3.暁の動機
朝日がテスラに行ってから、半年以上が過ぎた。
オレは中三になって、部活の最後の大会も終わって――今、とても退屈している。
受験勉強しないといけないのはわかってるんだけど……まだちょっと、その気にはなれないかな。
そんな訳で、夏休み初日である今日は一人バスに乗って、繁華街までふらりと出てきた。
オレはミュービュリの人間はあまり得意じゃない。
だけど、見知らぬ多くの人が行き交うこういう場所は……自分が埋もれて街の一部と化し覆い隠してくれる気がして、嫌いではない。
本当ならこの夏にジャスラに行って水那さんを助ける予定だったんだけど、冬に延期になった。
ソータさんのテスラの調査が思ったより長引いてるみたいだ。
ソータさんはそれらを全部片付けてから水那さんを迎えに行きたいんだそうだ。
オレはソータさんの弓を射る姿に憧れて――まあ、ソータさん本人には恥ずかしくて言ってないけど――中学では弓道部に入った。テスラに行ったときにちょっと見てもらったりしたけど、
「暁はソツなくこなし過ぎだな」
と言われた。
「ソツなくって、要領よくってこと? よく言われる。でも、それって駄目なこと?」
ソータさんの言葉に否定的な含みがあることに気づいて聞き返す。
ソータさんは「駄目じゃないが、良くはないよな」と答えた。
「ある程度できてしまうもんだから、より高みを目指して、っていう意識が足りないんだ。器用貧乏ってやつだ。強いて言うなら、それかな。型がどうとか、姿勢がどうとか、っていう問題じゃないな」
「ふうん……」
そう言われた時は――全然ピンとこなかった。
でも……今は、わかる。
――ユウの寿命のこと……知ったから。
浄化の修業も、弓道も……何の目標もなくこなしていた気がする。でも今は、ユウの意思を引き継げるフェルティガエになりたい、と思ってる。
それまでが不真面目だったっていう訳じゃない。だけど、そう意識してから……自分の中の何かが変わった。
ユウはファルヴィケンの、朝日はチェルヴィケンの、唯一の生き残りだ。
今はそれらの事実は伏せられていて、一部の人間しか知らない。だからユウと朝日は、フィラではなくエルトラ王宮に住んでいる。もしその事実が公になったら、オレに皺寄せがいくからだ。
オレはまだ、ミュービュリで暮らすともテスラに行くとも決めていない。でも三家の直系だってバレたら、絶対にフィラの人間は理央姉のところに詰めかける。
何で自由にさせているんだ、フィラの民を導く義務があるんじゃないかって。
万が一そうなったら、嫌でもオレに期待されることになるだろう。フィラに住むかどうかはともかくとしても、オレはフィラに住んでいる人達にも認めてもらえるようなフェルティガエにならないといけない。
――夜斗兄みたいに。
記憶喪失から復活してから、夜斗兄は以前よりもぐっと仕事を減らして、フィラにも多く関わるようになったらしい。今までしていた仕事も、ヨハネやエルトラの神官にだいぶん回したみたいだ。
ヨハネといえば、先月テスラに行った時に会った。夜斗兄の仕事をかなりこなすようになって、忙しそうだった。特に飛龍の扱いについては夜斗兄よりずっと上手いらしく、フィラとの行き来は主にヨハネがこなしているらしい。
前にソータさんが言ってたんだけど、飼いならされたエルトラの飛龍は、決まった時間にはヤンルバに帰ってくる習性がある。
だけど、ヨハネの命令はそれを上回れるのだそうだ。去年の冬、それで丸二日帰って来なかったことがあってエルトラは大騒ぎになったらしい。
ヨハネによると、力の使い過ぎで遠くの小さな島で眠りこけてしまい、帰って来れなかったってことだった。飛龍はその間もヨハネを心配して傍を離れなかったんだって。
そんなこともあり……夜斗兄は、ソータさんのことや闇のことなど、肝心なところはまだヨハネには話せないって言ってた。精神的に不安定で、力の制御がうまくいかないことがあるからだって。
