5.暁の変化

「アキラ、あれは何?」

「あれは……道だよ」

「でも、浮いてるよ?」

「ちゃんと土台はあるよ。車が多いから、道も何層にもなってるんだ」

「ふうん。じゃあ……ひゃっ!」

「あーもう、キョロキョロすんなって!」


 駅前の人ごみに流されそうになったシャロットの手を掴む。


「迷子になるぞ」

「だって……」


 オレはシャロットの手を掴んだままずんずん歩き出した。

 好奇心旺盛なシャロットは人ごみにも全く怯むことなく、ずっとオレに質問し続ける。

 こんな調子で歩いてたら、新幹線に乗り遅れちゃうよ。


 白いワンピースを着て、髪もきちんと結いあげたシャロットは、ちょっとびっくりするぐらい綺麗で――赤い髪も相まって異常に目立っている。

 多分、モデルか何かに見えるんだろうな。

 通り過ぎる人――特に男が、何人も振り返る気配がした。


 どうにかホームに辿り着き、列に並ぶ。

 思わず深い溜息をつくと、それまでずっとキョロキョロしていたシャロットがじっとオレを見上げた。


「アキラ、疲れた? ごめん……私、はしゃぎ過ぎた?」

「いや、大丈夫」

「もう、手を離してもいいよ。おとなしくしてるから」

「……あっ……」


 オレは慌てて掴んでいたシャロットの手を離した。

 うわー……手汗の量がハンパないな……。


「トーマ兄ちゃんに連絡したの?」

「ああ、うん。ただ、オレ達が着く頃はまだ仕事をしてるらし……って、おい!」


 言ったそばからフラフラと歩き、線路をじーっと覗きこんでいる。

 オレは慌ててシャロットの腕を掴んだ。


「危ないから!」

「何で?」

「……とにかく、ちゃんと手を握ってろ。どこにも行くな」


 オレは自分の服で手汗を拭くと、もう一度シャロットと手を繋いだ。

 何だか告白みたいな台詞になったな、と考えて、ちょっとあさっての方を向いてしまった。

 シャロットは少し不自由そうに辺りをチョロチョロしていたが(まるで繋がれた犬のようだった……)一応大人しくオレの手を握っていた。

 はぁ、何と言うか……どうも調子が狂うな。ミュービュリだからかな……。


「アキラ、シャシンって撮れる? 私の」


 不意にシャロットが言った。


「写真……撮れるけど、ここで? それに、写真は怖いんじゃなかったか?」

「せっかくバメチャンが綺麗にしてくれたから、残しておきたいの。それに怖くない物だって、わかったから」

「ふうん……」


 オレはスマホを取り出すと、いったん手を離して距離をとった。

 記念だって言ってるし……多分、全身入ってた方がいいんだよな。

 シャッターを切る。ファインダー越しのシャロットは……ちょっと別人に見えて、ドキリとした。

 撮った写真を見ると、初めてとは思えないほどいい表情をしている。


「これでいいか?」


 シャロットに見せると嬉しそうに頷いたので、オレもちょっと嬉しくなった。


「今度、プリ……紙に取り出して、持っていくよ」


 スマホをポケットに戻しながら、再びシャロットの手を握る。


 ん、ちょっと待て。これは、ハタから見るとただのバカップル……?


 周りを見回すと、何人かがやはりこっちをチラチラ見ているようだった。

 うわ……恥ず……。


「ねえ、何で今度はアキラがキョロキョロしているの?」


 シャロットが不思議そうに首を傾げる。

 オレは「安全確認だよ」と訳のわからない返事をしながら――少し頬が熱くなるのを感じた。


   * * *


 T駅に着いて、トーマさんに連絡を入れた。

 すると

“ユズが駅に行ってくれてるはずだから、そのまま正面の改札に出ればいいぞ”

