4.すべてはここから始まる(2)-ソータside-
――水那……聞こえるか?
――……ん……。
水那はまだ、半分眠っているようだった。
俺の声に……うっすらと反応する。
――来たぞ。今日が、来た。
――……。
――最後の浄化だ。仲間がいる。みんなで助ける。ジャスラの闇を、すべて鎮めよう。
――本当に……?
――ああ。
――……! トーマ……トーマがいる……!
水那の意識が、完全に目覚めた気配がした。俺は力強く頷いた。
――そうだ。俺とトーマで、神器の力を引き出す。
――勾玉……
――水那……もう一度、言うぞ。これが、最後の浄化だ。
――さい……ご……。
俺は目を開けると、闇の中の水那を見上げた。
水那の瞼がぴくりと震える。
――水那。……俺のところに、還って来てくれ……!
――……!
水那の瞳がゆっくりと開く。
淡く輝く青……それが、強い光を放つ。
「水那――!」
俺は思わず叫んだ。胸を掴む左手、神剣を握る右手に力が入る。
背後から……強烈な力の塊が神殿の闇に襲いかかる。
青と碧が混じった光の波が激しくうねり、中央の勾玉に注ぎ込まれる。
「はあ……あー!」
朝日の声が聞こえた。光が何倍にも膨れ上がり、ジャスラの闇をすべて覆い尽くす。
水那の姿が……光に埋もれて見えなくなる。
「水那――!」
俺の声に呼応して……神剣が咆えた。
その瞬間――光の中心……勾玉があるはずの場所から、幾千粒――幾万粒もの光の珠が溢れ、弾け飛んだ。
水那……ずっと待ってたんだ。もう、俺を独りにしないでくれ。
弾け飛んだ光の粒の雨――その隙間から、勾玉がその姿を現す。
ネイアが叫び……三人の浄化者と朝日から広がっていた光の帯が消えた。
ふっと……力が消える気配がする。
光の粒が少しずつ弾けていく。
一つ、また一つ……徐々に、勾玉の周りが露わになる。
俺はその光景を、瞬きもせずに見つめていた。
消えて行く……光の粒が消えて行く。
神殿の奥にあったはずの闇が――すべてなくなっている。
勾玉の後ろで祈る水那の姿が、はっきりと見える。
「み……」
水那の瞳から――青色の光が消えて行く。
「……」
水那が何か呟いた気がしたが、俺には聞こえなかった。
水那はゆっくりと目を閉じると……ぐらりとよろめいた。
「水那!」
俺は立ち上がると、一目散に駆け出した。
ずっと、ずっと……待っていた。やっと、水那に……。
「……」
水那が微かに微笑んだような気がした。
地面に倒れ込む前にどうにか抱きとめる。
「……水那……」
乱れた髪をはらい、よく顔を見る。
水那は瞳を閉ざしたまま、ぴくりとも動かない。
まさか……死……?
