7.閉ざされた空間で(3)-ソータside-
トーマがネイアに、水那が目覚めたことを報せてくれた。
ネイアがこの部屋を訪れると、水那はまばたきをしながら静かに涙をこぼした。
勾玉と常に繋がっていた水那は、ネイアの想いもすべて理解していた。
俺達のことを心から心配し、ずっと見守っていてくれたネイアに……どう言ったらいいかわからなかったのだろう。
それから4日間……俺はずっと、この部屋にいた。
その間も、トーマはちょくちょくこの部屋を訪れてアルバムを見せてくれた。
親父のことを話すと、その時も水那はちょっと泣いてしまったが……俺がちゃんと最期に立ち会えたことを聞いて、安心したように吐息を漏らした。
水那は目に見えて元気になっていったが、身体はなかなか思うように動かせなかった。
麻痺は上から徐々に治っていき、微笑んだり喋ったり少し手を動かしたりすることはできたが、自分で起き上がることも、ましてや歩くこともできなかった。
だから俺は、ずっと水那の傍についていた。
どうしても、自分の手で助けてやりたかったから。
いや……それだけじゃないな。
水那の傍を離れることが怖くて、どうしてもできなかったんだ。
俺がいない間に、いなくなったらどうしよう。――自分で動くこともできないのに。
俺がいない間に、具合が悪くなったらどうしよう。――ヤハトラには優秀な治療師もたくさんいるのに。
矛盾していたけど……俺は自分で思っていたよりもずっと――独りになることを恐れていたんだと……水那を失うことが怖かったんだと、気づかされた。
* * *
「父さん……ちょっと、いい?」
水那が目覚めて――5日目。トーマが俺達のところに顔を出した。
「俺さ、もうミュービュリに帰らないといけないんだ」
「あ……」
そうか……。トーマにはあっちでの生活があるもんな。
「……母さん」
トーマが水那にニコッと笑いかけた。
「すべてが終わったら……一度、父さんと一緒にミュービュリに来てよ」
「……ええ」
「というか、父さんとデートしてあげてね。それが心残りらしいから」
「んがっ……」
他人の愚痴を、勝手に漏らすんじゃねぇよ。
「それでさ」
トーマは俺の赤面など全く気にしない様子で、くるりと話を変えた。
「暁がさ、父さんに頼みたいことがあるらしい。呼んでも大丈夫?」
「暁? もう起きたのか?」
「3日前に目覚めたよ。ちゃんと言ったのに……母さん以外、目に入ってないんだからな、もう……」
「ぐ……」
だから親をからかうなと、何度言えば……。
「……あ、暁。こっちだ」
「うん。あの……こんにちはー……」
暁が扉から顔を覗かせた。
「水那さんですか? 初めまして、上条暁です」
「こんにちは。オレは、シャロットです!」
暁に続けて顔を出したシャロットが元気よく言う。
「……えーと、シャロットは日本語だと若干、口調が乱暴だけど、こう見えてウルスラの王女です」
「……浄化者の……人達ね。こんにちは。……本当に……ありがとう……」
まだ下半身を動かせない水那は、ベッドの上から頭だけ下げた。
「いいえ。……で、ソータさん。俺たちヴォダに乗りたいんだけど、いいかな?」
「いいんじゃないか? 喜ぶと思うぞ」
俺は窓から外を眺めた。
今日はとても天気がよく、気持ちのいい風が吹いている。
ジャスラに着いてからずっと閉じこもっていたから、当然ヴォダとも会ってはいない。
数千年の寿命を持つ
「俺が笛を吹いて、ハールの海岸まで呼んでおいてやるよ」
「ありがとう! あ……でも、素直に乗せてくれるかな……?」
「暁はサンとなら何となく通じるんだろ? サンに頼んでみたらどうだ?」
「あ、そうか」
暁はポンと手を叩いた。
「どうせなら、サンも一緒に遊ぼうか。ミジェルも喜ぶかも」
「そうだね」
「じゃ、お邪魔しましたー」
二人はぺこりとお辞儀をすると、扉の前から去っていった。
「じゃあまたな、父さん……母さん。次に会うときは、テスラかな」
「……多分な」
トーマは軽く手を振ると、部屋を出ていった。
「おーい暁、ちょっと待て! その前に俺を
「そうだった。……了解」
「トーマ兄ちゃん、やっぱり帰っちゃうんだ……」
そんな三人の声が遠ざかっていった。
「次は……テスラ……」
「あ……うん」
俺は懐から横笛を取り出した。窓から少し身を乗り出して、吹く。
……音色が海に届くように、と。
「……ニュウ?」
“呼んだ?”
