第3章 惟う人等

1.シャロットの動機(1)

「……それでね。ソータさんとも相談したんだけど、今度の夏はちょっと無理そうなんだ。暁の予定も考えると冬になりそうだね。ソータさんの調査が思ったより長引いてね、遅くなるみたいだ。でも、その分シャロットの特訓の時間が十分に取れると思えばいいかな。……って……シャロット。ちゃんと聞いてる?」


 不意に鋭い声が飛んでくる。

 ハッとして顔を上げると、ユウ先生がちょっと困ったような顔で私の顔を覗きこんでいた。


「あ、はい……聞いてます、はい」

「本当に?」

「はい。ジャスラに行くのが夏から冬に変更になったって話ですよね。その分、力になれるように修業を頑張ります」


 私が力強く頷くと、ユウ先生は「抜け目ないな……」とボソッと呟いた。


「ユウ先生、何だか元気になりましたよね。……アサヒさんのおかげですか?」


 私が聞くと、ユウ先生はちょっと驚いて

「そんなに前は元気がなかった?」

と不安そうな顔をした。


 ユウ先生は――半年前、ウルスラの次元の穴からミュービュリに行った。アサヒさんに内緒でアキラに会うためだ。

 その頃はもうすぐ倒れちゃうんじゃないかな、と思うぐらい弱っていた気がする。正直言って、フェルティガで視るまでもなかった。

 だから、私にあんな無茶なお願いをしたんだろう。


 結果としてユウ先生は何だかすっきりとした顔で帰って来たし、三ヵ月後にはアサヒさんもテスラに来たってことだし……めでたしめでたし、なのかな?


「はい。だから私の実験が役に立って、本当に嬉しいです」

「……そう」

「だから……シルヴァーナ様にも役立てたいです。……本当は」


 俯いて呟く。……だけど、ユウ先生は何も言わなかった。

 ちょっとイラッとする。


 ……そう。トーマ兄ちゃんとシルヴァーナ様の話になると、みんな微妙な顔をするんだ。どうしてかな。


 ユズ兄ちゃんからはあれからも時折手紙が来ている。トーマ兄ちゃんは先生として頑張っているらしい。新しいことの連続で毎日忙しそうだけど、充実した日々を送ってるみたいだよ、と書かれていた。

 それはまぁいいとして。じゃあ、いつになったらシルヴァーナ様を助けに来てくれるの?って思う訳。

 アキラに聞いても「まだ一年目だしねー」という呑気な答えしか返って来ない。

 別にウルスラに移住しろって言ってないのに……。「好きだよ」って言うことは、そんなに難しいことなのかな?


