2.ソータの気がかり(2)
「そうだよな……こればっかりはな……」
独り言を漏らすと、俺は
シャロットの言いたいことも分かる。
だけど……トーマがウルスラに来て、何をする? ただ、女王の傍にいるためだけに生きていくのか?
自立心旺盛なトーマがそれで満足するとは思えないな。
「あれー? この辺に居るって聞いたのに!」
急に頭上から声が聞こえ、ゲートから朝日が現れた。近くの地面に降り立つと、辺りをきょろきょろと見回す。
「……あ、そうか。
そう呟くと、朝日は目を閉じて何か祈り始めた。途端に、俺の身体の表面から何かが剥がれ落ちていく感覚がする。
「……あ、ソータさん、見っけ」
「お前……触らなくても吸収できるようになったのか?」
「うん、そう。最近ね。暁と一緒に修業してるから。でも無防備な相手にしか効かないし、かなり集中しないと駄目だけどね」
「……何か、コワい……」
「失礼ね」
朝日は少し憤慨しながら、担いでいたリュックを下ろした。
「ところで、俺はまだ調査の途中だぞ。野宿しながら少しずつ進めてるんだ。
「ユウがね、今日はエルトラに戻ってきてって言ってたの。ここ1か月、ずっと寝袋でしょ?」
「もう暖かいからな」
「身体壊しちゃうわよ。もうすぐ夜だし、ユウがサンで迎えに来るって。それまで休憩しながら、一緒に待とう?」
「えー……」
「そんな嫌そうな顔をするなら、ミュービュリの差し入れ、あげないよ」
そう言うと、リュックから何やら取り出す。……何だか懐かしい匂い……。
「――それ……」
「せっかく『タコ助』のたこ焼、買ってきたのに」
「やっぱり! くれ!」
「……命令?」
「……俺が悪かった。感謝してるから、たこ焼ください」
「もう……」
朝日はしぶしぶ俺にたこ焼を渡してくれた。
『タコ助』は大学時代に住んでいたアパートの近くにあった店で、そこのたこ焼は俺の大好物だった。
しょっちゅう買い食いしてた、という話をしたのを覚えていたのだろう。
朝日って、そういうところイイ奴だよな。細かいことも聞き逃さないというか。
……でもそれにしちゃ、全然人の話を聞いてないときもあるけどな。
「いっただきまーす」
俺は地面に座ると、いそいそと蓋を開けた。とたんに、ソースと鰹節のいい香りが漂う。
そうそう、この表面カリッ、中がトロトロが最高なんだよな。出汁の風味も感じるし、タコも大きい。やっぱり美味いなー。
そんな俺の様子を満足そうに眺め、朝日は
「そんながっつかなくても」
とちょっと笑っていた。
俺の隣に座り、再びリュックをゴソゴソと漁り始める。
「あとは……あ、ソータさんが愛読していた漫画は完結してたよ」
「そうなんだ」
「でも、もう絶版になってた」
「マジか!」
「マニアック過ぎたんじゃない? 電子書籍ならあったから、スマホに入れておいた」
「サンキュ」
朝日がスマホを俺に渡す。そして
「でもこれ、絶対こっちの人に見られないようにしてね」
と妙に緊迫した表情で言った。
「へ?」
「私、ミュービュリの物は極力、テスラに持ち込まないようにしてるの。ユウの部屋に置いていたアルバムぐらいかな。でも、あの部屋も私とエリン以外は入れない部屋だったから……暁にもミュービュリにしかない物の話は絶対するなって言い聞かせてるの」
「ふうん……何で?」
たこ焼をもぐもぐ食いながら聞くと、朝日はちょっと空を見上げて「どう言えばいいかな」と呟いた。
「えっと……んー……外来種ってあるじゃない。その場になかったはずの物が持ち込まれて、影響を与えて……本来の生物――在来種が絶滅するっていう」
「ああ……何か聞いたことがあるような」
「ああいう感じで、こっちの世界に関与して……極端な話、フェルティガエがいなくなるとか、そんな事態を引き起こす可能性だってある。何がどう影響するかわからないから、異世界とはしっかり線引きしないとね」
