8.シィナの想い
――さすらう旅人 神が怒り 女神が降り立ち 天に還り 地上は安寧へ
「……!」
聞こえてきた声に、私は思わず顔を上げた。
これは……予言。
きっとそう遠くはない、未来のウルスラ……いいえ、パラリュスを指している。
地上は安寧へ……。
「そう……きっとそのために、私は……」
独り言を呟く。
「――何かございましたか」
控えていた神官長のジェコブが、音もなく現れた。
「ええ……。私がテスラに行くのは、やはり必然だと……」
「……最初で最後でしょうな。女王が自らの国を出るなど」
ジェコブはそう言うと、少し困ったような顔をした。
「まぁ……もう少々のことでは、驚きませんがね」
「ごめんなさい、ジェコブ。あなたには本当に苦労をかけてしまって……」
私が言うと、老齢のジェコブは少し微笑んだ。静かに首を横に振る。
5年前のウルスラの動乱から
時には記憶を操作して闇に葬り、時には神官たちを説得して皆を一つにまとめ……ジェコブは本当に、私達女王の血族に真摯に仕えてきてくれた。
「ここまで来たからには、最後まで見届けたいものですな」
「そんな……怖いことを言わないで」
私が思わず言うと、ジェコブは今度はホッホッホッと声を出して笑った。
「シルヴァーナ女王は……いつまでも少女のような方ですな」
「……やっぱり、まだまだ駄目……ですよね……」
もう5年も経つのに未熟なままだと言われたような気がして、私は思わず沈んだ声を出した。
「――悪い意味ではありませんよ」
ジェコブはそう言うと、特に慌てるでもなく私に頭を下げた。
「美の女神ウルスラは、国を愛し、人を愛し……とても無邪気な、民に愛される女神だったと伝えられております。シルヴァーナ様は……女神ウルスラに最も近い存在なのでしょう」
「……」
「そのように肩に力を入れずとも、民に愛される素養をお持ちだということですよ。もっと気を楽に過ごされてもよいのではないですかな」
「気を……楽に……」
ジェコブの言葉を繰り返す。
でも……私には到底、無理なことのように思えた。
自分で必死に勉強しているシャロットや、幼い頃から女王としての教育を受けているコレットと違い……私は女王に必要な何か、が欠落しているように感じる。
動乱の中で閉じ込められて育ったから、と言い訳することもできるけど……それじゃ駄目よね、きっと。
それにそもそも……一人の人間を愛してしまった私は、女王失格で……。
「……お疲れのようですな」
ジェコブはそう言うと、合図をした。
控えていた神官が何人か現れる。
「え……」
私は何も指示していないのにと思って慌てていると、ジェコブが神官たちに向き直り、両手を上げた。
「水祭りの禊のため――女王はしばし王宮に籠られる。御用の際は必ずわたしを通すように。各部署の神官にも迅速に伝達せよ」
「は……」
「かしこまりました」
控えていた神官たちがさっといなくなる。
大広間には、再び静寂が訪れた。
ジェコブは私の方にゆっくりと振り返ると、ふっと微笑んだ。
「ひと月後には水祭りも控えております。それまでは領主との面会も予定されておりませんし、火急の用件はございません。お立場を忘れ、ゆっくりされてはどうですかな」
「ジェコブ……」
私は玉座から立ち上がると、小走りで駆け寄り、ジェコブに抱きついた。
「ありがとう……! 少し休むわ。民の前で、疲れた顔は見せられないものね」
「そうですな。それが一番、大事なことです」
ジェコブが優しく私の背中をポンポンと叩いてくれた。
――その皺が増えた手から、愛情を感じる。
おじいさんって……こんな感じなのかしら。
トーマも……おじいさんと、こんな感じで……注意されたり、甘えたり――時には慰められたりして、時を過ごしていたのかしら……。
さっき、ジェコブは冗談めかして「死ぬかもしれない」みたいなことを言った。それだけで、私はすごく怖かった。
トーマは……おじいさんを亡くして……今、どうしているんだろう……。
ジェコブと別れ、王宮の奥に戻る。
休む間の話をしようと東の塔のシャロットに使いを出したけれど、あいにく外出中とのことだった。
シャロットは私の代わりに城下に下りることもあるし、仕方ないわね。
コレットの部屋に行くと、ちょうど勉強の時間を終えてマリカと一緒に戻ってくるところだった。
コレットが一緒にお茶を飲もうと誘ってくれたので、私はコレットの部屋に入った。
レースとフリルが溢れた、可愛らしい部屋だ。
「シルヴァーナ様……今日はもう、お休み?」
「ええ。ジェコブが気を回してくれて、しばらく休んでいいって言ってくれたの」
「いいなー。ねぇ、じゃあシルヴァーナ様もトーマに会いに行くの?」
「――えっ!」
コレットの意外な台詞に、私はギョッとしてしまった。
傍に控えていたマリカが、慌ててコレットの口を押さえる。
「むぐっ……」
「コレット様、何を……」
「ぐ……ぷはー……」
コレットはマリカの手を振りほどくと、不満そうにマリカを見上げた。
「えー、だって、お花を咲かせるのよ」
「ですから、そのお話は……」
「え……何? え?」
訳が分からず、コレットの顔をまじまじと見る。
コレットは私の方に振り返ると、じーっと私の顔を見つめた。
「……シルヴァーナ様」
「え、なあに?」
「トーマと会えなくなってもいいって言ったの……本当?」
「……本当よ」
いつか会えなくなるかもしれない、と言うシャロットに、私はそれでもいい、と答えた。
トーマが、元気で……いてくれるなら。幸せに、暮らしているなら……。
「それは……姉さまの
「……」
私は首を横に振った。
「……視ていないわ」
「どうして?」
「シャロットはまだ浄化の修業中で、その能力を使うことは禁じられているからよ」
「じゃあ、浄化のお仕事が終わったら? お願いするの?」
「……いいえ」
トーマとユズのことは、まだ王宮内でも伏せられている。
私はかなり集中しないと
でも……それは、しない。してはいけないと思ってる。
――だって……キリがなくなる。
ずっと覗いていた……少女時代に還ってしまうから。
何も知らずにただただ憧れていた……純粋に好きだった、あの頃の気持ちに戻ってしまうから。
「じゃあ、じゃあ……トーマがどうしてるか、全然わからないままよ?」
「そうね」
「でも……」
「コレット」
私は少しイライラしながらコレットの言葉を遮った。
前にシャロットがトーマの話をしてきたときも、私は少しイラついてしまった。
どうにか気持ちを抑えようとしているのに……もう一人の自分が揺さぶられてしまう。
お願いだから、そっとしておいて……!
