14.それは救いになるのか(2)-朝日side-

 家の中ではお祝いパーティがまだまだ続いている。

 その雰囲気を壊さないように、私はそっとセッカさんの家の庭に出た。

 この地方は、真冬でもとても暖かい。心地よい風が吹いている。


「夜斗……聞こえる?」


 私は小声で話しかけた。中ではまだかなり盛り上がっているから、私の声なんて聞こえないだろうけど。


“――朝日か!?”


 しばらくして、夜斗の少し焦ったような声が聞こえてきた。

 連絡が遅くなったから、心配していたのかもしれない。


「ごめんなさい、1週間も連絡しなくて」

“何かあったか?”

「ユウの具合がちょっと悪くて、付きっきりだったの」

“……大丈夫か?”

「うん、もう落ち着いて……ちゃんと眠れてるみたいだし」

“お前が、だよ”


 夜斗の声に、少しドキリとする。


「……大丈夫よ」


 それだけ言うと、私は大きく息をついた。

 まずはきちんと、報告をしなければ。


「それで、水那さんは助け出せたの。でも、勾玉の闇の浄化がまだ少し残っているから、もう一度やらないといけないみたい。だからまだ帰れないわ」

“わかった。いや……むしろその方がいいかもしれないな。なるべく外に出ずに、ヤハトラに籠ってろ”

「えっ……」

“ああ、でもサンがそっちで独りぼっちになるか。うーん……”

「ちょっと待って、夜斗」


 妙に緊迫した様子だ。

 何があっても落ち着いているはずの夜斗の声が、妙に上ずっている。


「何かあったの? てっきり早く帰って来いって言うと……」

“お前たちは帰って来ない方がいい”

「だから、何があったのよ?」

“……”

「――夜斗!」


 私が焦れたように叫ぶと、夜斗の溜息をつくような気配がした。


“……ヨハネが行方不明になった。1頭の飛龍と共に”

「えっ……」

“前にも……去年の冬だったかな。1度、丸2日帰って来なかったことがあったんだ。そのときはフェルティガの使い過ぎで倒れて、小さな島で眠りこんでしまったと言っていたが……”

「……」


 そう言えば、そんなこともあったっけ。

 普通、飛龍は決まった時刻にはヤンルバに戻ってくる習性があるんだけど、ヨハネは飛龍の扱いに長けているからその習性を覆して命令できる、という話だった。


「じゃあ、私がサンに乗って探して……」

“絶対、駄目だ! お前は出るな!”


 夜斗が大声で怒鳴った。

 その余りの迫力に、思わず言葉を失う。


「な……」

“もう4日経っている。それに昨日、ヤンルバの飛龍小屋の陰から、フィラの浄化者が瀕死の状態で見つかった”

「えっ……」

“――ヨハネにやられたんだ。浄化しようとして、返り討ちにあったらしい。発狂しかかっていた。結局そのまま……”

「……浄化……」


 呟いて、私は背筋がぞっとするのを感じた。背中から首、腕に悪寒が広がっていく。思わず自分の両腕で自分の身体を抱きしめる。


 つまり――ヨハネは闇にとり憑かれたってこと……?


“わかるな? お前は闇に近づくな。とにかく、しばらく籠ってろ”

「しばらくって……」

“――ユウの傍についてろ”


 それだけ言うと、夜斗はプツンと通信を切ってしまった。


 闇……どうして……。

 ソータさんが封じたはずだったのに。どこかに潜んでいたってことなの?

 それに……ジャスラに発つ前の日も、ヨハネはいつも通りだった。

 フィラには浄化者がいるから、闇があれば気づくはずで……。


 そうか。テスラには、ずっとソータさんがいた。

 テスラの闇には明確な意思がある。ソータさんがいなくなる機会を、ずっと窺っていたのかもしれない。

 去年ヨハネがいなくなったっていうのも、ソータさんがいない冬の出来事だ。


 ――アサヒは、どこから来たんだ?