「まあ……」
考え過ぎなような気もするけど、わからなくはない。
ミュービュリは――日本は、こっちの世界よりずっと機械的で、便利なものがたくさんある。
自然を大切に、周りから力を貰って生きているこっちの世界とは全然違うから。
「朝日は、将来的にどうするつもりなんだ?」
「どうって?」
「いつか、こっちの世界に移住するつもりなのか?」
「あ……そういう意味ね」
頷くと、朝日はしばらく黙りこくってしまった。
昔――ユウが長い眠りに着く前は、ユウがミュービュリに行くつもりだったそうだ。
でも、あんなことになって……朝日と暁だけでミュービュリに帰ることになり――朝日の母親がミュービュリに居ることもあって、二人の生活の基盤は今もあっちにある。
そして十年後、再び目覚めたユウは、フェルティガエの指導者としてパラリュスで生活している。
最初は水那を助けるために俺が頼んだことだが……今は、それが自分の使命だと感じているようだ。
大学院を卒業した朝日は、今は企業の研究室で働いている。そして仕事のない週末だけこっちに来ている状態だった。
カンゼルの研究資料については、その合間に読み進めているらしい。
「最終的には、そのつもり。でも、暁もまだ小6だし……せめて高校を卒業するまではあっちに居た方がいいのかなって。マ……母もいるし」
「でも、朝日はゲートを自由に行き来できるんだろ? こっちで生活して、必要に応じてミュービュリに戻るって形でもあんまり変わらないような気がするが」
「んー……そうなんだけど……」
朝日は深い溜息をついた。
「とりあえず、カンゼルの資料に全て目を通して……こっちで私に何ができるかがちゃんと見えるまでは、ミュービュリにいようと思う。私、ずっと母に甘えてばかりだったし。お金の問題じゃないんだろうけど……しばらくはちゃんと働いて返したいの」
「ふうん……」
「でも、何で? ユウが何か言ってた?」
「いや、何も」
ちょうど1年ぐらい前に目覚めてしばらくの間は、ユウは朝日がいないとかなり淋しそうにしていたし、口に出していた気がする。
だけど、ここ最近はそういうことはないな。フィラの子供たちやシャロットの指導に忙しそうだ。
「そう……。私もね、ユウを見てて……言わないんじゃなくて、もうそんなことは考えてないって感じがして、少し気には……なってたの」
そう言うと、朝日はちょっと声を潜めた。
「……ひょっとして、飽きられたのかな? 誰か、他に好きな人がいるのかな?」
「ぶっ!」
俺は口に入れていた最後のたこ焼を吹き出しそうになった。
よりによって俺に恋愛相談を持ち掛けるとは!
しかも全然見当違いなこと言ってるし!
「なっ……おま……」
「ソータさん、もしかして何か知ってるの!?」
「アホかー!」
「何よ!」
「あいつが今さら他の女で心が動くかよ!」
「……だってね。これは、暁から聞いて初めて知ったんだけど」
朝日はいたって真剣な顔で俺を見つめた。
「パラリュスの人……特にフェルティガエはね、ミュービュリの人とあんまり波長が合わないんだって」
「……へ?」
「個人差はあるらしいけど……居心地がすごく悪いらしいの。私は感じたことないんだけど。暁はそのせいでね、ミュービュリの……特に女の子には対応がキツいのよ。何か、あんまり関わり合いたくないらしいの」
「ふうん……」
「水那さんはどうだったの?」
「んー……」
ミュービュリでの水那を見ていた期間はかなり短かったけど……確かに、クラスの誰とも喋ってはいなかった。
俺はてっきり家の事情とか、母親を亡くしたこととか、そういうので心を閉ざしていたんだと思っていたけど……ひょっとして、雰囲気的にどうしても馴染めなかったのか?
