20.朝日の決意(2)

 ユウがどうしても成し遂げたいこと――本を書くこと、ソータさんの旅を……テスラの、パラリュスの平和を見届けること。

 その願いを叶えるために、私はミリヤ女王と謁見した。

 女王には報告する義務があるんじゃないかとユウに言うと、ユウも納得してくれた。



「……われと二人きりで話したいとは……相変わらず大胆なヤツじゃの、アサヒ」


 女王はそう言うと、くくくと笑った。

 女王と謁見するときは、いつも夜斗を通す。

 だけど今回は夜斗にも内緒だから、私は神官のエリンを通じて内々に申し込んでいた。

 するとよほどの事態だと思ったのか、ミリヤ女王は私を自分の私室にこっそり通してくれた。


「どうしても、内密にしたい話なのです」

「で、何だ?」

「――ユウには、命の刻限があります」


 思い切って言うと、ミリヤ女王の顔色が変わった。


「……何……?」

「フェルティガの老化が始まっています。このまま放っておけば……あと1年もつかどうかもわかりません」

「……」


 ミリヤ女王の青い瞳が大きく見開いた。


「治療法は……今のところありません。失っていくフェルティガを補給するという案しか……今の私には思い浮かびません」

「……」

「個人的な事情だとはわかっています。でも、父の……ヒールヴェン=フィラ=チェルヴィケンの教えとファルヴィケンの知識を後世に伝えたいという、ユウの希望。そして、ソータさんの旅を手伝いたいという強い思いを、私はどうしても叶えたい」

「……」

「白状してしまえば……1日でも長く、ユウと一緒にいたい……」


 もう泣かないと決めたのに……どうしても涙が出てきてしまう。

 私はどうにか堪えて、頭を下げた。


「王宮で管理しているフェルポッドのフェルを……ディゲのフェルを、私に下さい。水那さんを助けるため……私は自分のフェルを減らすことができない。ユウにあげることができないんです」


 ユウに渡そうとしたけど、拒絶されてしまった。

 パラリュスの平和のためには、水那さんを救い出すことがまず先決だからって。

 自分にくれるのは、それが終わってからでいい。それまではもたせてみせるからって。

 でも、あれからカンゼルの資料を読み漁ったけど……それと比較しても、ユウの老化は思いのほか進んでいた。

 このままでは……ユウは、もたない……!


「――ふん」


 ミリヤ女王の不機嫌そうな声が聞こえた。


「アレは……今、母上が厳重に管理しておるから外には出せぬ。王宮の図書館の奥に、大切に仕舞われておる」

「アメリヤ様が……」


 やはり駄目か……。

 そうよね……テスラの平和とは関係ない、個人的な事情だものね。

 そう思ってうなだれていると、ミリヤ女王がチラリと私を見た……ような気がした。


「われの娘……ルレイヤは12歳になった」


 急に話が変わって、私はちょっと面食らってしまった。


「え……?」

「母上はその指導で忙しい。そろそろ本格的な教育が始まるからの」

「そう……ですか……」


 アメリヤ様が引退したら、今度はルレイヤ様が女王を支えなければならない。そのための教育。

 そうよね。女王の一族は強い意思のもと、自分を律し、厳しい日々を送っていらっしゃる。

 エルトラと……今はフィラも、守るために。


「だから母上は、王宮の図書館の整理が追いつかないとぼやいておった。母上はかなりの完璧主義者だから、時間がかかっておるようだ」

「……」


 王宮の図書館……。

 確かに、アメリヤ様と面会するときはいつも図書館だった。本当にお忙しそうで……。


「人手が必要なのだが……母上は気に入った人間しか図書館に入れたがらなくて困っておるのだ」

「え……」


 私は思わず顔を上げた。

 ミリヤ女王は私をじっと見つめた。ゆっくりと口を開く。


「アサヒがテスラに来るのなら……時折訪れて、図書館の整理を手助けしてくれぬかの。それに……貴重なゆえ、勝手に持ち出すことは許されぬ。不届き者がおらんとも限らんからの。……見張りも必要なのだ」


 一言一言、私にきちんと言い聞かせるように。


「……道具……」


 呟いて、はっと息を飲んだ。

 管理しているのはであるフェルポッドであって、中に入っているフェルティガではない。

 だから、フェルポッドの持ち出してもいい……そういうこと?