比較的近くに居たらしい。ヴォダが海面からひょっこりと顔を出した。
この部屋は海面からはわりと高い位置にあるので、小さくしか見えないが。
「暁たちがヴォダに乗りたいらしい。ハールの海岸まで迎えに行ってやってくれないか?」
「ニュウ! ニュウ!」
“わかった! 行ってくる!”
ヴォダは嬉しそうに鳴くと、とぷんと海の中に消えた。
「……海……」
水那がポツリと呟いた。
「ん? 見たいのか?」
俺が聞くと、水那はちょっと押し黙った。
……ということは、見たいんだろうな。
俺は水那に近寄ると抱え上げた。
「ほら、俺に掴まれ。窓まで連れてってやるから」
「でも……あの……重い……」
「あの頃とは違うぞ。二十年以上、徒歩で旅してたんだからな。かなり鍛えられたんだ」
「……」
水那はちょっと考え込んだあと、ぎゅっと俺の首に掴まって来た。
実際、水那はかなり痩せ細っていたので、びっくりするぐらい軽かった。
窓のところまで連れて行き、外の景色を見せてやる。
水那は眩しそうに外を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
そして小さく「あ」と言って俺の顔をじっと見ると、不思議そうな顔をした。
「あの……颯太くん」
「ん?」
「私が言うのも……変、だけど……」
「何だ?」
「颯太くん……どうして若いままなの?」
「……いくつに見える?」
「トーマより少し上、ぐらい……」
「そっか。でも……俺達、本当はもう44なんだよな。びっくりするよな」
「……」
水那は微かに頷いた。
「颯太くん……若いままだったから、そんなに年月が経っているなんてわからなかった……」
「水那は殆ど意識がなかったんだしな。そりゃそうだろ」
「……」
「勾玉の加護、らしいぞ。ま、俺は……水那が若いままなのに自分だけおっさんになるのは嫌だったしな。愛想つかされなくて済んだし、よかったけど」
「……そんな……」
俺はちょっと笑うと、パラリュスの白い空を見つめた。
……遠くの方で、飛龍が飛んで行くのが見えた。サンが、暁たちのところに向かったのかもしれない。
「俺達……とっくに、ヒトの道から外れちゃったな」
「……」
「後悔してる訳じゃない。ただ……長い旅の中で、決めたことがあるんだ」
「……何?」
「……」
俺は深呼吸すると、覚悟を決めて口を開いた。
「――俺は、最後のヒコヤになる」
「……」
「ミュービュリには、もう……戻らない」
「……うん……」
水那は静かに頷いた。何となく、わかっているようだった。
トーマもわかっているみたいだったな。
「だから……」
どう言えばいいだろう。
考えあぐねていると――水那がそっと俺の頬に手を触れた。
見上げると、水那はちょっと微笑んで――唇を重ねてきた。
俺は、びっくりし過ぎて目も開けっ放しで突っ立ったままだった。
……水那から行動を起こしたのは、初めてのような気がする。
――唇を離すと、水那はまるで聖女のように微笑んでいた。
「……もう二度と、颯太くんを独りにはしないわ」
「……」
伝わってる。本当に、今やっと、俺の気持ちは伝わってる。
ごめん、ちゃんと言葉にできなかったのに。不甲斐なくてごめん。
……ありがとう。
それでもやっぱり何も言えなくて、俺は水那をギュッと抱きしめた。水那の心臓の音が聞こえる。
――ゆっくりと……俺を慰めるように。
凝り固まっていた不安――それが少しずつ、溶け出していくのがわかった。
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