俺は咄嗟に抱きしめて心臓の鼓動を確かめた。
――ゆっくりとだが……確実に波打っている。
安心して、思わず吐息を漏らした。身体も温かい。
――ちゃんと生きてる。
「……ソータとアサヒ以外は、力を使い果たしたようだな」
ネイアの声で、我に返る。
振り返ると……トーマ、レジェル、暁、シャロットは床に倒れ込んでいた。意識を失っている。
でも、その顔はみな穏やかだ。
……俺は、涙ぐみそうになった。
水那を闇から救い出すこと――そのために、誰ひとり躊躇わず、力を出し切ってくれた。
水那を取り戻せたことがわかって……安心して気を失ったのだろうか。
「ネイア様……」
朝日がゆっくりと立ち上がった。
「ジャスラの闇は、すべて浄化できたのでしょうか?」
「……いや……」
ネイアは勾玉の方に振り返ると、手を翳した。
「少し残っているようだ」
「……っ……」
朝日が少し悔しそうな顔をしている。
俺はじっと、勾玉を見つめた。
ずっと闇の中にあったから……今までおぼろげにしか見えてなかった。
今、初めて――その形が分かった。
俺は何となく、マンガの中の古代人が首から下げているネックレスみたいなものをイメージしていたんだが、全然違っていた。
かなり大きい。首飾りというよりは、置物のようだ。
中央に俺の拳ぐらいの大きさの勾玉……そしてそれより一回り小さい、小ぶりの勾玉が二つ、飾り緒で繋がっている。
その小ぶりの勾玉の片方が、確かに少し欠けていた。
これが、俺の胸の中にある勾玉の欠片が収まる場所か……。
だけど……輝きは少し暗い。黒いものが混じっているように見える。
ネイアの言う通り、完全に浄化し切れた訳ではないようだ。
「私……力を出しきれなかったかも……知れません。すみません……」
「アサヒのせいではない。浄化者の限界がアサヒより早かっただけだ。それに……」
ネイアはふっと微笑んだ。
「ミズナを……救い出せたではないか」
「はい……」
頷いたものの、朝日の表情はまだ冴えなかった。
ネイアは「大丈夫だ」と言ってゆっくりと頷いた。
「この程度の闇なら……しばらく休んだ後にもう一度三人で浄化すれば、すべて消えるであろう」
「……」
ネイアは勾玉の前に跪くと、ゆっくりと頭を垂れた。
「……女神ジャスラよ。わらわたちは……そなたの心を癒せたであろうか……?」
――そのときだった。
ネイアの声に呼応するように、勾玉が微かに光り始めた。
「……あ……!」
薄い……碧色の靄が勾玉から漏れ出る。ゆるやかな波を描き……辺りに広がり始める。
「これ……は……」
ネイアが驚きの声を上げた。
碧色の靄が、ゆらめき、何かの形を作り始める。
たなびく衣装の裾……細い腰……細い腕……首……。
上へ上へ……徐々にそのかたちが露わになる。
ゆるやかに長く流れるまっすぐな綺麗な銀色の髪……碧色の瞳。
「……まさか……」
ネイアは呟くと、一歩下がってその姿の前にひれ伏した。
気が付けば、俺も、朝日も……跪いていた。
「女神、ジャスラ……!」
「えっ……」
“――いかにも”
女神ジャスラがうっすらと微笑んだ。
“よくぞ……わらわの心の闇を癒してくれた。礼を言おうぞ……”
「は……」
俺は水那を抱えたまま、思わず頭を垂れた。
テスラの……女王の母、アメリヤが言ってたよな。
女神は崇め奉るもので……呼びつけたりするものではない、と。
やっと意味が分かった。これは、もう別次元の……。
“ヒコヤ……今は、ソータか”
声を掛けられ、俺はドキリとして顔を上げた。
女神ジャスラの碧色の瞳が、じっと俺を捉えている。
“そなたが……ジャスラに散らばったわらわの欠片を集めてくれた。ゆえに……わらわは力を取り戻し――こうして姿を現すことができたのだ”
「ご、ご存知、で……」
“ミズナが……わらわの元に来てくれたときから――な”
俺はハッとして水那の顔を見た。
水那は相変わらず固く瞳を閉じたまま、ぴくりとも反応しない。
「水那……」
“――案ずるな。しばらく身体の自由が効かないだけだ……恐らく、わらわの声も聞こえているはず”
「……」
“――ヤハトラの巫女よ”
「……は」
“そなたの母は……わらわの声を感じ取り、ソータとミズナを見つけてくれた”
「……」
“そしてミズナは……わらわの声を感じ取り、わらわの元に来てくれたのだ”
「え……」
俺はまじまじと、瞳を閉じたままの水那を見つめた。
あの日――水那が、闇に消えた日。
水那は神殿で――じっと、蠢く闇を見つめていた。
一度も俺の方には振り返らず――一切躊躇わずに、飛び込んだ。
感じていたのか……女神ジャスラの意思を。
自分を呼ぶ……女神ジャスラの声を。
“最後の欠片を持つヒコヤ……どうしても必要……であった。どうしても……このパラリュスを救うためには……”
そうか……女神ジャスラは、どうしても俺にパラリュスに残って欲しかったのか。
水那がその意思をどれだけ把握していたのかは分からない。
でも……とにかく、俺たち二人ともがミュービュリに帰ってはならない。
パラリュスを救える人間がいなくなる。
そのことだけは、感じていて――だから、自分が残って女神を癒そうと……。
「パラリュスを救う……あの、テスラの闇のこと……か……?」
かろうじてそう呟くと、それまで穏やかに微笑んでいた女神ジャスラが急にその表情を変えた。
“……! テスラも闇に蝕まれておるのか……?”