 だって、そんなことができるのは……私しかいないもの。


 私の瞳に光が灯ったのがわかったのか、ミリヤ女王はくっと口の端を上げた。


頼めないことなのだが、どうだ?」

「私……やります! やらせて下さい」

「――そうか」


 満足そうに頷くミリヤ女王に、私は深く頭を垂れる。

 ミリヤ女王の好意に……ボロボロと涙をこぼした。思わず両手で顔を覆う。


「われは仕事を言いつけただけだ。何を泣いておる」

「だって……いえ……そうです……よね……」

「それに……われは、ユウディエンをいたく気に入っておるのだ。……何度もそう申したであろう?」

「ふふっ……」

「……という訳で、1日ぐらい貸してくれぬかの」

「それは……嫌です。1日1日が貴重ですから」

「ふん……この恩知らずが」


 ミリヤ女王はそう言うと、扇で私の額をちょっと小突いた。



 ――この女王との謁見は……私とミリヤ女王、二人だけの秘密となった。

 神官のエリンは……この記憶を自ら消してしまったから。



 ――ねぇ、ユウ。

 私は相変わらずユウの言うことを聞かなくて無茶苦茶かもしれないけど……ああすればよかった、っていう後悔だけはしたくないの。

 ユウのためじゃなくて……今回は自分のために勝手なことしちゃったね。

 でも……そんな自分は、嫌いじゃないよ。


   * * *


「はー……最後の日なのにこんな時間じゃ、送別会もできないですねぇ……」


 夜の10時。武田さんが真っ暗な空を見上げながら残念そうに呟いた。

 どうにか引き継ぎをし、この会社での最後の仕事が終わった。

 私は武田さんと斎藤さんと一緒に会社を出た。


「遅くまで付き合わせてごめんなさい。今まで、本当にありがとう」


 私はぺこりと頭を下げた。


「これ……やる」


 不意に、斎藤さんが持っていた紙袋を私に渡した。


「これは……?」

「花だよ。見りゃわかるだろ」


 中を覗くと……それは生花ではなくて、プリザーブドフラワーという、ずっと飾っておける、小さくて綺麗な花束だった。

 大きな青い薔薇……それと、小さな白い薔薇やつぶつぶの丸い珠、水色のリボンで飾られている。


「もう、斎藤さんったら渡し方が雑だなぁ。それに私はねぇ、上条さんなら絶対、赤だって言ったんですよぉ」

「俺はこっちの方が好きだけどな」

「斎藤さんの好みで選んでどうするんですかー」


 青……女神テスラの瞳の色。

 自然には存在しない、手が加えられたその美しい青い薔薇は、どこかユウを思わせて――私は思わず涙ぐんだ。


「えっ……どうした、気に入らなかったか?」


 斎藤さんが慌てふためく。

 そんな彼を、隣の武田さんがちょっとつついて「こういうときは黙ってハンカチを差し出すんですよ」と囁いた。

 私は慌てて笑顔をつくると

「いえ、すごく綺麗で嬉しいです。ありがとうございます」

と答えてお辞儀をした。

 斎藤さんが、ポケットから出したハンカチで私の涙を拭こうとした……その時だった。


「――朝日!」


 少し離れた場所から、聞き覚えのある男の人の声が聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、濃いグレーのスーツ姿のユウが居た。