という返事が返って来た。


「ユズ兄ちゃん……何て言うかな?」


 メールを覗き込みながら、シャロットが言う。


「何って、どういうこと?」

「私の格好、変じゃない?」


 シャロットは心なしか緊張しているようだ。


「いや、全然」

「……そっか」


 ちょっと安心したようだが……すぐにまた不安そうな顔になる。


「でも……ユズ兄ちゃんには怒られるかな……」

「何で?」

「ユズ兄ちゃんは私のやろうとしていること、反対するかもしれない。手紙でも、とにかく待てってずっと言われてたから……」

「オレが一緒だから、心を読まれることはないぞ。オレが真似してしまうから。前にそれで失敗してるから、気をつけると思う」

「……そっか。じゃあ、バレなきゃいいんだよね」


 シャロットはそう言うと、ちょっと息をついた。


「でも、オレも思う。何で待たないの?」

「待てないの。……どうしても」


 シャロットは真っ直ぐ前を見つめたまま力強く言った。


「何で?」

「……それは……また、今度ね」


 それっきり……シャロットは辺りをキョロキョロすることもなく、黙々と歩き続けていた。

 オレは少し奇妙な気分になったけど、黙ってシャロットの手を引いた。


「あ、こっち……って……え、シャロット!?」


 驚いたような日本語の声が聞こえた。

 顔を上げると、改札の向こう側で、ユズルさんがかなり慌てた様子でオレ達を見ている。

 オレはシャロットの手を引くと改札を抜け、ユズルさんの前まで来た。


「こんにちは」

「ユズ兄ちゃん、久し振り」


 二人とも日本語で挨拶をする。


「こんにちは。……って……シャロット、どうして?」

「えっと……オレが頼んで、アキラには内緒にしてもらったんだ。驚かせたかったから」


 シャロットは、日本語になると途端に口調が少年のようになる。

 ……何というか、服装と合ってないな……。

 前に朝日も言ってたけど、勿体ない。ちゃんとした女の子の日本語を教えた方がいいかもしれないな。


「はー……」


 ユズルさんが驚いた表情のままシャロットをまじまじと見る。


「それに、その格好……」

「バメチャンがしてくれた。……おかしい?」

「おかしくはないよ。いいと思うけど。……で、バメチャンって?」

「あ、オレの祖母です」


 ユズルさんは「なるほど」と呟いたあと、今度はオレたち二人を見比べた。


「ところで、二人ともいつの間にそういう……。手を繋いだままで……」

「あ……」


 ユズルさんに指摘されて、シャロットが慌ててオレの手を振り払った。

 その仕草に、オレは少なからずショックを受けた。


「いや、オレが迷子になるからって……だから……」

「ああ、そういうことなんだ。確かに、都会は人が多いもんね」


 ユズルさんはそう言ってちょっと笑うと「じゃ、行こうか」と言って先に歩き出した。

 シャロットが小走りで後をついていく。

 オレは何だか割り切れないものを感じながら――二人からは少し離れ、ゆっくりと歩いて行った。



 ユズルさんが車でトーマさんの家まで連れて行ってくれた。

 合鍵を持っているらしく、玄関を開けてオレたち二人をトーマさんの家の中に入れてくれた。トーマさん本人は、あと1時間ぐらいで戻るそうだ。

 ユズルさんは医学部の6年生で今とても忙しいらしく、中には入らずすぐに大学に戻ってしまった。

 ……シャロットが、淋しそうな安心したような、複雑な顔で見送っていた。


 しばらくの間、オレたち二人は和室で他愛もない話をしていた。シャロットは縁側に腰掛け、窓の外の庭を見ている。オレは畳の上で寝そべっていた。


 そうしてくつろいではいたけど……オレはどうしても、駅での出来事が頭から離れなかった。

 気になって仕方がない。


「――シャロットってさ……」

「え?」


 シャロットが顔だけこちらに向けた。


「ひょっとして、ユズルさんが好きなのか?」


 思い切って聞くと、シャロットは大きく目を見開いた。


 もしそうだと言われたら……どうしよう。

 なぜかそう考えてしまって……自分でも訳が分からない。

 どうしようもこうしようも――オレには関係ないのに。


 シャロットは庭の方に顔を戻すと

「そう、見える?」

と呟くように言った。


「え……いや……どうだろう……」


 質問で返されて、オレは口ごもってしまった。

 そんなこと聞かれても……答えようがないよ。


 シャロットは空を見上げると、溜息をついた。


「多分、違うと思うの。コレットも……何も言わなかったし」


 何でここでコレットが関係するんだろう……。

 疑問には感じたが、シャロットが一生懸命自分のことを喋ろうとしているので、オレはそのまま黙っていた。


「でも……ジェコブ以外で初めて私自身を心配してくれたのがユズ兄ちゃんなの。だから、すごく嬉しくて……特別は、特別かも。素直に頼りたくなるのは、ユズ兄ちゃんだけかもしれない」

「……ふうん……」


 シャロットは……恋愛関係は疎いというか、鈍い。

 今は憧れかもしれないけど……いつかそれは、恋に発展するのかもしれないな。

 ユズルさんはウルスラの人だし、何も障害はない。

 大人だし、すごく賢いし、頼りがいがあるし……シャロットを止める理由なんて、本当に何もない。


 ――ん? シャロットを……止める?


「でも、それ以上の気持ちになることはないと思う。私には不必要なことだから」

「不必要……?」


 その口調は、さっき「待てない」と言い切ったときと同じ力強さを持っていた。

 ――シャロットの、真っ直ぐな眼差し。


「……」


 何で、と聞こうと思ったけど……それ以上、オレは何も言えなかった。

 シャロットの横顔が――あまりにも綺麗だったから。


 ――もしかしたら……オレは……。


 子供のときから、二人でいろいろなことを話した。

 仲間だと思ってたし、努力家で、尊敬できる奴だとも思ってた。


 でも……シャロットは女の子だった。ミュービュリにもフィラにもいない、とびきり上等な女の子だ。

 何て言うか、他の女の子を見て、オレはこれほど綺麗だと思ったことはない。

 これって……?


 オレは――これまで経験したことのない気持ちが胸に湧き出るのを感じた。


 シャロット……ユズルさんのことは、わかったよ。

 じゃあ、オレは?

 シャロットの目には、オレはどう映ってるんだ?

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