28.世界と自由を望む(2)-ソータside-

 俺と水那が障壁シールドの中に入った瞬間、闇の触手が俺達を取り巻いた。


 ――ヒコヤァ! 貴様、何しに……っ!


 要塞の地下深くから、グワングワンと腹の底を叩くような声が響き渡る。

 前にユウに連れられて入ったときには、何も聞こえなかった。やっぱり、動きが活発になってるんだな。ヨハネという分身が動いているからだろうか。

 ここに神剣みつるぎに封じ込めた分身を戻すとなると……さらに力を与えることになる。

 しかし、それ以外に方法がない。


「まあ、軽く挨拶?」


 俺が答えると、たくさんの闇の触手がザーッと音を立てて襲いかかって来た。

 俺を突き刺すように向かってくるが……当然、目の前でぐにゃりと折れ曲がる。


「無駄だぞ。今のお前には、俺達を傷つけることはできない」

 ――ぐっ……。そっちこそ……わたしを倒す手段はないはずだが?

「だから言っただろう。挨拶に来ただけだ。……今ここで攻撃したって、お互い疲れるだけだぞ」

 ――……。

「お前、何を企んでる?」

 ――……。

「教えてくれたらお前の分身を返してやるぞ」


 俺は水那の持っている神剣を指差した。


 ――返されても……今のままではここからは出れん。何の取引にもならんな。


 ふうん……。

 ということは、やっぱりここを出ることを目的にしている、ということか。

 闇を取り込める身体を探しているのは間違いないな……。

 暁がフィラに絶対障壁シイヴェリュをかけたのは、大正解だった訳だ。


 ――目障りだ。とっとと……去れ!


 闇が苛立ちを隠せないように力をぶつけてくる。

 さすがにグラッと来たが、俺は歯を食いしばって踏ん張った。


 ――わたしは……ずっと待つ。待てる。ヒコヤ……貴様がこのパラリュスから消え失せるまで。限りある命のお前が、いなくなるまでな……!


 さて……それは、どうかな。


 どうやら闇は、焦れるあまりキレてきたようだ。さっきから何度となく力をぶつけてくる。無駄なことだと知っているはずなのに。

 神剣を抱えた水那が、手を振り払い、浄化する。その額に、じわりとした汗をかいている。


 闇の攻撃が効かないとはいっても、しんどいのは確かだ。じわじわと体力と精神力を削られている。

 そろそろ切り上げなければならない……が。


「……何でヨハネだったんだ?」

 ――……何?

「ヨハネだって限りある命、の一人だ。いつまでもお前の下僕ではいられな……」

 ――はっはっはあーっ!


 闇が急に勝ち誇ったように笑いだした。


 ――お前はかなり頭が悪いのだな。わたしと契約した瞬間、奴はヒトの命は捨てたのだ。身体が壊れぬ限り、未来永劫、わたしの下僕だ。カンゼルはそうしてを作り出したのだぞ?

「……あれら?」

 ――はあっはっはーっ! 馬鹿が!


 闇は急に狂ったように語気を強めた。


 ――カンゼルは魔神の知恵で以って世界を制しようとした。カンゼルなら……できるはずだった。女神の遺物、わたしの力……すべてを利用してな。

「え……」

 ――あの、あの娘、あの娘さえ、いな、ければ……いなけ、れば、なー!


 そう叫ぶと、地下深くから凄まじい力が吹き出してきた。


「……くっ……!」


 俺は神剣を水那の手ごとしっかり掴んだ。


「踏ん張れ、水那!」

「……!」


 勾玉の欠片……神剣の力……俺の手を通して水那に伝わる。

 それらをすべて受け取り……水那の瞳が青く輝く。


 ――ぐはあ……っ!


 闇がすべて浄化され……消え失せる。


「だから……無駄だと言ってるだろう。……擦り減らすだけだぞ」


 平静を装ってそう告げたものの、そろそろ限界だ。水那の手もひどく冷たくなっている。水那も、限界に近いのだろう。

 もう少し情報を引き出したかったが……仕方がない。


『――ヒコヤイノミコトの名において命じる。……汝の聖なる珠を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を討つ浄維矢せいやを賜らん……』