 不意に、黒い髪に赤い瞳、シカのような角と黒い大きな翼をもつ男の人の姿が思い浮かんだ。

 神の使者によって閉ざされた小さな島……そこにいたのは、神でもヒトでもない存在の、ドゥンケ。


 ヨハネがいたという小さな島……。まさか、ドゥンケの島のことなのかな。

 でも……ヒトは誰も出入りできないってドゥンケが言ってたのに……。


「朝日、何してんの?」

「えっ」


 声がして振り返ると、暁だった。お肉のから揚げみたいなものをモグモグ食べている。

 その表情はいつもと変わらない。どうやら、私が夜斗と通信していたところは見ていないようだ。

 くっと背筋を伸ばし、気を引き締める。


「……夜斗に報告していたの」

「ふうん。夜斗兄やとにい、何て?」

「しばらくヤハトラにいろって。……浄化が終わってないんだし」


 私は咄嗟に、ヨハネの事を隠してしまった。

 だって、暁にヨハネの話をすることはできない。

 たまにしか会えないけど、ヨハネは暁の数少ない友達だから。

 ユウのこと、ドゥンケのこと――とにかく頭がぐるぐるしていた私は、暁にどう言えばいいのかわからなかった。


「そうだよね。いつするのかな? 俺、もう少しで3学期が始まるんだけど」


 暁は私の言動を特に不審に思うこともなく、呑気にそう呟いている。


 ……やっぱり、このまま閉じ籠ってるなんて無理よ。気になることは確かめておきたい。


「暁。私、ミュービュリに行ってくるわ」

「へっ?」

「しばらく学校を休むんでしょう? ママに伝えておくわ」


 驚いて私を見る暁に早口に告げ、どうにか笑顔を張りつける。右手を振り下ろし、ゲートを開いた。


「そんなに時間はかからないと思うから、気にしないで楽しんでて」

「あ……」


 暁が何か言いかけたような気がしたけど――私はそのまま振り返らずにゲートに飛び込んだ。


 私はどうしても、すぐに顔に出てしまう。

 隠し事をしてるって、暁にバレるのが怖かった。


 ドゥンケの島とは関係ないかもしれない。

 でも……どうしても気になってしまう。確かめずにはいられない。


 ゲートを出ると、ママはのんびりとお昼ご飯を食べているところだった。

 暁がしばらく帰れないことだけを伝えて、私はすぐに再びゲートを開いた。


 急いで駆け抜ける。

 ドゥンケの島……切り立った崖、ちっぽけな祭壇……小さな集落。


「……あれっ?」


 私が降り立ったのは、海辺の集落だった。幸い、みんなは海に向かって何か叫んでいて、私に気づいた人は誰もいなかった。

 辺りを見回したけど……ドゥンケの姿は見当たらなかった。


 ……おかしいな。いつもなら、ちゃんとドゥンケがいる所に出れるのに……。

 何か、カンが狂っちゃったのかな。


「あの……」


 海に向かって大騒ぎしている、五十代ぐらいの女の人に声をかける。


「あれ、あんた……何か見たことあるような……」

「あの、ドゥンケってこの集落に来てますか?」

「ああ、そうだ。前にドゥンケ様と一緒にいた人だね」


 おばさんはそう言うと、海の方を指差した。


「あそこだよ」


 ん……? 遠くてよく分からないけど……船?


「船が壊れて猟師が海の境界から帰って来れなくなって、ドゥンケ様が助けに行ったんだ」


 確かに、波打つ青い海の上空を、黒いものが飛んでいる。

 ……ドゥンケだ。


「あたしらじゃどうにもできないからねぇ、本当に……」

「誰か外からこの島に来ませんでしたか?」

「来やしないよ、この島は……――あ! 間に合ったよ!」


 おばさんの声に、私も慌てて海を見た。

 ドゥンケが漁師を引き上げている。何人かいるみたいだけど……まとめて担ぎ上げている。

 海岸で心配そうに見守っていた人達が、歓声を上げた。


「……そうよね」


 私は思わず独り言を漏らした。


 ――ドゥンケが……ヨハネに……闇に、関係あるはずがない。


 私はちょっと安心して辺りを見回した。ドゥンケの活躍にみんな沸き立っている。

 ドゥンケは、集落の人にも頼りにされている。……変わろうとしている。

 この小さな島の穏やかな平和……壊しちゃ駄目だ。

 私達の事情に、巻き込んではならない。


 そっとその場を離れると、私はこっそりゲートを開き――飛び込んだ。

 ミュービュリの人気のない山奥に着いて、すぐさまゲートを開く。

 ジャスラに……セッカさんの家に、帰るために。


 ゲートに飛び込んだところで、少しクラリとした。

 やっぱり……ちょっとフェルが足りないのかもしれない。

 よく眠った筈だから、かなり回復してると思ったんだけど……。


 眩暈を感じながら、ゲートを歩く。出口が……とても眩しく感じる。


 白い……光……。

 パラリュスの、白い空……かな……。


 そう思ったのが――最後だった。

 視界が真っ白になって……足が地面を捉える感触すら、わからなくなった。


   * * *


「……多分、間違いないかと……」

「ねえ、このままでいいの? すごく顔色が悪いけど……」

「しかし、アサヒ様にはフェルティガが効きませんので……」


 何か……話し声が聞こえる。

 あれ……? 私、いったい……?


