4.シャロットの変化

「アサヒさん。お願いがあります」

「え……何? どうしたの?」


 私が頭を下げると、アサヒさんがちょっと驚いたように瞬きをしていた。


「トーマ兄ちゃんのことです。やっぱりもう、直談判しかないと思うんです」

「えーと……?」

「トーマ兄ちゃんの記憶は、もう戻ってるんです。シルヴァーナ様への気持ちもちゃんとあるんです。ただ……女王の使命のためとか、もっと自分がちゃんとしないと、とか、何だかんだ理由をつけて先延ばしにしてるんです」

「……」

「だから私、ミュービュリに行きたいんです。ゲートの開き方を教えて下さい!」


 私が再びガバッと頭を下げると、アサヒさんは

「ちょっと待って。どうしてそんなに慌ててるの?」

と言って私の両肩に手を置いた。


「何か、妙に急いでるけど……」

「急いでます。私が自由に動けるのは、今しかないから」

「え?」


 不思議そうな顔をしているアサヒさんに、私は闇の問題がすべて解決したら結契の儀に臨むつもりだということを話した。


「その後は……もう王宮からは出れなくなります。私は自分の子供を育てないといけない。女王の血族として、教育しなければならない。だから……」

「もう、決めてるのね」

「はい」

「……トーマくんの記憶が戻っていて、女王への気持ちがちゃんとあるというのは確かなの?」

「はい。アキラに確かめてもらいました」

「暁ぁ?」


 私がヤトゥーイさんが来たときのことを説明すると、アサヒさんは

「あの子は……隠してたの、フェルポッドのことだけじゃなかったのね」

と呟いて溜息をついた。


「まったく……シャロットも暁も本当に誰に似て……」


 アキラは間違いなくアサヒさんに似たんじゃないかな、とは思ったけど、私は黙っていた。

 私は……母さま似だろう。目的に向かって真っ直ぐ突き進むところはもともとの性質だって、イファルナ様が言っていた気がする。

 その真っ直ぐさを、闇に利用されたって……。


「でも、アキラには私が無理矢理、頼んだんです。アキラもトーマ兄ちゃんのことはあまり乗り気じゃなくて……。男ってそういもんだから、とか責任が、覚悟がどうとか……」

「……ああ……」


 アサヒさんは苦笑いをすると、うんうん頷いた。


「そうね……そういうところあるよね、男の人って……」

「だから……」

「――でもね、シャロット」


 アサヒさんが私の言葉を遮った。


「トーマくんに覚悟が必要だというのは、本当にそうよ。トーマくんは、シルヴァーナ女王の事情をどれぐらい把握してるのかな?」

「事情……?」

「儀式に失敗して……これからも見込めないこと、背負えるのかな?」

「それって、そんなに大事なことですか?」

「――大事よ。代わりがきかないから。シルヴァーナ女王が一番恐れているのも、そのことだから」

「……恐れて……?」


 アサヒさんは頷くと、じっと私を見つめた。


「自分の孤独にトーマくんを巻き込むこと……それを恐れている」

「孤独って……」


 ちょっとショックだ。私達……すごく仲良くやれていると思っていた。

 なのに――シルヴァーナ様は、孤独を感じているの?


「だって、私やコレットもいるのに……」

「淋しいとかそういうのとは別の感情なの。多分、誰にも癒せないの。代わりがきかないって、そういう意味よ」

「……」

「だからシャロット、トーマくんが単に好きだと言って解決することじゃないの。その辺の事情も踏まえた上で、トーマくんがシルヴァーナ女王に告白できなければ意味がないの。中途半端な覚悟なら余計傷つける。……わかる?」

「……はい……」

「その覚悟を問い質す、というのなら……協力してもいい、けど……」


 そう言ったアサヒさんの顔は……なぜか、複雑そうな表情だった。


   * * *


「――と言う訳でね。アサヒさんからゲートを習って、ここに来たの」


 一通り説明すると、アキラは少し呆れたような顔をした。


「まさか朝日が協力するとは思わなかったな。それにしても、何でオレのところに? トーマさんに直接会いに行けばよかったのに」

「心配だから、アキラと一緒に行きなさいって。だってミュービュリのこと、よくわからないもの」

「だから何でそれをオレに言っておかないのかな、朝日は……」

「驚かせたかったから、内緒にしてもらったの」


 私はアキラに連れられて、アキラの家に向かっていた。

 ここからトーマ兄ちゃんの住んでいる場所はかなり遠くて、オカネが必要なんだって。


「……ここだよ、オレの家。……あ、ばめちゃんもいるな」

「バメチャン?」

「朝日の母親で、オレのおばあちゃん」


 アキラはそう言うと、小さい黒塗りの扉を開けた。


『ただいまー』

『お帰りなさい。……ずいぶん早かったのね?』


 女の人が迎えに出てきた。そしてアキラの隣にいる私を見て、かなり驚いた顔をしていた。

 アキラのおばあちゃん……優しそうで、綺麗な人だ。


『あ……こいつ、ウルスラのシャロット。話したことはあるよね? それでさっきこっちに来たんだけど、こいつをトーマさんのところに連れて行くことになったんだ。だから、準備したらすぐに出るよ。ひょっとしたらトーマさんのところに泊めてもらうかも』