そう言われれば……セッカやホムラには、意外と早く打ち解けていた気がする。
「確かに……そうかな? ジャスラの方が過ごしやすそうだった気は……」
「……だからね。ユウもこっちで生活してみて……誰か心休まる人が現れて……」
「ないない」
全くアホらしい。
右手をパタパタ振って否定してやったが、どうやら「マトモに話を聞いてくれない」とでも思ったのか、朝日がジトッとした目で俺を睨んだ。
「何で言い切れるのよ」
「だからさっきも言っただろ。お前みたいなキテレツな女がいいと言っている人間が、今さら普通の女で満足できるかよ」
「何かひっかかる言い方するなあ……」
納得できないのか、朝日の顔がますます険しくなる。
おかしいな、俺は至極真っ当なアドバイスをしていると思うのだが。
「それに、夜斗も何も言ってないだろう。ユウが怪しければ、お前に忠告ぐらいするんじゃないのか?」
「……そう言われれば、そっか」
これならどうだ、と夜斗の名前を出してみると、朝日は今度は妙に素直に頷いた。
「そうよね。夜斗ならきっと教えてくれるだろうし……そうなる前に、何か手を打ってくれるかも」
「……随分信頼してるんだな」
初めてテスラに来た日、俺はしばらく夜斗の部屋に匿ってもらっていた。
そのときにユウと朝日、夜斗の関係についてはだいたい聞いたが……。
俺から見た夜斗は……面倒見がいいし、気が回るし、そして何よりそれを相手に気づかせないという……何と言うか、非常に大人だな、と思った。
だから、実際のところ何を考えているのか、夜斗自身は何をしたいと思っているのかは全くわからなかった。
「……そうだね。信頼……というか、夜斗はすごく大事」
朝日が空を見上げた。
ちょうど……白い昼が終わりを迎え、藍色の夜に変わったところだった。
「夜斗がいたから、私とユウは通じあえた。ミュービュリで暁を育てている間も、困ったときに助けてくれたのは夜斗だった。今も、そう。夜斗がいなければ、私もユウもこうしてテスラで快適に過ごすことはできないと思う。だから、すごく夜斗には感謝してる。私にとっては……特別な存在」
「……ふうん……」
「それに、ユウにとっても……夜斗は、特別だと思う」
「そうなのか?」
「うん」
朝日は力強く頷いた。
「ユウはね、物心ついた時には私のパ……父親と二人っきりの生活だったの。そのあとミュービュリに来たけど、全然馴染まなくて。話すのは私しかいなかったの」
「ふうん……」
「多分、ユウもミュービュリでは居心地が悪かったんじゃないかと思うの。その中で夜斗と知り合って……味方になってくれて。だから、ユウが素直に話せるのって――私と夜斗ぐらいしかいなかったのよ。そもそも……接してきた人間の数がものすごく少ないから」
「そうなのか……」
「でも、出会ってすぐにソータさんに懐いたでしょ? 結構びっくりしちゃった」
「懐いた……って、あれが?」
かなり乱暴に扱われたけどな。人の意見なんかお構いなしだし。
「ユウって、表面を取り繕うクセがあるの。警戒している間は近寄らないし、話しかけられても当たり障りのないことしか言わない。これ……私に対しても、たまにそうなるの。何か思うことがあるときはこのクセが出るのよ。だから、あれだけ遠慮なくソータさんに接するっていうのは、かなり懐いてる証拠ね」
「……あまり嬉しくないぞ……」
「ふふっ……。あ、ユウだ」
朝日は立ち上がると、空に向かって手を振った。
見ると、飛龍のサンが藍色の空の中、こちらに向かってくるところだった。
「だからね」
朝日は俺の方に振り返ると、少し微笑んだ。
「ユウのこと、よろしくね。ユウがやり過ぎたら、遠慮しないでガンガン文句を言っていいから。多分、その方が嬉しいだろうし」
「そんなもんかな……」
藍色の空を仰ぐ。サンの背中から身を乗り出したユウが、にこにこ笑いながら手を振っていた。
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