第2部 まくあいのこと。

第1章 惑う人々

1.ソータの気がかり(1)

 エミール川の東側の川岸――俺は遠くのキエラ要塞を眺め、溜息をついた。

 俺がパラリュスに帰って来てから、半年――もう、7月になっていた。

 テスラの空は全てを吸い込むかのように真っ白で、光が優しく溢れている。


 しかし……その光が降り注いでいるはずの要塞だけは、どんよりと暗い。

 エルトラのフェルティガエにより障壁シールドされてはいるが……闇は一層、濃くなっているように感じた。


 増えたという訳ではなく、封じていたものが外に出ようと暴れているのだろう。もう一度きちんと障壁シールドした方がいいと伝えた方がいいかもしれない。


 もう一度溜息をついて、腰に差している神剣みつるぎを見つめる。

 ……ふと、ミュービュリから帰って来た時のことを思い出した。


   * * *


 トーマの掘削ホールでウルスラに戻ってきた俺は、すぐにシルヴァーナ女王と会った。

 俺より一足先に戻っていたユウから事情を聞いていたらしい女王は、

「……あの……何と言ってよいか……」

と言って何やら口ごもっていた。

 俺にかける言葉に苦慮しているようだった。


 多分、素直に心配しているというか、気の毒に思っているんだろうけど、こういうときは、むしろその話題に触れないでもらった方が助かるんだがな。

 ……まぁ、女王自身が若いし、無理か。女王の母親も伏せっているという話だしし、他人事には思えないのかもしれない。

 それにトーマも、精神的に不安定なところがあるから心配だと言っていたしな。


「いや……それより、これ」


 俺は背負っていた神剣を女王に見せた。


「鞘は無事に手に入れた。それでこれ、このまま俺が持っててもいいか?」

「ええ、それは勿論」


 俺の様子に安心したのか、女王がホッとしたように息を漏らした。


「これから必要になるんですよね?」

「んー……水那を助けるのと……あと、テスラの闇をどうにかするのに、必ず使うと思う。この中には女神ウルスラの闇も封じられているから、手元に置いておきたいんだ」

「ソータさんが本来の持ち主ですから、ウルスラとしては構いません」


 シルヴァーナ女王は深く頭を下げた。


「私にできることがあれば、何でも仰ってください」

「ありがとう。それで、ユウって今はこっちに居るか?」

「えっと……昨日、テスラに戻ったそうです」

「そっか、行き違いか……」

「でも、シャロットに会ってもらえませんか? ソータさんに話したいことがあると言っていたので……」

「ふうん?」

「今、案内をさせますね」


 そう言うと、女王は神官に合図をした。俺の傍に一人の男性神官が近寄り、お辞儀をした。

 俺は女王に軽く手を上げると、神官に案内してもらって大広間を出た。


 シャロットは、相変わらず東の塔にいるようだ。

 ネイアが視た黒い布の記憶によれば、古文書を調べても肝心なことは出て来ないはずだろ? 意図的に失われたってことなんだから。

 なのに……何でだろうな。


 ちなみに今は、古文書の研究はやめてもっぱらフェルティガの修業に時間を割いているらしい。

 部屋に入ると、シャロットが本を読みながらのんびりとお茶を飲んでいる所だった。


「あ、ソータさん」

「久し振り。勉強か?」

「うん。ユウ先生に貰ったの」


 見ると、それはパラリュスの書物ではなく、日本の本だった。ひらがなばっかりの、幼児向けの本のようだ。


「ももたろう……?」

「そう。ミュービュリって面白いね。こういう娯楽の本もあるんだね」

「まあ……」

「ニホンゴが読めるようになりたいって言ったらね、アサヒさんが持ってるからって言って貸してくれたんだ。最初は難しかったけどね、ひらがなはもうだいぶん読めるようになったの」

「へえ……」


 シャロットは根っからの勉強好きなんだな。賢いし。

 何だか、シルヴァーナ女王とシャロットのワンセットでウルスラの王家は成り立っているのかな、という気がする。


 感心して頷いていると、シャロットは俺をちらりと見てから神官に何か合図をした。

 部屋にいた神官と、外に控えていた神官がいなくなる気配がした。


「……人払い?」

「まあね。それより、前と恰好が違うね」


 シャロットは立ち上がって俺の傍に来ると、ジロジロと俺を見回した。


「ミュービュリの服だからな」

「そうなんだ……。――ところでさ」


 シャロットがじっと俺を見上げた。


「――トーマ兄ちゃん、記憶が戻ってるでしょ」


 いきなり言うので、俺はギョッとしたが慌てて顔を作った。

 俺からバレる訳にはいかん。


「いや、俺は知らんが……」

「……」

「……何でそう思うんだ?」

「私、カマかけたの。穴を開ける力はいつか消えるよ、シルヴァーナ様に会えなくなるよって」


 シャロットがちょっと怒ったように言う。


「そのときに力が消えることのショック……っていうよりは誤魔化したような反応だったから、そう思ったの」

「――力はいつか消えるのか?」

「フェルティガエの老化は身体の老化とフェルティガの老化があるの。どっちが先かは人によるけど……。いずれにしても、死が近くなるとフェルティガを維持できないから消えるんだ。だから、嘘は言ってない」


