて、どうしたらいいかわからなくなると思う。

 しばらくは、何も耳に入らないと思う。

 でも……もし、話を聞いてくれる人がいたら、早く立ち直れるかもしれない。

 だから……アキラが私と話したくなるまで、私はずっと待ってるよ。

 私はいつでもアキラの話を聞きたいと思ってるから……その時がきたら、絶対に呼びかけてね。



   ◆ ◆ ◆



 パラリュス語の走り書きだった。多分、日本語だとうまく伝えられないし……書くべきかどうか、ギリギリまで悩んだんだろう。


「シャロットから? 何て?」


 ばめちゃんの声で、ハッと我に返る。

 俺は手紙を乱暴に折り畳むと、ボスッとズボンのポケットに突っ込んだ。


「ユウと朝日は大丈夫だって」

「……そう」


 ばめちゃんはホッとしたように息をついた。


「本当は、母親が付き添ったりするものなのに、ね。仕方ないけれど……」


 そう言うと、ばめちゃんは淋しそうにもう一度溜息をついた。


「俺の掘削ホールを使えば、ばめちゃんでもジャスラに行けるけど」

「……」

「行く? どうしてもって言うならネイア様に……」

「いいえ」


 ばめちゃんは俺の言葉を遮り、首を横に振った。


「ヒロは……そんなこと、望んでいないと思うから」

「……」

「私はこっちの世界の人間で……奇跡的に、ヒロと出会っただけ。私が生きるべき世界はここで、最後までそうあり続けたいの」

「……」


 じゃあ、やっぱり……俺の生きる世界も、ここなのかな。

 今回のことが全部片付いたら、俺もパラリュスに行くべきじゃないのかな……。


「私はあちらの世界に干渉するべきではない。……そう思ってるのよ」

「でも、今度産まれる子達は俺みたいにこっちには連れて来れないよ」

「……」

「俺は奇跡的に早くフェルティガが発現したから可能だっただけで……きっと、フィラで育つことになる」

「……」

「ばめちゃん……ずっと、孫に会えなくなるけど……」

「……それは朝日か暁にお願いするしかないわね」


 そう言うと、ばめちゃんはちょっと微笑んだ。


「動画でも……写真でもいいから、姿を見せてくれればいいわ。無事に育ってくれれば、それでいいんだから」

「……うん……」

「朝日と暁の存在が、あちらとこちらを繋げてくれるの。それ以上は望まないわ」

「……」


 パラリュスとミュービュリを繋げる……。

 繋げるのは、本当に正しいこと?

 ――俺の存在は……正しいことなんだろうか。


 脇腹がジクジクと痛む。


 ……クソッ……。

 いつになったら、この痛みから解放されるんだよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る