7.トーマの本音(2)

 あれから……テスラの夜斗さんが現れたり、朝日さんが突然やってきたり、俺は念願の教師になったり……と、まぁ、いろいろなことがあったけれど、とくに事件が起こることもなく、日々は過ぎて行った。

 あの水祭りから……もうすぐ、二年が経とうとしている。

 シィナが使命を果たしたという知らせは、来ないまま……。


   * * *


“あ、トーマさん? オレ、暁だけど……”


 そんな声が携帯から聞こえてきたのは、7月下旬のある午後だった。

 俺は勤務先の小学校にいた。もう夏休みに入っていたので、比較的ヒマだった。


「ああ、暁か。久し振りだな。どうした?」

“あのさ、今から新幹線に乗ってそっちに行くから、会ってくれない?”

「はあ? 何でまた、わざわざ?」

“オレ受験だし、いろいろ相談があるんだ。いい?”

「いいけど……家の人の許可はちゃんと……」

“大丈夫、朝日にもばめちゃんにもちゃんと言ったから。……トーマさんって、そういうとこ先生っぽいな”

「本当に教師なんだよ。……で、来るのは構わないんだが暁が着く頃はまだ仕事中なんだよ。とにかく、T駅に着いたら一度連絡くれ」

“わかった。じゃーねー”


 元気な声がして、電話が切れた。

 まったく、よく似た親子だな。朝日さんも突然連絡を寄越してきたりするしな。

 さて、どうしよう。俺は帰宅時間まで学校から離れる訳にはいかないから、ユズに迎えに行ってもらうしかないな。


 しかし……それにしても急だな……。

 まぁ、去年の水祭りでも会ったし、テスト前になると「この問題教えて」というぶっきらぼうなメールが届いたりして、何だかんだと交流はある訳だけど。

 でも、わざわざ会いに来るってのは……。


 ――その疑問は、ユズからの電話で解決した。



“トーマ。――シャロットが来てる”

「は?」


 俺は自分の耳を疑った。

 シャロットが――来てる?


「えっ、ウルスラから?」

“まぁ、そうなるよね。トーマに用事があったのはシャロットで、暁くんはシャロットを連れてきただけなんだと思うな”

「はぁ……なるほど」

“――呑気な返事だけどさ”


 急にユズの口調が強いものに変わった。


“覚悟しておいた方がいいと思うよ”

「覚悟……何の?」

“シィナのこと。いい加減、はっきりさせた方がいいよ”

「……はっきりって……」


 まだシィナ自身が女王としてやらないといけないことがあるのに、俺がはっきりさせる訳にはいかないだろう。


“シャロットはその辺のことを聞きにきたんだと思うよ。ちなみに、記憶が戻ってることはもう暁くんにはバレてるから、シャロットも確信してると思う”


 まぁ……シャロットの感じから、そんな気はしてたよ。俺も、嘘は下手だしな。

 でも……。


「そんなこと言われても……シィナは……まだ……」


 思わずごにょごにょ言っていると、ユズは

“何を躊躇しているのかは知らないけど、僕はもういいと思うよ。それじゃ”