 シャロットはペロリと舌を出した。


 うおー……10歳にしてやられてるぞ、トーマ……。

 でも……実際、この恋がかなり難しいことは確かだ。

 女王の血族は力を継承するために、純粋なウルスラの人間と結ばれなければならない。

 途中でミュービュリの血が入ったとはいえ……やはり、自国の人間でなければならないだろう。テスラの血を四分の一だけ引いているトーマには分が悪すぎる。

 しかもトーマは、フェルティガエとしてはあまり強くない。女王の相手なら、より強い力を持ったフェルティガエが望まれるだろうしな。


「シャロットは、トーマとシルヴァーナ女王をくっつけたいのか?」

「うん。だってシルヴァーナ様は、トーマ兄ちゃんのこと忘れてないもん」

「……でも、女王は力を継ぐ娘を産まなければならないんだろう?」


 まだ10歳のシャロットがこのことをどれぐらい把握しているかわからなかったから、俺は少し遠回しに言ってみた。


「――シルヴァーナ様は、儀式に失敗した。だから……もう産めない」

「……え?」


 シャロットは俺をちらりと見たあとくるりと後ろを向いた。


「詳しい儀式の内容は知らないけど、ウルスラのフェルティガエを迎えて女の子を産むってことは知ってる。でもシルヴァーナ様は無理だから……それは大人になったら私がする。私とコレットで」

「……」

「だから、トーマ兄ちゃんは……シルヴァーナ様と一緒に居てもいいんだもん」


 シャロットはそう言うと、下を向いた。……ちょっと涙ぐんでいるようだった。

 本気で心配してるんだな、と少しホロリとくる。


「……トーマにもいろいろ事情があるからなあ……」

「……やっぱり!」


 しょぼんとしていたと思っていたシャロットがバッと俺に向き直り、

「トーマ兄ちゃんは記憶が戻ってるんだね!」

と叫んでしがみついてくる。


「な、何で……」

「トーマ兄ちゃんの記憶が戻ってるかどうか知らないなら、そんな言い方にならないはずだもん!」

「んが……」


 このガキ、頭の回転が速いな……。嘘泣きまでして……。

 ――でも、ひとえに二人のことを案じてるからなんだよな。


「とにかく……俺は知らないって」

「嘘!」


 なおも食い下がるシャロットの両肩に手を置くと、俺はちょっと溜息をついた。


「まぁ、どっちにしたって……何と言うか、なかなか難しい問題なんだよ。二人もまだ、大人になりきれてないからな」

「む……」

「しばらく黙って見守っててやってくれないか? それで……そんな不確かなことは、誰にも言うなよ。シルヴァーナ女王にも、絶対に」

「不確かじゃ……ないもん……」


 シャロットはトーマと俺の反応から確信しているようだった。

 しかし……俺からバラす訳にもいかない。


「いいか? トーマにはトーマなりの、ミュービュリでの夢がある。そして、シルヴァーナ女王はそれを知っていた」

「……」

「だから、最初……自分との出会いによってトーマの行く道が歪んでしまったと考え、すべてを元に戻した。女王の後継者の問題だけじゃないんだ」

「でも、思い出したんなら……」

「仮に思い出したからといって、どうなるかはわからない」

「そんな……」

「それに、それを決めるのはシャロットじゃない」


 俺がちょっと強く言うと、シャロットはぐっと喉を詰まらせ……瞳を潤ませた。


「あくまで二人が決めることだ。シャロットだって自分のことは自分でケリをつけたいだろ?」

「……うん」


 シャロットは不承不承頷いた。


「でも……私は、シルヴァーナ様の味方だもん」

「それはいいんじゃないか? 女王が何かしたいと思ったときに協力すればいい」

「トーマ兄ちゃんがシルヴァーナ様を泣かせたら、私、絶対に許さないから!」

「わかった、わかった」


 興奮気味に喋るシャロットを宥めながら、俺はシャロットの頭を撫でてやった。

 シャロットは口元を少し曲げると「父親ってこんな感じなのかな」と呟いて……泣いたことをちょっと恥ずかしそうにしていた。

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