18.朝日の涙(2)

 この小さな島で――ドゥンケは気が遠くなるほどの長い年月を、独りで過ごしている。

 ――『わたしの国』のはずなのに。


「……ドゥンケ」

「何だ」

「ここで何をして暮らしているの?」

「……」


 ドゥンケは返答に困ったらしい。しばらく考え込むと

「――見せてやる」

とだけ言って私を抱え上げた。

 再び背中に翼を生やすと、空高く舞い上がる。


 ちょっと驚いたけど、黙っていることにした。ドゥンケに抱きかかえられたまま、辺りを見回す。

 背後の山の頂……わずかに平らな場所がある。


「あの場所で休むことが多い」

「そうなんだ……」


 そこから山を越えると、夢で見た風景と近い感じの平原と海辺が見えた。

 どうやら、人々が暮らしている場所のようだ。動き回っている人達が小さく見える。

 平原から山へと続く道……そのてっぺんに、木々に囲まれた少しの空間がある。


 ドゥンケはその場所にひらりと舞い降りた。

 隅の方に、木材が縦横に組まれた柱と屋根しかない粗末な建物がある。もうボロボロで、雨だけならどうにか凌げそうだ。

 そして屋根の下に、木で作られた粗末な祭壇があった。

 前には机みたいなものが置かれていて、果物や干し肉、芋が積んである。


「これは?」

「わたしへの奉納品だ。一番最初に収穫されたものをヒトが捧げに来る」


 その辺りは何か神様っぽいな……。


「食べるの?」

「食べなくても死にはしないが、力になる。だから食べる」

「ちゃんとお礼、言ってる?」

「オレイとは?」

「ありがとうって伝えることよ」

「アリガトウ?」

「……」


 どう説明したものかな……。

 ふと、私は木々の上の方にあるオレンジ色の実を見つけた。


「ドゥンケ、私をあの木の実のところに運んでくれる?」

「……構わぬが」


 ドゥンケは私を抱えると、再び翼を生やして飛び立った。

 そしてオレンジ色の木の実の近くまで運んでくれた。私が手を伸ばして木の実を取ったのを確認して、ドゥンケは再び地面に舞い降りた。


「ありがとう、ドゥンケ」


 精一杯の笑顔で言うと、ドゥンケが一瞬変な顔をした。

 けれど、

「……ああ。労力に感謝する、ということか」

と呟いた。


「まぁ、そうね……。とにかく、自分のために誰かが何かをしてくれたら、ありがとう、よね」

「それが……ヒトか」

「うん」

「ヒトは面倒臭い生き物だ。なれるものならば、わたしは神になりたい。神になれば、あの結界も通り抜けられる」


 そう言うと、ドゥンケは白い空を見上げた。

 その様子は、何だか捨てられた子犬のようだった。


「神なら、貰うばかりでなく……与えなきゃ」

「む?」


 ドゥンケは私の方に振り返ると、またよくわからないことを言う……というように、眉をひそめた。


「私が知っている神は……知っているって言っても話を伝え聞いているだけだし、女神さまだけど。人を創り、国を造り、民を助け、恵みを与え……静かに見守っている」

「……わたしの造った国ではない。恵みも与えられん」

「でも、民を助けることはできるでしょう?」

「ヒトは、この場所にもわたしがいない間に来る。ヒトは、わたしを恐れている」

「……」


 私は奉納品をじっくりと見てみた。

 果物などはきちんと磨かれていて、美味しそうだ。

 芋類も、土を落として綺麗に盛られている。

 ここに住んでいる人達とドゥンケの関係性は今いち見えないけど……嫌われてる訳ではないのよね、きっと。

 でも……何千年もの間、ドゥンケはそうやって無関心に過ごしてきたんだものね。

 人々に関心をもつこと。……これが、最初の一歩かも。


「これらのものがどうやって作られているかは知ってる?」

「知らん」

「じゃあ、見に行こうよ」

「む……」


 ドゥンケはますます険しい顔をした。


「遠くから眺めることはあるが、近寄ることはせん。……怯えるのだ」

「私が一緒にいれば、怖がられないよ。近寄って大丈夫なんだ、って思うから」

「う……む……」

「さ、早く」


 私は無理矢理ドゥンケに飛びついた。

 ドゥンケはしばらく唸っていたけど……諦めたように溜息をついて、空に舞い上がった。


 平原、海辺……人々が暮らしている様子が見えた。

 海に潜っている人。畑を耕している人。その横で、子供たちの面倒を見ている人。

 ただ、高すぎて人が小さくしか見えない。


「ドゥンケ、もう少し下に行かないとさっぱりわからないよ」

「……むむ……」


 そのとき……すぐ下の森の中で、何かが動くのが見えた。

 見ると、ここにも集落があるようだった。

 その外れの林で、男の人が木を切っている。そばにはたくさんの人がいて、木を運んだり組み立てたりしていた。


 少し離れた場所で遊んでいた子供たちが、私たちに気づいた。とても驚いた顔をしている。

 そして口々に何か叫ぶと、外れの方に向かって走っていった。

 ……やっぱり、怖いのかな。

 そう思いながら子供たちの行き先を見て……息を呑んだ。


「――危ない!」


 思わず叫んだ。さっきの男の人が手掛けていた木が、根元から折れてゆっくりと傾きだしている。

 このままでは、子供たちの方に向かって倒れてしまう……!