と言い捨てて電話を切った。

 耳からスマホを話してOFFにしながらも、溜息が漏れる。


 何をって……そうか、そう言えばこの話をユズとの間でしたことはないな。

 普段も考えないようにしていたし、無理ないか。

 しかし……うーん……。

 シャロットには誤魔化しなんて絶対に通用しないだろうし……。

 正直に考えていること、話すしかないのかもしれない。


   * * *


 車を駐車場に止めて、ゆっくりと歩き出す。

 家の前に来ると、玄関の奥の電気がついているのが見えた。

 そういえば……誰かが待っている家に帰るのなんて、久し振りだ。

 じいちゃんが死んでからは、ずっと独りで……。


「……」


 俺は黙って玄関の戸を開けた。音に気づいた二人が中から出てきた。


「お帰りなさい、トーマ兄ちゃん」

「お帰りー」


 シャロットと暁が笑顔で手を振っている。

 俺はちょっと胸が熱くなったけど、どうにか堪えて

「……ただいま」

と返事をした。靴を脱いで上がる。

 台所に行くと、二人が付いてきたので「とりあえず和室で待ってろ」と言って追い返した。


 さて……どうしたものかな。

 三人分の麦茶を用意しながらいろいろなことが頭を駆け巡ったが――何一つとして言葉にはならなかった。

 とにかく、シャロットと正面から向き合ってみるしかない。


「……お待たせ」


 和室に入ると、二人はテーブルの片側に並んで座っていた。麦茶を出すと、暁は「どうも」と言って受け取ったが、シャロットはじーっと俺を見上げたままだった。


「シャロット、何か見違えたな。よく似合ってる」


 とりあえず言ってみる。

 ウルスラではいつも服も髪も適当だから……実際、白いワンピース姿のシャロットはとても綺麗だった。お世辞抜きで。


「バメチャン……えっと、アキラのおばあちゃんに貰ったんだ。それはいいんだけどさ」


 シャロットはそう言うと、真っ直ぐに俺を見た。


「トーマ兄ちゃんは……記憶、もう戻ってるよね」


 さすがシャロット。正面から来たか。


「……そうだな」

「シルヴァーナ様のこと、どう思ってる?」

「――好きだよ」


 俺の答えに、シャロットはちょっと驚いたような顔をした。

 俺が躊躇したり誤魔化したりするんだろう、と思っていたのかもしれない。


「……え……」

「シャロットがわざわざ来てくれたんだから、正直に言うよ」

「……」

「多分……他の人間を好きになることは――もう、ないかな」


 シャロットが心配しているのは、きっと俺の気持ちだろう。

 記憶が戻ってるのに言わないのは、もう好きじゃなくなったからなのか、と。


 そこだけは、誤解されるわけにはいかない。

 ちゃんと伝えておこう、と思った。

 だけど……。


「でも、シィナに伝えることはできないな、まだ」


 これもきちんと伝えなければいけない。

 そう思ってやや強めに言うと、嬉しそうに崩れかけたシャロットの表情がみるみるうちに険しいものになった。 


「どうして……!」

「……」

「どうして言えないの。言ったからって責任取れなんて、言わないよ。オレも、シルヴァーナ様も。別にトーマ兄ちゃんにウルスラに移住しろ、ずっと傍にいろって言ってる訳じゃ……」

「ああ、うん。確かに移住は、今のところ無理だけど……」

「気持ちを伝えるだけでいいんだよ。多分、それだけでシルヴァーナ様、救われると思うんだ」

「いや、今の時点では逆に迷惑な気がするんだが……」

「何で!」


 シャロットがドンとテーブルを叩いた。

 コップが倒れそうになり、隣の暁が慌ててシャロットの分のコップも手に取った。

 そしてそのまま、黙って麦茶を飲んでいる。

 どうやら暁は、だんまりを決め込んでいるらしい。

 しかし……暁の前でしていい話なのかな、これは……。


 そう思ってチラリと暁を見ると、俺の視線を感じた暁が

「えっと……オレ、出ていようか?」

と、ちょっと困ったような顔で言った。


「……そうしてくれるか」

「わかった」


 暁は頷くと、両手にコップを持ったまますっと立ち上がり、和室を出て行った。


「――何で、迷惑?」


 暁が出て行くのを見届けると、シャロットが俺の方に振り返った。随分と怖い顔をしている。


「女王の使命……果たさないと、駄目だろ」

「シルヴァーナ様は十分に使命を果たしてる。民に愛され、絶対的な存在として……」

「そうじゃなくてさ」

「じゃあ、何!?」


 シャロットは両手でバンッとテーブルを叩くと、俺に掴みかかるぐらいの勢いで身を乗り出した。


「使命、使命って……。シルヴァーナ様は、女の子なんだよ。とてつもなく凄い力を持ってるけど……心は本当に普通の、淋しがり屋の女の子なんだ」

「――知ってる」


 本当のシィナは、感受性が豊かで、よく泣く、甘えたがりの……ちょっとしたことですぐに揺らいでしまう、気弱な女の子だ。

 だから、俺は――女王としてそれは駄目だろう、と……。

 俺が手を差し伸べることは、女王としてのシィナにとって邪魔になるだろうと、そう思ったんだ。


「わかってるんなら……トーマ兄ちゃんは……トーマ兄ちゃん、シルヴァーナ様を一人の女の子として扱ってくれなきゃ。女王として、なんて考えなくていいんだよ!」

「……!」


 考えていたことを見透かされた気がして、俺は思わず言葉に詰まった。


「周りはみんな、シルヴァーナ様を女王としてしか扱わない。実際そうなんだから、仕方ないよね。ウルスラではそうなんだもん。でも……それじゃ、シルヴァーナ様の孤独は救われない。オレやコレットじゃ……どうしようもないんだ!」


 シャロットは半泣きになりながら、叫んだ。


 言いたいことはわかる。

 確かに俺は、女王としてのシィナのことばかり考えていたかもしれない。

 だって、それほど……シィナは凄かったから。俺の個人的な気持ちで、その聖なる領域を侵してはいけないと……。


 いや……それだけじゃないな。俺は、臆病になっていたのかもしれない。

 いざ俺が自分の気持ちを正直に言ったところで、女王であるシィナには拒絶されるんじゃないかって……。


 ――俺も、よくそう言われたな。ソータは水那の保護者みたいだって……。


 不意に、父さんが言っていたことを思い出した。


 父さんもそうだったんだろうか。

 自分の感情は押さえて――保護者のように守ってやれば、せめて拒絶されることはないんじゃないかって。……そう思ってたのかな。


 もっと早く――ちゃんと、気持ちを伝えればよかった。

 そう後悔しながら……父さんは二十年以上、旅を続けている。


 じゃあ……このままだと、俺もそうなるのか? もっと早く言えばよかったって?