そう思って――つい、当たってしまった。
それ以来、シャロットは何も言わなくなったけど……今度はコレットなの?
「コレット……
「でも……だって!」
コレットが必死な様子で私を見上げた。
「知らない間に、トーマがいなくなってもいいの?」
「――えっ……」
コレットの言葉に、私は手に持っていたカップを取り落としそうになった。
トーマが……いなくなる。――私の知らない間に。
ミュービュリで幸せに暮らしていれば、それでいい。
そう思っていた。
だけど、気づかない間に……死んだり、とか……そういう……?
想像しただけで怖い。胸が抉られるような痛みを感じる。
思わず言葉に詰まった――そのときだった。
――シィナ……!
届かないはずの……トーマの声が聞こえてきた。
「――トーマ……!」
私は思わず声を上げた。
だって……トーマはあまり力が強くない。
そのため、ミュービュリにいるトーマとパラリュスにいる私は、直接話をすることができない。
だから、文通をしていた……。
――それなのに。
どうして……何があったの。普通じゃないわ。必死な、叫びだった。
「シルヴァーナ様……?」
「コレット、ごめんなさい。シャロットのところに行かなくちゃ」
私はカップをテーブルに置くと、慌てて立ち上がった。
シャロットの
失礼なことだとさっきコレットを叱ったばかりだけど……トーマの無事が確かめられれば、それでいい。
――急がなきゃ。今ならもう部屋に戻っているかも……。
「でも……待って、シルヴァーナ様!」
すぐに部屋を出て行こうとした私を、コレットが必死な声で引き止めた。
「姉さまは今、お出かけしているから……!」
私の後を追いかけてきたのだろう。
足音が……と思った瞬間、私の左腕が強く引っ張れられた。
「だから、ここで待ってて。ね?」
コレットはぐいぐいと私の左腕を掴む。
その普通ではない様子に、私は違和感を覚えてゆっくりと振り返った。
「お出かけって……どこに?」
「えっと……あの……」
天真爛漫なコレットが、珍しくおどおどしている。
控えていたマリカの顔も、少し青ざめていた。
「マリカ!」
「……私からは……何とも……」
マリカはそう答えると、床に視線を落とした。
私は再びコレットを見たけど、コレットは私の左腕を掴んだままぷるぷると首を横に振るだけだった。
何なの。私の知らないところで、何が起こってるの?
――シャロット!
“……えっ……シルヴァーナ様!?”
私が強く問いかけると、シャロットの驚いたような声が聞こえてきた。
――今どこにいるの?
“えっ……どこって……”
言い淀む気配がする。
苛立ちと焦りで――私は自分がかなりのフェルティガを放出していることに気づいていなかった。
「――すぐに帰って来なさい……!」
そう叫んだ瞬間――私のオーラが風になり……竜巻になるのを感じた。
シャロットの気配を捉える。そしてその近くには……アキラも。
――えっ、アキラ!?
はっと我に返ると――部屋の中央に二人の人影があった。
呆然としたように立ち尽くしている。
無我夢中で……以前のあの時のように、二人を瞬間移動させてしまったようだ。
「シャロット……アキラ!」
私が呼び掛けると、二人は辺りをキョロキョロして急に慌て出した。
「えっ……ここは……あれっ!?」
「シルヴァーナ様!」
どうやら記憶や精神に障害は出ていないらしい。私は少しホッとして二人を眺めた。
シャロットは見たことのない白い服を着ている。
私と目が合うと、ちょっとビクッとしたように目を逸らせた。
隣のアキラは、何が起こったのかわからないようでまだ呆然としている。
「シャロット……アキラと一緒ってことは……まさか、ミュービュリに?」
私がグッと感情を押し殺しながら聞くと、シャロットはビクッと肩を震わせた。
「えっと……あの……」
シャロットは俯いて――私と目を合わせようとしない。
こんなシャロットは見たことがなかった。
でも、私も――これほど苛立ちを表に出すことは、なかったかもしれない。
「トーマに何があったの!」
「えっ……どうして、それを……」
シャロットがギョッとしたように、私を見た。
その目を見て――私は、さっきのコレットの言葉を思い出した。
――もし……トーマがいなくなったら。
心臓が凍りつく。
さっきの、トーマの声が頭の中で鳴り響く。
トーマに、一体、何が……。
「……トーマ!」
思わず叫んだ、そのとき……目の前の空間に、切れ目が現れた。
――ゲートだ。
「……行かなければ」
シャロットがあれほど言い淀む理由を――確かめなければ!
「えっ……」
「シルヴァーナ様!」
「ちょっ……」
シャロットやコレット、アキラの慌てる声が背後から聞こえたけれど……私は振り返らなかった。
この先に――トーマがいるの。
いるはず、なのよ――!
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