 珠の宣詞を唱えると、右手に浄維矢が現れた。


「……くっ……」


 浄維矢を思い切り神剣に突き刺す。カッと光が溢れ……神剣からずるりと闇が引きずり出された。

 そして辺りの闇も巻き込みながら……大きな一つの珠になる。


 ――ぐぐっ……。


 力を削られた闇が低く呻いた。


「……これは返してやる。じゃあな!」


 俺はその珠を思い切り放り投げ……一目散に駆け出した。

 しばらくすれば力を失った珠は溶けて消え、闇に紛れていくだろう。


 てっきり力を巻き上げられると思った闇も、意表を突かれたのだろうか。

 逃げる俺達を追いかけもせず、ただ……蠢いていた。



   * * *



 かなりギリギリのところだったらしく……要塞から出てきたのは憶えているが、そのあとどうやってエルトラ王宮に来たのか、よくわからなかった。

 多分、気絶していたんだろうな。


 目が覚めると、エルトラ王宮の俺の部屋だった。……隣には、水那が寝ている。


「うおっ!?」


 驚いて飛び起きそうになったが……ぐんと引っ張られてそのままベッドに逆戻りしてしまった。

 水那が、俺の服の胸辺りをしっかりと掴んでいる。


「ん……まだ……」


 水那はそう呟くとすりすりと擦り寄って来た。


「……」


 これはいかなる状況か……。

 水那の頬に触れようとして……俺はピタリと止まった。


「いやいや……」


 それは違うだろ。

 でも、無防備すぎるな……。

 くーっ、誰か助けてくれ。間違いを起こしそうだ……。

 ん……でも、ちょっと待てよ。

 俺達は夫婦みたいなもんだから、もう間違いではないのかな。


 半分寝ぼけたままそんなことを考えていると、扉の奥から

「……あの……」

という声が聞こえてきた。


「あ、はい!? はい!?」


 伸ばしかけた手をひっこめ、慌てて大声で返事する。

 ……その俺の声で、水那がパチリと目を開けた。


「……ん……」

「あ、起きたか」

「……」


 水那は上半身を起こし辺りを見回すと、ちょっと首を傾げた。

 そしてすぐ隣にいる俺を不思議そうにじっと見つめる。


「え……何だ? 何だ? 何もしてないぞ」

「……エルトラ?」

「あ……そうそう」


 どうやら誤解はしていないようでホッとする。


「お目覚めになられましたか」


 エルトラ王宮の女官が、無表情のまま入ってきた。

 部屋の窓を開け、空気の入れ替えをする。そして部屋の中央のテーブルにティーポッドやカップ、軽食が乗った皿などを手早くセッティングしてくれた。


「では起きて、すぐに食べて下さいね」


 俺は頷くと、ベッドから下りてパンパンと、服の皺を伸ばした。


 エルトラでは、俺はずっと極秘の存在だったので――エルトラ王宮に泊る際は、いつも決まった女官が世話をしてくれていた。

 それがこのヤンという中年の女官で……まあ、何というか……下宿のおばちゃんみたいな、俺にとってはそんな感じの存在だった。


「夜斗が俺達を運んでくれたのか?」

「そうですよ。お二人がどうしても離れようとしないので、二人まとめて抱えておられました」

「うぐっ……」

「大変そうでした」

「……そういう闘いだったんだよ」

「そうですか」


 ヤンは素っ気なくそう言うと、水那に向かってお辞儀をした。


「このエルトラ王宮でソータ様の世話をしております、女官のヤンと申します。何かございましたら、気軽にお申し付け下さい」

「あ……ありがとう、ございます。よろしく、お願い……します」


 水那はベッドの上で頭を下げると、少し慌てたように床に足を下ろした。立ち上がろうとしてフラリとよろける。


「大丈夫か?」

「ん……」

「……だいぶんお疲れのようですね。もう、10日も経っておりますが……」

「そんなに!?」


 やばいな……夜斗の奴、怒ってないかな。

 そっか……やっぱり、闇本体と対峙するのはかなりキツいな……。

 だいぶん不安定な状態だったし、いろいろ突けばボロが出そうではあるが……その度に寝込んでちゃ話にならない。

 まずは女神ウルスラの話を聞いて、ちゃんとヤツを封印する手段を見つける方が先だな。


「では、ヤトゥーイ様にお二人が起きられたことをお伝えしてきます。しばらくこちらで休んでいて下さい」


 ヤンはそう言うと、会釈をして部屋を出て行こうとした。


「あ、ちょっと待ってくれ、ヤン」

「どうされました?」

「後でいいんだが、この部屋にベッドをもう一つ入れるか、二人部屋に移してくれないか?」

「え……」

「水那はまだ足が不自由だから、一人でゆっくり寝かせたいんだよ」


 何だか決まり悪くなって、早口で言う。

 ヤンは少し意外そうな顔をしたが「承知しました」と言って部屋を出て行った。

 俺は水那の手を取り椅子に座らせると、向かいに座った。

 いただきますをして、料理を食べ始める。


「……颯太くん」

「ん? 何だ?」

「目覚めて……いろんな人達に会って、思ったんだけれど……」

「うん」

「皆さん……親切な人ばかりね」

「そうだな。……ま、俺の人徳かな」

「ふふっ……」


 水那はちょっと笑うとカップのお茶を一口飲んだ。


「と言うより……ヒコヤがそれだけ大事な存在なんだろうな」

「……違う」


 水那はカップを置くと、じっと俺を見た。


「颯太くんだったから……よ。そして……そういう人達が、颯太くんの旅を助けてくれていたのね……」

「……まあな」

「……必ず……闇を封印する。私……そのためなら……何でも、する」


 水那は独り言のようにそう呟くと、力強く頷いた。


「……絶対に」



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