 いや、でも……シィナの場合は違う。

 女王として――絶対に果たさないといけない使命がある。

 やっぱりそれは、俺やシィナの気持ちなんかより優先すべきことのはずだ。

 それがどんなに――俺たちにとって、残酷なことでも。


「トーマ兄ちゃん! 聞いてるの!?」

「聞いてるよ」

「だから、ちゃんと……」

「駄目だ。シィナの使命は、まだ終わってない」

「え……」

「――結契けっけいの儀。女王の使命だろ」


 思い切って言うと――シャロットが大きく目を見開いた。


「……知ってる……の……」

「……ああ」


 俺が頷くと、シャロットはぐっと喉を詰まらせた。


「そもそも、スミレさん……ああ、ユズの母親な。スミレさんが儀式の末に男であるユズを生んだから、揉めたんじゃなかったか。前の動乱は、これが発端だろ」

「……うん……」

「女王の重要な儀式だろ。どう考えても……これが終わらないと、駄目だろ。俺なんかに構ってる場合じゃないだろ」

「っ……!」


 シャロットはバッと立ち上がると、俺のすぐそばに来て――思いっきり俺に平手打ちを食らわせた。


「ってー! 何を……」

「そこまで知ってて、黙ってたの!?」

「何が……」

「儀式は、女王の最初の使命だ。当然、シルヴァーナ様も儀式に臨んだ!」

「え……」


 それは……俺がまだ記憶を失っていた頃――5年も前ってことか……?


「――でも、駄目だったんだ!」


 シャロットは俺に掴みかかると、ボロボロ涙をこぼした。


「闇の影響で、子供が生めないの。そういう……身体なんだって。治療師に診てもらったし、アサヒさんにも調べてもらったけど……もう、無理なんだ!」

「え……」


 子供が――生めない?


 ――女王として……私には使命がある。だから……もう、戻れない。


 俺の記憶を奪う直前……シィナは凛とした佇まいで、そう言っていた。

 いろいろなこと――全てを捨てて、シィナは女王として頑張ろうとしていた。

 俺はそれを邪魔したくなかったから……。

 なのに……恐らく女王として一番重要な使命であろう、それを果たせないとわかったとき――シィナはどんな気持ちだったんだ?


「だから、それはオレが代わりにするの。オレがもう一人の女王として、使命を果たすんだ。だから、トーマ兄ちゃんが……」

「いや……え……でも……」


 頭の整理がつかない。

 シィナは女王で、でも後継者を残すことはできなくて、だからシャロットが代わりに儀式に臨んで……シィナの孤独を救う?


「ちょっと、待ってくれ……」


 思わずシャロットを引き離す。

 考えていたことの主軸が打ち砕かれて、俺は混乱してしまった。

 俺はいったい……どうすればいいんだ?


「――トーマ兄ちゃん……そこまで気持ち、ないんだ」


 ハッとして顔を上げると、俺の言動をどう勘違いしたのか、シャロットが血走った眼で俺を睨みつけていた。


「アサヒさんに言われたけど、全然わかんなかった。シルヴァーナ様の事情を背負う覚悟がないと、駄目だって。かえって傷つけるからって」

「いや……」

「そういうことなんだ。シルヴァーナ様は、自分の孤独に巻き込んでしまうって。トーマ兄ちゃんに他に好きな人ができたらどうするのって聞いたけど……きっとトーマにとってはその方が幸せね、って。淋しそうに笑うんだ。ねぇ……子供ってそんなに大事? それは、シルヴァーナ様より大事なこと?」

「だから……」


 ちょっと待て、と言おうとした瞬間、シャロットがバッと立ち上がった。


「もういい! トーマ兄ちゃんの意気地なし!」


 シャロットはそう怒鳴ると、和室から出て行った。


「待て、シャロット!」

「えっ、えっ、何!?」


 気になって聞き耳を立てていたらしい暁が、顔を覗かせる。

 その横を通り過ぎて、俺は急いで追いかけた。


「シャロット!」


 玄関から裸足のまま飛び出すシャロットの背中が見えて……俺は慌てて駆け出した。

 家のすぐ前は、道路だ。バス路線にもなっているし、この時間帯は帰宅ラッシュだからこんな田舎道でも交通量はある。

 急に飛び出したら……。


「――シャロット!」


 シャロットの細い腕を掴んで引き戻す。

 そしてすぐ傍には――一台の車が迫っていた。


「――トーマさん!」


 暁のひどく慌てた声が――耳の奥に鳴り響いた。



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