13.還るために(3)-ソータside-
親父が死んだ。
……俺とトーマに、大事な言葉を遺して。
その後のことは、殆ど思い出せない。
市内のどこかの会場で……身内だけで小さな通夜と葬式をした。
俺の目には、親父の棺と――その後は小さくなってしまった白い箱だけが映っていて、何も考えられなかった気がする。
トーマの車で山に戻って……床の間の前に座る。
ボーっとしている俺の後ろで、トーマがてきぱきと動いている気配がした。
「親父……いつ?」
あまりきちんとした言葉にはならなかったが、俺の言いたいことは分かったらしい。トーマは花を供えながら
「入院したのは……8月下旬かな」
と答えた。
「ウルスラから戻ったとき、俺びっくりして。正月以来会ってなかったんだけど、じいちゃん、ものすごく痩せてたから。じいちゃんは最初、病院に行きたくないって言ってたんだけど……父さんが半年以内に帰ってくるって話したら、素直に行くって言ったんだ」
「……」
「もう時間がないことは何となくわかってたから……どうしても朝日さんに会っておきたかったんだって。それで心残りはもう無い、と考えたのかもしれないけど。でも父さんのことを聞いて、少しでも長く生きなきゃって……思い直したんじゃないかな、と思う」
「……ふうん……」
それから三日間……ずっと、親父の家にいた。
トーマが飯を作ってくれて、機械的にそれを食べる。
食べたら親父の荷物を整理する。
出てきた物から親父との記憶を思い返す。
辛くなって……疲れて寝る。
ふと……目覚めて辺りを見回す。
……そんな、空虚な時間を過ごしていた。
ある日の昼……トーマの部屋を何気なく覗くと、いなかった。
入口付近に置いてあった袋に、円筒の容器が4個入っていた。
何だっけな――そうか、ユウが持っていたのと同じ、フェルポッドだ。
「それ……朝日さんがくれたんだよ。中身は空だけど」
急に背後から声がして、驚いて振り向く。トーマがスーパーの袋を片手に立っていた。
「くれた……?」
「父さん……もう、話を聞ける?」
どうやらトーマは、俺が口を開くまで待っていたようだ。
俺が頷くと、トーマは「飯の準備するから待ってて」と言って台所に消えて行った。
そして……俺に昼食を出した後、親父が入院してからこれまでのことを、少しずつ説明してくれた。
親父は末期の膵臓癌だった。病院に行ったときには、余命3カ月と宣告されたらしい。
でも、俺が帰ってくることを聞いていたから……それまでは絶対生きる、最期に話をするんだと言って頑張っていたそうだ。
しかし……やがて、痛みを伴うようになる。モルヒネの投与が始まると意識が混濁してしまい……会えても、俺と話をするという親父の望みは叶えられない。
朝日はそれを避けるために、テスラの女王に懇願し、フェルポッドを貰った。
そしてテスラの神官から痛みを消すフェルを習い、親父にかけてくれたらしい。
その頃は朝日も修論で忙しく、他県に住んでるから病院に頻繁に通える状態じゃなかった。
それでトーマにも使えるように、フェルポッドに込めて渡してくれたという。
――颯太の親たるわたしの使命。
親父はそう言っていた。だから……自分のことで俺が前に進むのをやめることを、極端に嫌がったんだろう。
多分、朝日は口止めされてたんだな……親父に。
それに……あの不器用な朝日が必死で治癒を覚えたのかと思うと、あのとき責めてしまったことが悔やまれた。
聞けば……親父が死んだあと、まだ若いトーマに代わっていろいろ手配をしてくれたのも、朝日だったという。
◆ ◆ ◆
“――もしもし?”
「……俺」
“あ……うん”
「……」
“……”
「朝日……あのとき、怒鳴って悪かった。ごめん」
“いいの、それは……。だって当然なんだから……”
「ありがとうな、いろいろ」
“……ううん”
「俺……ユウにもちゃんとありがとうを言ってない気がする。あいつ、今はどうしてる?」
“私と一緒に横浜の私の家に来て……昨日、テスラに戻ったの。浄化者の指導のことで、何か頼まれたみたい。ユウはまだ、ゲートを越えられるから”
「そっか。……ユウ、怒ってなかったか?」
“ううん。どうして?”