夜斗兄は、自分の仕事がないときはユウや朝日に同行することもあるらしい。
だから、二人と接する時間も必然的に多くなる。
「夜斗も、ユウの身体に気づいてるかもしれない」
と朝日がぼやいていた。
「やっぱり昔との差を一番感じているのが夜斗だから……時間の問題かも」
「でも、一時期よりすごく良くなったよね。……やっぱり、愛の力?」
オレはちょっとからかうように言ってみた。
てっきり赤くなって「馬鹿なこと言わないの」と怒るかと思ったら
「違うわよ。……いろいろ……頑張ってはいるのよ」
と真面目に返された。
治療師に聞いたり、カンゼルの資料をもう一度読んだり、とにかく、ありとあらゆる手は尽くしている。
しかし、思うような効果は得られていない……。
そういう感じがした。今元気なのも、朝日が何らかの手段で一時しのぎをしているだけで……ユウはやっぱり、いなくなってしまうんだろうか。
もうちょっと待ってよ、ユウ。オレは、まだ……。
「あの……君? ちょっといいかな」
「は?」
不意に、一人の女性に声をかけられた。唐突だったから、思わず聞き返してしまった。
ビシッとベージュのスーツを着こなした背の高いカッコいい女の人。多分、何かのスカウトだ。
ミスッたな……。いつもなら声をかけられる前に遠ざかるか、聞こえない振りをしてスルーするところなのに……。
「君、いくつ?」
「……」
面倒臭い、スルー、スルー……。
返事をするのも嫌なのでスタスタと歩き始める。
「あー、ちょっと待って! モデルとか興味ない?」
「ないです」
「前にも見かけて、ずっと探してたんだけど……この辺りの子?」
「……」
「とにかく、名刺だけでも貰ってくれる?」
「要りません」
「興味があれば、是非ここに……」
「ないです」
かなりしぶとい人だ。こういうのって、女の人の方がパワフルなんだよな。特にこの人ぐらいの、アラサー女性って……。
“アキラ! 今、忙しい?”
不意に、シャロットの声が聞こえてきた。
手紙でなく、直接話しかけてくるなんてかなり珍しい。フェルティガを使用することになるからだ。……ユウの許可は取ったんだろうか。
オレは歩きながら携帯を取り出すと、耳に充てた。スカウトの女の人をジロッと睨む。
……これで離れて行ってくれればいいのに。
『何? まぁ、暇と言えば暇だけど』
オレが訳のわからない言葉を喋り出したので、女の人はちょっと驚いて「えっ」という声を上げた。
だけど相変わらず後ろをついてきている。電話の邪魔はしないようにという配慮からか、少し離れて様子を窺っているようだ。
……かなり根性のある女の人だな。誰かさんみたいだよ。
“今からそっちに行くねー”
『……は?』
オレは立ち止まって辺りをキョロキョロ見回した。ここはいわゆる普通の繁華街で、シャロットが調べている次元の穴の候補地ではない。
なのに……。
『えっ、まさかゲート!?』
思わず叫ぶと
“そうだよー”
と言う呑気な答えが返って来た。
『おい、シャロット! こんな街中で、人目が……』
“大丈夫だから!”
元気な声が聞こえ、プツンと通信が途切れた。
オレはもう一度辺りを見回した。シャロットが現れそうな場所……。
「――あれか!」
少し先に、木々に囲まれている公園がある。特に奥の方は小さな森みたいになってるから、あの場所なら大丈夫かも……。
シャロットは
あれ……でも、いつの間に開き方を覚えたんだ? オレだってそうそう見せてもらえないのに……真似されると困るからって。
いや、考えている場合じゃないな。とにかく行かないと。
オレは公園に向かって駆け出した。万が一誰かに見られたら大変だし……。
ちょっと待て。ひょっとして、あのドレス姿で現れるのか? それとも、いつも着ている真っ白な上下の服で現れるのか?
