4.朝日の心配(1)

「こんにちはー」


 挨拶をしながらゲートから降り立つ。

 ヤハトラの入り口付近だけど……ソータさんの気配はない。


 中平さん――ソータさんのお父さんが亡くなってから、1年が過ぎた。

 私は休日を利用してトーマくんの実家に行ったあと、ここジャスラに来ていた。


 ソータさんはフェルティガエではないし、トーマくんもフェルティガエとしてはあまり力が強くないため、二人が直接話をすることはできない。

 だから、私が間に入って二人のやりとりの手助けをしていた。

 ……とは言っても、トーマくんは遠いT県に住んでいるし私も働いてるから、そう頻繁には行き来できないけど。


 テスラの東の大地を調査しているソータさんだけど、冬は雪が降り積もるため歩き回ることはできない。

 だから冬の間はジャスラに帰って来ていると聞いていたのに……。


「――お待たせしました」


 ヤハトラの男性神官がすっと現れた。


「あの……ソータさん、ここにはいないんですか?」

「今は、デーフィのセッカさんのところに行っているようですね」

「そうですか……」


 あれ? でもゲートを繋げる前にネイア様に確認したとき、そんなこと仰ってなかった気がする。

 まずヤハトラに来てくれって……。


「――ただ、ネイア様がアサヒ様とお話をしたいということです。……こちらへ」


 神官はそれだけ言うと、さっさと歩きだした。


「えっ……それは……」


 聞き返そうと思ったけど、私の様子にはお構いなしに神官は歩き出してしまった。仕方なく、私は慌てて追いかけた。


 案内されたのは、前もお話を伺ったネイア様の私室だった。

 扉を開けて会釈をすると、ネイア様が椅子から立ち上がり、にっこりと笑った。


「ソータもおらんのに、呼び立ててすまなかったの。少し……アサヒに聞きたいことがあったのだ」

「いえ……」


 再びゆったりと椅子に腰かけ、向かいの椅子を勧められる。

「ありがとうございます」

と答えると、私はネイア様が勧めてくれた椅子に腰かけた。

 ネイア様に会うのは、黒い布の記憶を聞かせてもらったとき以来だから……1年半ぶりだ。


「お久しぶりです。以前はテスラのために、本当にありがとうございました。私も無茶を言ってしまって……」

「気にせずともよい。ソータから報告は聞いておる。事は、テスラだけの問題ではないからな」


 そう言うと、ネイア様は

「それで、さっそく本題に入るが……」

と声を潜めた。


「アサヒは女王の一族ではないが……女王のしきたりについて、何か知っておるか?」

「えっ!?」


 私はてっきりソータさんの話だと思っていたから、かなり面食らった。

 とはいえ、ネイア様にとっては重要なことなのだろう。落ち着いて考え直してみよう。確か前に、理央とフレイヤ様が教えてくれたっけ。


「えっと……そうですね。テスラでは、女王は即位すると『結契けっけいの儀』を迎えて、託宣によって選ばれた人間との間に必ず女の子を生む。そして、その時の相手の記憶は消してしまう。女王特有の託宣の力を正しく伝えるため、相手は純粋なエルトラのフェルティガエでなければならない。テスラでは孫に受け継いでいく形なので、女王の母もしくは娘が女王の補佐についている。……こんなところでしょうか」


 私が答えると、ネイア様は「ふむ」と頷いた。


「つまり、女王の系譜はしっかりと守られているということだな」

「そうですね。古文書なども王宮できちんと管理されていましたし……かなり体系的には整っているんだと思います」

「女王の一族の瞳は、みな青色か?」

「あ、そうです。私がお会いしたことがあるのは先代女王のフレイヤ様と現女王のミリヤ様。その母上のアメリヤ様ですが、みんな青色です」

「それは、女神テスラの瞳の色だ。女王は女神の分身を祖としている」

「あ……確か、そう聞いています」


 ネイア様は少し考え込むと

「フィラの人間たちは、どうなのだ? 女神テスラとヒコヤの子孫、であったな。婚姻のしきたりなどあるのか?」

と聞いてきた。


「フィラには特に力の強い三家というものがあって、多分、それが女神テスラとヒコヤの直系の子孫になるんだと思います。婚姻は……三家間の婚姻は禁じられている、ということぐらいですかね」

「ふうむ……」

「ユウと私と……あと、テスラに夜斗と理央がいるんですが、この四人がその三家の直系です」

「ん? アキラは、ユウディエンとアサヒの子供ではなかったか?」

「そうです。ユウは私の父と二人きりの生活でしたし、私はミュービュリで育ったので……二人ともその禁忌は知らなかったから……」

「なぜ禁忌なのだ?」

「子供の力が強すぎて、母体のフェルティガを奪ってしまうため、出産までもたないんだそうです。私だから、大丈夫だったって……」

「……なるほどの」


 ネイア様に話しているうちに、私の中に一つの疑問が浮かび上がってきた。


「でも……そう言えば、私達の目は青くないですね」


 女神テスラの子孫という意味では、エルトラ王家と同じだ。なのにみんな茶色。ユウや暁は赤ん坊のとき青色だったけど、やがて消えてしまう。大きな力を使った時に、青く光ることもあるけど。