「朝日をいじめて泣かせたって」
“ふふっ……それはないわよ……”
「――近いうちに、帰る。ミリヤ女王にも……報告に行く」
“わかった。……伝えておくね”
「ああ」
◆ ◆ ◆
親父が死んでから、1週間が過ぎた。今日は日曜日だった。
「トーマ、観覧車に乗りに行こう」
「は?」
昼食時。トーマは箸を止め、間抜けな顔をして俺を見た。
「だから……観覧車に乗りに行こう」
「……わかった」
何で、とか聞いても無駄だと思ったのか、トーマは素直に頷いた。
ご飯を食べ終わると、俺たち二人は外に出た。少し歩いたところに、駐車場があるらしい。
そこに向かおうとして……俺はふと、二十年前のことを思い出した。
「そう言えば……あの神社、近くにあるんだったよな」
俺の呟きに、トーマはしばらく首を捻っていたが「あ、そうか」と呟いた。
どうやら親父から話を聞いていたらしい。
「わりと近くだよ。あっち。……行ってみる?」
トーマが道路を越えた右の方を指差す。
「……ああ」
トーマが歩きだしたので、俺はその後についていきながら辺りを見回した。
二十年前……車から見たはずの景色。あれは8月で――夏真っ盛りだったよな……。
今は1月で、あちらこちらに雪が積もっている。初めて見る景色だ。
「……あそこ」
十分ほど歩いて……トーマが前の方を指差した。
鬱蒼とした木々に囲まれた社が少し見えた。近付いていくと、やがて目の前に長い石段が現れた。
一瞬立ち止まり、俺はその上を見上げた。
たくさんの木々に囲まれている。白い雪が太陽の光に反射して、すごく眩しい。
そうだ……あのときも、こうして石段の向こうを見上げたっけ。
「……行くか」
俺はあのときの記憶を確かめるように、一段一段ゆっくりと石段を登った。
二十年前、この場所で。
何だかぞわぞわして、びっくりするぐらい汗をかいていたな。
隣を歩いていた親父が、心配そうに俺を見ていて……。
石段を登りきり……俺は俯いたまま、一度目を閉じた。あのときの風景を思い出す。
真夏で、蝉の声がうるさかったけど、たくさんの木々で境内は日陰になっていた。右手の奥に社があって……左手に、あの大木がある。
顔を上げて目を開けると……あの時とは違う、冬の景色が広がっていた。
でも……たくさんの木々、社、大木の
俺は黙ったまま歩き、大木の前でぴたりと止まった。
目の前には……俺を呑み込んだ、大きな洞。わずかだが氷となった雪がかかっている。
「この社に、弓の達人の老人がいたんだろ?」
「あ……うん」
ずっと俺の様子を窺っていたトーマは、急に話しかけられて少し驚いたように頷いた。
「弓道をしてる元気なおじいさんだった。だけど、俺が幼稚園のときかな。亡くなった」
「……そっか」
「でも、何で父さんがそんなこと知ってるんだ?」
「俺が弓道をしてたことは知ってるよな?」
「うん。インカレ2連覇したって……」
「そう。その夏、ここの弓の先生が俺に会いたいと言ってくれたって聞いてさ。俺は親父と一緒に、ここに来た」
「……」
「でも、その先生に会う前に……ジャスラに飛ばされた」
「えっ……」
「この洞から……」
俺は大木の幹を、そっと撫でた。
あのときとは違い――何の気配も感じなかった。
「あのときは――まさか帰れなくなるとは思わなかった。そして……またここに戻ってくるとも……」
「……」
トーマは俺の隣に来ると、同じように大木を見上げた。
「……なんか、悔いがあるとか? この場所に来なければ、ジャスラに行かなくて済んだのにって」
トーマの台詞に、俺は驚いてトーマの顔を見た。
そんな俺に、トーマの方が驚いたようだった。
「……何で父さん、そんな驚くんだよ」
「考えたこともなかった。もしジャスラに飛ばされてなかったらどうなってたか、なんて」
「……そうなんだ」
そう呟くトーマは、少し嬉しそうだった。
「考えてみる?」
「いや……どうせ、たいした人生は送ってない。何の努力もしてなかったし……。多分、その場しのぎで適当な感じで……」
俺は踵を返すと、ちょっと社を見てから石段の方に歩き始めた。
「……そんな感じなんだ」
「まあな」
――水那にも、会えてはいなかったし。そんな人生……無意味だろ。
「まあ、そうだよな。母さんもいないし」
「な……」
考えていたことを見透かされた気がして、俺は思わず言葉を失った。
「父さん……何でそんなに真っ赤になるんだ」
「そりゃ、そうだろ……」
「だって、人生の半分以上母さんのために過ごしてるんだろ? 何を今さら……」
「お……親をからかうな!」
「からかってないんだけどな。……なあ、母さんってどんな人? どういうところが好き?」