「えっ……ユウ!?」


 びっくりしすぎて、思わず固まる。

 ユウはちょっと手を振るとゆっくりとこちらに歩いてきた。


 思えば、こういうちゃんとした格好のユウを見るのは、初めてな気がする。

 グレーのスーツはユウによく似合っていた。左手にはコートを、右手には花束を持っている。

 そしてなぜか、銀ぶちの眼鏡をかけていた。でも、そのおかげで30歳近く――つまり、私と釣り合う年齢には、見える。


「迎えに来た。はい、お仕事お疲れさま」


 ユウはにっこり笑うと、手に持っていた花束を渡してくれた。

 生花だった。とてもいい香りがする。

 赤やピンク……暖色系の色とりどりの可愛い花が、白いカスミソウに包まれていた。

 私をイメージしたものなんだろうと、すぐにわかった。


「わぁ、素敵な旦那さまですねぇ! 初めましてー」


 武田さんはちょっとはしゃいだ声を出すと、ぺこりとお辞儀をした。つられて斎藤さんもちょっと慌てたように頭を下げる。


「ユウ……この人達は、私の会社の人。最後まで一緒に仕事をしてくれて、見送ってくれるところだったの」

「そうなんだ。……朝日がお世話になりました」


 ユウもちょっと頭を下げた。

 昔に比べると、本当に柔和になったな……と、思う。


「いや……俺は、何も……」


 斎藤さんは相変わらずへどもどしている。武田さんは

「日本語お上手なんですねぇ」

と言って楽しそうに笑っていた。


「斎藤さん、武田さん。……今まで、本当にありがとうございました」


 私はもう一度お辞儀をした。


「じゃあ、私……もう行きますね」

「はぁい!」

「……元気でな」


 二人が手を振る。軽く会釈をして……私はユウと並んで歩き出した。


「あの男の人……」


 ユウが何か言いたげに少し後ろを振り返った。


「斎藤さん? 私の先輩で、いつもフォローしてくれてたの。それよりいつこっちに来たの?」

「昨日。ちょっと遠くの場所……アキタ、だったかな? だから瑠衣子さんに電話をして、いろいろ手配してもらって……ちょっと休んでから移動して……今日の昼にこっちに着いた」

「じゃあ、その格好はママが?」

「うん。買い物して。夜、暁と三人で瑠衣子さんのお店でご飯を食べた。朝日、遅くなるって連絡来てたし」

「ああ……うん」

「……で、瑠衣子さんが朝日を迎えに行ってあげなさいって言って会社の近くで車から下ろしてくれた。あ、花は自分で選んだよ」

「そっか……ありがとう……」


 会話しながら、チラチラとユウを見上げる。

 ちょっと、信じられないぐらいカッコいい。すれ違う人がみんなユウを見ているのが分かる。


「……ん? やっぱり変だった?」

「そんなことない! 逆にちょっと素敵過ぎて……緊張するの」


 最後の方は小声になってしまった。思わず俯いてしまう。

 花束を抱えて匂いを嗅ぐと……少しは落ち着く気がした。


 ユウは立ち止まってまじまじと私を見たあと

「やっぱり朝日は可愛いよねー!」

と言って私を抱きしめた。


「ユウ……ちょ、往来……外だから! 人目が……!」

「暁によーく言っておかなきゃ。悪い虫がつかないように追い払ってねって」

「……こんな余裕がない子持ちの女なんて、誰も相手にしないわよ……」


 どうにかユウを引き離してそれだけ言うと、ユウは「うーん」と唸って首を捻った。


「鈍感なところは全然成長してないよね」

「それは……お互い様だと思う……」

「んー……そうかな」


 ユウは全然ピンとは来ていないようだったけど、今日は機嫌がいいから、細かいことはどうでもいいらしい。


「朝日、デートしよう。よく考えたら俺、男の姿で朝日と一緒にミュービュリの街を歩いたの、あの日以来なんだよ」


と言ってにっこり笑った。

 あの日……夜斗の誕生日プレゼントを買いに行って、そのあと軽井沢の別荘に行った日だ。


「そう言えば……そうだね……」


 やっとそれだけ言うと、私はちょっと俯いた。

 ――切なくなってしまったから。


 夕陽を見て、ユウが告白してくれて、そして……。

 それまでの人生で、一番幸せな日で――これからも、そんな幸せがずっと続いていく。

 そう信じきっていた――幼かった、私。


「でも、今から?」


 私は気を取り直して、時計を見た。――午後10時11分。

 結構夜も更けている。

 ママや暁が心配しないかな、と思っていると、ユウが

「瑠衣子さんから伝言。――今日は帰って来なくていいよ、だって」

と耳元で囁いた。


「かっ……」


 言葉に詰まって、思わず真っ赤になる。

 ユウはそんな私を見てちょっと微笑むと、私の手を掴んでぎゅっと握りしめた。


「――行こう……朝日」



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