 そのことをネイア様に言うと、


「それは……ヒコヤ――つまり、ミュービュリの血が混じったからであろうな」


という返事が返ってきた。だけど


「女神テスラ自身が産み……受け継いだ……」


と呟きながら、何やら考え込んでしまう。


「――あの……何か?」


 心配になって聞くと、ネイア様は少し頷いた。


「シャロットに初めて会ったとき、ウルスラの話をいろいろ聞いたのだが……気になることがあってな」

「シャロットの?」


 そのとき、近くで寝ていた二歳ぐらいの女の子が起きだした。ぐずぐずと泣いている。

 ネイア様は寝かせていたベッドに近付くと、優しく抱き上げた。

 女の子の目に溜まった涙が、瞳に映えて碧色に光っていた。


「もう起きてしもうたか、ケイト。食事の時間かの」

「んー……やっ! やっ!」

「この時期は我儘でかなわんの」


 ネイア様は微笑みながら溜息をつくと、神官を呼んでケイトちゃんを渡した。

 ケイトちゃんは暴れて泣いていたので、部屋を出て行ってもしばらく声が聞こえていた。


「可愛い……奇麗な碧色……。女神ジャスラの瞳の色ですか?」

「そうだ。ヤハトラも、結契の儀で授かるのは同じ。……これはウルスラもだ」

「なるほど……」


 頷いてから、私はふと違和感を感じた。

 ……シルヴァーナ女王とコレットは紫色だった。でも……シャロットは違う。


「……ウルスラは女王の純粋性が失われている」


 私の考えていることが分かったらしいネイア様が、そう付け加えた。


「力は強いが、正しく受け継がれなくなっているのだ。女王になれる者となれない者がいる」

「あ……」

「それがいつからなのかはわからぬが……3年前に起こった動乱は、この辺りに起因しているのであろう?」

「そうですね……シャロットからは、そう聞いていますが……」


 そうか、シャロットは女王にはなれないから……。

 女王になれない自分に何ができるかを、一生懸命模索しているのかもしれない。

 だから、あんなに急いで大人になろうとしているのかも……。


「そして――シルヴァーナ女王が儀式に失敗したということなのだが……」

「えっ! そんな、まさか!」


 私はびっくりして大声を出した。

 確か理央が、女王は失敗することはないって言っていた。

 強い意志があるから、必ずその身に宿すことができる。これは、フェルティガエの特徴でもある、と。


「確かに……まさか、だ。長いジャスラの歴史の中でもそのようなことは聞いたことがない。おそらく、テスラもだろう」

「……」

「失敗した理由はわからぬが……シャロットは自分が役目を全うするからいいのだと言っていた。自分が頑張るから、女王はトーマと幸せになって欲しい、と」

「トーマくん……と?」

「ソータも言っていたが、そういうことらしい」

「でも、トーマくんは2年半前の動乱の記憶を失っているそうですが……」

「何だと? ……そうか、複雑な事情とはそういうことか」


 そう呟くと、ネイア様は再び何か考え込んでしまった。

 

 んーと……ちょっと待って。

 本来、シルヴァーナ女王は結契の儀を迎えて子供を生むはずだったけど、できなかった。

 そして恐らく、それは単なる失敗ではなく、もう望めないことなんだろう。

 今のままでは、女王になれるのはコレットしかいない。


 シャロットは、自分が女王を継ぐ子供を産んでみせると……そういう覚悟を、もうしているということ?


「……まだ……11歳なのに……」


 私が呟くと、ネイア様はふっと微笑んだ。


「そなたとは違う。生まれた時からずっと王宮の中で暮らし、ウルスラの王女として生きてきたシャロットだ。覚悟は当然、必要だ」

「そう、ですね……」


 理央から女王の儀式の話を聞いた時も思った。

 女王はとても特別な存在で……そして、唯一無二の孤高な存在なんだと。

 女王の一族として生まれたからには、その宿命からは逃れられない。他の道を選ぶことは、絶対にできないんだって。

 私が感傷的になっていろいろ思うのは、逆にとても失礼なことなのかもしれない。

 だからシルヴァーナ女王は、トーマくんの記憶を消してまで遠ざけた……。


「ただ……前にこの話をシャロットがしたとき、シャロットはまだ幼く、儀式のこともあまり把握していなかった」

「そう……ですよね……」

「しかしシャロットももうすぐ12歳になろうとしている。12歳となると、フェルティガエとしては子供の時期を終えたことになる。そろそろ本当のことを知らねばならん。しかし……今のウルスラには、若い彼女たちを補佐する大人の女性がおらんのだ」

「……あ……」

「聞けば、シャロットの母はすでに亡く、シルヴァーナ女王の母は病に倒れ、殆ど口もきけぬという。わらわが心配しているのは……そこなのだ」


 ネイア様は私をじっと見つめた。眉が下がり、碧の瞳が物憂げに沈んでいる。


「本来なら、その者たちが心構えなり女王の血族としての意識なりを教え、導くのだろう。しかし、今のウルスラには誰もおらん」

「……」

「シャロットが実際に年頃になったとき、いろいろ思い悩むかも知れぬ。それに、子を産めなかったシルヴァーナ女王も……苦悩しているのかも知れぬ」


 ネイア様は私の手を取ると、頭を下げた。


「立場は違うが……彼女たちを支えてやってはくれぬか。同じ女性の……唯一各国を渡ることができる、アサヒにしか頼めないのだ」


 ネイア様の銀色の髪がさらさらと流れ落ちている。

 慈の女神ジャスラの意思を受け継いだ……とても強く――優しい人だ。


「……わかりました」


 私はネイア様の手を強く握り返した。


「とりあえず、二人と話してみます。そしていろいろ調べて……彼女たちが困ったときや不安になったとき、相談してもらえるような存在になりたいと思います」

「――頼む」


 ネイア様はそう言うと……ちょっとホッとしたように微笑んだ。


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