「絶対に言わん!」
「父さんは俺に説明する義務があると思うけどな」
「ない! 察しろ!」
「……」
「……」
「……わかった」
少しの沈黙の後、トーマはやけに素直に頷いた。ちょっと笑いをこらえているようにも見える。
……何かを察したのだろう。
その後……俺は赤い顔のまま、もくもくと歩き続けた。
* * *
駐車場に着くと、白い少し古ぼけた車があった。中古車らしい。
「そう言えば、車はいつ買ったんだ? ……というより、免許持ってたのか」
「免許は1年の時に取ってた。車を買ったのは9月だけど。こっちは車がないと移動が不便だから」
そっか……親父が入院して、大学と病院と家を動き回るのに必要だったんだな。
車を走らせると、トーマが『ここから適当に選んで入れて』と言ってCDケースを渡してきた。
「……全然知らん歌手だな」
1枚取り出し、見てみる。他のも見てみたが……タイトルが全部英語だったり、訳が分からん。
「カセットはないのか?」
「カセッ……ト……」
トーマはそう呟くと、なぜか大爆笑した。
「父さん、やっぱり昔の人なんだね。見た目はこんなに若いのに」
「うるさいな。……もうないのか?」
「なくはないけど……わざわざ聞かないかな。入れる場所もないし」
言われてみると、確かにCDを入れる場所はあるがカセットを入れる場所はなかった。
「父さんってレコードの時代?」
「そこまで古くない。もうCDになってた」
「ふうん……」
それからは……俺の時代はこうだったとか、ああだったとか、俺がいない間に世の中はこういう風に変わったとか……そんな、いわゆるどうでもいいことを喋り続けていた。
――2時間ほどで、遊園地に着いた。海の近くのようで……遠くから波の音が聞こえる。
あまりパッとした乗り物はなさそうだったが、観覧車だけは妙に大きかった。
「日本海側最大、らしいよ」
「へぇ……」
真冬なので、日曜にも関わらず殆ど人はいなかった。雪は殆どなかったが……寒いからだろう。
二人でチケットを買い、係員にちょっと怪訝な顔をされつつも、気にせず乗り込んだ。トーマと向かい合わせに座る。
俺たち二人だけを乗せたゴンドラは、ゆっくりと上昇し始めた。
「……俺はさ」
「うん?」
「ジェットコースターの類いは全く駄目なんだよ。子供の頃から」
「……ぶふっ……」
「笑うな! ――いいから黙って聞け」
「うん……」
トーマは神妙に頷いた。
俺は窓の外を見た。だいぶん高度が上がってきたようだ。
水平線が見える。……遠くの漁船も。
「唯一乗れるのが、観覧車だった。それで、母親……つまり、お前のばあちゃんな。俺が小四のときに死んでるんだけど……。その母親がな、月に一回、観覧車に乗るためだけに、俺を近くの遊園地に連れて行ってくれてたんだ」
「……ふうん……」
「――親父は、それをちゃんと知っていた」
「……」
「だから……俺がもういいよって言うまで、今度は親父が非番の時に連れて来てくれた」
「そう……なんだ……」
それからしばらくの間――俺たち二人は黙って水平線を……海の彼方を眺めていた。
「俺……帰る。今日」
「……わかった」
トーマは「何で急に」とは言わなかった。何となく分かってたのかもしれない。
そう言えば……水那も、俺があまり口に出さなくても、俺の考えていることを理解していた気がする。特に……闇に消えてからは。
まあ……俺の水那への気持ちだけは、勘違いしてた訳だけど。
「しばらく会えなくなるけど、元気でな」
「四年後、母さんを助け出すときは絶対そっちに行く」
「……そうだな」
そう答えた後……ふと思い出す。
「そう言えば……水那とはデートすらしたことないんだよな……」
思わず呟くと、トーマが
「あっちでしか会ってないもんな」
と同情するように頷いた。
「……淋しいね」
「悪かったな」
「俺はここにシィナ連れて来たよ。そのときはまだチビだったけどさ」
「ああ、そうかい。――そうだ、水那を助けたら三人で来ような」
そう言って笑うと、トーマもクスッと笑った。
「いいけど……じいちゃんに遊んでる場合かって叱られるんじゃない?」
「あ……かもな。じゃあ、あっちのゴタゴタ全部片付けたら、来よう」
「……うん」
冬の昼は短い。太陽はもう……だいぶん西に傾いていた。
――水那。トーマはお前に似て察しがよくて、俺に似て好きな子に保護者面してるよ。
それで……すごくいい奴に育ってる。
親父には……もう、感謝しかない。
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