 アキラが靴を脱いで上がったので、私も真似をする。

 そうか、生活習慣も違うのね。入口もすごく狭いし……王宮とは全然違う。


『初めまして、オレ、シャロットです』


 ぺこりと頭を下げると、バメチャンはますます驚いた顔をしていた。


『初めまして……。日本語、喋れるのね。……あら? え? どうして英凛の制服を着ているの? しかも冬服……』

『朝日があげたらしい。ミュービュリの服、これしか持ってなかったんだって』

『あら、まあ……』


 そう言うと、バメチャンは慌ててどこかに走っていった。

 どうしよう、と思ったけどアキラが「とりあえずこっちに来い」と言って私を引っ張ったので、私は大人しくついて行くことにした。

 階段を上がり、アキラが並んだ扉の一つを開けた。

 見ると……ベッドと机、タンス、本棚などが狭いスペースに所狭しと置かれている。他には見たことのない黒い物や銀色の物もいっぱい。


「こっちの部屋って、小さいんだね……」

「そりゃ、王宮と比べればそうだろ。……やっぱりお前、何だかんだ言って王女様なんだな」


 アキラはそう言うと、そこ座ってろ、と言ってベッドを指差した。

 テーブルも椅子もないから、くつろぐ場所もないんだ……。


 大人しく座ると、アキラは「さてと……」と呟きながら少し大きめの鞄を取り出した。

 タンスを開けたり机の引き出しを開けたりしながら、ボンボン荷物を詰めていく。


「……これも持っていくか、一応」


 そう言ってアキラが取り出したのは、フェルポッドだった。


「ゲートで帰れるよ?」

「まぁ、そうだろうけど念のため。……こんなもんかな」


 荷造りを終えたアキラが少し離れて横に座った。……他に座る場所がないからだろう。

 私は手を伸ばすと、アキラの袖を掴んだ。


「部屋が小さいから、手を伸ばすとすぐ届くね。いつも向かい合わせだから、何か変な感じ」

「まぁ……そうだな」


 アキラはパッと立ち上がると、机の前にあった椅子を持ってきて私の正面に座った。


「……これでいいか?」

「あ、うん……」


 別に、隣にいてもよかったんだけどな。


『暁? 入るわよ?』


 開いていた扉からバメチャンが顔を覗かせた。


『これ……夏物のワンピースなんだけど、シャロットちゃんにどうかしら?』


 手に持っていた白い布を広げる。それは、王宮で着るドレスの丈をうんと短くして、デザインも少しシンプルにしたような感じで、ふわふわして綺麗だった。


『いいと思うけど……ばめちゃん、これどうしたの?』

『3年ぐらい前に朝日が衝動買いした物なんだけど……結局、着て行く場所がないから誰かにあげてって言われて預かってたの。ほらあの子、結局ズボンばっかり穿いてるでしょう』

『朝日の? サイズ大丈夫? シャロットの方がだいぶん背が高いけど……』

『ワンピースだし、シャロットちゃん痩せてるし、ざっくり着る服だから大丈夫じゃないかしら。シャロットちゃん、どう? 着てみる?』

『はい!』


 ミュービュリの服は、いろいろな型があってとっても素敵。ウルスラの服より、ずっと歩きやすそうだし。


 私はバメチャンに連れられて、バメチャンの部屋に行った。


『シャロットちゃん、こっちの世界に来てみて……どう?』


 私に服を着せながらバメチャンが言った。


『シャロットでいいよ。……えーと、不思議なものがいっぱいあって、楽しい。夢鏡ミラーで覗いてたけど、実際に見るのはだいぶん違うね』

『ウルスラでお勉強、頑張ってるんですって? 朝日が褒めてたわ』

『オレの仕事だから。アサヒさんにも、かなりお世話になってるんだ』

『そう……。あ、やっぱりよく似合うわね』


 そう言うと、バメチャンが私を鏡の前に連れて行って見せてくれた。

 すっきりとしたシルエットで、いつもよりずっとスタイルがよく見える。


『素敵……ありがとう!』

『どういたしまして。……あ、そうだ、髪の毛もやってあげるわね』


 そう言うと、バメチャンは私を鏡の前に座らせた。


『朝日はねぇ、活発なのはいいけどオシャレには全然興味がなくて……こういうのも嫌がる子供だったの。だから、何だか楽しいわ』

『オレも普段はしない。忙しいから』

『あらあら、勿体ない。こんなに綺麗なのに……』

『……』


 私は、鏡に映ったバメチャンを見た。

 心なしか、嬉しそうに私の髪を編んでいる。


 私のおばあちゃんは、私が物心がついた時にはもう正気を失っていた。

 ひいおばあちゃんにあたるイファルナ様も、いつもしかめっ面で私を見ていた。

 だから私は、こんなに温かい眼差しを向けられたことは、ない。


『バメチャン……優しい』

『そう?』

『うん。……嬉しい』


 バメチャンは少し驚いた顔をすると、鏡ごしでにっこりと微笑んだ。


『……さ、できた。シャロット、どう?』

『可愛い……』

『朝日は、こういう気は回らないものねえ……』


 バメチャンはそう言うと、くすりと笑った。


『ちゃんとした格好をすると、それに見合った行動をしなきゃって気持ちになるでしょ? シャロットは王女さまなら、はったりも必要よね』

『ハッタリ……?』


 よくわからない日本語だ。


『王女らしい、風格っていうのかな。自分でそうだと意識して振る舞えば、周りもそう見るようになる。本質はどうあれ……そういう見栄というか、形を作ることが必要な場面はある、ってことよ』

『……うん』


 今までずっと勉強ばかりで……知識を入れることが自分の役目だから、そういうのはどうでもいいと思ってた。

 私はコレットとは違うからって。

 でも、私がもっと王女らしい立ち振る舞いをして、その上でいろいろな話をしていった方が、神官や領主も聞き入れやすいのかも。

 ハッタリ、か。面白い日本語だ。覚えておこう。


『バメチャン、ありがとう。ハッタリ、頑張る』


 バメチャンの方に振り返ってそう言うと、バメチャンは「ほどほどにね」と言って優しく微笑んでくれた。

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