「ユウ先生!」

「えっ、何?」

「アサヒさんのことを好きな理由って何ですか? あと、初めてアサヒさんに好きだって言ったとき、どうして言おうと思ったんですか?」

「……はあ?」


 ユウ先生があんぐりと口を開けて私をまじまじと見た。びっくりしたみたいだけど、照れている感じではない。

 ちなみに同じ質問をソータさんにしたときは、真っ赤になって「アホかー!」と叫びながら逃げるように走り去ってしまったんだけど。


「何でそんなこと聞くの?」

「シャロットは恋愛がわかってないとアキラが言うから、勉強しようと思って」

「……そんな質問をするようじゃ、確かに駄目だね……」

「えー?」


 私が不満げに声を上げると、ユウ先生はクスッと笑った。


「こればっかりは、勉強じゃどうにもならないと思う。経験しないと。でも……」

「でも?」

「シャロットの将来を思うと……知らない方がいいかもね」

「儀式と両立しないからですか?」

「……まあね」

「それはそれ、これはこれって訳には……」

「それは恋愛じゃないよね。仮にシャロットはできたとしても、相手はどうかな」

「相手?」

「女の人の方が強いからね。圧倒的に」


 そう言うと、ユウ先生は肩をすくめた。


   * * *


 その日の夜、私はシルヴァーナ様に呼ばれて私室に会いに行った。私が部屋に入ると、辺りに控えていた神官もみんないなくなった。


 何か重要な話なんだな。ウルスラ内の話じゃない。テスラとかジャスラの話かな。それとも、ミュービュリに関わる話かも。


 シルヴァーナ様と向かい合わせに座り、お茶に口をつけたところで、シルヴァーナ様が意を決したように口を開いた。


「今日、アサヒさんがいらしたでしょう?」

「あ、うん。ユウ先生と一緒に来たって聞いてたけど」

「ええ。いろいろあって、だいぶん時間が空いてしまったって、謝っていらっしゃったわ」

「そうなんだ……」


 三ヶ月前、アサヒさんはミュービュリにアキラを置いて本格的にテスラに移住したと聞いた。

 ユウ先生がエルトラにいるときはエルトラに、フィラにいるときはフィラに、ウルスラに来る時はウルスラに……と、ずっと一緒にいるみたい。

 まぁ、一緒といってもいつも隣にいる訳ではなく、ユウ先生が指導をしている間はアサヒさんは治療師の話を聞いて回ったり、本を読んだりしているそうだ。


 とは言え、ミュービュリでずっと働いていて――何て言うか、きちんと自立していたアサヒさんが何で急にユウ先生にぴたりと寄り添っているのか、私は少し気になっていた。


「アサヒさんには……私の身体の事を調べてもらっていたの」

「……え……」


 シルヴァーナ様の予想外の言葉に、私は驚いた。


「身体って……」

「闇が与える影響について。ウルスラの闇は、テスラを脅かした闇と繋がっているって話だったでしょう? だから……」

「あ……」


 そうか、それで……。本格的に調べるためにテスラに移住したのかな、アサヒさんは。


「――ごめんなさい、シャロット」


 シルヴァーナ様は頭を下げた。


「こればかりは、やっぱりどうにもならないみたいなの。私は……シャロットにお願いするしかない」

「シルヴァーナ様……」

「私とシャロットで一人の女王。……そう思っていいのかしら? 本当に、辛くない? 我慢してない?」

「我慢なんて、そんな!」


 私は立ち上がると、シルヴァーナ様の手をぎゅっと握った。


「自分の使命だと信じてる。次の冬、ミズナさんを助けて……テスラの闇も終わったら、その頃にはもう十五歳になってる。だから、大丈夫! 任せて!」


 シルヴァーナ様を安心させるために、私は元気に笑って見せた。

 不安がないと言えば、嘘になる。でも、嫌だという感情はなかった。


 シルヴァーナ様は……とても淋しそうに頷いた。


 先月、長い間伏せっていたシルヴァーナ様の母上が亡くなった。

 私達は、ついに三人きりになった。覚悟はしていたけど……何とも言えない寂寥感が、王宮を取り巻いていた。

 このままじゃいけない。まずはシルヴァーナ様に元気を出してもらわなくちゃ。


 そう思って、私は

「ねぇ、トーマ兄ちゃんに本当のことを言おうよ」

と、思い切ってシルヴァーナ様本人に言ってみた。


「……いいえ」


 シルヴァーナ様は私の手を振り払うと、ゆっくりと首を横に振った。

 完全な拒絶の仕草に、私はドキリとした。

 どうして。どうしてシルヴァーナ様はこんなに頑なになってしまってるの。


「私の事情に……巻き込む訳にはいかないの」

「だって……年に一回しか、会えないのに……」

「……そうね」

「トーマ兄ちゃんに、他に好きな人ができるかもしれないし……」

「……その方が……きっと幸せね。トーマにとっては……」

「いつか、会えなくなるかもしれないのに……」

「……」


 シルヴァーナ様は何も言わず、微笑んだ。

 だけどそれは、泣き顔よりもずっと切なそうで、辛そうで……。


「それでも……いい。どこかで……元気で……いてくれれば……」


 駄目だ、こりゃ……。

 やっぱり、シルヴァーナ様が動くことはありえない。トーマ兄ちゃんにどうにかしてもらわないと。


「――だから、シャロット……」

「え?」


 シルヴァーナ様のオーラが急に力を増した気がして、私はビクッとした。


「この話はもう、これっきりよ」

「う……うん……」


 私は急に怖くなって大人しく頷いた。


「……じゃあ、部屋に戻りなさい」


 シルヴァーナ様は静かに立ち上がると、私にくるりと背を向けた。

 怒っているんだろうか。それとも……泣いているんだろうか。


「ごめんなさい、シルヴァーナ様。私……言い過ぎた?」


 急に後悔の念に襲われて、私は後ろからシルヴァーナ様に抱きついた。シルヴァーナ様の紫色のオーラがふわりと私を包んだ。

 さっきとは違う……儚げな動きを見せる。


「いいえ……私が……弱いせいよ。だから……そんなことを言わせてしまうのね」


 シルヴァーナ様は、自分が頼りないから……誰か頼れる人がそばにいればいいのに、と私が考えたから言った。――そう思ってるんだろうか。

 そうじゃないのに。トーマ兄ちゃんだから……だから、なのに。


「あの……」

「もう少し待ってね。……強くなるから。だから……心配しないでね」


 シルヴァーナ様は静かに言った。泣いてはいないけど……心が震えているのを感じた。

 私は何も言えなくなって……黙って頷いた。



 ――女の人の方が強いなんて、ユウ先生の嘘つき。

 それはアサヒさんとか、テスラの女王とか……ほんの一部だけだよ。

 シルヴァーナ様みたいな……弱いのに、全然強くないのに、必死で強くなろうとしてる人だっているんだから。

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