どっちにしても……来た後、どうしたらいいんだろう。そんな目立つ奴、連れて歩けないぞ。
どうでもいいことを考えながらひたすら走る。
公園に入った瞬間――予想通り、森の辺りから空間が歪む気配がした。
「――やばっ……」
思わず叫ぶ。周りを見回したが……人はまばらで、森に行こうとしている人間も森に注目している人間もいなかった。どうやら、オレにしかわからないみたいだ。
息を切らしながら森に入ると、制服姿の女の子が辺りをキョロキョロと見回していた。
英凛学園中等部の制服だ。夏なのに――何故か冬服。それに、やけにスカートの丈が短い……いや、この子の足が長いんだな。――赤い髪……。
「――シャロット!?」
『あ……アキラ』
『お前、な、何で……』
どうにかパラリュス語で話しかける。――落ち着け、オレ。
シャロットはオレをじっと見ると
『――来ちゃった』
と言って首を傾げ、にっこり笑った。
『どこで覚えた、その台詞……』
『ん? 何が?』
『いや……。それより、その制服……』
『アサヒさんが前にくれたの。……ちょっと小さいけどね』
『そりゃ朝日が着てたやつだからだろ……』
『でも……暑い』
『冬服なんか着てるからだろ。今は夏だ』
『……? あ、そっか、季節があるんだったね』
そう言うと、シャロットはおもむろにブレザーを脱いだ。次にブラウスのボタンに手をかけ――。
『おい! どこまで脱ぐ気だ!』
『ちょっと開けるだけだよ。それぐらいの常識はあります。スカートの下も……』
『見せるな!』
『ちゃんとスパッツってやつ履いてるのに……』
『人に見せるのは非常識なんだよ』
「――ちょっと……」
ふいに声がして、オレは驚いて振り返った。
さっきのスカウトの女の人だ。ぜーはーぜーはーと荒い息をついている。
……追いかけてきたのかよ、そのヒールで。
「あんた……まだいたの」
呆れて思わず言うと、その人はニヤッと笑った。
「前から探してたって言ったでしょ? とにかく、話だけでも……」
「いや、オレ、本当にそれどころじゃないんで」
オレはシャロットを指差した。
「こいつの国に行ったり……とにかく、忙しいから。全く興味ないし」
「彼女? まあ、彼女も綺麗な子ねぇ。ねえ、あなたも彼氏のカッコいい所、見たくない? こういうのとか……」
女の人はズカズカと近寄ると、シャロットに雑誌を見せた。外国のお洒落な建物の前に止まったスポーツカーに颯爽と乗り込もうとしているイケメンの写真だ。
「ねぇ、彼女に通訳してよ」
「彼女じゃないし……」
それにシャロットは日本語が分かるし。
でもとりあえず念を押すために、オレはシャロットの方に向き直った。
『いいか、日本語は分からないフリしろよ。面倒臭いことになるから』
『わかったけど……この赤いの何?』
雑誌を受け取ったシャロットが指差す。
『フェアレディZっていう車だよ』
『クルマ……これは面白そう。背後の建物も……素敵』
やはりシャロットは、男の写真なんてどうでもいいらしい。……ちょっとホッとする。
女はどうやら話が通じないとわかったようで、深い溜息をついた。
「その雑誌はあげるわ。ねえ、せめて名刺だけでも受け取ってよ。名前も住所も聞かない。それで……諦めるから」
「……」
まぁ、その根性は嫌いじゃないしな……。
オレが渋々手を出すと、女の人は自分の名刺を手渡した。――ステラポリー総務取締役、北見涼子。……結構立派な肩書だ。
「じゃ、またね」
「またって何だ。オレはやらないからな」
「会ったら世間話でもしましょ。……じゃあね」
そう言うと、女の人は背筋を伸ばして颯爽と歩いて行った。……さっきの息切れの時とは大違いだ。
『アキラ……いったい何の話だったの?』
『こういう写真に撮られる仕事をしないかっていう、勧誘だよ』
『シャシン……』
シャロットは雑誌のそのページをまじまじと見た。
『シャシンって凄いね。
『そうなんだ』
『ミュービュリの風景といろいろな建造物。それとアキラなら……見たいかも』
『……ふうん……』
シャロットは滅多に王宮から出れない。だから余計、外の世界に憧れるのかな。
エメラルドグリーンの海と青い空の写真を食い入るように見つめているシャロットを眺めながら、オレはそんなことをぼんやり考えていた。
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