「ドゥンケ、ごめん!」


 私はドゥンケの身体を突き飛ばすと、宙に身を投げ出した。――物凄いスピードで落下していく。


「なっ……」


 ドゥンケの慌てたような声が遠くから聞こえたけど、構ってられない。

 私は身を翻すと、地面に降り立った。


「木、危ない! どいて!」


 突然上から降って来た私に、人々が驚いて道を開けた。

 すぐさま足に力を込め、真っ直ぐ前に向かって飛ぶ。

 切られた木が、ゆっくりと倒れて行く。

 三人ぐらいの子供が、足がすくんで動けなくなっている。


「……くっ!」


 木の落下地点に入ると、私は両腕を突き出して、倒れてきた木を受け止めた。

 土埃が舞う。子供たちの泣き声、大人たちの喚き声が飛び交う。


 ……でも、どうにか間に合った……はず……。


 木を支えながら後ろを振り返ると……子供たちはもういなかった。

 ふと上を見ると、ドゥンケが苦虫を噛み潰したような顔をしながら三人の子供たちを抱え、宙に浮いていた。

 どうやら私のやろうとしていることがわかって、咄嗟に子供たちを助け出してくれたようだ。

 私はホッと息をついて木を地面に下ろした。


ぬしさま……あの……」


 三人の女の人がおろおろしながらドゥンケを見上げている。

 ドゥンケは地面に舞い降りると、黙って子供たちを下ろした。


「わーん!」

「ママー!」

「……」


 二人の子供が泣き叫びながら母親にすがりつく。

 だけど……残った一人の男の子だけは、じーっとドゥンケを見上げていた。

 慌てた母親が、男の子の手をぐいぐい引っ張る。


「こら、テオ! 主さまをそんなに見つめては……」

「あの……ドゥンケ、怖いのは顔だけですよ」


 私が言うと、母親がギョッとしたように私を見た。


「ドゥン……?」

「皆さんが主さまと呼んでいる……」


 私は仁王立ちのまましかめっ面をしているドゥンケを手の平で指し示した。


「この人の名前です」

「……」


 母親はまだビクビクしていたけれど、テオと呼ばれた男の子はじーっと私とドゥンケを見つめていた。

 私は男の子にちょっと微笑むと、ドゥンケの方に振り返った。


「ドゥンケ、ありがとう! 間に合わなかったらどうしようかと思ってたから」

「うむ。それより、アサヒは本当にヒトなのか?」

「一応、そうなんだけど」

「……解せん」

「ちょっと……特別なの」

「……」


 それでも安心したのか、ドゥンケは元の無表情に戻っていた。

 大勢いる民は、私達を遠巻きに眺めている。

 まあ、今まで遠くで崇めていたドゥンケがいきなり目の前に現れたら、やっぱり怖いよね。


「じゃ、行こうか、ドゥンケ」

「うむ」

「あの……さま!」


 可愛い声が聞こえた。さっきから、怖がらずにじっと私達を見つめていた男の子だ。

 母親が「こら、テオ!」と小声で叱っている。


「……ドゥンケだが」

「ドン……ケ?」

「……」


 面倒になったらしいドゥンケが黙りこむ。

 男の子はニカッと笑うと

「ドンケさま、お空を飛んだの、楽しかった。ありがとーございました」

と言って、ぺこりとお辞儀をした。


「……うむ」


 ドゥンケは無表情のまま頷くと、私を抱え……そのまま振り返らずに飛び上がった。


 ……ひょっとして、照れてるんだろうか……。表情からは全くわからないけど……。


 しばらく沈黙が続いたけど、我慢できなくなった私は

「よかったね、ドゥンケ」

と言ってみた。


「……うむ。――何がだ?」


 頷いておいて……と思ったけど、ドゥンケも自分ではよくわかっていないのかもしれない。


「怖がらない人もいたね」

「……子供は、たまにいる。ただ、親が怯える」

「そっか」


 でも……今日のこれが、ドゥンケの日常が変化するきっかけになればいいけどな。


「――アサヒは、どこから来たのだ」


 ドゥンケが、低い声で聞いた。

 最初に聞いた時とは違う……強い意思のこもった言葉だった。

 私自身のことを――本当に知りたいと思っている。


 これは適当に誤魔化すべきじゃない。

 だけど事細かに説明する訳にもいかないと考えて、私は

「ここじゃない、違う世界から」

とだけ答えた。


「……違う……世界……」

「私しか……多分、行き来できないの」


 だからドゥンケをこの世界から連れ出すことは、私にはできない……。

 直接伝えるのが難しくて、私は少し遠回しな言い方をした。


「……」


 ドゥンケはそのまましばらく、黙りこくってしまった。


 そして……やがてふいっと降下し、私を地面に下ろしてくれた。最初に会った、崖の上だった。

 きっと、ドゥンケのお気に入りの場所なんだろう。


「そろそろ……帰らなきゃ」

「……そうか」


 無表情のままだったけど……心なしか、少し淋しそうだった。


 ドゥンケが私に関心を持ってくれたのは嬉しい。ドゥンケが変わる、第一歩だと思う。

 だけど……私がずっと、付き添っている訳にもいかない。

 ユウや、暁――みんなが待つ世界に、帰らなきゃ。


「今日は……退屈しなかった」

「そっか」

「また……会えるか」

「うん。また、来るね」


 私は力強く頷いた。


「すぐには無理だけど……必ず、来る」

「……うむ」


 ドゥンケから目を逸らし……正面の海を真っ直ぐに見据える。

 上げた右手を振り下ろした瞬間――空間に切れ目が現れた。


「……これ……は……」


 ドゥンケが驚いた顔をしていた。

 私はドゥンケを見上げてにっこり笑った。


「ドゥンケ。……今日は、ありがとう」

「……」

「また、ね」


 ゲートに飛び込む。

 振り返ると……無表情なドゥンケの表情が、少しだけ和らいでいるように……見えた。

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