「あ……アサヒ!」


 うっすらと目を開けると、セッカさんの心配そうな顔が目に飛び込んだ。


「……ここ……?」

「ヤハトラ。アサヒ、ウチの家から少し離れた牧場で倒れてたの。だからとにかく、あの……サン、だっけ? あれに乗せてもらって、ヤハトラに戻って来たんだけど……」

「……」


 そっか……ゲートから出たと思ったけど、そこから記憶がない。

 あのとき倒れちゃったんだ。しかも、セッカさんの家からも離れてたって……。


 何でだろう……。やっぱり、フェル切れかな……。

 でも、私の体質からいってそんなことはそうそう起こらないはず……。


「……!」


 私は思わずガバッと起き上がった。

 セッカさんが「起きちゃ駄目だって!」と私を押しとどめようとした。


 昔――こんな経験をした気がする。

 そう、あれは……ユウと夜斗を追ってテスラに行った、ときで……。


「まさか……」


 私は思わず自分のお腹を押さえた。

 そんな私の動作に、セッカさんが大きく頷いた。 


「そうだよ。お腹に赤ちゃんがいるの。だから、無理しちゃ駄目だって!」

「な……」


 私は言葉を失った。


 どうして? ……いや、どうしてもこうしても、ない。

 別に身に覚えがない訳じゃない。あれから、1週間が経っている訳だから。

 前も、体調に変化が現れたのは1週間後だった。


 だけど……二人目はかなり確率が下がるって聞いた。

 だから、油断したんだ。水那さんを助けることができて……これでユウのことだけを考えていられると思って……ユウを助けたい一心で、油断した。

 私の意思さえしっかりしていれば、防げる筈だったのに。


 どうすればいいの? もし暁のときと同じなら……私はこれから1ヶ月半の間、全てのフェルをこの子に吸収される。ユウに、フェルをあげることができない。

 そしたら、ユウは……。


「い、や……!」


 ベッドから降りようとすると、セッカさんが私に抱きついた。


「アサヒ! 動いちゃ駄目だって!」

「駄目、このままじゃ……この子は、駄目……!」


 思わず叫ぶ。


 そうだ。ジャスラじゃ……この世界じゃ、駄目だ。ミュービュリに行かないと。

 ――この子を産む訳にはいかない。


「駄目って、どういうこと?」

「産めない……ユウが、死んでしまう!」

「何を……」

「早くしないと……だから、ミュービュリに……!」

「ちょっと!」


 セッカさんが私の両肩をガッと掴んだ。

 その痛みに、思わず顔をしかめる。


「どういうこと!? 赤ちゃんを――殺すってこと!?」

「……!」


 セッカさんの言葉に――私の胸は冷たいナイフでザクリと抉られた。


 殺……す? ユウとの子供を?

 ――大事な……大好きな、ユウとの間の子供なのに?


「……い……や……」


 ポロポロ涙がこぼれた。首を横に振る。


「いや……いや、いや……!」

「アサヒ、ちょっと落ち着いて……」


 セッカさんが私を抱きしめる。


 ――子供は殺せない。

 じゃあ、ユウを見殺しにするの?

 私がフェルをあげることでしか……ユウを救えないのに?


「いや……それも、いや……!」

「アサヒ!」


 どうしたらいいの。どうにもできないの。

 どうしてこうなったの。どうして……。


 私――私が悪いんだ。

 油断した私が悪い。中途半端だった私が悪い。

 子供にも、ユウにも申し訳ない。

 私が犠牲になることで――どっちも助けられたらいいのに。それなら迷わず選ぶのに。


 どうしたらいいの?

 子供を殺す? ユウを見殺しにする?


「いやぁ!」

「アサヒ!」

「――選べない……っ!」


 思わず叫ぶと、クラリと眩暈がした。視界がぐるぐる回る。

 だんだん、身体が傾いでいくのが分かる。

 倒れている場合じゃ……ないのに。


「――選ぶ必要はない!」


 不意に、怒気を孕んだネイア様の声が耳に飛び込んできた。声をした方にゆっくりと振り返るけど、もう瞼は閉じようとしていてどうにもならない。

 薄れゆく視界……ネイア様……暁……ユウの顔が見える。


「ユ……ウ……あ……き……」


 ねぇ、ユウ……。

 ごめんなさい。もう……どうしたらいいか、分からないの。

 暁……は? こんな母親のこと……呆れて……。



 考えなければいけないことは、たくさんある。

 謝らなければならないこと、伝えなければならないこともたくさんあるのに……もう、言葉にはならなかった。


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