そうか……勾玉に封じこまれた後のことだから、知らないのか。
だけど女神ウルスラの闇については知っているはず……。
「あの、ウルスラの闇は……」
“残念だが……わらわにはわからぬ。わらわの闇とは異質のものだ……”
「異質……」
“ウルスラに傷つけられたあと……わらわは自ら壊れてしまった……から……”
女神ジャスラはそう呟くと、ひどく憂いに満ちた表情で俺を見つめた。
“誰かが手を差し伸べようとした……気も、するが……もう覚えておらぬのだ。わらわが思い出せるのは……勾玉の欠片のこと、だけ……”
「欠片……」
“ヒコヤがくれた勾玉……ひびが入っていた部分から、一部が割れてしまった”
女神ジャスラはゆっくりと語り始めた。
“わらわは……ヒコヤに直してもらおうと会いにいったのだが……そこには……テスラと話す……幸せそうな……ヒコヤがいた”
「……」
そのとき、わかったんだろうか。――ヒコヤはテスラを愛している、と。
“ヒコヤはわらわに気づいた。わらわは……この勾玉を直してしまったら……もう……わらわとヒコヤを繋ぐものがなくなってしまうと……そう……感じ……”
女神ジャスラが淋しそうに微笑んだ。
“咄嗟に……その欠片をヒコヤの服に忍ばせた”
「……どうして……」
“……ヒコヤと……繋がっていたかったから……”
そう呟く女神ジャスラは……この時ばかりは、女神ではなく普通の一人の女性のように見えた。
“ヒコヤは……わらわを見捨てなかったのだな。永い、永い時を経て……勾玉の欠片をわらわの元に運んでくれた。それだけで……わらわは……”
俺は思わず胸の中の勾玉の欠片を押さえた。
「じゃあ、早くこれも……」
“……いや……ソータよ。早く、女神ウルスラに会うがよい。そのためには……ヒコヤの証であるその欠片が……必要になる”
「えっ!」
俺は思わず大声を出した。
「どうして……」
“ウルスラはどうして……闇に堕ちてしまったのか……知らなくては……”
そうか……。昔の言い伝え通り、ある日突然、女神ウルスラは発狂してしまったのか。
女神ジャスラですら、その真相は知らないということか……。
女神ウルスラ本人に聞かなければ、わからない。
でも……。
「しかし……女神は……決してこちらから呼んだりするものではない……と……」
“ソータは……呼び出せぬ。女神と通ずるのは……女神の分身たる女王だけ”
と、いうことは……シルヴァーナ女王に頼んで……?
「では……」
俺は床に落ちていた神剣を拾い上げた。
「これに、ウルスラの女王と共に祈れば……?」
“……”
女神ジャスラはじっと神剣を見つめたあと……ゆっくりと首を横に振った。
“わらわも……闇が消えて初めて姿を現せた。その神剣には……あのときウルスラを狂わせた闇も……眠っている……”
「あ……」
“その闇を取り除かなければ……ウルスラは現れ……まい……”
女神ジャスラの身体が、だんだん薄くなる。……碧の靄に戻っていく。
“もう……ここまで……か……”
ふと――胸の中の勾玉が熱くなる。その中の意思が……俺を包む。
「――ジャスラ……!」
俺の口から出た声なのに――俺ではない誰かが、女神ジャスラを呼んだ。
それは崇めるでも恐れるでもない――親愛の情に満ちた……しかし詫びるような、どこか懐かしい声。
“……ヒコヤ……”
消えかけた女神ジャスラが、とても嬉しそうに微笑むのが見えた。
そして女神ジャスラを形作っていた靄が薄くなり……やがてすうっと、勾玉の中に消えていった。
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